ハヤテのごとく!~another combat butler~ 作:バロックス(駄犬
「いや、あの、忘れてて・・スンマセンデシタ」
白い空間にて、テルはひとりの女性の目の前で正座させられていた。
顔は酷く腫れ上がって、鼻からは血が流れている。
「誤って済むなら本当に警察なんてこの世には必要ないの。 罪を犯した人間には罰を・・・それでも言うことを聞こうとしない人間には罰以上の苦しみを・・・」
「人の話を聞かないで殴っておきながらよく言うぜ先生」
「なんか言ったか?」
「イイエ、ナニモ」
殺気こもったその睨みに、テルが体を硬直させる。 昔からだ。 この人物には逆立ちしても、どんなに高いところに立っても勝てる気がしない。
「でも、本当にあんまり変わっていないのね?」
「まぁ・・・」
百合子がふーんとテルの体を見る。 気になったのだろうか。 肩なり腕なり急に触り出してくる。
「スンマセン先生、セクハラは止めてくれ」
「誰がセクハラか! 弟子でもあり、息子の成長を喜ばない師匠がどこにいるんだ!!」
「十代後半の男子に行うスキンシップじゃねぇことくらい分かってんだろうがァァァ!!」
「酷い! でもこれが本格的反抗期なのね!! ちょっと新鮮だわ!!」
「なんでそう捉えるんだよォォォ!!」
何故か涙目を浮かべる百合子に、テルが頭を抱える。
「あら? その目・・・」
百合子がテルの顔を見て気づいたか、テルが目を手で隠す。
「これは・・・名誉の負傷だ」
「また誰かのことで首突っ込んで痛い目見たって感じね? そこらへんも変わってないわ」
呆れながらも笑顔を向ける百合子の顔をテルは直視しない。 だが百合子は続けた。
「私がいなくなったあとも竜児ともちゃんと仲良くやってた? あんた達暇さえあれば喧嘩するから気になてたのよ?」
「アイツとはまた殴り合った。 俺が勝ったぞ」
「自惚れるなこの馬鹿者め!!」
百合子はそう言ってテルの頭を引っぱたく。 強力すぎる故か、テル体が地面へと叩きつけられる。
「殺す気か!?」
「あ、ごめん。 ツッコミのつもりでやったんだけど」
「こんな調子で突っ込まれてたら命がいくつあっても足りねぇよ!!」
テルが必死に訴える。が、百合子はまるでいつもの事のように笑ってごまかしていた。
そう、いつもの事だったのだ。
剣術に一日中明け暮れて。
力加減が下手な百合子のツッコミに体を痛めたり、それが原因で喧嘩したりした。
「忘れちゃいけないことだったのに、なんで簡単に忘れていたんだか・・・」
その楽しかった日々を全て忘れていた自分が許せない。 唇を噛み、悔やんでいると百合子は軽く笑って頭に手をやった。
「気にしないの」
添えられた手がテルの髪をクシャクシャにする。 だがそれをテルは拒まない。
「それで、アンタ達と一緒に過ごした日々が今回のことでいかに間違っていなかったていうことに改めて気付いたわ。 忘れてみて、思い出して気づく大切さっていうのもあるのね」
いかに自分がその日々に支えられて今を生きていられるのか。 その大切さが、今のテルには染みるように分かった。
今まで過ごしてきた日々があったからこそ自分を見失わず、立っていることができた。
「貴方はこれまで通り、アンタの道を突き進みなさい。 『もし』とか『たら』とか『れば』みたいな後悔しないようにしなさい・・・アンタの導き出した答えが、アンタだけの真実になるんだから」
「ああ、そうだな・・・」
もう、二度と迷いもしないし。 するつもりもない。 新しく刻んだその決意にテルは笑みを浮かべて応える。
すると、百合子がテルの頭に添えて、今度は手を少しだけ手を浮かして水平に動かしてきた。
「何してんの?」
「いやぁ、いつの間にか背、抜かれちゃったなぁって」
「ホントだな」
二人の身長を確かめ合うと、テルと百合子の身長差は頭一つ分くらいの差が出来ていた。
それだけで、二人は笑う。
「そろそろ・・・お別れか。 行けよ、このバカ弟子」
「バカ弟子じゃねぇ、アンタの・・・・息子だ」
その言葉に、テルという息子の言葉を聞いて、百合子の顔は涙を流しながらも笑っていた。
