顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで   作:東京競馬場

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マーベラスサンデーの笑い声はちゃめちゃに可愛くて好き


トウカイテイオーとやべーやつ系トレーナー

 

 

 生徒会室の窓から覗く庭は夕日に照らされて、ガラス越しに見える景色は美しい。

 

 軽く手を添えてみれば、今日はこれからが本番とばかりに気合を入れる生徒たちの声がそのまま心身に響くようだ。

 

 緩く微笑み、積みあがった書類の山に目を戻す。

 

 既に提出の準備を終えたそちらは、庶務の少女がもうじき運びだしていくだろう。

 だから、生徒会の長たる彼女の視線はその山の向こう、生徒会室への可愛らしい来客に向けられていた。

 

「それで、今日はどうしたのかな」

 

 いつもの優しくも雄々しい語り口。

 それはこの学園の頂点に君臨する者としての当然の振る舞いであると、彼女は考えている。

 

 皇帝シンボリルドルフは、いつ如何なる時も絶対であると。

 

 そんな彼女に憧れる者はあとを絶たないが、その中でも目を瞠るべき逸材が居るとすればそれは今彼女の目の前に居る元気な少女だった。

 

「いやぁ、ボク今日どこ行けばいいのかなって思って……」

 

 てへへ、と頭を掻く快活な少女。ポニーテールがよく伸びて、また額に差す鮮やかな一筋の白が彼女の明るさを後押ししているそんなウマ娘。

 

 重たすぎない前髪が幼さと活発さを併せ持たせる、見ているだけで微笑ましい彼女だが――その実、中等部に入学してから現在に至るまで、一度も負けたことがないという凄まじい実績を持ち合わせている才媛だ。

 

 全勝さりとて、たかが模擬レースというなかれ。

 

 トゥインクルシリーズを控え、トレーナーを得ようと奮闘する"これから"のウマ娘たちもまた、トゥインクルシリーズに負けない必死さを併せ持っている。

 そのうえ、こう考えることも出来るのだ。

 トレーナーの手に触れていない自然なものであればこそ、純粋な才能勝負になり得ると。

 その中で全勝ということの意味を、シンボリルドルフが分からないはずもない。

 

 ただ、一方で。

 その才を十全に活かす場に苦労しているように見えるのもまた事実だった。

 模擬レースにいくら勝利したところで、結果が伴わなければ宝の持ち腐れ。

 

 その結果というのはつまり、彼女もまたトレーナーに恵まれないウマ娘の1人だということだった。

 

 自らがトレーナーという杖を酷使するほどに使い尽くし、その上で7冠という栄誉の座に輝いた自覚があればこそ。

 

 自らを目指し、どこか不思議と自分と重ねることもあるこの少女には、良いトレーナーと良いライバル、ひいては良いトゥインクルシリーズを歩んでほしいという願いがあった。

 

 まるで親心のようだと、自らの担当したトレーナーに笑われたこともあるがそこはそれ。

 

 似たようなものかもしれないとは、本人も思っている。

 

「そうか。今日は」

「うん、カイチョーが一昨日教えてくれたでしょ?」

 

 思い出すのは外ならぬ彼女との会話。

 未だトゥインクルシリーズへはばたく準備が整う気配のない彼女に勧めたもの。

 

「第三練習場だ。そこに今日、"彼"は居る」

「あ、そだ第三練習場だ! ありがとーカイチョー!!」

 

 ぽんと手を打って、頭の靄が晴れたように弾んだ声を上げる彼女。

 

「カイチョーが気にするほどのトレーナーなら、少し考えてあげてもいーかなって!」

「ふっ。彼がどう言うかは分からないが、きっとその出会いは悪いものにはならないさ」

「むー。別にボク、そのトレーナーに組んでってお願いしても良いんだけど」

「いや。私に勧められたことを決定打にはしないで欲しい。キミには何度も言っていることだが、トレーナー選びというものは」

「今後の人生を左右する、でしょ? 分かってるよ! だからカイチョーのおすすめでいいんだけどなー」

 

 その信頼が重いというわけではなかった。

 分かっていると、彼女は言った。それを分かっていないと頭ごなしに告げる理由はない。

 

 知らないものは仕方がないのだ。

 

 ある種――ああ、認めようとシンボリルドルフは内心で1つの命題に答えを出す。

 

