顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで   作:東京競馬場

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幕間:トレーナーたちの夜

 その日の夜のこと。

 ナイスネイチャを寮まで送り届けた神谷は、改めて沖野を呼び出して外へと繰り出した。

 

 向かう場所については特に考えてはいなかったが、沖野自身の提案で、彼の行きつけのバーが目的地と相成った。

 

 その方が都合が良いということだったので深く考えもせず向かった神谷だが、沖野に連れられて店に入ったところで選択を早くも後悔することになる。

 

「おいおい、俺は沖野サンと話がしたかっただけなんだが……?」

「そう言うな。お前の呼び出しの方が後だ。冷静に考えりゃ分かるだろ」

「――まぁ、な」

 

 カウンターには既に1人、長髪の美人が腰かけていた。

 スーツをぴしりと着こなしたその背中はしかし、抑えきれない怒りと共にある。

 

 神谷とて知らない仲ではない。

 東条ハナというそのトレーナーは、学園最強のチーム"リギル"のトップであり。

 そして何より、今日沖野が余計なことをやらかしたサイレンススズカのトレーナーであった。

 

 そりゃあ、話をしなければ筋が通らない。

 

「――来たわね」

 

 そう振り向いた彼女の表情は決して酒の色に溺れることなく、怜悧な印象を崩さないまま。

 沖野の後ろから顔を出した神谷を目にして、その眉をひそめた。

 

「援軍を連れてくるなんて、なるほど? アンタも懲りないのね」

「ああいや勘違いしないでくれオハナさん。こいつぁこいつで俺に話があるとかで」

 

 へら、と笑う沖野の後ろで、神谷も頷いた。

 

「ああ。俺が沖野サンを守る理由は1つもねえ。好きにしてくれ。あとで話す口さえ残ってりゃそれでいい」

「……そう」

 

 納得と、それからある種の決意を持って。

 沖野を見据える東条の瞳が、細まった。

 

 

 

 

 

 

 

 サイレンススズカは今日、驚くほどの圧勝を手にした。

 

 それはここ最近の彼女の停滞ないしは惨敗ぶりと比べても、色鮮やかに映った勝利と言っていい。

 何より、走っている時の彼女がどれだけ楽しそうで、自由で、美しかったか。

 

 初めて上京してきた少女が、その走りに一瞬で魅せられたという点を見ても彼女の"大逃げ"は大成功と言ってしかるべきだろう。

 

 だが、かといってそれを外部のトレーナーが為すことは褒められたことではなく。

 筋を通すのであれば少なくとも事後承諾では罷らない。

 

 ――ただ、先に言って同じようにサイレンススズカがあの走りを可能としたかと言えば答えは否であることも、東条トレーナーは理解していた。

 

 事前にそんな話を振られたところで、確かに許可はしなかっただろう。

 

 逃げは、勝利の定石ではない。

 その理屈は、ああしてサイレンススズカが勝利を手にしたあとでさえ覆らない。

 

 ならば。

 

 サイレンススズカはいっそ、沖野に預けよう。

 

 そういう決断を下せるのが、やはりウマ娘の為を想い行動できる一流のトレーナー東条ハナという女だった。

 

「はー、東条サンもバカだなー」

「それを言うなら、ここにはバカしかいないわね。違う? 神谷トレーナー」

「それーなー」

 

 たとえ神谷が東条の立場だったとしても、サイレンススズカを手放す選択を取るだろう。

 

 だがそれは、己が有能であればこそ取れる選択肢だ。

 

 自分よりも優秀な者に仕事を振り分けていった結果、自らの手に何も残りませんでした、ではトレーナーは立ち行かない。

 誰よりも自分が育てられる素質というものがある――その確固たる自負があればこそ、その行動を可能とするのだ。

 

 ほんの一握りにのみ許された選択。

 そうでない人間はトレーナーを辞めるべきかと言えば、そうではない。

 

 この3人だけで、中央トレセン学園を回すことは出来ない。

 才というものは希少で、得難いのはウマ娘もトレーナーも変わらない。

 それだけの話である。

 

 

「まあそれはそれとして、沖野サンは東条サンに借り作ったな」

「うっ……まぁ、それはそうだな……。オハナさんに何かあれば、俺がなんでも引き受けよう」

「ええ。是非そうして貰いましょうか」

 

