顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで   作:東京競馬場

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12/15 本日は、ナイスネイチャが新馬戦初勝利を挙げた日ですね。


第1R メイクデビュー 京都 芝 2000m(中距離) 内

「マーベラス!」

 

 朝がきた。清々しい朝が。

 

 いつものように跳ね起きたマーベラスサンデーは、窓から差し込むマーベラスな朝日に瞳の煌めきを反射させ、目覚めたばかりだというのにすっかり覚醒していた。

 

「――あれ?」

 

 と、彼女はそこで気が付いた。

 マーベラスサンデーの目覚めを、いつも羨ましくも恨めしくも思うルームメイトの姿がない。

 

「マーベラス!」

 

 ばん、と押し開いた窓の外。気持ちのいい陽光は健在も、冷えた空気に息が白い。

 

 そしてそんな中、一人軽くジョギングをするジャージ姿の少女の姿が目についた。

 

「ネイ……」

 

 

 声をかけようとして、やめた。

 まっすぐに見つめる視線の先に、何があるかは分からないけれど。

 でもその瞳が本当に真剣で、そしていつよりも集中しているように見えたから。

 

 

 

 

 ――今日は彼女の、メイクデビューの日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都レース場。芝2000m。

 寒空の下で大きく白い息を吐きだしたのは、ダウンジャケットに身を包んだ一人の青年であった。

 

 名を、神谷。フランスから帰ったこの年に、一人の専属ウマ娘を抱えてのトレーナーデビュー。

 話題性は相当の代物で、実はあの日の模擬レースは全て彼の専属ウマ娘を見つけるためにあったのではないかとも噂される男。

 

 加えて言うならあの日もっとも目立った、最高の資質を持ったトウカイテイオーではなく、同じレースを走っていた別のウマ娘に声をかけたという変わり種。

 

 トウカイテイオーにフラれたのかと言えば、トウカイテイオーは自分がフラれたのだと声高に吹聴するものだから噂話は千里を駆けた。

 それはもう、最早物語の存在である伝説のウマ娘赤兎が如く。

 

 トウカイテイオーから大差を付けられた、速さもビジュアルも"そこそこ"のウマ娘。

 シンデレラストーリーの予感に黄色い声を上げる者も居れば、敢えて遅いウマ娘を選ぶ気取ったトレーナーのウマぶりだと嘲笑する者も居た。或いは、トウカイテイオーがあんなトレーナーに潰されることにならずに良かったと、口さがないことを言う者も居た。

 

 そのどれもが単なる予想に過ぎず、真に結果が出るのは数年後のことだとして。

 

 神谷がここまでメイクデビューを引っ張ったのは、複数の狙いあってのことだった。

 

「あいつに要らん緊張させたくねーしな」

 

 まず一つ。人の噂も七十五日。彼のウマ娘とのトレーニング風景は、それこそ多くの注目を浴びていた。トレーニング中はなんだかんだで集中してくれる彼女も、決してメンタルが鋼というわけではない。むしろ、どちらかといえば脆い寄りの少女だ。

 だとすれば、そんな状態で迎えるメイクデビューがどうなるかは想像に難くない。

 

 彼女ではなく、トレーナーのせいで浴びたスポットライト。それは、決してポジティブなコンディションにはなり得ないだろうというのが神谷の判断だった。

 

 うまく走れても、トレーナーの手腕に話題が向く。

 もしまかり間違って好走出来なかったなら、自分のせいでトレーナーが責められたと思うだろう。

 

 彼女は優しい子だ。

 その程度の想像がつかなくては、トレーナーは務まらなかった。

 

 だとすると、彼女と神谷のトレーニングが日常風景に溶け込んで、ともすれば忘れられるくらいに時間をかけた方が良いだろう。そう思って、彼は日々のトレーニングに精を出させることにした。

 

 ちょうど良かったのは、やはりその期間にスペシャルウィークやグラスワンダーといったウマ娘たちの激闘があったことだろう。

 

