TSオリ主は完璧なチートオリ主になりたいようです【本編完結】 作:GT(EW版)
『誰でもヒーローになれる。簡単なことでいいんだ……傷ついた少年の肩にコートを掛けて、世界はまだ終わりではないのだと教えてあげればいい』
それは、洗礼だった。
彼女が少年の肩に掛けたのはコートではなくマントだったが、少年はあの時から確かに強くなれたような気がした。
貴方のようなヒーローになりたいと──異能に溢れたこの世界で無能力者である自分が抱いた分不相応な夢を、彼女は肯定してくれたのだ。
『異能なんて無くたって、誰よりも人の弱さを知っているキミなら……そういう存在になれる筈さ』
そう言って彼女は、少年の頭にシルクハットを被せた。
あの時から、少年は生まれ変わった。この悲しい世界で精一杯生きていく勇気を貰ったような──そんな気がしたのである。
こんな自分でも、いつか誰かを守れると。彼女の言葉は少年に対して、未来への確かな希望を示したのだ。
『頑張れ、男の子。キミの戦いは、これからだよ』
そう言って月の輝く夜空の下で別れた彼女の姿を、少年は今でも鮮明に覚えている。
彼にとってその日の出会いは、彼自身の行動原理の礎を築いた一生の宝物だった。
十歳の頃にそのような得難い体験をした少年──闇雲カケルにとって、T.P.エイト・オリーシュアという女性は憧れのヒーローであり、心の師匠とも言うべき存在だった。
異能怪盗T.P.エイト・オリーシュア。
五年前、かつて世間を騒がせたカリスマ的異能犯罪者の正体が明らかになった時でさえもカケルは、驚愕する周囲の中で一人だけ落ち着いてその事実を受け止めていた。
彼からしてみれば彼女の正体を知ったところで、その事実に驚く気持ちよりも「ああ、やっぱりそうだったんだ」と納得する気持ちの方が大きかったのだ。
異能怪盗T.P.エイト・オリーシュアの正体は、異世界フェアリーワールドの大天使ダァトである。
彼女は当世界の管理者たるサフィラス十大天使よりも古くから世界を守護していた「原初の大天使」であると、政府から公表されている。
彼女が異能怪盗としてこの世界で活動していたのは、私利私欲ではなく二つの世界を守る為だった。
人間の世界と聖獣の世界、両方を滅ぼそうとする最悪の脅威「アビス・ゼロ」に対抗する為、サフィラス十大天使とも違う方針で活動を行っていたのだ。
人々から異能を盗んでいたのはその「アビス・ゼロ」に対抗する力を得る為だと考えられている。
彼女が異能を盗んだ相手に対して常に優しかったのも、大天使として自らの異能に苦しんでいた人間たちを導こうとしていたから──というのが、今の世間における共通の認識だった。
そして彼女の優しさに触れた証人の一人でもあるカケルは、T.P.エイト・オリーシュアのことを神格化された英雄としてだけではなく、一人の心優しい女性としても見ていた。
もちろん、彼女のことは家族が救われたあの日からずっと、今でも大恩人として憧れ続けている。何なら彼女が残した功績が公に広まり、世間が一斉にT.P.エイト・オリーシュアを英雄視し始めた時でさえ、彼は「ま、オレはとっくに知っていたけどな! あの人が本物のヒーローだってことは!」と、何ともガキっぽい優越感に浸りながら学友たちにマウントを取っていたほどである。
……因みに、妹のアリスはそんな兄よりも大々的にエイトファンを公言している。彼女の功績が世間に広まり指名手配が解除される前からも、彼女は誰よりも声高にエイトの優しさについて触れ回っていたものだ。
エイトに救われた妹は、一年間引きこもっていたのが嘘みたいに元気になった。元気すぎて父親共々振り回されるほどに。
……そう、五年だ。
エイトによって家族みんなが救われてから、五年が過ぎた。
当時十歳だったカケルも今では十五歳になり、通う学校も小学校から高等学校になった。
身長もすっかり伸びて今では父親よりも高くなり、あの頃より力も知恵も身につけた。
