TSオリ主は完璧なチートオリ主になりたいようです【本編完結】 作:GT(EW版)
カイツールの分体。
それは八年前のあの日、死んだ筈の存在だった。
風岡翼にとって師匠であり母であり、姉でもあった恩人ラファエルが、その命を引き換えにして仕留めたのである。
その敵が今こうして翼の前に現れたのは、アビスの特性により生まれ変わったからであろう。そのスパンはあまりに短すぎたが、かつての宿敵はさらに力を増して現世に舞い戻ったのである。
翼は、その姿を忘れる筈が無かった。
六枚の羽を持つ、天使ラファエルの姿を模倣したその姿。
ヘットの町を闇の霧が覆った直後、大量のアビスと共に現れた漆黒の堕天使の姿を目にした瞬間、翼は我を忘れて飛び掛かっていった。
──コイツが……コイツがラファエル姉さんを!
理解の大天使ビナーの計らいによりカバラの叡智に触れた翼は、そこで封印されていた少年期の記憶を取り戻すことができた。
彼女と出会ったこと。
彼女に師事したこと。
彼女に助けられたこと。
彼女と笑い合ったこと。
彼女と……死に別れたこと。
そして全てを思い出した翼の心を襲ったのは、もはや過ぎ去りし過去に対してどうすることもできない無力感だった。
だから翼は、何もかもがどうでも良くなってしまった。
大切な記憶を失っていたからだろう。翼は今まで心の底では何をやっても満たされない虚無感を抱えながら生きてきた。
セイバーズや探偵の仕事で人助けをやっていたのも、一番は自分自身の心を何かで満たしたかったからであり、何より自分自身の心を救う為だったのだ。気に入った女性を軽々しく口説いていたのも然りである。
しかしそれは、全て的外れな行いだった。
何も持っていなかった自分を、初めて肯定してくれた女性──ラファエル。
彼女の代わりなんて、どこにもいなかった。
他でもない彼女に記憶を封じられていた間、思えば無意識的に彼女の幻影を追い掛けていたのかもしれない。
生きていて一度として張り合いを感じなかったのも、求めていた存在が既にどこにもいないことを知っていたからなのだろう。
それはあまりにも虚しすぎて──彼の心を果てしない虚無に堕とした。
自分が戻る場所なんて、どこにもない。
セイバーズの仲間たちのように、翼の心には世界を救おうとまで自身を突き動かす感情が浮かばなかったのである。
それに……この世界で死ねば、またラファエルに会えるのではないかと思った。
天使は死を迎えた時、この世界の世界樹「サフィラ」にその生命を還す。あの女性も今は、この世界にいるのだ。
そんな地で自分も死ねば今度こそ……ずっと一緒にいられると思った。
それが今の風岡翼が、他の何よりもやりたいことだったのである。
そうか、俺は……ただあの人とずっと一緒にいたかっただけなのか──そこまで考えて初めて、翼は己の本当の思惑を理解した。
職業柄、肉親を失った者たちの姿は過去に何度も見てきた。その度に絶対に犯人を暴いてやると躍起になり、自らの手で捕縛し続けてきたのが翼だ。
しかし、事件が解決しても被害者の家族が本当の意味で救われることはない。それでも虚しさを抱えたまま生きていく覚悟を決めた彼らを見て、翼は「凄いな」と、強く尊敬したものである。
今になって、彼らへの尊敬がより強くなったように思う。
自分は彼らのように前を見て生きることはできない。
失ったらそこで終わりだ。
だからもう、誰の姿も目に入らなかった。
その筈……なんだけどな。
右手に携えた拳銃を持ち上げると、翼は続け様にトリガーを引き絞った。
銃口から放たれた二発の弾丸が、敵の右腕と左脚を吹っ飛ばす。
風岡翼の異能は「疾風」。自在に風を操ることで、風自体を叩き付けることはもちろん、自らが暴風を身に纏ったり、物質に対して付与することも思いのままだ。