 あとはやはり、サイレンススズカの怪我だろうか。

 あれらに関しては、誰よりも悔やんでいる沖野のことを、神谷は素直に心配していた。

 

 いずれにせよデビュー前の一人のウマ娘の話題など、あっという間に掻っ攫われていったというわけだ。

 

 

 ただ、もしも理由がそれだけなら、遅らせたことは周りからの重圧を避けてという単なるリスクマネジメントにも聞こえる。

 

 

「――だがまあ、おかげでしっかり仕上げることが出来た」

 

 今の彼女を見ればきっと、妖怪足ペロキャンディーマンが凱旋門賞からでも飛んでくることだろう。無論、しゃぶりつかせるつもりはないが。

 

 ここまでトレーニングを続け、多くのレースを観戦してきたのは、彼女の経験値のためだ。

 今日この日まで仕上げてきた身体は、クラシック期の少女たちと比べても見劣りせず、むしろ勝ると言える状態だと神谷は自信を持っていた。

 

 

 そして、どうしてそこまで徹底的にトレーニングを積んだのかと言えば。

 

 

 こちらにとてとてと歩み寄ってくる彼女の姿を見つけ、手を振る。

 不安そうな彼女は、神谷を見つけると耳をぴんと立たせて駆け寄ってきた。

 ただ、表情は相変わらず強張ったまま。

 

 

 そう。最も大きな目的は、これだ。

 最初のレースで、彼女に自信を付けさせる。

 そのためにも、ここまでメイクデビューを引っ張ったのだ。

 今の自分がどれだけやれるのか、それを示すために。

 

「さっむー……。イヤーカバーつけてて良かったー。いくらなんでも、この寒さの中で走ったら耳凍るって。なんも聞こえないって」

「じゃあどうする、どてらでも羽織って走るか?」

「じょ、冗談やめてよ、流石にアタシでもそんな――なんで持ってるんですかね?」

 

 流石に彼女自身のものではなかったが、誰のものとも知れぬどてらをひらひらと見せびらかす神谷がそこに居た。

 

「別にどてらじゃなくても、色々あるぞ。とりあえずこれ着てろ」

「え、あ、うん」

 

 羽織らされたのはダウンコート。足元まで暖かいその上着は、これからレースまでの間の体温を守ってくれる。

 

「条件はみんな同じとはいえ、温まった身体で一歩リードって考えるのもみんな同じだ。準備運動はしっかりやって、関節もケアするぞ。骨に負担や疲労をかけるのが、一番良くねえことだからな」

「う、うん。宜しくね、トレーナーさん」

 

 緊張と不安。それが彼女の身体を固くしている。

 

 正直に言えば、早くパドックでのお披露目が始まらないものかと神谷も思っていた。

 それさえ終わればきっと、何かが変わるはずだ。

 

 とはいえこうした空いた時間でのケアを怠るつもりも、毛頭ないのだが。

 

「レース場の作りは頭に入れてるな?」

「そりゃ、もちろん。ずっとこの日のためにって言ってくれてたし、出来ることはやらないとね。……あ、アタシみたいなのがそんなところで手抜いて勝てるわけないし!」

「まあ、別に誰でもそこで手ぇ抜いたら負けるんだが」

「あ、あはは……」

 

 乾いた笑いに少し浮かぶ、自嘲。

 隠しきれなくなってきたか、と神谷は一人思う。

 結局のところ、どんなに実力をつけても、ここまでメイクデビューを引っ張った以上レース経験がない。レース経験がないということは、自分がどれだけやれるのか分からないということで、それは彼女の心にとって健全とは言えないのだろう。

 

 とはいえ、メイクデビューなんてみんなそんなもんだ。

 自信がある方が異常なのだ。

 

 だからこそ、しっかりと心をほぐして、身体にその柔らかさを伝えていかなければならない。

 

