顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで   作:東京競馬場

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ネイチャさんとおやすみ

 この時間に街を歩くのは久々だ。

 商店街に足を運んだナイスネイチャは、ぼんやりと周囲を見渡した。

 

 時刻は昼前。

 常日頃から、この時間はみっちりと練習メニューを組んでいる。

 そうでなければ、学校の授業がある。

 練習がオフの日はだいたいが授業の日で、練習も学校も無い完全オフは大概が疲労がたまりすぎている時だ。そうなれば、午前中は死んだように眠っている。

 

『明日は完全オフです。ゆっくり休むと、ナイスネイチャは進化する』

『は、はあ……』

 

 時折不定期に宣言される神谷からの完全オフ命令は、受けた当日はあまり実感が無いものだ。

 明日も練習できる、練習したい、もっともっと速くなりたい。

 その気持ちが先行して、最初こそ不満に思っていたけれど。

 

 最近では、『あー……もうその日かー……』と半ば諦めている。

 

「……朝起きると身体が全然動かない、どころか。起きれないんだな、マジで。ははっ」

 

 初めての完全オフは、それはもうびっくりした。

 今でも思い出せる。神谷に府中の東京レース場に誘われた日。

 しっかり準備していこうと目覚ましをかけて、その日は殊更早く寝たのだ。

 

 規則正しい生活を送っている彼女は常に夜十時までには入眠している。

 それが、疲れもあって九時には眠って――起きたら朝十一時だった。

 

 目覚ましは、五時間前に鳴っていた。なんならその時間にマーベラスな目覚ましも鳴っていた。

 

「待ち合わせそのものが午後だったから良かったものの」

 

 しみじみと過去を想い、顔を上げる。

 

 それに比べれば今日は随分と、すっきり早起きが出来たのだ。

 指折り数えてみると、神谷と組んで五回目の完全オフ。

 朝九時に目が覚めて――まあ、それでもナイスネイチャにとってはだいぶ遅いのだが――こうして買い物に足を運ぶことが出来た。

 

 久々に自炊の1つでもしてみようかなと、そんな心持ちである。

 最近、あまりにも練習がハードすぎて、与えられた食事を口にすることしかできていなかった。

 身の回りの、およそ全てを誰かしらに丸投げすることでぎりぎり成り立っていた生活である。昔の自分からすれば考えられない話だ。

 

「必死に頑張ってるって思ってた、あの頃のアタシに教えてやりたいものですね」

 

 実際、頑張っていたのはそうだ。時間もフルに使っていたし、あの頃の自分に考えられる最大限のメニューだった。

 

 では現在と比べてどうなのかといえば、そう。

 

 トレーナーが付いてのトレーニングは、身体の虐め方が滅茶苦茶適切なのだ。

 

 しんどくてもう動けない? そうだろうな。でもまだここは動くだろ?

 

 と。どの筋肉を鍛えているのか。どの筋肉はまだ鍛えられていないのか。そうした理論立った説明と、これを頑張ることで何が得られるかを懇切丁寧に伝えられ、まるで自分が投げだすことがレースそのものを放棄するかのように感じさせられる。

 

 そして計測がまた憎い。

 そうやって踏ん張って頑張って、死ぬ一歩手前くらいまで追い詰められた後に何やら幾つかの身体能力の計測をさせられるのだが――必ず少しずつ成績が伸びているのだ。

 もはや何も感じなくなった身体でふわふわとした気持ちのままやらされる計測。

 そこで魅せられるトレーナーの笑顔と、確かに目で見える自分の成長。

 

 

 

 もはや麻薬である。

 

 

 

 毎日のように全身を余さずぼろ雑巾にされてきたナイスネイチャは、それでもこの生活を辞めたいと思ったことはない。

 

 だって――と思ったところでふと、声に顔を上げた。

 

「お、ネイちゃん! 今日は珍しいな!」

「ほんまや、ネイちゃんやんけ」

「おーい、ネイちゃーん!」

 

 あ、と小さく声を漏らして、ひらひらとつつましく手を振ってみせる。

 

 商店街のみんなが彼女の方を向いていた。

 

「朝からなんて珍しいじゃないかい」

「あはは、まあね。オフの日に……なんと起きられたんですよ」

「おおー! って、ダメだよネイちゃん。生活リズムっていうのはね」

「あーもう分かったって。こっちも大変なんだってば」

 

 誇らしげな表情は一瞬のこと。

 周りのパワーにあっさり敗北して、いつも通りのナイスネイチャが顔を出す。

 

 わー、と集団に連れ去られていく彼女には、バ群を貫く力強さは微塵も残っておらず、のほほんとした諦めの瞳が全てを物語っていた。

 

「しっかしネイちゃん、本当にこの数年頑張ってたんだねえ」

「……と、申しますと?」

「そりゃお前、これよこれ」

 

 手渡されたのは一枚のチラシ。材質はいつも商店街が週報で扱っているもの。

 はて、何だろうと思って手に取れば。

 

 

「みぎゃー---!! なんじゃこれー--!!」

 

 