「今回のトレーナー体験は……キミの為を想ってのことだ、テイオー」

 

 決してそれだけが理由ではない。そんな私利私欲のために公権を振るえるほど、シンボリルドルフは安くない。だがそれでも、彼女の為でないと言い切ることは出来なかった。

 

「えっ!? カイチョーがボクの為にしてくれたの!? なーんだぁ、じゃあやっぱりそのトレーナーで良いよ!」

「いや、違うんだ。よく聞いて欲しい」

「?」

 

 諭すように、彼女は告げる。

 

「きっと今回のことはキミのこれからの糧になる。担当がどう、というよりもまず、1人のトレーナーと向き合ってみてほしい」

「……」

 

 彼女の才を十全に活かせるとは言い難いトレーナーたちが数多く集まって、スカウトの奪い合いをした過去を知っている。

 

 どのトレーナーも似たような口説き文句で、煩わしくなってしまったトウカイテイオーが半ばトゥインクルシリーズに出るための半券代わりにトレーナーという存在を使おうとしていたことも知っている。

 

 そんな彼女を押しとどめ、トゥインクルシリーズ出走を遅らせた責任の一端が、自分にあるとシンボリルドルフは思っている。

 

 だからこそ。

 

「トレーナーも人間だ。テイオーが、無敵のテイオー伝説を作り上げたいという欲を持っているように――彼らにもまた欲がある。それは決して否定されるべきものではない」

 

 トウカイテイオーをスカウトしたトレーナーたちが悪いとは言わない。

 けれど、彼らの行いがトウカイテイオーの心に、トレーナー否定の感情を植え付けたこともまた事実。

 自分のところの副会長の存在がそれに勢いをつけたことも否定しないけれど。

 

「だから、この人となら付き合っていけると、胸襟を開いて語れる相手を見つけるんだ。きっとそのやり方を、今日の出会いが教えてくれるはずだ」

「……分かったよ」

 

 ふてくされているのとは違う。

 ただ、先ほどよりも元気がなくなっているのはきっと、『自分がシンボリルドルフの言っていることを理解できない』ということへの苛立ちに近いものかもしれない。

 

 何を言っているのかよくわからない。これがシンボリルドルフ相手でなかったら、面倒になって逃げだしているくらいだ。

 

 けれど、1つだけ彼女に理解できたことがあるとすれば、それは今からとりあえずにでも第三練習場に行けば良いということだけ。

 

「じゃあ、行ってきます」

「ああ」

「てひひ。またね、カイチョー!」

 

 ただ目的を忘れただけでわざわざ生徒会室、ひいては生徒会長シンボリルドルフを頼るなど、副会長のエアグルーヴからしたら言語道断の行いかもしれないが。

 

 可愛い後輩の頼みともなれば、シンボリルドルフに断る理由はない。

 むしろこうした気安い憧憬は嬉しくもあった。

 

「……テイオー」

「ん? なぁに、カイチョー?」

 

 扉を押し開き、外へ出ようとするトウカイテイオーを呼び止める。

 

 少し言葉を選ぶように口元に手を当てて、それからシンボリルドルフは告げた。

 

「唯一抜きん出て並ぶ者なし。キミが素晴らしい優駿となれることを心より楽しみにしている。トゥインクルシリーズを楽しんで欲しい」

 

 その言葉に、トウカイテイオーはこてんと首を傾げて。

 それから期待されていることを、それだけを理解して嬉しそうに頷いた。

 

「うん、任せてよ!! 無敵のテイオー伝説はこれから始まるんだ!!」

「ああ」

 

 駆けて出ていくトウカイテイオーが、たまたますれ違ったエアグルーヴに怒鳴られているいつもの日常に頬を緩めて。

 

 それから、複雑な思いを胸に窓の外へともう一度想いを馳せた。

 

「願わくば――良きトレーナーと良きライバルに恵まれ、彼女が幸福なウマ娘としての生を歩めることを」

 

 呟いて、ふ、とおかしくて笑みが零れた。

 

「幸福、か――惜しいな」

 

 チームを組むことはない。

 "彼"が断言したそれを、シンボリルドルフはそう独り言ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三練習場に来たトウカイテイオーがまず目撃したのは、チームスピカのやべえ葦毛ことゴールドシップの姿だった。

