顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで 作:東京競馬場
「トレーナーさんってさ」
「ん?」
ある日の練習後。
今日も今日とて、そこそこ以上に体力を消費するトレーニングと、心地良いくらいの疲労を感じさせる頭脳トレーニングとで早くも眠気が襲う夕暮れ時。
まだ身体の方は動ける気はするけれど、頭の方がダメだった。
瞼があまりにも重く、そのままベッドに飛び込んだら眠れてしまいそう。
トレーナーが付いてからというもの、練習後の脚のケアまでしっかり行ってくれるものだから、本当にご飯食べたら寝て良い状況になってしまっているのが性質が悪い。
これが彼流の『無理な自主トレをさせない練習メニュー』だというから、なるほど優秀なものだと思う。
少なくとも、この眠気と戦って自主トレに勤しむくらいなら、誰もがさっさと寝て朝早く起きることを選ぶだろう。
と言いつつ。
明日は初めて、練習の休みを言い渡された日であった。
「お休みの日って何してるの?」
「俺なら普段は学園居るぜ?」
「えっ? アタシが休みじゃなくて、トレーナーさんの休みの日だよ?」
「ああ、だから学園居る」
「ええっと……学園で何してるの?」
「色々あるんだぜ、男の子にもよ」
「はぁ……」
ぺた、と彼女の耳がヘタった。
理解できないものを見るような目に、神谷は笑う。
「これは俺じゃなくて、先輩の持論なんだが。一度教える側に回っちまうと、まるで自分が物事の全部理解しちまって、勉強する必要が無くなったと、勉強をクリアしたんだと勘違いしちまうんだと。そんな自分を戒めるために、日々の学びを怠るなって話でな」
「ふぅん。でも……あんまりピンとこないかも。トレーナーさんの勉強って」
「そうか? 色々あるぜ」
「たとえば?」
興味が出てきたのか、徐々に耳が活力を回復し始める。
見上げる視線は楽し気で、先ほどまでの眠気が嘘のよう。
神谷は内心、有難いことだと少し安堵した。
トレーニングではなくトレーナーにそれなりに興味が出てきたということは、トレーニングへの不満の類は今のところ心配しなくて良さそうだと。
不満はないか? などと正面から聞いたところで、ウマ娘の多くは年頃の少女だ。そう簡単に本心を打ち明けてくれるなら難しいことなどない。
だからこそ様々な彼女らの言動行動から日々のトレーニングへのモチベーションを探るのは一流トレーナーの最低限の能力と言えた。
「たとえば、学会発表纏めたレポート作成。それから毎日更新されてる論文集積サイトのチェック――特にウマ娘の医療とスポーツ科学関係な。あとはトレーナーたちが出してる育成論とか、そういうのはやっぱ見てる。専門家みてえにその医学論文の穴を見つける能力が必要だったり、学会でスライド作ったりする必要だったりとかはねえからその辺はそう難しいことはしてねえけど、育成論関係はそこそこ
「わぁ……」
「お。思ったよりちゃんと勉強してるって思った? 最近はゴーストオブツシマやってるけど」
「なんで急に上げて落とすかなあ……。あれ、でもそういう論文とかって、日本語?」
「日本語のものも増えてきたし、翻訳もマシになってきたが……まだどうしてもそれだと一手遅れるから、ドイツ語か英語で読むのを推奨されてるな」
「待って待ってトレーナーさん、フランスで暮らしてたんだよね……?」
ひょっとして、トリリンガル……? と驚きを含む瞳のナイスネイチャに、神谷は笑って首を振った。
「まーさか。フランス語こそまともに喋れるが、ドイツ語と英語に関しちゃ全然だ」
「え、でも今論文はその2つ推奨って」
「中央トレセン学園に居るようなトレーナーは全員そうだと思うが、『論文に書いてあることくらいは読めるようになってる』が正しいな。ウマ娘の論文に書いてあるような言葉と最低限の文法は把握してるっていうか。その上で初めて出てきたような知らねえ単語は調べて読む」
「ええ……どう違うの……?」
「日本語だって、論文に書いてある言葉と日常で使う言葉は違うだろ? 俺は英語で『ウドンはオカズやァ!』さえ、なんて翻訳すんのか知らねえし」
「いやうどんはおかずじゃないでしょ……」
でも、なんとなく理解した。
彼を始めとしたトレーナーたちは英語とドイツ語が話せるのではなく、論文を解読する能力があるということ。