表情は語っている。
『ありがとう』
思いは全て伝えられた。
○
「テルさん! 起きてくださいよ!!」
揺さぶられ、聞き覚えのある声にテルが目を覚ました。 目に入ってきたのはハヤテとナギ。
「戻ってこれた・・・のか?」
「はい。 僕は気づいたらここに・・・・テルさんだけ目覚めるのが遅かったんで」
少々時間差が生じてしまったがどこも異常がないのは確かだ。
「アレ? テルさん・・・目が」
ハヤテが驚いた表情で目の部分を指さす。
「あれ・・・治ってる?」
見えなくなっていた片目が開いた。 痛みを感じない・・・が。
(ちょっと視力、落ちたかな・・・)
その瞳は傷を治していたが、肝心の視力は安定していなかった。 目の前のハヤテも、かなりぼやけて見える。
遠くの景色に限っては、青と緑しかわからないのだ。
「一体どうして・・・」
「さぁな」
よく自分の体を見てみれば、あれだけ傷だらけだったのに対して今はどこも痛くもないし、傷一つ見当たらない。
「謎だな・・・」
「謎ですね」
二人は頷いて口にするが、あまり深く考えることはない。 恐らくだが、あの空間を通して何かが起こったのだろう。 それだけの解釈にとどめておいた。
「それにしてもここはどこだ? 伊豆の端っこか?」
テルが辺りを見渡すと、そこには太平洋が広がっていた。 丘とも言えるその場には先端に一つの墓がある。
「これは・・・私の母の墓だ」
ふと、ナギが答えた。 墓の名には、『YUKARIKO SANZENIN』と表記されている。
「命日なんだ。 今日は」
「ほう、最初から温泉目的で下田に来たんじゃなかったのか」
「当たり前だ! そう言っていただろう!!」
ナギがテルに怒ったが、その人物についてナギの口から語られる。
ナギが言うには、ハヤテのような人だったようだ。 体が弱く、一人っ子であったが笑顔がかなり似合う女性であり、まさに天真爛漫といった感じらしい。
伊豆に墓が建てられたのは、新婚旅行で思い出に残ったのがこの伊豆だったからとか。
大富豪なのになぜか昭和のサラリーマンのようなハネムーンである。
「父は私が物心ついた頃にはもうなくなっていて、母が私の全てだったんだ。 病気になったけど、治ったら一緒にこの場所で星空を眺めようって約束したんだ」
だが、約束は守られなかった。
「一旦は退院したんだけどまた悪くなって、それで行けなくなったから私が駄々こねて・・・喧嘩して・・・」
しゃがんでその墓を手でさすりながらナギは続けた。
「母は申し訳なさそうな顔して、仲直り・・・できたらよかったけど、まさかその直後に亡くなるなんて・・・」
「あの、お嬢様―――」
暗いムードが続いて、ハヤテが声をかけようとするが、実際どんな言葉をかけてやればいいのか分からない。 だがその時。
「「暗いわァァァ!!!」」
「ぶはっ!!」
ノリのいい関西こと咲夜、雰囲気クラッシャーのテルによるダブルハリセンがナギの頭に炸裂した。
「何をするのだお前らァァァ! 人がせっかくシリアス前回の雰囲気を作っているところなのにィ!!」
「うるせぇんだよ! ここまでシリアスにされるとなぁ、こっちまで欝になってきそうなんだよ!!」
「こんあ天気のエエ日にしんみりしとったら太陽もやりがいないっちゅーねん!!」
「太陽のやりがいなんて知るか――――!!」
特に咲夜がここにいることに突っ込むことはしない。 多分、怒りで忘れているだけだろうが。
「そんな顔してたら、伊澄のように深海魚なみの表情しかできなくなるぞコラ」
「それはどういう意味ですか?」
まさかテルも目の前に伊澄がいるなんて思わなかったのだろう。 慌てて手で口を覆うがもはや手遅れである。
「いや、だから・・・年中お通夜みたいな顔っっていうか」
「お通夜・・・?」
どんどん状況を悪化させていくテル。 伊澄は今まさに能力を開放しそうな勢いだった。
「まったく、皆さん心配しましたよ」
「アレ? マリアさん?」
後ろからマリアがやってきていた。 突然の事に一同は驚く。