 

 

「5メガネ!!!!!」

 

 

 ずらっと芝に5つのメガネを並べるゴールドシップと相対する人影が1つ。

 

「なんの!! わりばし!!!!」

 

 必死の形相で割り箸を掴み掲げたのは、まさかとは思うが――否まさかとも思いたくないが、トレーナー、なのだろうか。トウカイテイオーの眉が悲し気に下がる。

 

「な……フェイントだと!? じゃあこの明太子は使えない!」

 

 悔し気に明太子を懐にしまうゴールドシップを前に、件の青年は死に際に目的を果たしたヤクザの如き獰猛な笑みを浮かべてスチール缶を手にした。

 

「そしてこのウーロン茶で俺のコンボは完成する」

「しまった、暗黒コンボか!!」

 

 驚愕の表情に歪むゴールドシップが叫ぶ。

 

「仕方ない!! ここで雑巾を発動だーーー!!!」

「バカな、2枚もだと!? コイツ正気か!? ――ちいいっ!!」

「アイルトンセーナー!!」

「くっ……俺の5目半負けか……!」

「フチなしのメガネだったらアタシがヤバかった……」

 

 なんだろう、これは。

 膝をつく青年と、腕を組み口角を吊り上げるゴールドシップ。

 

 何が起きているのかと周囲を見れば、他に3人ほどウマ娘が居ることにトウカイテイオーは気づいた。

 頭を抱えている2人は、見たことがある。ダイワスカーレットとウオッカだ。

 そしてもう1人緊張した面持ちで戦いの行方を見守っているのが、特徴的なニット帽。ナカヤマフェスタだ。

 

 そんな確認に一瞬目を離した隙に、青年の方が頭からウーロン茶を浴びている。

 

「アンチルールによりウーロン茶をかぶるぜ。次はお前がステージを決める番だ! 領収書を切れ」

「領収書は切らねー。使い方分かんねーし」

「バカな自殺行為だぞ!?」

 

 目を見開く青年を前に、不敵な笑みを見せたゴールドシップは自らの握るレンズを見せる。 

 

「メガネがあればそれでいい」

「なるほどヒットポイント回復に当てるってことか……!! なら俺はセカンドコートからいくことにするぜ、ククク……!」

「くっ、外道が!!」

 

 

「わかんねええええええええええええ!!!」

「あいつら何してんのよおおおおおおおおおお!!」

 

 叫ぶウオッカとダイワスカーレットの前で、腕組みをしていたナカヤマフェスタが勝負師のような笑みを見せる。

 

「ゴルシの奴が雑巾を使ってなかったらスピカは解散させられてたな」

「そーなの!?」

「なにを賭けてくれちゃってんのよ!」

「ゴルシの覚悟って奴だ」

「とばっちりでオッズにされたこっちの身にもなりなさいよ!!!」

「むしろ賭けの台に乗れたことを誇りに思えスカーレット院」

「スカーレット院って誰よ!?!?!?」

 

 トウカイテイオーは、チームスピカって怖いな、と思った。 

 

 そんな間にも、視線の先に居るゴールドシップと青年はといえば。

 

「六本木六本木」

「モスコミュールモスコミュール」

 

「……ちょっと目を離しただけで何をやってるのかさっぱりだ」

 

 よくわからない動きに、ウオッカが目をもんで呻く。

 こんなもの、どんな名実況だってなんて言っていいか分からないだろう。

 

「あのぉ……ねえここってカイチョーが言ってたトレーナー体験の場所だよね……?」

 

 いやいや問いかけるトウカイテイオーの内心は、嘘であってくれと叫んでいる。

 しかし彼女に反応したナカヤマフェスタはまるで何でもない世間話のように頷いた。

 

「ん? ああ。今は私の番さ」

「じゃあなんでこんなところに居るのぉ!?」

「熱い勝負が目の前にあるんだ、シラけた真似する方が間違ってんだろ」

 

 その真剣な表情で見つめる先にあるのはしかし……。

 

 ゴールドシップが持っていたメガネを、勢いよく縦にする謎の動きだけで。

 

「メガネえええ……ガネメ!!!!」

「なに!? テクニカルコンボ御用達のガネメじゃねえか!! いったいどんなコミュニケーションなんだ!?」

 