「――俺さぁ。一個だけ自慢があるんだよ」

「え、一個だけ……? トレーナーさんで一個だけ……?」

 

 手に庇を作って見上げるのは、観客席。

 既に多くの観客が詰めているのは、少し嬉しくもある。

 重賞レースは最後の最後。こんな時間から来ているのは、これからのウマ娘に期待している人たちが多いということだから。

 

「ああ、一個だけ。聞いてくれよ」

「いやまあ、気になりはしますよそりゃ」

 

 おずおずと神谷を見上げる彼女の視線は、僅かに不安に揺れている。

 それは神谷の言葉などではなく、このレースそのものに対する緊張だ。

 

 神谷は緩く微笑んで、言った。

 

「メイクデビューしくじったことねーんだよな」

「えっ?」

「結構な数担当したぜ? サブトレとしても、メインとしても。でも、メイクデビューで一着取らせられなかったことは無い。俺のトレーナー生活で、一度も」

 

 実際、それは本当のことだった。

 言ってしまえば自慢でもありつつ、自嘲でもあるそれの内情は簡単だ。

 メイクデビュー前は誰だって、多少なり不安を抱えているものだ。

 だから、その間はどんなウマ娘でも言うことを聞いてくれる。トレーナーの言葉こそが、モチベーションの最も強い手綱となる。

 

 だから、スタートは上手い。――という、自慢になるかどうかも分からない話ではあるのだが、それでも今この時だけを切り取れば自慢だった。

 

 過去への未練や後悔を、目の前の少女に見せるつもりは一切無い。

 自信の部分だけを切り取って、強気な笑顔を彼女に向けた。

 

「そ、れは……え、凄いけど」

 

 けど、のあとに続く言葉くらい分かり切っていた。

 自分がその不名誉な最初になってしまうかもしれないと。

 だから、台詞を塞ぐように神谷は続けるのだ。

 

「ああ。メイクデビューってのは、俺がスカウトした時から思い描いている予定通りの道のりだ。だから、俺に不安が無ければ、必ず一着が取れるってことだ」

「トレーナーさん……」

「んで、今回。俺はこれまでで一番、手応えがあった。予想を超える頑張りと、それを裏付ける数字が俺の手元に残っている。お前の、頑張りの軌跡が」

 

 ぽん、と抱えていたクリップボードを叩いてやれば、彼女もそちらに目をやって。

「あ」と漏らす声とともに、きっと甦るのは練習の記憶。

 

 彼女自身も楽しく続けていた、記録更新の階段をのぼってきた記憶。

 

「だから、心配すんな。俺が言ったことを、忘れさせやしねえ」

 

 まっすぐに彼女の瞳を見つめれば、その不安の色に混じった期待。

 

「お前の仕事は?」

「……頑張る、こと」

「一着を取らせるのは?」

「……トレーナーさんの、仕事」

「うし。問題ねえよ」

 

 にかっと笑えば、諦めたようで呆れたような複雑な笑みを浮かべる彼女。

 ただ、その瞳の不安は徐々に鳴りを潜めていて。

 頃合いだと思った神谷は、そっと作戦にもならない作戦を告げる。

 

「じゃあこれだけ覚えておいてくれ。いつも通りを心掛けろ、周りに合わせる必要はない」

 

 それがどういう意味なのか、彼女には分からなかったけれど。

 

「う、うん」

 

 あれだけのことを言われたあとだ。それだけを守ればいいというのはむしろ、不安の渦に通った力強い一本の芯となる。

 

「よし。ほら――パドック行く時間だ」

 

 え、やば。と呟いた彼女が振り向けば、スタッフがこちらに手を振っていた。

 

「じゃ、じゃあ行ってくるね!」

 

 慌ただしく駆けていこうとする彼女の背を、神谷は一度呼び止める。

 

「――最後に一個!」

 

 ぴたっと足を止めた彼女に、続けて神谷は声を上げた。

 それはもう、この場所の誰にも聞こえるように、大きく。

 

