コミュ障TSロリの一日。   作:ドエフ・TSロリスキー

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二日目、前編。多ければ多いほどお得とかいうけど、綺麗なものでも多すぎたらキモいなと実感した日。

 窓の外を眺めれば、雲一つない絵の具みたいな水色一色。

 外に向けて開かれた窓の前では、白いカーテンが風に吹かれてゆらゆらと揺れている。

 

 風に乗せられて飛んできた水の雫みたいな形をした葉っぱが、窓を通ってひらひらと私の前に落ちてくる。

 それを拾い上げて、窓の外に放してあげると、重力に逆らうようにふわりと浮き上がり、空の青に混じって見えなくなった。

 

 

 ふと、頭の中に、日々をだらだらと生きるのはやめにしよう、そんな言葉が浮かんだ。

 

 外の景色でも眺めて、食べ終わった後の器を、優雅な時間を過ごしながらゆっくりと洗おうと、今はそんな瞬間だったのだが、しかし、そんな天啓が降りて来たので、今後の目標を決めながら食器洗いに勤しむことにした。

 

 目標。それは人生を豊かにするための原動力である。

 

 痩せたいと願えば、運動する活力だってちょっとは湧いてくるだろうし、強くなりたいと思えば、日々の筋トレもそんなに苦にはならないだろう。

 

「うーん…」

 

 黄色いスポンジに洗剤をつけ、ぎゅっと握りしめると、白いあわあわたちが、にゅっと手の甲にまで溢れ出す。

 

「もくひょう…」

 

 パッと思い浮かぶのでも、毎日筋トレ1時間しよう、魔法を使えるように毎日念仏を唱えよう、食器洗いは忘れないようにしよう、友達を100人作ろう、なんて思いつくものはそこそこあるが、そのどれもが人生の目標って感じではない。

 

 筋トレは毎日5分、はぁはぁ言いながらやっているし、呪文だって寝る前なんかに、むにゃむにゃと唱えているのに、魔法はいっこうに身につきそうも無い、食器洗いは人生の目標というには俗物すぎる。友達に関してはノーコメントだ。

 

「うーん…?」

 

 唸りながら、泡の白で埋め尽くされた食器達を水で洗い流していく。

 

 他の目標……この子たちのためにもビッグな目標が良いだろう。

 ね、そうだよねと食器達に語りかける。

 

「なりたいもの…?」

 

 社長になるとか、地主になるとか、やっぱりそういうのがいいのだろうか。

 でも、なんか漠然としてて違うような気がする。

 

「むむむ…」

 

 むんむんと、私の唸り声がシンクに反響する。蛇口からポタリと水泡が滴り落ちた。

 

「あ」

 

 そうだ、そういえばこの前スーパーを歩いていたときに見つけたアイテムボックスなる鞄を手に入れるというのはどうだろう。

 

 なんとその鞄、中に亜空間が内蔵されているらしく、容量が満タンを超えない限り重さが一定になるそうなのだ。大容量、大収納、それでいて軽い。すごいね。

 

 その分、めちゃくちゃに高いので楽に購入することはできないだろう。

 

 そうすると、その間、私はポイントを増やそうと沢山の努力をするわけだ。

 筋トレであったり、魔法の習得であったりを。

 

 つまりは、全部載せだ。私が適当に選んだ目標候補全てが内包されている。すごい。

 こんな素晴らしいものを思いつくことが出来るなんて、もしかして、私って天才? 

 天才ヒカリちゃんか? 

 

 自分のあまりの才能の高さに恐れ慄きながら、上機嫌で洗い終えた皿を食器置きに並べていく。

 

 昨日洗い忘れた器と、今日、ご飯を食べた器。どちらもうどんを満たしていた器である。

 この子達は、いつになったら贅沢なものを入れてもらえるのだろう。心なしか器が煤けて見える。可哀想に…。

 

「むほほ」

 

 しかし、そんな可哀想な食器たちとは裏腹に、にやにやと、私の顔は緩むばかりだ。

 

 なんてったって、天才ヒカリちゃんだからね、大丈夫、君たちも、もうじき可哀想じゃなくなるよ。

 この輝ける才女、秀逸なるヒカリちゃんにかかればね。

 もしかすれば、明日にはもうお米を載せられるかもしれない。うへへ。

 

 

 

 しかし、そんな私の視界にちらっと入り混んだのは、シンクに映った歪んだ顔。

 

「…むむ」

 

 びろーんと引き伸ばされた私の表情は、なんだか人を小馬鹿にしているような、そんな嫌な笑みを携えていた。

 

「なんだ…?」

 

 あれ、もしかして、私、シンクに笑われてる? 

 わ、わざわざ、私の顔を使って、シンクが私に悪意を伝えようとしているのか…? そ、そんな……

 間違いなく被害妄想なのだが、なんだかそんな気がしてきた。

 …いや、そうだ、ヒカリちゃんのことをお子ちゃまだと馬鹿にしているのだろう。

 そんなんで、天才だなんて、ぷぷぷ、的な感じに。

 

 …ぐぬぬ、許せぬ、許せぬぞ。いくら、優しいヒカリちゃんとはいえ、怒る時はちゃんと怒るのだぞ。

 

「むんっ!」

 

 蛇口を捻り、水を流すことによってシンクに映っていた顔を掻き消してやった。

 小馬鹿にしたような嫌な顔は、白い水飛沫に紛れて見えなくなる。

 

 ふふ、ざまーみろ。怒って文句を言いたいのなら、そこから這い出てこい。ばーか。ばーか。

 天才ヒカリちゃんにかかればこんなもんだ。おちゃのこさいさい。嫌な奴だってすぐにいなくなる。ふへへ。ばーかばーか。

 

 

 

「…いや、何言ってんの」

 

 何で、自分の顔に悪態をついてんのと、急に我に返った。

 何やってんだろう。天才ヒカリちゃんって何? 