 不敵に微笑む東条と、頭を掻く沖野。その隣に並んでソルティドッグを傾ける神谷は、頬杖を突いて少しばかり酒精に感情を任せながらぼやいた。

 

「そろそろ良いか、沖野サン」

「――ああ、まあおおよその話題は把握してる」

「なに? この男は神谷トレーナーにも何かやらかしたの?」

「そうなんだよ東条サン。ちょうどいいから聞いてってくれや。アンタにも、トレーナーとして思うところはあるはずだ」

「へえ?」

 

 興味深げにロックのブランデーを揺らす東条も、そろそろ酔いが回ってきたか。

 美人が頬を朱で彩るのは目の保養だなどと思いつつ、神谷は口火を切った。

 

「俺の担当……ナイスネイチャってんだが。俺はアイツが最高のモチベ維持し続けられるように色々手ぇ尽くしてんだよ」

「モチベーション、ね。あまり私はそうした感情の信奉者ではないけれど……トレーナーとしてウマ娘に気を遣っているということは理解したわ」

「結構大事なんだぜ、調子って……いやまあ、育成論を戦わせるより沖野サンボコす方が先だわ。この野郎あろうことか俺のウマ娘のやる気削ぎやがった」

 

 じろ、と睨めば。

 沖野はそれでも静かにバレンシアを口にするばかり。

 その目は遠くを眺めているようで、決してふざけているわけではないのだろう。

 ただ同時に、謝る気もなさそうだった。

 

「何があったの、神谷トレーナー」

「特別なのはナイスネイチャじゃなくて俺だとか言いやがってな」

「――事実だろ」

「おい」

 

 謝罪どころか、意見を曲げる気がないと沖野は神谷へ目をやった。

 

 据わった瞳の神谷と視線を交え、しかし沖野は動じない。

 

「――お前、フランスで何であんなことになったのか、分かってないのか?」

「それとナイスネイチャは関係ねえ」

「そうなる可能性は、たとえ今のナイスネイチャが気落ちすることがあったとしても、今のうちに消しておかなきゃならねえ。でもお前は絶対にやらねえ。なら俺がやらなきゃ、ナイスネイチャは大成しないまま終わるかもしれねえ」

「あのさぁ……たとえもし"そうなった"としても今はアイツにとって大事な時期だって分からねえかなぁ……」

 

 これは決して、ウマ娘の前ではできない会話だった。

 だからこそ神谷も改めて席を設けたし、この場にトレーナーだけしかいないのもそれが理由だ。

 

 トレーナーである以上、担当の前では見せられない姿というものはある。

 

「……話が見えないわね、二人とも。神谷トレーナーがフランスでやらかしたという、貴方が懸念する事態というのは何?」

 

 とんとん、と人差し指でカウンターを小突く爪の音。

 取りまとめるような東条の言葉に、沖野は一息。

 

「簡単に言えば、ウマ娘が神谷の言うことを聞かなくなるんだ」

「……モチベーション、制御……なるほど、そういうこと」

「なんで分かるの? アンタもたいがいおかしいな???」

「リギルのトレーナーを舐めるな若造」

「いやそんな歳かわら――」

 

 東条が指で己の年齢を示す。

 

「見た目わっっっか!? マジ!? 全国の男が放っておかねえ!!!」

「興味ないわね。……それより。要はウマ娘の自己肯定感を強めた結果、その代償として神谷トレーナーは存在価値を疑われることがあると、そういうことね?」

「……」

 

 憮然とした様子の神谷を、東条は鼻で笑う。

 

「やはりモチベーションなど、そう必要な話ではないということ」

「おいコラ、ウマ娘の精神環境をもとにした練習効率上昇のデータとか見ねえのか?」

「それよりも、多数の優秀な者同士での切磋琢磨を繰り返すことで、彼女ら同士に繋がりを作ることの方が意味があるわ」

「ぐっ……てめえで作り上げた環境をフルに使いやがって……」

 

 リギルのメンバーで行われる友情トレーニング。

 空恐ろしいものを感じて頬をひくつかせる神谷だった。

 

 そしてそこに油を注ぐ沖野である。

 

「ま、全部体力消費を抑えて怪我させねえようにした、単純な練習数を増やすことで得られる経験量にはかなわねえんだけどな」

「んなもん押さえすぎても効果が薄れるだけだろが」

「バカの1つ覚えのように練習を繰り返すより、休みの間に得られる知識を組み合わせた方が効率的よ」

 