そんな多感な時期──思春期も真っ盛りな少年のところに、当の恩人T.P.エイト・オリーシュアは家出した猫のように、ある日ふらりと帰ってきた。
「よっ」
夕日が沈んだ頃のことだ。
コロシアムの帰り道、カケルの前でスッと手を上げながら声を掛けてきた彼女は、まるで数日ぶりに再会するような気安さで姿を現した。
そんな彼女の軽さには、思わず一度その場を通り過ぎた後で振り返って二度見したものである。
状況を認識するまでカケルは、壊れたロボットのようにギギギと固まってしまった。
「さっきの試合、見てたよ。強くなったね、カケル。あれからずっと頑張っていたみたいで、お姉さん感心」
「……エイト……さん……?」
「うん、エイトだよー。久しぶり、大きくなったね」
五年ぶりに再会した彼女は、肉体の成長に伴い大きく印象が変わったカケルとは対照的に、驚くほど変わっていなかった。
……いや、以前は両目ともエメラルドグリーンだった筈の瞳の色が、左目だけ黄金色に輝いているのは一目見て気づいた変化ではある。
しかし成長したカケルと違い、今でも十代の少女にしか見えない姿と言い、何よりその身から放たれる彼女の独特な雰囲気は五年前と何も変わっていなかったのだ。
とは言え、今更そこに疑問は抱かない。彼女の正体が公表通り異世界の天使様なのだとすれば、人間と違って歳を取らないのも不自然ではないからだ。
ただ……カケル少年の心には再び会えた憧れのヒーローに対して何か、自分でも上手く言葉にできないほどに激しい情動が浮かび上がってきた。
五年という年月は、幼かった少年の心を少しずつ、「男」に近づけていた……そんな話である。
「おー、背も随分伸びたね。もしかして、180ぐらいある? ボクが抱えることができないくらい、立派になってまあ」
「あ……は、はい。今は、179センチです」
「ふむ、ということは大体ボクと20センチ差か……前に会った時はボクの方がそのぐらい高かったのに、成長期の男の子は違うね。いいなー、少し羨ましい」
まるで親戚のお姉さんのような態度で気安く前に寄ってきたエイトは、そう言いながら感心した様子で無防備に近づき、自らの頭頂部に手を当てながらじっと見上げてカケルとの体格差を確認してくる。
その距離は、近かった。
なんか、近かった……
カケルは気をつけの姿勢で固まったまま、五年間で鍛え上げた胸板をペタペタと無遠慮に触ってくる彼女の手を相手にされるがままに受け入れていく。いや、受け入れるしかなかったと言うべきか。
しかし、不快感は感じない。
寧ろ胸板から伝わってくる彼女の細く柔らかな指先の感触に、カケルは安心さえ感じていた。
(何……この……何……?)
胸の奥から初めて込み上がってくる、照れ臭さとも違うこそばゆさに彼は戸惑う。
目の前にいるのは五年前からずっと憧れ続けていたヒーロー、T.P.エイト・オリーシュアである。
あの時、彼女が手を引っ張ってくれたから、カケルは歩み出すことができた。
彼女が支えてくれたから、妹は助かり家族はまた一つになれた。
そんな彼女の存在は、彼にとって誰よりも偉大なヒーローであり、憧れの存在だった。
(エイトさん……エイトさんって、こんなに……)
そんな彼女が今、自分の目の前にいる。
かつては彼女に……お姫様抱っこで抱き抱えられたことのあるカケルだが、完全に体格差が逆転した今となっては逆に、彼がほんの少し両手を伸ばせばその身体をすっぽりとこの腕に包み込むことができるだろう。
……こうして見ると、彼女は腰つきも細く華奢な体格をしていた。
小さな頃に憧れた大きな姿が、今では儚く見えてしまう。
彼女の強さを誰よりも知っていながら、彼は生意気にも守られるより「守りたい」という庇護心が湧き上がってきたのである。
それはカケル自身も気づいていなかったが、五年ぶりに出会った彼女の姿を見て彼の「漢」が刺激されたことを意味していた。
故に、今更ながら思い知る。
(こんなに……可愛かったのか……?)