 馬鹿丸出しじゃん。

 

「は、はずかしい…」

 

 こんな人間でごめんなさい。ヒカリちゃんはお馬鹿なんです。ちょっと頭がゆるゆるで。許してあげてください。それも愛嬌の一つだと思って。

 

「うぅ…」

 

 落ち込んできた気分を変えるために、何か楽しいことを考えなきゃ、と思ったところで、私は目標のことを考えている最中だったのだと、当初の考えを思い出した。

 

「そうだよ…」

 

 お馬鹿なヒカリちゃんは、今よりもずっと賢くなって、理知的で立派な人間になれるように目標を立てることを決意したんだった。

 

 ええと、なんだっけ。確か、アイテムボックスなる鞄を買うために頑張ろう、という話だった、と思う。

 

 うん、多分そうだった。分かんないけど。

 …え、えっと、じゃあ、それを買うために1番頑張るべきものとは一体なんだろうか。

 そう、それはズバリ、アイテム集めである。

 

 アイテム集めというと、それってつまり、苔集めじゃないのと思われるかもしれないが、実は私は苔以外も集めたことがあるのだ。

 

 貝殻集めである。

 

 貝殻、というか海岸には、トラウマを持っている転生者達が多く、現在の海岸沿いは全くといっていいほど人気がない。本当に人っ子一人いない。

 釣り人か、人魚とか、アメーバみたいな人とか、そういう仕方のない人以外はまるでいない。ほとんど無人なのだ。

 

 私も海単体、貝殻単体となると、全然平気なのだが、いざ、砂浜に行って貝殻を集めようとすると、途端に体が震えて言うことを聞かなくなる。

 

 理由は、転生初日に貝殻戦争が起こったからだ。

 

 貝殻戦争。

 

 思いだせば、涙が出てくる。

 

 転生初日、海岸からスタートした私は、転生だって、よく分かんないね、と現状の理解を放棄して、目に入った綺麗な貝殻をポーチに集めたり、ヤシの実みたいなきのみを叩いて遊んだり、水際でパシャパシャと水遊びをしたり、小さいカニやヤドカリ、頭が4つあるカメと戯れたりと、心の思うままエンジョイして過ごしていたのだ。

 

 しかし、そんな時に、どうやら貝殻が売れるという情報が転生者たちの中で広がったらしく、私みたいなクソ雑魚たちや、戦う力があるくせに何故かやって来た強い人たちがこぞって海岸に集まってきて、一斉に貝殻を集め出した。

 

 私も状況に流されて、再び貝殻を集め始めたのだが、しかし、需要と供給、人が集まれば集まるほど採集競争は激しくなるものなので、量を獲得できない者たちも現れ始め、海岸沿の砂浜には、次第に不穏な空気が流れ始めた。

 

 それでも、みんな現代社会に生きていた者達。

 決して仲良くとは行かなくとも、喧嘩はせず、黙々と貝殻を拾い続けていたのだが、やっぱり問題は起きるもので、2人の転生者が、それは俺が拾おうとしていた貝殻だと言い争い始めたのだ。

 

 初めの方は、他の人たちも、うわぁ始まったよ、迷惑だから他でやってくれないかなと、内心でうんざりしつつ、遠巻きに見ていたぐらいだったのだが、その2人の転生者達が力を使い始めた瞬間から、張り詰めていた空気が最高潮になった。

 

 ブゥンと、空気の揺れる鈍い音。

 ぐあぁぁッと、遠くからでも聞こえるような悲鳴。

 

 その近くにいた関係のない人が巻き込まれ、体に切り傷が刻まれる。

 

 そこからはもう、誰も彼もを巻き込んだ、悪い意味でのお祭りが始まった。

 

 人は吹き飛び、砂嵐が巻き起こり、貝殻は砕け散る。

 

 もうそうなると平和的解決なんて見込めないので、皆が皆、力を見せつけ合う最悪の展開だ。

 

 ただ、そこでも、仮に転生者達が皆、平等に強かったら良かったのだが、残念ながらその強さはまちまちで、格差があるのだ。

 

 なので、奪われるものはひたすらに奪われ、強者の懐だけが温まる。

 つまりは、弱肉強食、被食者と捕食者に分かれてしまった。

 

 当然、その中でも最へっぽこ賞を受賞できるぐらい弱い私は、簡単に手荷物を全て奪われ、さめざめと独り、泣く羽目になった。

 自分の驚愕的な弱さや、争う人間の愚かさに、もはや、悲しいという感想すら行き飛ばして虚無を感じるぐらいだった。

 ぼーっと空を見つめながら、人生とはなんなのか、人とは、生きるとは……と、そんな哲学に没頭し、砂浜に体を投げ出して静かに涙を流していたのだ。

 

 しばらくそうしていたのだが、その姿があまりに哀れだったのか、優しめの人が近づいてきて、ここはもう危ないよと、虚空を見つめたまま動かない私を砂浜から逃がしてくれたのだが、その先でも、なんだかんだあって洞窟の方へ押し込められた。