「お前がいったい、どこの誰なのか。トゥインクルシリーズに、教えてやれ!! ナイスネイチャ!!」

 

 

 目を丸くした彼女――ナイスネイチャは、それからぎゅっと胸に当てた手を握りしめて。

 

「いってきます!」

 

 頷く姿は、神谷から見ても心から、頼もしく感じる笑顔だった。

 

 

「――負ける気がしねえ、マジで」

 

 へっ、と笑う神谷だったが。

 

 

「素晴らしいです!!!!!!!!!!!!!」

「うぉぁ!?」

 

 

 ハイパーでかい声に後ろからやられて吹き飛んだ。

 

 

「は、え?」

 

 振り返れば、目をキラッキラさせた美女が一人。

 濡れ羽のような黒髪を、そっとうなじの辺りでおさげにしたその風貌。

 ぴっちり着こなしたレディーススーツに、「ああ……」と記憶野を漁り終えた神谷はうめき声にも似た返事をした。

 

「乙名史さん。なんでバックスタブ仕掛けられなきゃならないんですかねぇ」

「いやはや、随分と遅い時期のメイクデビューになりましたね、神谷トレーナー!」

「聞いちゃいねえ」

 

 しかし! とペンを握りしめて彼女は青空を仰ぐ。

 

「学園で話題となった時から、神谷トレーナーの姿は追うものと決めておりました!! やはりそれが間違いでなかったことを確信しています! 担当のウマ娘を想いモチベーションを完璧に整えて送り出す!! その献身こそがトレーナーとしてやるべきことだと、そういうことなんですね!!」

「……あー、まあ」

 

 頬の裏を舌でつつきながら、なんとも曖昧な返事をする神谷。

 

 一人感動で打ち震えている彼女をよそに、神谷は一つ息を吐いた。

 確かにあの模擬レースの時期頃は、神谷を追うと言った記者は多くいた。

 たぶんそのうちの何人かは、今回のメイクデビュー後にインタビューでもしに来ることだろう。

 だがそれは――ナイスネイチャが勝利したら、の話だ。

 

 誰も彼も、記者としてのプライドがある。自分が目を付けていた相手がもし大したことが無かったら、自分の見る目がなかったことになる。

 リスクヘッジとかっこよく言うことも出来るし、保身と揶揄することも出来るそれは、しかし確かにスポーツ記者の資質だ。

 

 そしてこの女、良い意味でも悪い意味でもそれが無い。

 

 たぶん、自分が素晴らしいと思ったものに素直なんだろう。

 誰だって最初はそうだ。だが次第に業界に揉まれて自分の才覚と将来に折り合いをつけ、うまく立ち回って生きていく。

 それが無いということは、つまりこの記者は自分が素直に素晴らしいと思ったものを追っているだけできちんと仕事になっている、単なる天才慧眼である。

 

 なんて羨ましいやつだ、と思う反面、そんな記者がアポなしで突撃してきたことには喜ばしくも面倒な気持ちがあった。

 

「で、レース前のこのタイミングにわざわざ俺んとこ来たのはどういう理由で?」

「それはもちろん、メイクデビューへ向けての神谷トレーナーのお考えを聞きたいと!」

「勝利インタビューとかで良くないっすか」

「??? その時は他の記者さんたちの相手で忙しいではありませんか」

「なんで当然みたいな顔してんだこの人」

 

 それに、と彼女は続ける。

 

「今のお気持ちを聞くのに、後で聞いたら鮮度が落ちるでしょう。素直なナイスネイチャさんへの期待と、一抹の不安や変動する未来にも託す生の感情をお聞かせください!」

「いや不安はないけど――」

「素晴らしい!!!!!!!!!!!!」

「最後まで聞いて、ねえちょっと」

「素晴らしいです!! 本当に一切の不安を感じさせない無感情のお返事は担当を信じればこそ記者の問いを僅かに不快に感じたと、いえそれでめげる私ではありませんが自分の信じるものに心からまっすぐで、それが担当のウマ娘さんであることはやはり優秀なトレーナーの資質というわけですね!!!」