 拳を握りしめる青年の前で、ゴールドシップはメガネをポイ捨てすると、彼の後ろに回って抱きすくめるように抱え込んだ。

 

「あれぇ!? メガネ使わないの!? ねえ使わないの!?」

「ガネメーーーーーーーーーーーー!!」

「ぐわああああああああああああああああああああ!!!」

 

 渾身のバックドロップが青年を襲う。

 

「決まった!! 葦毛真拳奥義地獄百舌落としだ!!!!」

 

 まるで勝負に勝ったようにガッツポーズをかますナカヤマフェスタ。

 

 煙が晴れた先で転がっている彼に、もはや青ざめるしかないトウカイテイオーである。

 

 恐る恐る、ウオッカが問うた。

 

「勝負あったのか……!?」

 

 へへ、とナカヤマフェスタは笑う。

 

「ウマ娘にバックドロップ食らって勝てる奴が居るかよ」

「ただの暴力じゃない!?」

 

 叫ぶダイワスカーレットは、流石にゴミのように転がったトレーナーもどきは見過ごせないらしく駆け寄って。

 

「だから言っただろ……俺じゃお前を育てきれねえって……」

 

 倒れ伏したまま彼は顔を上げて、自らを見下ろすゴールドシップに笑って言った。

 なぜ笑っていられるのかは、ダイワスカーレットには全く分からなかったが。

 

「へっ。だがソウルは届いたぜ、神谷トレーナー。もし何か困ったことがあったらいつでもお前を助けてやる」

「そりゃ……光栄、だ……」

 

 がく、と気力が尽きたか頭を芝に打ち付ける青年を背に、ゴールドシップは満足げに鼻の下を擦って去っていった。

 

 

 一部始終を見届けたトウカイテイオーは思わず叫んだ。

 

 

「カイチョーから聞いてた話と温度差で風邪ひきそうだよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールドシップと同じく満足したらしいナカヤマフェスタが帰ったあと。

 

「いてて……んでお前は?」

 

 呆れるダイワスカーレットに手当をして貰った腕を回しながら、青年は顔を上げた。

 

「知らないのぉ!? ……いや、知らないの? ボクを?」

 

 先ほどまでの空気がそうさせたのか、つい大きな声を漏らして慌てて口をふさぐトウカイテイオー。

 改めてふふんと胸を張り、彼女は高らかに宣言する。

 先ほどまでのかわいそうなツッコミ役などどこにもいない。いないのだ。

 

「ボクは無敵のトウカイテイオー! トゥインクルシリーズで無敗の三冠ウマ娘になるつもりだから、よろしくね!」

「ほう……無敗の三冠ウマ娘か……」

「うん、スカウトしたくなった?」

「ん? そりゃもうめっちゃしたいよ。かっけえじゃん無敗の三冠ウマ娘」

「え、う、うん。ありがと」

 

 あれ? と首を傾げるトウカイテイオー。

 シンボリルドルフの話を聞いたトウカイテイオーは、もっと他のトレーナーと違う反応が返ってくると思っていた。

 

 自分をスカウトしたいというのであれば、それで話は終わるのだが。

 

「まあ、とはいえお前に見合ったトレーニングが出来るかは分からねえからな」

「ほほう、ボクに見合った――」

 

 何をするのかと考えて、やはり焼き付いてしまっている先ほどの奇行エクストリームバトル。

 

 口角をひくつかせながら、トウカイテイオーは問うた。

 

「あの、さっきのアレって結局なんだったのさ……」

「さっきのアレ? ああ」

 

 これで「なんのことだ」とか言われたらこの世の終わりだなあ、などと遠くに思いを馳せていたトウカイテイオーだが、いくら何でも流石に記憶には焼き付いているらしい。

 

 ほっと一息ついたトウカイテイオーに、彼は答えた。

 

「ゴルシに合わせようとしたらまあ、ああなるわ。沖野サンすげーよマジで」

「あ、合わせようとしてあそこまでやったの!?」

「そりゃな。常日頃からアレやってたらただやべーやつだろ」

「もう十分やべーやつだよ! ウーロン茶浴びてたし!」

「ん? ああ、確かに」

 