 やいのやいの。

 結局トレーナーが三人も集まればこんなことにもなるのだが。

 

 ひとしきり騒いだところで、一息ついた沖野は言う。

 

「――話戻すけどな。お前は正直、俺やオハナさんには育てられないような子を、高みに連れていく力がある。もちろんスズカのことがあるように、俺とオハナさんだってタイプは違うが……お前のそれは、そうだな」

「日の目を見ねえウマ娘、とでも言いてえんだろうが、それでも俺にとっちゃ」

「神谷トレーナー。隣の芝は青いと言うけれど、己の長所というものは得てして己にとっては何でもないようなものに感じられるもの。私だって、もっと多くの生徒を育てたいとは常々考えているわ」

 

 だが、東条にはそれは出来ない。

 才能を自覚し、自らの力でそれを見出したウマ娘にどんな状況でも戦えるよう仕込むやり方こそ、東条ハナの進む道だからだ。

 そして沖野はまた、やりたいようにやるその熱意を力に変えるタイプのトレーナー。

 

「迷っている者に道を示すその在り方は、ひとたび彼女らが道を見つけてしまえば不要なものになるかもしれない。でも結局彼女らの本質は変わらない。なのに本人たちでそれに気づくことは難しい。……沖野のしたことは、間違ってる?」

「……………………」

 

 ぐ、とカクテルを飲み干して。

 神谷は呻くように言う。

 

「分かってんだよ別に。でも今じゃなくたって」

「自信がない、結果も出せてない、そういうとこからお前と一緒に這い上がる。その前に言うから意味があるんだ」

「…………ちっ」

 

 そんなやり取りに、少し東条は口元を緩ませて。

 

「あんたがわざわざフランスから呼び戻した理由が分かったわ。得難いトレーナーね」

「ああ。自慢の後輩だ」

 

 笑い、応える沖野。

 ただ、と眉を下げて彼は続けた。

 

「お前、担当ウマ娘に刺されないようにしろよ」

「んぁ?」

 

 なんの話だ、と顔を上げる神谷に、東条も眉を寄せる。

 

「聞き捨てならないわね神谷トレーナー。モチベーション維持のためにまさかうまぴょいしてるわけじゃないでしょうね」

「うまぴょいってなんだどういう意味だコラ。担当に気持ちよく走ってもらうために全力尽くすのはトレーナーの義務だろうが」

 

 東条に睨み返せば、沖野が言葉を継ぐように。

 

「レース場でお前言ってたじゃねえか。ナイスネイチャに隠すことなんて何もねえ、とか。その様子じゃ、ウマ娘のことで嘘は吐かないみたいなことも言ってんじゃねえか?」

「言ってるが??」

 

 片眉を上げ、当然のように言う神谷。

 沖野は小さくため息を吐いて、あのな、と言葉を漏らした。

 

「俺もオハナさんも、お前にウマ娘預けようって話をしてるんだ。うちのダイワスカーレットしかり……」

「うちのグラスワンダーも、頼むことがあるでしょう。彼女のもう一歩の伸びは、正直あなたに期待したいところよ」

「……とまあそういうわけだ。普段のお前の練習だと……」

「んなもん心配すんな。俺だって向こうじゃチーム組んでたんだ。練習のノウハウは死んでるとはいえ、ウマ娘が互いに持つ対抗心とかは理解してる」

 

 特に、神谷の受け持つウマ娘は今も昔も雑草魂が強烈故に。

 

「俺は覚えてるぞ神谷ぁ……フランス渡った後、お前の電話にウマ娘が出たの」

「変なことばっか覚えてんなアンタ。フランス語喋れねえアンタがわたわたした話だろ?」

「いやそもそもなんで他人がお前の電話取るんだよ……携帯だぞ……」

「そいつは元々男のトレーナーに不信感があるって話だったから、俺に隠すことなんてなんもねえって鍵とか全部渡してたからな」

「――神谷トレーナー、さては頭がおかしいわね?」

「なんでだよ。んなことでストレス溜められたらそっちのが面倒だろ」

 

 肩をすくめてみせる神谷は思う。

 本当に見せたら拙いような代物は隠しているからいいではないかと。

 たとえば男ならば誰しもが抱える夜の諸々をインストールした専用のスマートフォン。

 たとえば別名義で用意しているスイスの銀行口座。

 たとえばいざという時に行方を眩ませる為の伝手。

 