「あの」

 

 これ本当にまともな記事になるんだろうか。なるんだろうな。なるからこそ、こうして許可を得てレース場内に入ってきているわけで。

 神谷は思考を巡らせ、小さく首を振った。

 

「もう帰っていいっすか」

「え、困りますけど」

「急に素に戻んないで欲しいなあ……じゃあ何が聞きたいんですか」

「では、今日の仕上がりについて!」

「そうっすね」

 

 パドックでは、順々にお披露目が始まっている。

 それぞれ目を見張る才能はありつつも、神谷は全く動揺せずにいた。居られたと言ってもいい。結局のところ、自分の担当がナンバーワンだからだ。

 

「あとあいつに必要なのは自信だけですよ」

 

 だから、と神谷が一方を指さす。

 目を細めた乙名史が問いかける。

 

「掲示板、ですか?」

 

 着順を知らせる電光掲示板が、神谷の示した先であった。

 つまり掲示板入りを目指すのが目標なのかと、意外と堅実な目標に首を傾げる乙名史に、神谷は言う。

 

「いや? 一着と二着の間」

 

 しかし神谷が指さしたのは、その掲示板の一つの表示枠。

 

「あそこに、大差って書くことですね」

「素晴らしいです!!!!」

 

 

 その頃、パドックに現れてダウンコートを脱ぎ捨てたナイスネイチャには。

 

 

 堂々と、1番人気の肩書が付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――アタシが、一番人気?」

 

 ナイスネイチャは、目を瞬かせた。

 

 呆けるというほど、我を失ったわけではない。

 驚いたというほど、感情をあらわにしたわけではない。

 

 言うなればそう、実感がわかなかった。

 

 

『群を抜いてる。こりゃちょっと勝負にならねえな』

『メイクデビューまで時間かけたヤツの中にはたまに、ああいうモノホンが混ざってる』

『だが往々にして、来期のクラシックを荒らすのはそういう連中だ』

『あれはちょっともう、どんな走り方を魅せてくれるか、ってとこを楽しむしかねえな』

 

 ――メイクデビューを見に来るような観客は、総じて目が肥えている。

 最高峰の戦いを、話題性を楽しみにレース場へ足を運ぶ者とは一線を画す、真のレース好きが集まるからだ。

 

 そんな者たちにとって、メイクデビュー時期のウマ娘というのは垂涎の宝である。

 なにせ――「俺はメイクデビューから彼女を知っていた」というのはある種のステータスだからだ。

 あまり動画にも残らない。話題にもならない。結果が大きく報じられることもない、アスリートの卵。

 それをわざわざ見に足を運ぶような者たちの下す評価は、重賞を活躍したウマ娘に付けられる評判とは違う、ただただシンプルな実力と努力への査定。

 

 

「――皆さん、準備お願いしまーす」

 

 それぞれがゲートへと向かうよう指示される中、ナイスネイチャはふと周囲を見渡した。

 

 隣の子と目が合う。大外の子と目が合う。何人もの子と、目が合った。

 

 それで注目されていることに気付けないほど、彼女とて鈍感ではない。

 

「――いつも通り、2000mを走るだけ」

 

 緊張はある。けれど、どうしてだろう。

 驚きとともに、胸に灯る温かな熱。

 

 一番人気、ナイスネイチャ。

 

『メイクデビューしくじったことねーんだよな』

 

 努力の軌跡が、こうして今また、数字に表れている。

 

 なら、とナイスネイチャは顔を上げた。

 

 周りに合わせる必要はない。自分の走りをする。

 それだけを胸に、ゲートへと収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都レース場 メイクデビュー 第3レース