 

 引き摺るような足取りで、もうほとんど折れかかっていた心のまま、それでも、私はめげずに暗くて怖い洞窟の中を、独りきりで頑張って探索をすることにしたのだ、したのだが…。

 

 そんな私の奮闘虚しく、やけに興奮したネズミ達の群れに追い回されて、結果的には2時間近く知らない洞窟の中で迷子になることになり、しかも何の成果も得られなかった。完全なトラウマである。

 

「ぐすっ」

 

 瞳から頬を伝って、シンクにポロポロと涙の跡ができる。

 

 自分ごとながらあまりにも可哀想すぎると思う。

 多分、私のコミュ障と泣き癖は、この時に悪化したのだろう。

 だって、私という人間は、ダンディで大人の色気があって、クールでカッコいい、知的で理性的な、高身長高収入、誰もが羨むような完璧超人イケメンだった筈だからだ。

 こんなに少女らしく、というよりは泣き虫で、コミュ障で、それでいて幼稚な感性の人間ではなかった筈なのだ。

 

「うぅ、か、かわいそう…私…」

 

 しかし、今の私には、そんな変容した自我について共感して話を聞いてくれるような、それどころか、普通の話を聞いてくれるような相手すらいないのだ。悲しすぎる。あまりに哀れ。

 このままじゃ人格が分裂してイマジナリーフレンドが出来上がってしまうぞ。

 一人で暗がりの中、ぶつぶつと会話をしているような、そんな闇深系ロリが増えてしまうのだぞ。

 

 

 …とまあ、そんな感じに、私にコミュ障、泣き虫、幼稚の烙印を刻み込んだ出来事が初日に起きて、貝殻戦争という忌み名で今も転生者達の間で語り継がれているのだ。

 

 いや、ほんとのことを言うと、私が勝手に、貝殻戦争と名前を付けて、そう言っているだけだなのだが。そもそも、私が他の人と話せる訳ないし。

 

 でも、内容は本当だ。海岸には全然人が居ないし、ポイントになるはずのものがそこら中のに落ちているはずなのに、貝殻を拾いにくる転生者達は居ない。

 だから多分、みんなちょっと忌避感を持っているはず。

 

 …えっと、まあ、そういう場所なのだ、海沿いは。

 

 

 そんな風に険悪な具合だったので、初日、それからの数日の間は、私みたいなどうしようもないクソ雑魚たち以外は、奪い合い、殺し合い、蹴落とし合い上等、俺が天下取るんでヨロシクゥ! みたいな世紀末で殺伐とした状況にあった。

 

 鞭を持ったラバースーツの女の人が、奴隷みたいに首輪をつけられた謎生物たちを引き連れ、渡り歩いてたぐらいに。

 

 目と目が合えば、即殺し合いだ。勝てば官軍。負けたら全てを奪われる。そんな恐ろしい世界。

 

 まあ、そんな中でも、私は驚くほどにクソ雑魚過ぎたので、何故か毎回お情けをかけられて、戦う前よりも戦った後の方が持ち物が増えていたのだが。

 

 私のクソ雑魚お情けボーナス伝説は大量にあるが、その中でも特に印象的だったのは、私に腹パンを決めた後、急に泣き出したモヒカンの人だ。ホロリと泣き出したとかじゃなくて、膝をついての号泣。うわぁああみたいな声をあげての。意味が分からない。

 

 痛かったのも、泣きたいのも私の方だったと今でも思っているが、しかし、あまりにもすごい泣き方だった。

 もしかして反撃系のチートが目覚めたのか、と期待したぐらいだ。

 

 あまりに衝撃的な出来事だったので、その時に貰ったトゲトゲしい肩パットは今も私の家のリビングに飾ってあるぐらいだ。 

 

 

 そんな風に、初期の転生者たちは今とはだいぶ違うような、かなり物騒な状況で生活で暮らしていた。

 

 まあでも、いきなり意味不明な状況に連れてこまれて、転生しただの謎の言葉を投げかけられて、姿形まで変わっていたのだから、はっちゃけちゃったり、頭がパーになったりと、ちょっとおかしくなっても仕方がないとは思う。

 

 私は人間だったから良いものの、人の形から大きく逸れた異形になってしまった人たちはそれはもう混乱しただろうし。

 

 しかも、死なないようにした、という死ぬことが前提のような言葉を神を名乗る人物から投げかけられたのだ。

 じゃあ、この世界はどうしようもないほど殺伐としたものである、そう考えるのが普通ののことだ。

 

 ちょっとそういう知識がある人なら、デスゲーム、ダークファンタジー、そんな言葉が思いついたと思う。

 

 そんな空気の中だったので、転生者たちは、皆、他人を思いやるような余裕を持たず、それどころか、殺し合うのは普通のことなのだとすら考えていた。

 

 私だって、誰かに譲ってやろう、助けてやろうだなんて、あの時の空気感の中では考えもしなかった。

 だからまあ、あの時の殺伐は仕方がなかったと諦めている。

 

 

 …でも、初日に私から貝殻を強奪したマルブチメガネの君。君のことは忘れてないからな。

 私はやめて、取らないで、って言ったのに。これはもともと俺のだったんだ、何て意味不明なことを叫びながら、私を組み伏せて、可愛くて気に入っていたポーチごと奪われたのだ。

 どう考えても君にそのポーチは似合わないだろう。酷いやつ。私はめちゃくちゃ怖かったんだぞ。

 

 今でもメガネを見ると呼吸が上手に出来なくなるくらいに傷ついたのだからな。

 

「…うごごごご」

 

 …こればっかりは、いつか絶対に復讐してやるからな、覚悟しておけ。ふんふん。

 

 私がチート転生者になった暁には、毎日貝殻を10個、雨の日も、風の日も、たとえ風邪を引いていたとしても、休ませずに献上させてやるのだ。ふふふ、怖いだろう? 