「目が覚めたら二人とも居なくて・・・知らない間に宇宙人にでも誘拐されたんじゃないかと思いましたよ」
「でもハヤテ君なら宇宙人にも勝てちゃうんじゃないかな?」
「けど最後は敵と一緒に太陽に突っ込んでいって死んじゃうんじゃない?」
さらにマリアが来たのに続くように歩とヒナギクが。
「あれ? ハムスターに会長? なんでここに?」
ハムスターという単語にむっと反応した歩だったが、歩が言うより早くヒナギクが答えた。
「決まってるでしょ? ここにあなたたちが居るから迎えにいってあげてって・・・・あれ?」
と、何故かその自分の言っている会話の内容が違和感を孕んでいることにヒナギクは気づく。
「私たちってだれに言われたのかな? 分かる歩?」
「ええーっと・・・全然分からないかな? これは迷宮入りのミステリーだよ!!」
「そう言えば、私も誰に・・・」
どうやらマリアもどうしてこの場所にテル達がいるということを知ったのかわからないようだった。
「まァいいじゃないか!!」
「人が集まってそこに桜があるのだから!!」
「もうお花見するしかないでしょ――――!!」
いつの間にかやってきていのか、生徒会三人組の美希、理沙、泉もやって来ていた。
「当然、私から愛のこもった弁当がこんなに・・・」
「おー! 虎鉄くんすごーい!!」
ハヤテの隣に颯爽と現れた虎鉄は大量の重箱を引っ提げているのを瀬川が目を輝かせる。
「・・・・」
「ホモは黙ってお帰りください」
テルとハヤテが呆れを超えた視線を向けていた。
「おおおおおおおおおお!! 海だァ――――――――ッッ!!!」
「ありゃ、バカ王子もここにやってきちゃってるよ。 こりゃあ早目に締めた方がいいんじゃないか?」
崖の大海原に向けて、千里が大声で叫んでいた。
「フフ・・・今日は最高のお花見日和だなぁ」
と、テルがジュースを飲んでいるときに真後ろからの声に反応すると、焼き肉の串を手に持った唯子の姿もそこにあった。
「そう思わんか?」
「真後ろから気配消して近づかなければな。 マジで心臓止まった」
唯子はフフフと笑みを浮かべながら肉に食らいついた。
「私は誰かを驚かせることと、自分を楽しませることを信条としている。 驚かず、私が楽しくないことをしてしまったら私という人間が終わる気がするのだ」
「そこまで重要かよ・・・ってか全部自分勝手じゃねぇか」
海を前にした花見は順調に行われている。 鷺ノ宮の使用人も愛沢家の使用人も瀬川家の使用人も仕事を忘れてみんなが酒に食らいついていた。
「オオオオオオオ!!! その焼き肉をこの俺様に献上しろォォォォオ!!」
そこに千里が乱入してきて楽しいお花見から大乱闘に発展したのは言うまでもない。
「カオスになっちまったな・・・」
「ですねーなんだかすっかりお花見モードになっちゃいました」
「はは、まぁいいんじゃないか? 母も賑やかなのが好きな人だったし・・・・」
その乱闘の一部を眺めるようにテル、ハヤテ、ナギが同時に紙コップのジュースに口をつける。
「それに会いたかったんだろ? きっと」
ナギが振り返るとその先にはナギの実の母、三千院 紫子の墓があった。
「私が今、どんな人たちと一緒にいるのか・・・」
夢から覚めた時にナギにかけられていた紫のストールが墓には掛けられていた。 風邪でなんどもストールが揺れる。
その墓を見るナギの横顔がどこかせつなげに見えたか、ハヤテが思い切って聞いた。
「あの・・・お嬢さまはもう一度お母様にお会いしたいですか?」
その質問に、ナギも突然のことで面食らったようだ。 う~んと唸りながら少し考えてナギは答える。
「私はさ、ばかみたいにお金があって・・・買えないものなんてほとんどないと思うんだ」
実質、練馬区の65%を占める大富豪の令嬢。 その言葉は嘘偽りなく、値札のあるものなら簡単に手に入れることができるだろう。
「けど・・・どれだけお金を積んでも、母はもう戻ってこないって・・・分かってるから・・・」
ナギは『もっとも』と付け加えて一言。
「そんな事も分かっていない奴が・・・どこかにいるかもしれないけど・・・」
○