 芝内回り2000m(中距離)15人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最前列をキープするのはトレーナーとして当然のこと、とでもいうように、神谷は前に誰も居ない位置を確保し、腕を組みレース場を見守っていた。

 

 メイクデビューに失敗したことがない。ナイスネイチャを信じている。

 どちらも本当だが、レースに絶対があるのならこんな風に見守ることもないだろう。

 

 もしものトラブル。もしもの事態。その万が一に備えて己は居るのだと、言い聞かせるようにして。寒空の下で身体を温めるように身じろぎしながら、レース開始の時刻を待っていた。

 

 すると。

 

「おーい! いたいたー!」

「ちょ、待てテイオー!」

「まーべらーすっ!」

 

 振り返れば声の主。

 天真爛漫に笑う少女二人。どちらも知った顔だ。

 神谷の前、懐にすっと潜り込むようにして最前列を確保するマーベラスサンデーと、その隣にわくわくした表情でやってくるトウカイテイオー。

 そして、今日の保護者担当らしき疲れ切った顔の沖野。

 

「やれやれ……マーベラスまで預かるとは思わなかったぜ……」

「お疲れさん。三人ともマーベラス!」

「まーべらーす!!」

「それ、神谷トレーナーも挨拶にするんだ……」

 

 拳を突き上げる可愛らしい少女、マーベラスサンデー。ちっこいので、自分の前に来ようが視界が塞がれることもなく。

 

「マーベラスサンデーはともかく、テイオー様と沖野サンまでくるとはな」

「少し考えたんだが、テイオーがな……」

 

 へえ、と神谷がトウカイテイオーを見れば、彼女は楽しそうに笑って言う。

 

「ネイチャがさ、神谷トレーナーが自分を選んだのは、素質を認めてくれたからだーみたいなこと言うからさー!」

「ふむ」

「だから、確かめに来てやったんだ!! ぜーったいボクの方が凄いもんね!」

「そりゃテイオー様は最高峰の資質の持ち主だろうよ」

 

 強気な笑みを見せるトウカイテイオーは少し前に、ナイスネイチャとの直接対決も望んでいたらしい。沖野からその話を聞いた時は、なあなあにしておいたことも神谷は覚えている。

 

 やはり、トレーナーが自分より誰かを選んだということが、それも友達のナイスネイチャであったことが、彼女のプライドに障ったのだろう。

 

 

 素晴らしいことだと、神谷は思う。

 そうやって切磋琢磨していくことこそが、レースを盛り上げる醍醐味だと思うから。

 

 ただ、とちらりと神谷は沖野を見た。

 

「連れてきたのは、沖野サン自身だもんな?」

 

 そう問えば、先ほどまで引率で疲れ切っていた沖野も表情を真剣なものに戻して頷く。

 

「ああ。俺が、こいつらを連れてきた」

「そうか。なら良いぜ」

 

 マーベラスサンデーとトウカイテイオー。否、マーベラスサンデーは同室で仲良しで素直にナイスネイチャを応援する友人だからそれはいい。

 だがトウカイテイオーは、もろにデビュー時期が被ったライバルだ。その彼女を沖野が連れてきたということは、『それがトウカイテイオーのためになる』と沖野が判断したということだ。

 

「トレーナー?」

「ああ、見ておけよテイオー。お前のテイオー伝説のために」

「?? うん」

 

 真に迫った沖野の台詞に、トウカイテイオーは小さく首を傾げた。

 そのまま神谷に目を向ければ、神谷は神谷で笑うだけ。

 

「沖野サン、ナイスネイチャの練習見に来てたっけ」

「ったりめーだ。この時期のメイクデビューも読んでた。だからこそ……テイオー連れてくることを、お前には言わなかった」

「っけー、きったねー男。そのしょーもない後ろ髪も」

「それはただの悪口だろうが!!」

 

 愕然とする沖野を鼻で笑い、手近なところにあったマーベラスサンデーの頭にぽんと手を置いて。「マーベラス?」と顔を上げる彼女に神谷は笑いかけた。

 