 

「ふんふんっ」

 

 ぶんぶんと腕を振り、怒りに身を任せて、鼻息を荒くする。

 

 すると、窓の縁に鳥っぽいもの──全身が真っ黄色で、胸元に黒色のラインが走っていている。背中には猫の手みたいなのが一本生えていて、しかもちゃんと肉球もある──が飛んできて、私の真似するように、フゴロ、フゴロと翼を広げながら鳴きだした。

 ちょっと可愛い。目元がくりくりだ。

 

「お前も賛同してくれるか、私の復讐に…!」

 

 興奮したままに、芝居がかったクサイ台詞を投げかけると、それに呼応するように、トリモドキは勇ましい顔を作ってブベボ! と吠える。

 

「わっ」

 

 びっくりした。言葉とか分かるんだろうか。異世界だしそういうこともあるのかも。

 でも、すごい。お利口さん。めちゃくちゃ良い子。私の適当なお話に付き合ってくれてる。

 

「えへへ、良い子だなあ…」

 

 破顔した表情で、頭を撫でてやろうとすると、トリモドキはその手から逃げることなく、むしろ私の手に頭を擦り付けてきた。

 

「わわっ」

 

 んみゃーと鳴きながら、トリモドキは私に甘えてくる。

 鳥の頭ってこんな感触なんだ。ふわふわっていうか、さらさらした感触。

 ふへへ…可愛い。

 

 

 

「…あれ?」

 

 そうやって、少しの間和んだ時間を過ごしていたのだが、ピカンと頭に電流が走った。

 

 よく考えたら、私って、復讐系チート転生者の資格、持ってるよね? 

 

 過去の辛い記憶、トラウマ、喪失。何もかもを奪われた主人公はその恨みで覚醒。

 それって、もしかしなくても私のことだよね。ってことは、私って、復讐系の主人公ってことだよね? 

 

「うへへ」

 

 強そう。ダークでダーティーな主人公。そういうのも良いじゃん。

 

 復讐しに来たぞ、地獄の底から…! みたいな。 

 

 お前に刻まれた傷が、恨みを忘れるなと叫んでいる…! みたいな。

 

 眠れないんだ、脳裏に焼きついたお前の顔が、憎悪が、俺の中を這いずり回って…! みたいな。

 

 殺してやるッ! 殺してやるぞッ! お前をッ!! 俺がァッ!! みたいな。

 

「ふ、ふふっ」

 

 し、渋くてカッコいい! 私にぴったりだ! 

 

 …今のうちに、練習とかしておいた方が良いかも。

 そういう台詞って噛んだりしたら、大恥だからね。

 

 ピカピカの器を仇に見立て、憤怒の形相で睨みつけながら、その激情を言葉にしてぶつける。

 

「昔゛年゛の゛恨゛ッ…ぐぶ! かはっ! げほっ!!」

 

 窓の縁のトリモドキが私の声に驚いてすっ転ぶ。

 

 うぇえ、お、思ったより大声が出ちゃった。い、いたい、喉が痛い。ヒリヒリする。

 うぐぅ、慣れないことをするもんじゃないな、喉へのダメージが甚大だ、血とか出ているかも。

 

「…ぐぇっ、え゛ほっ、えほっ!」

 

 咳の振動で、かたかたと食器置きが揺れて、水受けに水がポタリと落ちた。

 

 あー、と口を開けて、新品でピカピカのシンクに自分の喉奥を映してみるが、多分血は出ていない。むしろ綺麗なピンク色をしていた。健康体だ。良かったのか良くなかったのか複雑だ。

 

「…だめだな。もっとクールなキャラじゃないと」

 

 叫ぶ系のキャラはダメだ、私に向いていない。

 そもそも私の喉が頑丈じゃないし、それに多分叫ぶくらいに感情が高まったら、言葉が詰まって出てこないし、普通に泣いちゃうと思う。それはあんまりカッコよくない。

 

 つまり、クールキャラだ。

 

 洗面所の踏み台に片足を乗せ、まるで仇の頭を踏みつけるような仕草で睨みつける。

 

「これから、お前は貝殻奴隷だ…あの時のこと、後悔すると良い…!」

 

 これだ、決まった…!! 