それでも十分すぎるし、おまけに目の前の男はフランスでウマ娘に指導をしていたわけで。
そう考えると余計、自分なんかを担当している意味が分からなくなってくるのだが。
ぼんやりと頭を掻けば、彼は横から見下ろすように、楽しそうな笑顔で言うのだ。
「そういう勉強も全部、お前の為な」
「荷が重いっつーの!」
「論文読むのに必要な色んな経費も学園が持ってくれてるし、きっちりトレーナーには個々の部屋与えられるし、何より育て甲斐のある奴が居るし、労働環境としては最高だなここ」
「最後のだけちょっと分からないですね」
「いや労働環境としては最高だろ……?」
「そこじゃないそこじゃない」
ぱたぱたと否定の意味を込めて手を振りつつ。
聞けば聞くほど、トレーナーという存在が必要とされる理由についても分かってくる。
もしも神谷の言うことがすべて本当だとしたら、このトレセン学園に務めるトレーナー皆がそうした能力の持ち主なわけで。
「……トレセン学園のトレーナーって、本当に一握りしかいないって聞いてたけど」
「ん? 縁故採用みてえな感じで海外から出戻ってきた癖に急にでかい顔してる新人に周囲が冷たい理由が分かった?」
「急にネガってきた!? や、まぁ……目に見える形で凄いことやってるのが分かると……はい。トレーナーってほんとにそういうエリートなんだなあって」
「最も話題性のあるエンターテイメントスポーツで、世界を見据えた最高峰のアスリートが集う学園だぜ? そりゃ変な奴居られねえよ」
「ゴーストオブツシマやってるのに?」
カッコつけた自分のトレーナーに対し、いたずらっ子のような笑み。
そもそもこんな状況でむしろよくゲームが出来るなと感嘆もあるのだが、だからこそのからかいでもあった。
ただ、そんなネイチャさんの目論見に、ぽんと手を打った神谷は。
「おっとそうだった。ほっとくとグラスワンダーの奴に全クリされちまう。急いで帰らんと」
「………………は????」
ぐいっと、先を行こうとした彼の服の裾を掴んでしまったのは仕方のないことだろう。
なんだか知らない奴の名前が聞こえた。
否、正確には、知ってはいるのだが。
「え、ちょ、ちょーっと待って貰えます?」
「ん? いや心配しなくても俺はお前以外に目移りしねえよ?」
「っ~~!! じゃ、じゃなくて! そういうことが聞きたいんじゃないんですよ!!」
そういうことを聞くつもりだったけれど。
だからと言ってラリー一発目でそんなストレートをぶつけなくてもいいではないかとむくれながら。
「あれ、そうだったのか。なんだ、一緒に蒙古殺す?」
「どんな誘い文句ですかね……。ええと」
調子が狂う。
一瞬で霧散してしまったやり場のない怒りとは別に、やはりもやもやとした感情が胸の内で燻っている。
だって、トレーナーの自室でゲームをしていると来たものだ。
自分はまだ、行ったこともない。
「あの、どうしてグラスと……?」
「あいつの所属してるチームリギルのトレーナーから呼び出し受けてな。その時呼びに来たのがグラスワンダーだったんだわ」
「はあ」
「んでちょうどそん時ゴーストオブツシマやってて。なんか物珍し気に後ろからのぞき込んでくるもんだから、
「ぐ、グラスってそういうキャラだったんだ……」
「なんか東条トレーナーとの話終わって帰ってきたらまだやってたから、ハマったん? って聞いたんだけど。今はただ己が許せませんとかなんとか。仕方ないからその日はずっと俺が後ろで見てた。負けず嫌い過ぎて練習のやる気下がってた気がしなくもないが……」
「……で、それからしばらく?」
「
ついやる気に満ちたウマ娘を焚きつけちまうのは俺の悪い癖だ、と神谷は内心で呻いた。
「なにやってんだか……」
グラスワンダーもグラスワンダーだ。何もこのトレーナーと一緒にやらなくても――とも思うのだが、それはわがままな感情なのだろうか。
彼女にとっては、ただたまたま面白いゲームを提供してくれた相手だろうし。
ゲームをするなら、話題を共有できる相手と。その考えも理解できる。
ただ、そもそもグラスワンダーとトレーナーの間に接点があったことすら知らなかったのが、やはり喉元に小さく引っかかっていて。
「まあ、じゃあトレーナーさんの部屋行きましょーか」
「あ、来る?」
「急いでるんでしょ? 迷子になられても困りますからねー」
「ぐっ」