「見ててくれ、マーベラスなあいつの走りをさ」

「もちろん! ネイチャは最近、とーってもマーベラスなんだもの!! うふふふふっ!」

 

 

 

 

 

 そう言って、それぞれが視線を向けた先で。

 

 

 

 ゲートが、開いた。

 

 

 

 

 

 

 

『さあ始まりました、京都レース場本日の第三レースメイクデビュー、各者揃ってきれいなスタート――』

 

 

 その瞬間から、沖野は"ナニカ"に気が付いていた。

 

「……神谷、お前」

「なんだよ。隠す手札なんか持ち合わせてねーよ」

 

 目に映るのはゼッケン3番。綺麗なスタートからすーっと現在4番手の位置に付け、内側の良い位置をキープして走り始めたナイスネイチャ。

 

 まっすぐ真剣に、ただ前だけを見据えて走っている。一見して、それだけだ。

 

 

『注目のナイスネイチャはこの位置、現在四番手。前との差は1バ身といったところ』

 

 

「どうしたの、トレーナー」

 

 まだ沖野の張りつめた空気が飲み込めないでいるトウカイテイオーは首を傾げる。

 しかし、沖野は小さく首を振った。

 零すように、「いや、むしろこれでいいのか」と呟いて。

 

 その真意を掴みかねているトウカイテイオーの頭に手を置いて、強気に笑った。

 

「模擬レースん時を思い出しながら、見てみるといいさ」

 

 そう言う沖野に、神谷はニヤっと口角を上げた。

 

 

『第一コーナーから第二コーナー。向こう正面。バ群は大きく伸びてこの形。どうでしょうこの展開』

『後ろの子たちが間に合うかが、少し心配ですね。いや、それ以上に』

 

 コーナリングを経て、向こう正面を走り抜けていく一団。

 送られる声援は、どんなレースよりも大したことのない量だけれど。

 それでも懸命に走る少女たちの耳はきっと、その応援を胸に刻んで走るだろう。

 初めての、本番のレースなんだから。

 

『ペースがメイクデビューのそれでは無いですよ』

 

 逃げを打つウマ娘が、早くも歯を食いしばって走っている。

 後ろから迫りくる足音に耳をそばだて、冷え切った中で必死に脚を回す。

 

 なんで、どうして。いつものペースじゃ、飲み込まれる。

 

 そんな強いプレッシャーを背後に感じ、逃げを打った少女がひた走る。

 

「……あれ」

 

 そして。ようやくトウカイテイオーは気が付いた。

 ようやく、という彼女の気づきの遅さを咎めることは出来ないだろう。それはトレーナーだからこそ見えたもの。普通のウマ娘には最後まで気付きようもないもの。

 

 それがかろうじて、トウカイテイオーであればこそ気付けたもの。

 

 あのゼッケン3番が走る――視線の先。それは決して、逃げウマ娘でもなければ前を走る先行バでもない。

 

「――ナイスネイチャになんて言った、神谷」

 

 僅かに汗をかきながら、口元を吊り上げ沖野が問う。

 神谷はただあっけらかんと、こう答えた。

 

「周りのことは考えるな、いつも通り走れっつった」

「なら……一応聞いておくぜ」

 

 ちらりとその視線が、レースから神谷へと向く。

 

「――先行バの走り方、教えたか?」

 

 今日のレース、15人中ずっと4番手から5番手をキープして走っていた彼女。

 だが神谷は首を振って言った。

 

「いいや?」

 

 

 

『あーっと!! 3番ナイスネイチャ、3番ナイスネイチャが前を躱して突き抜ける! 残り800メートルで仕掛けた、仕掛けた!!』

 

 

 

「あいつは差しウマ娘だよ。それが一番、魅力的だから」

 

 あ、と声を漏らしたのはトウカイテイオーだ。

 

 

『よーし』

 