 

 トリモドキもグボゲ、グボゲ、と機嫌が良さそうに体を揺らし、私に賛同してくれている。

 

「…えへ」

 

 これはカッコいい。カッコいいじゃん。これなら、私でも言えそうだし、なんか、見下している感も良い。これで私も立派な復讐系転生者だ。うふ、ふへへ。

 

 ああ、早くチートに目覚めないかなあ。

 

 そんなふうにウキウキで台所で遊んでいたのだが、何か忘れている気がする。

 

「んん?」

 

 トリモドキも私の真似をして頭を傾げる。

 そもそも、なんで、貝殻のことなんて考えていたんだっけ。

 

「…むむむ?」

 

 あ! 思い出した。目標決めの話だ。

 というか、何回忘れるんだよ。一向に話が進まないじゃないか。

 

「いけないぞ、ヒカリ…しゃんとしなきゃ…」

 

 両方の頬をペチンと叩く。

 

「い、いたい…」

 

 でも、気合いは十分だ。今度は話の脱線はしないぞ。

 

 目先の楽しさに囚われるのは、園児レベルだからな。私は立派なレディなんだから、嗜みを見せないと、本当にお子様になってしまう。ちゃんと我慢しなきゃ。

 

 えっと、つまり、そう、強くなるには、基本はやっぱりアイテム採取なのだ。なんか凄そうな薬草とか、強くてレアそうなモンスターの素材であったりとか、そういうのを集めて売って、武器を買って、強くなる。

 

 そんな感じに、日々の地道な努力によって、強くなっていくのだ。神様も近道はないとかそんな感じのことを言っていたし、間違いない。

 

 で、そういう地味な努力を、毎日、途中で挫けずに頑張る為に、買いたいものを原動力にしよう、っていうのは人生を豊かにするという点において最良の目標じゃないだろうか、みたいな、そんな感じことを考えていたのだ。

 

「うんうん」

 

 つまり、私がこれから頑張ること、それは、私の人生の記念すべき1番目の目標であるアイテムボックスの購入、そのための資金134900ポイントを何とか捻出することなのだ。

 

「がんばるぞ…ヒカリ…」

 

 ぎゅっと握り拳を作り、天に高くかざす。

 今、ここからヒカリさんのチート転生者伝説が始まるのだ。

 

 トリモドキも特徴的な猫の腕を高く突き上げ、羽を広げ、ピロロロロと今までと一味違う声をあげる。

 

 

 そうして、心機一転、新生ヒカリちゃんは苔集めを卒業することにした。

 単純に、しんどいし、暗いし、怖いしで、労働の対価が良くない。

 

「さよなら…洞窟」

 

 苔集めはもはや、人生の新たなステップを踏み出そうとする私に相応しくない。ありがとう苔集め。お前は用済みだ。失せろ。

 

 

 …というのは冗談で、苔集めをやめる本当の理由は洞窟が爆破されたからだ。冗談みたいな話だが、埋没して誰も入れなくなった。悲しい。

 

 なんか「タイムイズマイン」というスキルを手に入れた転生者が、以前に撲殺された恨みを晴らすべく、光りキノコに復讐しに行ったらしいのだが、「タイムイズマイン」は時を止めるスキルではなく、チャージした時間分の威力で爆発するスキルだったそうだ。

 

 ということで、舗装がほとんどされていない洞窟内で爆弾なんか使ったら滑落しちゃうのは当然だよねって感じで、洞窟が利用不可能になったのだ。

 

 そんなわけで、今は、爆撃魔の人と警備隊の人達は一緒になって洞窟を掘り返しているらしい。

 しかも、何度も何度も生き埋めになりながらだ。普通に頭がおかしいと思う。

 

 こういう時、この世界では命の価値が低いんだなあと実感する。

 私はどれだけ命の価値が低くなっても、痛くて苦しい以上は死にたくない。

 

 それに、自我の連続性が証明できないということは、生き返ったそれは本当に自分と呼べるのだろうか。

 

「…ふへっ」

 

 なんか、今の台詞、かなり知的で、ミステリアスな雰囲気がするなぁ。

 IQポイントが高い。哲学者みたいな賢みがある。私に相応しい。

 

 ふふ、自我の連続性。

 

「うへへ、自我の連続性だって、ねえ、ねえ、かっこいいよね?」

 

 そう、トリモドキに語りかけると、トリモドキは頭をブンブンと振った後、ゲボと一言鳴いて飛んでいってしまった。

 

 ああ、私の貴重な話し相手が……

 

「…むなしい」

 

 と、まあ、そんな感じで、私は職を失い無職になったので、転職を余儀なくされたのだ

 。

 今までの私だったら、もう生きていけないよと、困惑に困惑を重ねて家に閉じこもって泣き続けたかもしれないが、しかし、なんと私は転職先をちゃんと持っているのだ。

 

 そう、神様に紹介された新しい職業である枝葉拾いのことである。

 

 なので私は職業無職改め、枝葉拾いのヒカリさんとなったのだ。

 

 

 ◇

 

 

 森のフィールドには危険が多い。

 

 例えば虫。

 でっかい虫が出るらしい。百足とか蜘蛛とか蟻とか蜻蛉とかもいるらしい。小さいのも普通にいる。小さいのは私が見て確認したので間違いない。私は虫嫌いなので、すごく辛い。

 

 例えば動物。

 蛇とかトカゲとかが居るらしい。あとは野犬とか猫がいるみたいだ。まあでも、他にもいるかも知れない。私は森の中を歩いていて、それっぽい動物には出会ってないので、何が生息しているのかはよく分かっていない。

 でも、もし、小さくて可愛い、懐いてくれるような子がいたら持って帰るのも良いかも知れない。

 私は動物が好きなので、一緒に一日を過ごせたら幸せだろうし。

 ハムスターとかがいたら良いな。ご飯を頬にいっぱい溜め込んで、変な輪郭になったカチカチの頬袋を一日中触っていたい。

 