~三千院家、本家~
ここは三千院家本家。 辺りは森で囲まれており、その中心には日本には似つかわしくない西洋の巨大な城がそびえたつ。
「・・・・・」
その城の一部屋。 一人の老人が壁に掛けられている壁画を眺めていた。
壁画の人物は女性だ。 特徴的なのは紫色のストールに、亜麻色の髪。
だが、老人の表情はその人物はもうこの世には居ないとうことを語っていた。
「・・・・・紫子」
そう言って握りしめていた右手から見えたのは一つの石。 これはハヤテが所持している石と酷似していた。
○
「だけど、その人との過ごした日々は覚えてんだろう?」
「テル・・・」
二人の会話に、一人の人物が入ってきた。 テルだ。
「いなくなっちまったのはしょうがねェ。 どんなことして戻ってこねぇのも現実だ・・・だけどよぉ」
ハヤテの手に、黒羽から奪い返したペンダントを渡して続ける。
「その人との笑った大切な日々とか、泣いたこととか、怒ったことから全部含めてお前が覚えていれば。 お前の知る母ちゃんは、お前の心の中から消えたりはしねぇんじゃねぇか?」
「もっと分かりやすく言え」
「臭く言えば、お前の中で一生生き続ける」
「それくらい分かってるわバカテル」
「可愛げのないクソガキだ」
「ふん、せいぜい言ってろ・・・だが」
――――母よ。 あなたが亡くなって8年。 私に好きな人ができました。
「あんだよ。 やんのかコラ」
――――バカだけど、変な奴も一緒ですが楽しく過ごしています。
――――しばらくはそちらへは行けそうもないので、星となり空となり、これからも見守っていてください。
「では、私たちもあの乱闘騒ぎに混ざって来るか。 行くぞハヤテ!!」
「ハイ!!お嬢さま!!」
――――これからもずっとずっと・・・・
○
――――夕刻。 気づけば、カラスが鳴き、夕日が1日の顔出しの役目をを終えようとしていた。
お花見の乱闘騒ぎは思わぬ結末により幕を閉じた。 千里により引き起こされた大乱闘は、唯子に足を引っ掛けられた千里がアツアツのバベキューセットに激突し、あわや火災騒ぎになるところだったが。
一人の少年が夕日の弱い光りに照らされている道を歩いている。
右手に花束を携えたテルの姿があった。
ずっと歩き続けていた足を止める。 たどり着いたのは、ナギの母の墓があった真逆の場所。 ここにも、同じように丘があり、先には墓が立っていた。
テルの見据える先には墓が見えるが、その墓には先客がいるようで誰かが花束を置いている最中だった。
「あら・・・?」
振り返るとそこに居たのは、昨日に家まで送っていった老婆の姿だった。
「どうも・・・」
頭を下げるテルだが、その礼儀は目の見えない老婆には伝わらない。 だが、老婆は見えないはずなのだが、こちらが挨拶をしたのだろうと感じ取ったようで挨拶をし返してきた。
「珍しいわね。 ここには私くらいしか来ないのだけれど・・・・」
「墓参りにきました」
テルの一言に、老婆は表情を変えた。 複雑にだが、どこか柔らかく、嬉しそうな笑顔。
「あなたが・・・テルくんなのね?」
「はい」
「ああ・・・百合子が言っていた子だね、ようやく会えた」
そう、この人物こそがテルを育てた神崎 百合子の祖母。 その白い髪の毛が何よりの証拠なのだ。
「そう、記憶喪失だったの・・・・よくわかったわねここがあの娘の墓があるって」
テルはこれまでの経緯を粗方説明した。 自分が記憶を失って何もかも思い出せていなかったことと、今日全てを思い出したことを。
――――先生の墓はこの下田にある。
病院へ直行される前に木原がテルに言った一言。 この言葉を頼りにテルはこの下田を歩き続けた。
「あの娘とは、よく電話していたけど。 いつも言っていたのよ。 『馬鹿で元気な二人も子供ができたって』」
それはテルと、木原の事だ。
「最初は疑ったわ。 あの娘は事情で子供が産めない体だったから、冗談じゃないかって・・・でも、写真を渡されて色んな事情を聞かされて分かったの。 あの娘、幸せだったのね・・・」
そう言って、老婆は涙をぬぐった。