『そろそろ』

 

『無敵のテイオー様の実力』

 

『見せちゃおっかなー!』

 

 

 

 あの日。あの日、自分がラストスパートをかけた場所を、トウカイテイオーは正確には覚えていない。

 

 でも。

 それでも、一人のウマ娘としてこのメイクデビューを眺めていて、自分ならどのくらい走れるかを肌で感じ取ることが出来る。

 

 自分ならきっと、このペースならあの辺りでスパートをかけた。

 

 

「今ボクは――ネイチャの目の前だ」

「テイオー……?」

 

 

 

『ナイスネイチャ止まらない! ぐんぐんと差をつけていく第四コーナー! 誰も追いつけない! 一人旅だナイスネイチャ! 後続が全く追いついていない! 大楽勝だナイスネイチャ――!!』

 

 

 神谷が叫ぶ。

 

「見ろ!! これがナイスネイチャだ!!!!!!」

 

 

 ゴール板を駆け抜けるその瞬間の、勝ち誇ったような神谷の咆哮。

 

 

 身体を慣らすように徐々に徐々にペースを落としていくナイスネイチャは、少し上気した頬のまま、火照った身体で顔を上げた。

 

 響く歓声に、柔らかな笑顔で手を振って、そして神谷を見つけて、耳を立てた。

 

 

「――トレーナーさん!! 記録、守れたよ!!」

「はっ」

 

 第一声が俺のためかい、と首を振った神谷は、ナイスネイチャに応えながら別の方角を指さした。

 

「見ろ、俺は――これは初めてだぜ」

 

 顔を上げ、掲示板に目をやって。

 

 歓声の中で彼女は小さく声を漏らした。

 

 

「大差……」

 

 

 メイクデビューで、同じ年に足並みそろえて飛び出した優駿たち。

 その中でも、頭一つ以上突き抜けている存在であると、否が応でも目に焼き付く。

 

 

 感極まったように口元をきゅっと噛みしめて、彼女はレース後だというのに全速力でこっちに駆け込んでくる。

 

「やった!! やったよ、トレーナーさん!!!」

「ああ、本当に……よくやった」

 

 柵越しに、潤む瞳。しかしもう、目の奥の不安はどこかにおいていかれた。

 

 笑い合うトレーナーとウマ娘の一対を、ただ見つめるだけのウマ娘が一人。

 

 

「――トレーナー」

「おう、どうした」

「走りたい」

「……今日は良いって、言ってなかったか?」

「いや、ちょーっとね。うん、まあ、ボクはサイキョーだから絶対負けないんだけど」

 

 そこに笑顔はなく、勝負の色に染まった瞳。

 余裕に見せているのは、果たして自信なのか、それとも。

 

「理由はどうでもいいの! なんとなーく走りたいってだけだからさ!」

「はっ。そうかよ。分かった」

 

 ぽんと、トウカイテイオーの頭に手を置いて。

 

「マーベラスはどうする?」

「うふふふっ。どーしよ!」

「あららっ?」

 

 その勢いで選択を委ねられ、沖野がずっこける。すると彼女は笑って言った。

 

「でもでもお邪魔になるかもしれないの! それに、併走相手、欲しいでしょ!」

「――ありがと、マーベラス!!」

「マーベラース★」

 

 神谷とナイスネイチャと、言葉を交わす必要はない。

 

 沖野とトウカイテイオーの去り際、マーベラスサンデーは振り返って小さく微笑んだ。

 

「ネイチャが頑張れるようになったもの。次は、テイオーの番だよね!」

 

 

 

 

 その日、生まれて初めてのセンターでのウイニングライブの裏側で。

 

 トウカイテイオーは、夜までずっと、走り続けた。

 

 今日のレースに映し出した己がナイスネイチャに勝てたのかどうか――それは、彼女の心だけが知っている。




ってわけで次回からクラシック路線でございます。
大変お待たせいたしております。
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