そんな彼が操る武器が、文字通りのこのエアガンである。銃口から疾風の弾丸を放ち、圧倒的な弾速と破壊力で敵を粉砕していく。技名は「ウィンド・リボルバー」。
既に「フェアリーバースト」を発動し、その身に緑色の渦を纏う翼の姿は、額からおびただしい血を垂れ流しているものの五体満足だった。
それに対して女性的な姿をした漆黒の堕天使型のアビスはもはや虫の息である。
三十分ほど続いたこの激戦も、これでチェックメイトだった。
「ふー……ふー……!」
右脚だけとなった敵がバランスを崩し、辛うじて片膝を立てて身を起こしている。
彼の恩師ラファエルの姿を模倣した敵の姿を見て、翼の心に感じ入るものが無い筈が無い。その心は激しい憎悪で煮えたぎっていた。
後ろでは傷だらけの炎と長太が固唾を呑んで見守っているように、今の彼は平静ではないのだろう。
頭部から不格好なモノアイを露わにした堕天使型のアビスが、恨めしげに自分を睨んでいるのがわかる。姿は似ても似つかないが、ほんの一瞬だけ、翼はその背後にラファエルの姿を幻視した。
『もう、いい……もういいのよ、ツバサ……』
「──っ!」
幻聴が聞こえた瞬間、目を見開いた翼が最後のトリガーを引き絞る。
それでも銃口を逸らすことなく、彼が放った疾風の弾丸は敵の頭部を撃ち抜き、とどめの一撃となって完全に消滅させた。
あの時は、何もできなかった。
しかし異能使いとして成長して強くなった翼は、その手で姉の仇を討ったのである。
異能使いの手で葬られたアビスは二度と蘇ることは無い。
これで、姉の無念を少しでも晴らすことができた……
「ああ……」
「翼っ!」
「翼!?」
フェアリーバーストの状態が解除され、翼の身体がフラリと倒れていく。暁月炎と力動長太の慌てた声が響く。
しかし、崩れ落ちる筈だったその身体は最後の最後で抱き留められた。
気力と共に立つ力を失った彼の身体を支えたのは、柔らかくて、安心を感じる感触だった。
「……終わったね、ツバサ……」
T.P.エイト・オリーシュア。
いつものようにテレポーテーションで現れた彼女が、倒れる翼を抱き留めたのである。
放っておいてくれればいいものを……周りを囲む炎と長太と言い、この
ああ──この場所は、居心地が良すぎる。
傷ついた身体を包み込む優しい腕に、自らの心が解けていくような感覚に陥る。
お人好しな彼らは、未だにこんな自分を見限らないでいる。
それは、成り行きとは言え今まで助け合ってきた仲間だからだろうか。
だったら、俺にはその手を取ることはできないな……と、翼は思う。
完全に霧が晴れた夕焼け空の下、凄惨な戦闘の跡が広がる瓦礫の山の片隅で、丁度良い機会だと翼は駆け寄ってきた彼らに全てを語ることにした。
自らの過去を。
風岡翼が、今までセイバーズとして戦ってきた理由を。
「……そうか……お前にも、そんな過去が……」
疲れ果てたその身をT.P.エイト・オリーシュアに支えられながら、翼は全てを語った。
子供の頃に会った天使ラファエルのこと。
アビスが地球にもやってきていたこと。
先ほど戦ったアビス、深淵のクリファ「カイツール」の分体と相打ちになり、ラファエルと死に別れたこと。
この世界に来るまでそれらの記憶を彼女に封じられており、その間ずっと虚無感を抱えて生きていたこと。
真実にたどり着いた今、全てがどうでも良くなり──彼女の故郷であるこの世界で死のうとしていることを、全て明かした。
それは、嘘偽り無い思いである。
「……お前らが仲間だと思っていた男は、そういう奴だ。自分勝手で、いつまでも亡くした女のことを引き摺っている……情けなくて、弱い奴なんだよ……」
語るだけ語ったことで少しだけ心が楽になったのは、開き直って自棄になったからだろう。