 例えば環境。

 毒沼があるらしく、変な匂いがしたら即刻立ち去るべきだそうだ。食人植物もいるし、急に崖になっている場所もあるらしい。怖い。私は見つけていないのでどこにあるか分からない。

 

 といった感じで、森には危険がいっぱいなのだ。

 全部ふわっとした解説になったが、それは私のコミュ力の致すところである。

 うまく情報を聞き出せなかったのだ。悲しい。

 

 いや、でも頑張ったのだ。何日も、朝早くから森の前で待機して、来る人来る人に、声を掛けようとした。

 そういう努力は認められるべきだと思う。

 まあ、結果としては残念ながら、話しかけることは出来なかったのだが。コミュ障にはハードルが高過ぎた。

 

 戦闘を得意とする転生者たちは、それはもう見た目がいかついのばっかなのだ。それに声も怖い。仕草も怖い。

 生き物を殺したりして生計を立てている人たちなのだから、怖くて当たり前ではあるのだが。

 でも、それにしても、なんというか、張り詰めた雰囲気というか、怖い。

 

 一応言っておくと、私はビビりではない。そんな私でも怖かった、というお話だ。

 

 そんな感じで、私は何日も、朝から夕方までずっと木陰でおろおろしていたのだが、ついに、なんかよく分からない見た目のキューブの人が見かねて、「どうしたの」と機械音声みたいな抑揚のない声で話しかけてくれたのだ。

 

 話しかけられた緊張とか吃りとかで、上手く喋ることが出来ない私を前に、根気強く、話を聞いてくれて、最終的に、そういった森の危険な生物なんかの知識を教えてもらうことができた。

 

 本当にありがたい話である。ありがとう、ちょっとブニブニしていたキューブの人。

 

 

 というわけで、森である。今、私は森の中にいる。

 森のフィールドは木がいっぱいだ。

 基本的には広葉樹が多く、雑草、というか草藪がそれなりに生えている。

 木の中には、真っ直ぐ伸びたもの以外にも、細く、ぐねぐねと伸張したものもあり、なんというか、端的に言えば、あんまり手入れされていない森って感じだ。

 所々に川、というほどのものではないが、水溜りや泥、そういった水の流れを見ることができる。

 木々の密度はそれなりで、所々で光が差し込んでいるのが見える。なので、鬱蒼、と呼ぶのは相応しくないような、どちらかと言えば清々しい雰囲気の森だと言える。

 

 そんな中を、ぺしぺしと、生えている蔦や細枝を鉈(2500ポイント)で切り払い歩いていく。

 切り払われた草木の残り香が鼻を通り、臭い。青臭い。偶に刺激臭がするものまである。うぇえ。

 

 キューブの人に鉈とかあると便利だよと言われて、鉈を買ったのはいいのだが、ぺしぺしすると緑や赤、紫といったカラフルな草木の液体が付くし、私のお小遣いの少なさ的には、使いまくるのは勿体無いよなあと思って、あんまりぺしぺししなかったのだが、そのせいで、何度も蔦や枯れ枝にすり傷、切り傷を作られ、ローブを引っ掛けられ、ぐえぇと首を絞めらたりと、痛い思いをしたことによって、認識を改めた。

 森はちゃんと処理をしながら歩かないと危ないのだ。当たり前だが。

 

 今にして思えば、もし転んだりして尖った草木に目とかが刺さっていたら、大変なことになっていた。

 早々に気づけて良かったなあと思う。

 ただでさえか弱い少女ボディなのだから、余分に気を払ってでも、警戒して歩かないといけないのだ。

 

 でも、それに気づくまでに可愛かったローブがボロボロになってしまった。すごい悲しい。

 ついでにオシャレなブーツも土くれ、傷に塗れ、ついにはお陀仏となった。無念。

 

 だけど、もはや私には悲しみすら湧いてこない。だって、靴なんて所詮は消耗品だ。

 たかだかそんなものの一つで感情を揺さぶられるなんて無垢な時代はもう過ぎてしまったのだ。

 泣いたって私の愛したオシャレな靴は戻ってこない。

 そんな非情な現実を覚えてしまった私は哀しみのアダルティヒカリ。

 もはや、私の純真は穢れて戻らなくなってしまった。

 あぁ、こうやって人は大人になっていくんだろう。

 

「大人になるって…切ない…」

 

 ほろりと一筋涙が頬を伝う。

 さようなら、幼気な私。

 

 そんな気持ちの中、黙々と森の中を進んでいく。

 

 布と草の擦れる音、それに足音と、鉈を振るうことによって得られる切断音だけが私の周りでは響いている。

 

 私の心情とは対照的な、心地いい清涼が広がっている。

 耳をすませば、きっと森の声も聞こえるだろう。

 葉のざわめき、鳥の鳴き声、虫の鳴らす音。

 

 気分転換になるかなぁと、そんな優雅な森の合唱に耳を向けたのだが、途端に自分の呼吸音しか聞こえなくなった。

 

 ふっふっ。心臓の送る音。体から通って口から出る空気の音。

 

 小さな合唱は、私の大きな騒音に邪魔されてかき消されてしまった。

 

 何日かは通ったとは言え、慣れない森歩きだ。そりゃあ息も上がる。

 むしろ、今更そんなことに気づくくらいに、私は森という空間に魅了されていたのだろう。

 