──彼女の身体を抱きしめたいと、衝動的に、そう思ってしまったのである。
そんな自らの気持ちに気づいた彼が、次に移した行動は早かった。
「ふんぬっ!」
「っ!? な、何してるのカケルくん!?」
カケルは煩悩に身を委ねるのではなく、真っ向から抗った。
反射的な動作で近くの塀に自らの額を打ちつけ、大恩人に対して抱いてしまった邪な想いを力技で振り払っていく。何とも古典的な煩悩退散方法ではあるが、効き目は抜群だった。
……よし、少し落ち着いた。
見た目ほど痛くはないが、額からプロレスラーさながらの豪快な流血を見せながら、カケルは突然の奇行に驚く彼女の前で誤魔化しの言葉を述べる。
「えっと……エイトさんにまた会えたの……夢じゃないかと思ったので、ちょっと確認を」
「夢じゃないよ、現実だって! 確認するにしたって、そこまで豪快にやらなくても……たくさん血が出ているし。ほら、拭いてあげるから屈んで」
「だ、大丈夫です……っ」
「駄目です! ボクの前で血塗れになるのは許しません」
「す、すみません……」
「まったく……そういう思い切りの良いところは変わらないね。強くなったからと言っても、自分の身体は大切にしないとダメだよ? キミの家族を守る、大事な身体なんだから」
「いや、本当……面目無いっす」
カケルにとってT.P.エイト・オリーシュアという存在は最強無敵のヒーローであり、彼の思い描く絶対的な英雄の象徴だった。
故に、実を言うとカケルは、彼女に対して巷で囁かれているようなアイドル的なイメージを抱いたことが無かった。
確かに彼女は美人である。彼が知るどの女性よりも美しく、綺麗な女の人だと思っている。
しかしそういう目で見るよりも、彼の中ではどうしてもヒーロー的な「カッコ良さ」というイメージが大きかった為、彼にとっては「T.P.エイト・オリーシュア=最高にカッコいいヒーロー」という図式で固定されていた。
だからこそ、彼は戸惑ったのである。
無垢な子供の頃に感じた彼女の印象と、思春期真っ盛りな今の自分が感じた目の前の彼女の印象……そのギャップから来る
「……っ」
「ふふ、何だいさっきから挙動不審になって。久しぶりに会ったからって、緊張しないでよ。何たってボクとキミは、巨大な闇を相手に一緒に戦った仲なのだから」
「そ、そうですか……そうですね」
余計な手間を掛けたことに心底申し訳なく思いながらも、この額から流れ落ちる血をハンカチで拭い取ってくれた彼女の微笑みを息の掛かる距離から間近に見て、再び心拍数が荒ぶる。澄んだ二色の瞳はあの頃と変わらず、慈愛の色を浮かべてカケルを見据えていた。
カケルに対する彼女の態度は、あの頃と何も変わっていない。
変わったのはカケルの感じ方だけだ。そして今は……それこそが問題だった。思春期男子的な意味で。
お……落ち着け、オレ! エイトさんにやっとまた会えたんだ。この人に会ったら言いたかったことは、前からずっと考えていただろ? ま、まずはそれをはっきり伝えるのが先だ……だから冷静になれ、れれれ冷静になれ! 例えエイトさんの顔がすっごく近くても、身長差から上目遣いに見つめられるのがこそばゆくても、動揺しては駄目だ!
コロシアムの試合開始前のように、自身の心を奮い立たせながらキリッとした目つきを作る。五年ぶりに会った憧れのヒーローの前で、カッコ悪い姿は見せたくない。男としての意地だった。
「んー?」
あ……かわいい……
……じゃない! オレが馬鹿やって流した血を甲斐甲斐しく拭いてくれてるのに、失礼だろそういうのはっ! だけどこちらの顔をそうやって下から見上げながら小首を傾げるのは、何かこう、エイトさんのクールな印象に反してとても小動物的な仕草ですごくすごくグッと来る……!