 言われてみれば頭からウーロン茶のにおいがする、などと今更なことを言う目の前の男。

 しかし彼は、でも、と一言挟んで、いっそ穏やかなくらいの笑みを浮かべて言う。

 

「俺もゴルシも楽しかったからな」

「へ?」

 

 その言葉自体は決してただのおかしい奴などではなくて。

 

「他の誰にどー思われても、担当するウマ娘とトレーナーってのは対等に頑張れねーと。レースで隣に居られねえ分、猶更な」

「……ふーん」

 

 口だけ、とはとても言えない。合わせる難易度が自分よりも高いであろうあのゴールドシップを前にあそこまで頑張られては。

 

「じゃあボクのトレーニングも、楽しくやれるってこと?」

 

 トレーニングを楽しいと思ったことはないけれど。

 少しだけ興味が沸いて、トウカイテイオーは目の前の青年にそう問うた。

 

 彼は笑って、袖をまくると。

 

「んじゃ無敵のテイオーサーガ序章メイクデビュー前黎明編、幕開けと行こうか」

「テイオーサーガ序章……なんかかっこいい!」

「そりゃかっこいい伝説の幕開けは極限までかっこよくなきゃダメだろ。ってことでその幕開けを手伝えるかどうか、軽くトレーニング受けてみるか?」

「いーよ! ついて来られるか見せてもらうから!」

「こりゃ、きつい仕事になりそうだぜ……!」

 

 軽く口角を上げる彼に、首を振る理由はなかった。

 

 

 

「テイオーサーガ序章メイクデビュー前黎明編って、何回プロローグするのよ……」

 

 呆れたダイワスカーレットの呟きは、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつ以来だろう。

 こんなに、"らしくもなく"頑張っているのは。

 

 1人で進める、自主トレーニング。

 

 あの日までは、もしかしたらただのポーズでしかなかったかもしれない。

 「アタシなりに頑張っているんだ」という誤魔化しでしかなかったのかもしれない。

 

 けれど今、明確な目標をもって、そのために全力を賭けて練習をしている。

 

 今日は、隣にその影は無いけれど。

 またもう一度頑張ってみようと思えた心の起爆剤。

 

 先ごろから降り始めた雨はさあさあと耳に音を響かせるほどになっていて、普段なら引き上げるような篠突く雨。

 

 けれどなぜか、不思議と帰ろうとは思わなかった。

 

 このくらいの雨の中でやるレースもある。もし週末の模擬レースがこういう状態だったら、良い予行練習ではないかとも思った。

 

 風邪をひいて当日出られないなんてバ鹿げた真似だけはしないように、あとでお風呂はしっかり体を温められるくらいゆっくり入るとして――ああ、ついでに湯舟で出来るケアはしてしまおう。

 

 そんなプランも、するすると頭の中に入ってくる。

 

 気力十分、やる気は絶好調と言えた。

 

 重いバ場状態を想定して踏む芝。つるりと滑りそうになるのも、この数日のトレーニングが自信に変わって、勇気を持って一歩を進めることが出来る。

 

「良い感じ……」

 

 門限ぎりぎりなのが惜しいくらいに。

 

「……やれるかな、アタシ」

 

 その、常なら弱気にも取れるつぶやきも、自然に口元を緩ませていて。

 

 弱気ではなく、期待と言えた。

 

 もう10回以上開かれた模擬レースは、ウマ娘たちの努力のお披露目の場だ。

 そして、トレーナーの付いた子やチームに入った子はわざわざ参加してくることはない。

 それでも入着がぎりぎりだった自分を想えば、決して驕ることは出来ないけれど。

 

 その度々開かれてきた模擬レースに何度も出た経験だけはある。

 決して良い記憶とは言えないけれど、走った記憶はしっかり焼き付いている。

 

 エントリーしたのはいつもと変わらない芝2000m右回り。

 

 バ場状態は確かに分からないけれど、出来る限りの準備はするつもりだ。

 

 こんなに本気になれたのも"らしくない"と言えばそうだけれど。

 

「っし。なんか心なしか疲れも減ってる気がする! ……気がする、だけかな。あはは」

 

 不安と期待は、いつも通り。不安の方が大きいし、自分を信じることなんて出来はしない。

 

 けれど、今自分の足元を支えているなけなしの自信は、人から貰ったもの。

 貰ったものは、大事にしたい。

 