 ほとんど同じ景色だけが連続するような、ただただ暗くて怖い洞窟とは違い、歩く先々で小さな発見、例えば、扇風機みたいな葉っぱであったり、私5人分はあろう巨大な花が咲いていたり、そういう心が踊るようものが私を出迎えてくれて、どこを見渡しても飽きない、そんな素敵スポットの森。素晴らしい場所。

 

 音、景色、匂い。五感のうちのほとんどが心地良いという化け物スペックだ。 

 

 目を凝らして見れば、小さい虫たちが、視界の何処にでも映り、そこら中を這いずり回っているということだけを除けば、完璧と言って良いだろう。

 

「うーん…」

 

 森の悪い点を粗探ししてみても、やっぱり洞窟の評価は覆りそうにない。ダメ。良いところ無し。

 

 静かで面白みなんてないし、そもそも暗くてほとんど見えないし、土に混じってネズミの糞とかそういう据えた香りもする。終わってる。

 

 まあ、鉱石とか掘れたら違うのかも知れないけど、そんなの出来ないから私には関係ないし。

 後は……蛍とかキノコとかは綺麗だったけど、ああいうのって例外で、ほとんど見かけないようなやつだし。

 

 うーん、ダメ。ダメです。結論として、ヒカリちゃんポイントはあげられません。0点。

 

「んぅ、ふっ」

 

 そんな風に考え事をしながら歩いていたのにも関わらず、私の呼吸音、耳に残る嫌な余韻は薄れていくことはなく、段々と、強く、強く、私の意識を埋め尽くしていく。

 

 自分の呼吸音って聞いていると心が落ち着かなくなるのだ、何でだろう。

 寝るときに呼吸を意識してしまうとなかなか寝付けなくなるような、そんな心地だ。

 

 ふっ、ふっ。喉を通り掠れる空気の音は、私にだけ主張するように、大きく、大きく響いて、私の心を、注意を奪っていく。

 

「うぇえあぁ!」

 

 叫んでみても、その音は消えることはなく、耳に、意識に、余韻を残していくのだ。

 

 ふっ、ふっ。

 

 ふっ、ふっ。

 

「あー! あー!」

 

 なんとかその音を掻き消そうとして声を出してみるが、それがさらに息を乱して、動悸はどんどんと激しくなる。

 

「ふっ、はぁー! うう、ふっ、はぁー!」

 

 やばい、心のざわざわが止まない。

 おかしくなりそうだ。冷や汗まで出てきた。

 

「きゅ、休憩! 休憩にしよう」

 

 本当はもう少し先にまで進みたかったのだが、こんな状態じゃ、良さげな枝葉も拾えそうにないので、心を落ち着かせるために休憩を取ることにする。

 

 

 ざわついた心地のまま、きょろきょろと辺りを見渡すと、ちょっと進んだ先に、少しだけ開けた場所がある。

 小さな広場のようになっているその場所の真ん中には、暖かな木漏れ日が差していた。

 

 少し肌寒いような、そんな日が登り始めるぐらいの、朝早くから森に入ることにしたので、未だ太陽は空高くあり、それのおかげで差し込んだ木漏れ日が良い感じに葉っぱを照らし、見事にキラキラと輝かせている。

 

 あそこしかないと、早歩き気味に休憩スポットへと駆け込む。

 

「はふっ、うへへ」

 

 その真ん中に滑り込むように慌ただしく座り込んだら、段々と呼吸が落ち着いてきた。

 

 風が私の髪を優しく撫でて通り過ぎて行く。

 風通しはいいはずなのに、差し込んだ日差しのおかげでほのかに暖かい。

 

「きもちいい…」

 

 足をぱたぱたと上下させると、かさかさと音を鳴らしながら、枯葉や落ち葉が私の足の上を舞っていく。

 

「ふへ」

 

 なんだかそれが面白く感じたので、手でも葉っぱを拾って上に放り投げる。

 黒い影。葉っぱの影。ひらひら舞ってゆっくり落ちるもの、重なり合ってその重さですぐに落ちてくるもの。

 それぞれが、違う時間をかけながら私に向かって落ちてくる。

 

「ふわふわ…かさかさ…」

 

 葉っぱの感触も面白い。

 

 一つ一つは乾燥しているのに、一塊で握りしめたら、柔らかい感触を返してくるのだ。

 

 夢中になって、何度も何度も葉っぱを放り投げる。

 

「んふふ、女優さんみたい」

 

 舞い落ちる葉っぱは紙吹雪。木漏れ日のスポットライト。

 まるで舞台の上みたいだ。自然、天然の劇場。私は独りの主演女優。

 

 立ち上がって、葉っぱを大きく放り投げる。

 

 スポットライトに照らされる私の上を紙吹雪が舞う。

 

「えへへ」

 

 鉈を振り回して剣の舞。

 

 鉈の銀色が差し込んだ光を反射して、私を白に彩っていく。

 

 揺れる葉っぱの音は、さわさわと、まるで私に拍手を送ってくれているよう。

 

 照らす光と、万雷の拍手。

 

「あは」

 

 片足立ちになって、くるくるとバレリーナのように回ってみれば、ローブの端がひらりとめくり上がって、まるでカーテンのように広がっていく。

 

「たのしい…」

 

 私だけのコンサート。アンコールを送るのは私。何度でも開幕が開いて、何度でも終幕を下す。

 

 蝶々達もやってきて、私と一緒に舞台の上で踊りにきた。

 