カケルは混乱していた。
(お、おかしいぞ、オレ……他の女の子……光井の前でもこんな気持ちになったことは無いのに……っ)
彼女が見せる何気ない一挙一動に心を掻き乱され、カケルは頭の中でグルグルと百面相を浮かべる。
彼女の磨き上げられた宝石のような双眸を直視しないように微妙に目を背けながら、混乱した思考を極力表面に出さないように呼吸を整える。
大概の女性より身長が高い今のカケルは、妹のアリスを始め異性から見上げられることには慣れている。特に身近なクラスメイトにも光井メアという奇跡のように顔立ちが整った美少女がいる為、美人に対する免疫も人並み以上にはあった。
しかし、そんな彼にとっても初めての動揺だった。
いかに彼とは言え、いつの間にか身長を追い越した憧れのお姉さんから贈られる至近距離からの上目遣いに対する耐性は持ち合わせていなかったのである。
それでも、だ。彼は五年前とは違い心身共に大きく成長した。無能力者ながらも持ちうる才能と知恵、人脈の全てを振り絞って鍛錬を重ねてきた結果、彼はコロシアムの大会(武器持ち込み有りのレギュレーションではあるが)でも一定以上の結果を残してきた。
今日も今日とて、強力なライバルとの一戦を交えてきたところである。
相手は「
……そうだ、試合だ。
カケルにとって、強くなった自分の姿を見てもらいたい相手は二人いる。
一人は亡くなった母親。「きっと天国から見ているさ」と涙ながらに父は言っていたが……もしそうなら、そちらの願いは既に叶っているのだろう。
そしてもう一人が何を隠そう、自分をここまで導いてくれた大恩人、T.P.エイト・オリーシュアであった。
それが今日この時に実現したと思えば、諸々の感情を抜きにしても緊張するのは当たり前だった。
「エイトさん、その……オレ、まだまだ貴方とはとても比べ物にならないけど……貴方のおかげで、オレは無能力者だからと腐っていたあの頃よりは、ずっと強くなれました」
「……ボクが?」
息を整えてもまだ、この胸で弾む鼓動は忙しない。
しかし落ち着いて自分の気持ちと向き合いながら、カケルは憧れのヒーローの目を見つめて言った。
それは彼女と再会したら何度でも語りたかった、改まった感謝の想いだった。
「はい! 誰でもヒーローになれると言ってくれた貴方の言葉があったから、オレはオレなりの強さを探すことができたんです!」
「…………」
今度は、彼女の方が固まる番だった。
カケルの拙い言葉を一言一句心の中で反芻するように聞き届けているエイトの顔は、一瞬だけ驚いたように目を開くと、そのまぶたを下ろして頷きを返す。
そんな彼女に、カケルは言い放つ。彼女には色々と言いたかったことが多すぎて今でも言葉が纏まらないが、それでも最初に出てきたのは感謝と──歓迎の言葉だった。
「ずっと、言いたかった……エイトさん、ありがとうございました! それと……おかえりなさい!」
五年前、この人間世界に功績だけが伝えられ、消息不明となっていた英雄T.P.エイト・オリーシュア。
いつからこの世界に戻ってきたのかはわからないし、そもそも大天使である彼女の故郷はこの世界ではなくあちらの世界、フェアリーワールドである。
だが、それを知識として知っていても尚……カケルはこの言葉を掛けたかったのである。
この世界もまた、彼女が帰る場所の一つなのだと──生意気にも、安心させてあげたいと思っていたのかもしれない。
そんなカケルの言葉に、エイトは笑った。
「そっか……そうだね、ここもボクの故郷だ。それじゃあ、ボクも遠慮なく「ただいま」と言わせてもらおうかな」
聡い彼女は少年の気遣いに気づいた上で、朗らかにそれを受け止める。
そんな彼女の姿を見てようやく安堵したカケルは、しかし直後の言葉によって再び鼓動を早めた。
「だけど一つ言っておこう。キミはボクと出会う前からとっくに、立派なヒーローだったよ」
「──あ」
ほんの少しでも彼女に近づきたいと願いながら、駆け抜けてきた五年間。その成果を褒めてもらえるだけでも良かったと言うのに、彼女はそれ以前の闇雲カケルも肯定してくれたのだ。
こんな自分を当たり前のことのように、ヒーローと認めていて……そんな彼女の言葉を受けて、カケルは──やっぱりこの人には敵わないなと、改めてそう思った。
そんな少年の話である。