 少しだけ、柔らかく目じりを下げて。

 それからもう一本、励もうとしたその時だった。

 

「あー! ネイチャだー!!」

「……え、マーベラス?」

 

 ばしゃばしゃと水たまりもお構いなしに駆けてくる、遠くからでもシルエットが強烈な少女。ルームメイトのマーベラスサンデー。

 

 ずいぶんと楽しそうに傘を振り回しながら走ってくるものだから、思わず苦笑いが零れ出た。

 

「マーベラース★ ネイチャ、頑張ってるんだ!」

「あ、はは。まあね。……ごめんね、もしかして迎えに来てくれた?」

「マーベラース★」

 

 彼女が楽し気に懐から差し出すのは、間違いなく自分の傘だ。

 

 わざわざ自分を探して、こうして傘を持ってきてくれたことを申し訳なく思いつつ。

 有難くもあるけれど、珍しいなとも思った。

 

「ありがとね。でもなんでわざわざ」

「最近ネイチャったら門限危ないの。今日は雨も凄いし、アタシがお風呂でマーベラスにしてあげる!」

「な、なんだそりゃ……」

 

 ただ、門限が危ういのは事実だった。

 もう切り上げなければいけない時間。

 後ろ髪をひかれる思いはあるけれど、それで許してもらえないのが学園の規則というもので。

 ましてや模擬レースが控えている今、ルールを破って出られませんでしただなんてバ鹿を見るようなことはしたくない。

 

「よし、帰ろっか。ありがとマーベラス。なんか作ってあげよっか」

「ふふふふふっ! それはとってもマーベラスだけど、ちょっと取っておこうかな!」

「……」

 

 少し目を見開いて彼女を見れば、変わらず天真爛漫な笑みを浮かべたまま。

 その裏を決して見せようとしない彼女の額を、軽く指でこづく。

 

「ひゃん」

「生意気なー。……ありがとね」

「マーベラース★」

 

 なんてことはない。気遣われているだけだ。

 今は模擬レースに集中しろと。

 

「……ごめんね。アタシがこんなんだから」

「ネイチャは何にも悪くないの。だいたいマーベラス計画に必要なんだから、もっともーっと頑張ろー!」

「そっか。……今日も少し、遅くなっていいかな」

 

 それはいつかと同じ。

 同室の彼女に断りを入れて、夜遅くまでコースの研究に没頭していた――チームリギルの入団テスト。

 

 思い出したくないはずの記憶も、今は必要とあればすぐにでも引き出せる。

 だから、口から吐くことも出来て。

 それをまた、マーベラスサンデーは嬉しそうに頷くものだから、かなわないと苦笑いしてしまう。

 

「マーベラス★ 芝2000mのお勉強ね! マーベラスはね、ベッドに入るとね、どうなると思う!?」

「え、あー……なんだろ」

「マーベラスな夢を見るの! ふふふふ!!」

「……良い奴だなー、マーベラスはー」

「マーベラスなやつなのー!」

 

 さあさあと降りしきる雨が、傘に響いて音を奏でる。

 

 一瞬の無言に、マーベラスサンデーが懐から一枚の紙を取り出した。

 

 心当たりのないそれを見つめる彼女の瞳は、少しだけ細まって。

 

「……ネイチャ」

「ん?」

「アタシもマヤノも、毎日ここで頑張ってるネイチャのこと知ってるから」

「うぇ!? こ、ここで!?」

「うん。言ってなかったけど。マーベラース★」

「マーベラスじゃない……!!」

 

 何を見られていたかによって、どんな反応をすればいいかも分からない。

 

 けれどなぜだろう。そんなことを言い出した理由に、一瞬見当がつかなくて。

 

 その勢いのままに「はい」と渡された紙を、なんだろう、と受け取った。

 

 

 

「……がんばれ、ネイチャ」

 

 

 

 マーベラスサンデーの優しい声色は、出会って以来一番切実で力強くて、そして何より――本気の応援だった。

 

 

 

 本年度第12回中等部所属ウマ娘模擬レース第10レース

 芝右回り2000m(中距離)11人

 出走登録者一覧

 

枠順 ウマ番 登録選手名
8 トウカイテイオー
9 ナイスネイチャ

 

「……えっ」

 

 ――模擬レースが、来る。

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