 その輝くような色彩を持ったガラス質の羽が光を何度も曲げて、私の劇に新しい変化をもたらしてくれる。

 

 赤に、青、緑に、黄色、白い光はプリズムで分散されて色とりどりに散っていく。

 

 

「あはは」

 

 

 踊り続ける。

 

 踊り続ける。

 

 

 ◇

 

 

「……あれ、よく見たら、蛾?」

 

 疲れて果てて我に返ると、私の周りを飛んでいた蝶々が、蛾の特徴を持っていることに気がついた。

 

「んぅ?」

 

 やっぱり、これ、蝶々じゃない。

 節が蛾だ。羽の形も蛾だ。

 紫と白で作られた綺麗な模様が描かれた、ステンドガラスみたいな質感の羽を持った蛾だ。

 

「ほあー」

 

 綺麗な蛾もいるんだなぁと、ぼーっと見つめていたのだが、よくよく、冷静になって辺りを見渡すと、ものすごい量の蛾がまるで木を埋め尽くすかの如く、この場所に集まってきていた。

 

「びぇえっ!」

 

 き、きもっ! 気持ち悪い!! 

 流石にこの量は気持ち悪いよ!! 

 も、もしかして、この辺は蛾の縄張りだった? 

 

 そう思って、周りに生えていた木の幹をよく見てみると、なんか、白い線が轟いている! 

 

 幼虫だ!! 

 

 蛾の幼虫がそこら中の木の中でウネウネと動いている! 

 

「いやぁッ!!」

 

 じゃあ、じゃあ、あの落ち葉は!? 

 あの落ち葉、卵とかあったんじゃないの!? 

 やだやだやだやだ!! 

 あれに足とか入れてたんだよ、私! 

 

 怯える私をみて、それを好機と捉えたのか、蛾の大群が私に迫ってくる! 

 

 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 

 

「やだ、やだぁ!!」

 

 鉈をぶんぶんと振り回して、蛾を牽制しながら、その場から駆け出す。

 

「やだよぉ! やだぁ! こないでぇッ!」

 

 何度も転びそうになりながら、へっぴり腰で逃げ続けると、次第に蛾たちは少なくなっていった。

 

 

「ひっ、へっ、ふ、う、ひんっ…」

 

 撒いた、完全に撒いた。そう確信が持てるまで逃げて、逃げて、逃げ続けて、もう足は棒のようだ。もう歩けない。

 

「おえぇ…ッ!」

 

 は、吐きそう。苦しい。息するのも辛い。

 

 そんな状態のまま、引き寄せられるように沢まで歩いていく。

 

「た、たまご…とらなきゃ…」

 

 今の私が苦しさに気を失わずに済んでいるのは、ひとえに、服から卵を取らないとと、そんな暗い情動にも似た使命感のおかげである。

 

 沢の前で服を脱いで、卵のようなものや、白い幼虫がいないかを確認する。

 

「うぅ…」

 

 しかし、どんなに目を凝らしても、卵なんて見つからない。幼虫もいるようには見えない。

 

「わがんない、わがんないよぉっ」

 

 半泣きになるぐらいに、真剣に探しているのに、それらしいものを見つけることが出来ない。

 

「ひぐっ、うえぇ、やだぁ、やだよぉ」

 

 ついてないんじゃないかと、思い込みたいが、仮に、もし卵や幼虫がついていて、家の中で蠢き出したらと思うと、怖くて仕方がない。

 

「ううぅ゛…」

 

 仕方がないので、着ている服全部を水につけて洗うことにする。ちょっとでも可能性を減らすためだ。

 

 小川の水は、手を入れただけでも涼めるような、それぐらいに冷たい。

 

「づめだいぃ、ざむいよぉ…」

 

 跳ねた水、布が吸った水が体にかかり、体が冷えていく。鼻水まで垂れてきた。

 

 体が震えてきたが、温めようにも、服を水につけてしまった以上どうしようもないので、少しでも作業を早く終わらせるために、小さく縮こまりながら、必死に服を擦り合わせていく。

 

「にゃ、にゃっ!? 何でこんなとこに半裸のガキがいるにゃっ!?」

 

 私の後ろの方から、急にそんな大声が聞こえてくる。

 

「うえ゛ぇええっ!!!」

 

 ネコ耳が生えた、不審者みたいな格好の人。

 普段なら絶対に近づかないような人なのだが、本当に寒くて、温かみがほしくて、私はその人に向かって駆け出した。

 

「にゃ、やめるにゃあ! びしょびしょのままこっちに来るにゃぁ!!」

 

 まるで水浴びをしたような見た目の私が近づこうとすると、ネコ耳の人は、それを嫌がって逃げようとする。

 

「まっでぇ! いがないでぇ、だずげでぇ!!」

 

 猫の人は、私が助けを求めていると分かると、逃げようと、走り出そうとしていた足を止めてくれた。

 

「にゃあ、なんにゃ! 要件を言うにゃ! ちゃんと聞いてやるからそれ以上、近づくにゃ!!」

 

 ちゃんと、猫の人の声は聞こえていたのだが、でも、寒くて、寒くて仕方がなかったので、「ごめんなさい」と叫びながら、私は制止も無視して駆け寄って、ネコ耳の人にしがみついた。

 

「うにゃああああっっ!!! こ、このッ! これだからガキは嫌いなんだにゃあぁあッ!」

 

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