 頭を抱えたナイスネイチャのせいで、はらりと落ちるそのチラシ。

 内容はそれこそ、月刊トゥインクルのあの特集に他ならない。

 

「え、これ、え!? なんで!?」

「ネイちゃんが映っとるぞ、って話になったんだけどな。ほれ、スマホの文字読めねえ爺さん婆さんも居るだろ?」

「…………一応聞きましょうか???」

「そんでじゃあ拡大して印刷してやるかって話になった時に、印刷屋が……ほれ」

「あ」

 

 印刷屋はそれこそ、ナイスネイチャが昔から可愛がられていたおばちゃんで。

 

「せっかくだからみんなに撒こうって話になったってわけよ!!」

「あああああああ!」

 

 崩れ落ちるナイスネイチャである。

 ことと次第は理解できても、現実に目を向けられない。

 

「ってことはつまり……」

「みんな知ってる」

「ですよねー……!!」

 

 ああもう、と勢いよく顔を上げたナイスネイチャは、目を吊り上げて叫ぶ。

 

「まだ!! まだ一回勝っただけ!!! あんまり持ち上げないでよ!!」

 

 そうだ、まだ一回だけだ。それもメイクデビューという、新人同士での戦いで。

 メイクデビューを勝っただけのウマ娘など、この世に掃いて捨てるほど居る。

 なのにうっかりトウカイテイオーと近いタイミングで勝利を挙げてしまったせいでこんなにも取り上げられているけれど。

 

 それでもしょせんは1勝ウマ娘。だからあまり持ち上げるなと、彼女は言った。

 

「……ほお」

「ネイちゃん……」

「…………立派になったねぇ」

 

 

 だからその反応の意味が、一瞬分からなかった。

 

「え、えと?」

 

 メイクデビューに勝てるウマ娘はメイクデビューに出走するウマ娘の中のどれだけだ。

 

 たった一勝、されど一勝。

 十戦して一勝も出来ないまま終わる選手も居る中で、自分は今一戦一勝だ。

 

 いつかの、いつかの彼女であれば、メイクデビューに負けたとしても「まあ最初はそんなもんだよね」と自嘲するのみに終わっていたかもしれない。

 

 いつか一勝出来ることを夢見て走っていたかもしれない。

 

 なのに今、自分は次を勝つことを目指している。より大舞台で勝てることを、信じている。信じて今、日々のトレーニングを続けている。

 

 

 半ば、自覚のないままに。

 

 

「――頑張りや、ネイちゃん!」

「ああ、ネイちゃんなら出来るはずだ!」

「また良い記事待ってるぜ!!」

 

 ぽんと頭に手を置かれ、肩を、背中を励ますように叩かれて。

 上機嫌で去っていく彼らに、なんかそれぞれ土産っぽく商品を渡されて。

 

「なに!? なに!? ほんとなに!?」

 

 立ち尽くすナイスネイチャの手には、買いもしていないのに夕飯の食材が整っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー……もう……」

 

 その夜。

 とんとんと自分の頭を小突いて、今日一日を振り返る。

 乾かした髪を梳かしながら、ぼんやりと思うのは商店街での出来事。

 

 ――正直に言えば、やっぱり嬉しくて。

 

 みんなにそう言って貰えた嬉しさを、大事にしたいとそう思えた。

 

「……うん」

 

 小さく顎を引いて、彼女は自分の机の引き出しに手をかける。

 

 今日のことは、さっと記しておこう。

 

 みんなに貰ったプレゼントの日記帳は、ちょっと自分には可愛すぎる装丁で、似合わないと思うけれど。

 

 大事なプレゼントには、大切な記憶を残しておきたい。

 

 思えばつらいことも、悔しいこともあった。それを書いていた当時は、もうこのままレース人生が終わるかもしれないと思っていた。それならそれで、感じた悔しさは一生ものだ。

 

 だからそれだけを大事な想い出にしようと、思っていたけれど。

 

 半年前から、空気が一気に変わった。今までの努力も、無駄じゃなかったと教えてくれた人が居た。

 

 だから今の自分があって――。

 

 

 引き出しを、そっと閉じる。

 

「……??」

 

 もいっこ下の引き出しを開ける。そっと閉じる。

 

 一番下を開ける。そっと閉じる。

 

「……え?」

 

 念のためにもう一周。

 

「………………は?」

 

 バッグを開く。

 

 ベッドの下を覗く。

 

 床を入念にチェック。

 

「ごめんマーベラス」

 

 他人の机を勝手に漁る。

 

 無意味と分かっていて壁を見渡す。

 

 

「…………待って。いやほんと待って」

 

 ぽっけを触る。んなとこに入るはずもない。

 

 クローゼット全部の服にぺたぺた触った。

 

 欲しい厚みは、どこにも感じられなかった。

 

「マテマテマテマテ」

 

 だらだらと汗が流れる。

 

 

 

 

 

 

「アタシの日記……どこいった????」

 

 

 

 

 夜ふかし気味になった。




ネイチャの靴はちゃんと掻っ払いました。
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