もはや流す涙も無く、翼の顔には笑みすら浮かんでいた。
それはもちろん、他ならぬ自分自身への呆れ笑いである。
「俺は、お前たちとは違う。戦う理由が無いんだ……誰かを守ろうという気も無ければ、掴みたい未来も無い……どこまでも薄っぺらで何も無い、空っぽの人間さ……」
何の為に戦っていたのか、今までどうやって生きていたのかもわからなくなった。
異能は強くなっても、無力だったあの頃と何も変わっていない。翼は虚ろな目でかつての仲間たちの姿を見つめ、そう自嘲した。
「笑っちまうよな。俺は今まで記憶にもなかった姉さんの幻影を追い掛けてきたんだ……偉そうにヒーローの真似事なんてしてさ……
「翼……」
ここにいるのは彼らのような光の心を持った救世主などではない。叶わぬ願いを求めて意味も無く踊り続けてきた、哀れみの価値すらもない道化だ。
そんな翼にとって、炎たちの姿は眩しすぎた。自分の薄っぺらさが浮き彫りになり、もう一緒に戦えないと感じたのである。
彼らには未来がある。自分が手に入れられなかった未来が。
だから翼は、彼らには自分など放っておいてくれればそれで良かった。
こんな死に損ないの恩知らずのことなど、ここに捨て置いて……
「炎、長太……お前らは守れよ、大事なものを。俺みたいには……」
俺みたいにはなるな──そう言いかけた言葉を、止めた。
思わず、止めてしまったのだ。
その先を言わせまいと物理的に遮るように自らを抱き締めた、黒髪の少女の手によって。
「ダメだ」
背中に腕を回しながら抱き締めた少女は、翼の耳元で言い放った。
いつものような囁くような声ではない。
強く言い聞かせるような──叱りつけるような響きを以って、T.P.エイト・オリーシュアが叩き付けたのである。
「ダメだよ、ツバサ。そんなの、ダメだ……あの人が浮かばれないよ」
「浮かばれない……?」
「ラファエルがどうして記憶を封じたのかわかる? キミに真っ直ぐ生きてほしかったからに決まっているじゃないか」
「……!」
「イヤだよ……やめてよ……可哀想だよ。あの人も……キミも」
「……あんた……」
引き離そうとする翼を押さえ込むように、エイトが強く抱き締めて語り出す。
その瞬間、彼の身体が震えた。彼の心の内で最も触れられたくなかった部分を、彼女に突かれたからであった。
そして、彼女自身の腕が震えているのも伝わってきた。
それがどこか……悲しそうだと思った。
だが……それでも、翼は──
「あんたに何がわかる……俺には、何も無かった……俺にとって人生の全てが、あの人だったんだ。それを、あの人は……ラファエル姉さんは……!」
他ならぬ自分の全てを捧げたいと思った相手によってその思いすら封じられて生きてきたのが、風岡翼という男だ。
もはや生きる目的も意味も失い、自分自身に何の価値も見出せていない。
だから、もういいのだ──そう拒絶しようとした翼の視線と、エイトの翠色の瞳が真っ向から交錯する。
思わず心が跳ねる。心臓が鷲掴みにされたようだった。
『ダメよ、ツバサ。そんなことをしたら』
「……っ」
再び、言葉が詰まった。
翼の姿を映すエイトの瞳が似ていたからだ。
子供の頃、異能の間違った使い方をした自分を叱りつけた時の、
そんな彼女は翼の両肩を掴みながら、まばたきも許さず言った。
「遺された者の気持ちは……ボクにはわからない。だけど、遺していった者の想いはわかる。ボクも、そうだから……」
大切な人たちを……遺してしまったから。
そう言って、今度は慈しむように翼の手を両手で掴んだ。
ハッと目を見開く翼を見据えて、エイトはここにいない誰かと彼の姿を重ねているかのように、申し訳なさそうな顔で言った。