「記憶が戻ったってことは、覚えてるの? 百合子が死んだときのことを・・・」
「はい、全部」
そう、テルを、木原を育てたその恩師でもあり親の神崎 百合子はすでにこの世にいない。
飛行機事故だった。
「百合子が言っていた通り、優しくて、いい子だわ・・・あの娘も、きっと天国で笑っているでしょうね」
老婆は涙を隠すことなく流していた。だが、その表情は笑っていたのをテルは覚えている。
墓参りを終えた老婆は笑顔で帰っていった。 「またいつでも来てね」と残して。
「・・・・・」
花束を墓に添えたテルは何も考えず、百合子の墓の前に座り込んだ。
夕日もすっかり落ちて、その風景は夜の下田へと姿を変えていた。 風が少し吹いて、なんともいえない静けさを感じる。
その時だ。 不意に後ろから近づいてくる人物がいた。
「・・・・マリアさん」
「ごめんなさい」
返しの一言がまさかの謝罪の言葉だった。
マリアは先ほどの老婆との会話をすべて聞いていたのだった。
「盗み聞きするつもりはありませんでした・・・」
「気にしなくても・・・いいんですよ」
テルは座り、マリアは立ったまま会話を続ける。
「大体分かっていると思いますが、俺は正式に神崎 百合子の息子ではありません。 俺がまだ赤ん坊の頃、引き取られて、育てられた子供なんです」
その言葉が示す意味とは。 だが、マリアはできればその先は聞くことは控えたかった。 もしかしたら、テルのトラウマを刺激するだけかもしれなかったからだ。
だがテルは続ける。
「俺が13の頃に、先生から俺の両親がもう既にこの世にいないという事を教えてくれました」
「・・・・」
聞いてしまったマリアは胸に置いて服を握りしめた。
「俺の親は学者さんで、勤め先の事故で死んだと言っていました。 その時に俺が生まれてすぐだった頃だったから、両親は俺を当時の両親のガードについていた先生に預けて」
テルの両親は当時、とある研究に励んでいて色々と事情を抱えていた。 その二人を守るために派遣されたガードが、神崎 百合子だった。
この事故に関しては、誰かが巻き起こしたものだと思われる。 施設はまるで爆撃されたかのような悲惨な状態になっており、もう跡形も残っていないが。
「まぁ、その育ててくれた先生ももういません」
骨休みの旅行中の旅客機に突如のエンジントラブルが発生。 飛行機はそのまま空港に到着することなく、海へと不時着。 この事故による死者がたったひとりっだったのは奇跡と呼ばれている。
だがそのたった一人の死者が神崎 百合子であった。
遺体は今でも見つかっていない。 専門家からもあの状況で見つかるのは飛行機の破片くらいであり、そもそも、人一人浮いてこないのはもうそういう結果になり、捜索も打ち切られた。
「あの時は、恨みました。この世界を・・・なぜ先生だけが死ななきゃならなっかったのか・・・」
数百の人間の中で百合子だけが。 まるで世界が、百合子の存在を認めないかのような結末だった。
そうして迷いながらも住んでいた場所を飛び出して、さまよい続けた。 憎しみはあった。だが、憎しみをぶつける相手すらいない。 事故なのだから。
「それでも復讐とか考えなかったのは、そういう復讐心に囚われることを一番先生が望んじゃいなかったんじゃないかって思ったから」
その百合子と過ごした日々が、彼を、テルを止めてくれた。
「俺がそこで復讐とか、道を外れることはあの日々を否定することになる。 先生たちと過ごしてきた日々を、『なかったことにはしてはいけない』。 それだけはしたくなかった」
だから、彼は百合子が死んでからも自分を守り続けた。 記憶を失った後でも、その心が変わることなく彼を道を誤らせることをさせなかった。
「俺はこれからも、先生から教わってきたことを忘れない。 過ごした日々を忘れない。 それが、俺にできる先生へしてあげられることだから」
そう言って振り返ったテルの顔を見てマリアは思う。 自分もまた、親の居ない人間だ。 クリスマスの日に外に捨てられていたのを三千院家に拾われる。
昔は考えたこともある、自分を置いていった両親は一体どこにいるのだろうかと。