 そんなもの一流のトレーナーなら誰でも持っているし、ウマ娘であるか否か問わず誰にも教えることなどない。

 

「女は秘密が多い方がモテるが、男は嘘を吐かない方が印象が良いんだぜ?」

「誰にも嘘だと分からなければ嘘にはならない、か。なるほど、言うものね」

「オハナさんも何を納得してるんだ……じゃあウマ娘関係でトラブルになったことは今のところ無いんだな?」

 

 妙な念押しだなと首を傾げつつ、頷く神谷である。

 

「ああ、未来永劫ねえよ。っつーか昔から恋愛的な意味でモテるのは沖野サンの方だろ」

「……だからこその忠告なんだよ」

「んぁー、これは何かありましたね東条サンや」

「薄々察しては居たもの。まあ、男でトレーナーをやる以上、それは甘んじて受けるべき覚悟が必要なものよ」

 

 しみじみと頷きながら、青のジョニーウォーカーをしれっとパーフェクトサーブしている東条トレーナー。

 

 その横で平然とシャンディガフを注文する神谷。 

 

 混沌のバーカウンターに唖然としつつ、溜め息を1つ吐く沖野である。

 どうやら二人とも、自分の過去に胸を痛めてくれるつもりはないらしい。

 

 つまみのナッツをかじりながら、既に神谷の話題はまた次だ。

 

「最初の頃は俺もぼんやり、いつか担当ウマ娘と結婚する未来もあんのかなーとか思ってたけどな。男のトレーナーって、要は高校運動部の女子マネみてえなもんじゃん?」

「……まあ、当人がそういう認識なら否定はしないけれど。職務を全うする上で、組織内で人気を博し、近しい誰かと結ばれる。そういうケースは多いし。神谷トレーナーが、今更自らの職務を軽んじていないと信じたうえで頷いておくわ」

「論点はトレーナーの存在価値についてじゃねーしな。環境の問題っつか。恋愛目的でトレーナーやってる奴が居るくらいにはもう常識みてえな話だし。これ」

 

 実際男のトレーナーはモテる。

 ウマ娘がそもそも女性しかいない以上、やはり女性への理解という意味で女性のトレーナーに一日の長がある中、結果を出し続ける男のトレーナーというのは希少だ。

 

 レースに憧れることに男女の違いは無いとはいえ、トレーナーというのはレースへの憧憬だけで出来るものではない。

 

 二人三脚で夢を追ううち、そういう感情になることを殊更否定はしない。

 

 ただ。

 

「案外、そういう風にはならねーんだなってのが俺の長くねえトレーナー歴での感想。単純にさ、夢に向かって頑張るのに、全然関係ない目標(恋愛)なんて邪魔なだけなんだよな、多分。あいつらはギラギ……あー、キラキラすることに集中してて、それを一緒に叶えることに俺も沖野サンも全力なわけで」

「……さて、どうでしょうね」

「あ、ひょっとして俺が恋愛対象になり得ない的な方面? 清潔感? 顔?」

「違うわ」

 

 緩く首を振って、東条は言う。

 

「むしろ逆。あなたたちのようなトレーナーばかりだから、男性トレーナーはモテるわけで……なぜ食われてないのか不思議なくらい」

「お世辞でも喜んどくぜ。言い方はマジどうかと思うが」

「ふっ。そうしておきなさい。……それに、案外と恋愛(そういうもの)だって邪魔にならないものだったりするのよ。誰かの一番になりたいという気持ちは、ウマ娘の場合レースに顕れたりするものだから」

「へー。見たことねえやそんな論文。エビデンスあんの?」

「エビデンス? そうね……」

 

 自らのチーム、リギルでも最強最高の"皇帝"を生み出した、東条自身も敬意を抱くトレーナーを思い出し、小さく笑う。

 

「そんなもの、誰も文面なんかに起こしたがらないわ。文字に起こすことが出来るほど、安くないのよ?」

「へー。案外ロマンチストなんだな、アンタ」

「ただのリアリストにトレーナーが務まるとでも?」

「違いない」

 

 からん、となんとなく互いのグラスを掲げて笑う。

 

 神谷にとって、新たなトレーナーとの絆が生まれた日であった。

 

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