「そ・れ・に。道すがら、色々聞きたいなって。思えばトレーナーさんの交友関係とか全然知らないわけですから」
「俺もここ来たのお前と初めて会った日だから、そんなに知り合い多くねえけど……それでいいなら」
別に話して困ることなど何もないとばかりに、神谷は頷いた。
「はい、それじゃトレーナーさん。ずばり、他に仲の良いウマ娘は居るんですか!?」
「ナイスネイチャって子が最高だな――分かった分かった後ろ向くな、沖野サンじゃねえんだ普通の人間は死んじゃうんだぞ」
廊下を歩む道すがら。
じとっと睨めば、神谷は真面目くさった顔でスマホを開くと、連絡先一覧を眺めながら。
「接点というか、まあ連絡先持ってるウマ娘で言うとマルゼンスキーかな」
「……また意外なところを。そりゃまたどうして」
「一緒に峠攻めたんだよ」
早くも頭痛がしたナイスネイチャであった。
「マルゼンスキーさんって確か、車持ってたっけ……え、二人で乗ってったの?」
「まさか。助手席なんて自殺行為だ。俺も商店街のおっちゃんにハチロク借りて突っ込んだぜ。そら盛り上がったのなんの。そのハチロクがもう、完璧に走り屋仕様でな。その夜はちょっとした祭りになった」
「……あれ、ちょっと待って? 商店街のおっちゃんのハチロク? つかぬことを聞きますけども、どのおっちゃん?」
「豆腐屋」
「商店街最速かあ……」
――なんというか。
「あとはビコーペガサスか」
「ほんとに全然接点が分からない……グラスにマルゼンスキーさんにビコーペガサス……?」
「ヒーローごっこしてたから、ちょっとしたノリで怪人の真似して話しかけたんだよ。
「なんて????」
「したらめちゃめちゃ歯を食いしばって、絶対倒すっていう強い意志とともにキャロットマンキック食らった」
「ちょいちょいちょい!? 大丈夫だったのそれ!?」
「本当に怪人が現れたかと思ってびっくりした、って興奮気味に言われて、俺も楽しかったから連絡先交換した」
――思っていたのとは全然違うというか。
「それからエルコンドルパサーだな」
「うわ……もう読めた……」
「俺のブレードランナーさえ入ってりゃ今頃ベルトは俺のもんだったんだがな……エスペランサ食らってふらついてるところに正調式デスティーノで完璧に沈められたわ。
「ウマ娘とプロレスするな!」
――そうツッコミを入れて、改めて思ったのは。
「いややりたい放題すぎない???」
「あとゴルシ――あれ、ゴルシ連絡先交換してねえ。まあいいや、どっかで会うだろ」
「このあとにゴールドシップさんとのエピソード聞く元気はないかな……。あはは」
――気づけば、心の奥底に妙な安心感が芽生えていることだった。
神谷の言っていることに嘘はないのだろう。連絡先には確かにウマ娘の名前がそこそこあって、それに対して思うところはあったけれど。それでもこうして話を聞くうちに、変な感情は萎んでいって、代わりにあるのがその妙な安心感と、ただこうして練習後にのんびり話すことが出来ている単純な楽しさ。
こんなにうまいこと乗せられると、これもウマ娘と付き合う秘訣なの? と問いたくなってしまう。
そんな言葉が口を突いて出ようとする時に、彼は「ああ」と思い立ったように呟くのだ。
「良かったら明日、沖野サンと一緒に東京レース場行くけど来る?」
「えっ」
「割と張り切ってたから、何かしでかすつもりらしい。せっかくなら、俺とお前の決起集会も兼ねようかなーって思ってたんだが、迷惑じゃなければどーよ」
「明日――あ、そうか。お休み」
「そうそう。だからちょっと誘うか悩んでたんだけどな」
そんな言い方をされたら断れないし、もとより断る理由もなかった。
他のウマ娘と仲良くしている話を聞いた直後なら、なおさらだ。
「もー。トレーナーさん、その言い方はずるくない?」
「だから気ぃ遣ったんじゃねえか。頼む! このとーり!!」
「それはもう気ぃ遣ってないし!」
あはは、と思わず笑って。
「しょーがないですなー。じゃあお休み返上して、決起集会と行きましょー」
「ふー耐えたー。フラれずに済んだぜー」
「また言う!!」
お互い笑い合って、気づけばただ楽しいだけの雰囲気の完成だ。
明日も楽しみ。これからの未来も、ちょこっとだけ希望が持てている。
少しだけ、口元が緩んだその時だった。
手をかけようとした扉越しにグラスワンダーの「やりましたぁ!!」という声が響いてきて神谷が膝から崩れ落ちた。