だが、17年経った今でさえ名乗りを上げてくることはない。
どこかで生きている可能性は高いのだ・・・だが。
(もう、テルくんの場合は・・・)
育ての親が生きている可能性すら存在しない。 世界がひっくり返っても死人が生き返ってくるなどありえないのだ。 しかも死んだのはテルが生まれてすぐだ。 つまり、テルは自分の本当の親の顔を知らないということになる。
ハヤテもヒナギクも、ナギも、親の顔は覚えている。
だがテルは知らないし、二度とこの世界で会えるという事もない。 絶対に。
「強いんですね・・・」
それでも自分を変えず、心のままにしたがって生きているテルにマリアは一つの強さを感じた。
だがテルは首を振って否定する。
「そんな事ないっす。 流石にその話を聞いたときは泣いたし、記憶を失っている時は一回だけ犯罪を考えました・・・けど」
少しだけテルは頭を掻いて、照れくさそうにマリアから視線を逸らした。
「そんな時に出会った人の御陰で自分が道を誤ることなく、こういう仕事をやってられるんです」
それは記憶をまだ失っていたテルが愚かにも望みの薄い犯罪に手を染めようとした時だ。
その出会いだけで自分を気づかせてくれた事を、その女性は覚えているだろうか。
「いい出会いがあったものですね、しかも一目見ただけで心変わりとかテル君らしいです」
「俺が女にコロコロ態度を変える軽い男とだとでも!?」
やっぱり覚えていなかった。
だが、そのほうがいいだろう。 こういう言葉は本人の前にはあまり言わないほうがいいのだ。
言葉で伝えるといらぬ誤解を生む。 人間とは不器用だ。
「冗談です。 記憶が戻って、テル君が変わってしまうのかと・・・本当は心配しました」
胸に置いていた手を再び握る。 それを見たテルは笑みを浮かべて返した。
「変わりませんよ、それはこれからも。 一度受け入れたことですから・・・だけど、これで記憶を失っていた善立 テルの人生は終わりです・・・まぁ心機一転みたいな?」
「ふふ・・・だったらこの先、執事の能力が上達することを期待してもいいんですね? 特に料理とか」
「もう料理は完璧じゃないですか?」
(一体どこからその確固たる自信が生まれてくるのでしょうか?)
自分の料理をあれだけ食べて何度も泡吹いて倒れているはずなのにどうしてそんな自信が湧くのか、マリアには理解できなかった。
ある意味、ナギよりタチが悪いかもしれない。
「んじゃそろそろ帰りませんか? 明日には出発ですからもう寝たくて」
「待ってください」
大きく欠伸をするテルをマリアが止めた。
「私も、お参りします・・・」
そう言ってまりが膝をおって手を合わせる。 この方式が正しいか分からないが、要は死者を敬う気持ちが現れていればそれで良いのではないか。
(これからも、見守っていてください・・・・彼のことを)
――――テルが生きている間はアナタにお願いするわ。
ふと、声が響いた。 目を見開いて辺りを確認するが視界にはテルと丘の風景しか映らない。
――――バカ息子がこれからも迷惑かけるけど、よろしくね。
「お任せ下さい、慣れてますから・・・」
「あれ? マリアさん、ひとりごとですか?」
「テル君には関係ありません。 それではこれからも宜しくお願いします」
「いきなりなんですか? 改まって」
合わせていた手を解いて、立ち上がったマリアから差し出された手に若干疑いの目を向けながらも言うテルだったが、マリアが半ば強引にテルの手を引き寄せて握手させる。
「じゃ、じゃあまぁ、よろしくです」
握手の意図があまり理解できていないテルは深く考えずに握り返した。 使用人たちの絆がまた深まる。
これでひとりの少年の記憶をめぐる物語が終を告げた。
しかしこれは始まりでもあるのだ。
新たに真実と向き合った善立 テルの人生は新しい幕を開ける。
伊豆・下田編~紐解かれるその記憶~Fin
後書き
まぁ、百合子さんとテルと木原の幼少時代なんて一応別サイトでやってたんですけど案の定進んでません。 っていうわけで、いつか時間ができたらやりますね。