「キミにとって、ラファエルの置き土産は呪いだったのかもしれない。だけどあの人は、それでも自分の存在がキミを縛り付けるのを良しとしなかった……キミのことが、一番大切だったから。ずっと忘れられたままでも、それで良かったんだ」
「違う……俺は……っ」
「思い出して、ツバサ。あの人が最後に遺した言葉を」
「──ッ」
わかっていた。
彼女の行動の意味なんて、あの時から。
自分の死をいつまでも引き摺ることがないように、風岡翼という空っぽの人間が本当の意味で成長してほしかったという思いには、気づいていたのだ。
だけど、彼女がそうまで大切に想うほどの価値が、自分にあるとは思えなくて……今こうして生きている自分がただひたすらに申し訳なくて、自分自身がいなくなりたいと思っていた。
何も手に入れることができなかった……何も守れなかった自分のことを、許してはいけないと──そう思っていたのだ。
しかし、彼女は。
そんな自己否定が強く、いつもナーバスだった風岡翼のことを思えばこそ、最後に言い残していったのだ。
『ツバサ、私は肯定する。たとえ他の誰かが貴方を否定しても、私は貴方を愛している。そんな私のように、貴方もいつか……貴方のことをちゃんと理解してくれる人と、出会える筈』
俺は……!
「キミは、未来の為に生きなきゃダメだ。逃げるなんてボクが許さない」
『貴方は未来を生きなさい、ツバサ』
エイトの言葉と、ラファエルの言葉が重なった。
その瞬間、翼の瞳から一筋の雫が滴り落ちていく。
それは八年前のあの日から一度も流すことがなかった──涙だった。
そんな彼のもとに歩み寄りながら、翼の左肩に手を置いて、力動長太が言う。
「そうだぜ翼。お前にはまだ、何も借りを返してねぇんだ。……俺たちは、何度もお前に助けられた。お前が自分のことを無価値に思っていようとなんと思おうと、俺にとってお前は乗り越えたい壁の一つなんだ。決着も付ける前に勝ち逃げするなんざ、俺だって許さねぇ」
次に、翼の右肩に手を置きながら暁月炎が言い放つ。
「お前がいなかったら……俺は自分の望みを何一つ叶えることができず、PSYエンスにやられていた。頻繁に暴走して当たり散らしていた俺のことを、いつも諫めてくれたのがお前なんだ。だから、お前は空っぽなんかじゃない。俺たちにとって掛け替えのない……大切な──仲間だ」
「……いいのか? 俺なんかが……一番大切な人さえ守れなかった、俺なんかが……」
「それでも、前を向いて生きていくんだ。未来に向かって。そうだろう? 風岡翼」
「……未来に……か。……そうだな……ああ……お前らの、言う通りだ……っ」
仲間たちの手の温かさで、空っぽだった心が少しだけ満たされていくのを感じる。
その時、声が聞こえた。八年前まで共にいた最愛の人──ラファエルの声だ。
『だから私は、貴方の行く末を祝福するわ……いつまでも』
翼の顔に、自然と笑みが浮かんでいた。
そうか、俺は……
「……俺は……生きる……」
貴方のいない、この世界で。
この仲間たちの中で。
貴方に託された世界で。
「世界に吹き抜ける……貴方のような、一陣の風になって……」
そうして再び、少年の時が動き出した。
依然、罪悪感と深い悲しみは残り続けていく。だがそれでも、まだ自分にできることを探してみたいと──そう思ったのかもしれない。
それとも……
「……姉さん……」
自分ではない。
ぼそりと呟いた少女の言葉に、翼は目を閉じて小さく息を吐く。
姉さん、か……もしかして、あんたも……
ヒーローごっこはまだ続いているということなのだろうか……自らの胸の中で、ほんの一瞬だけ寂しそうな顔を浮かべた彼女の姿が、何故か放っておけないと感じていた。
悲しい思いは誰にだってしてほしくはない。そう思っている感情もまた自分自身のものであることに、翼は気づいたのだった。
勝因 おっぱい