ここはある山の峠。
この峠は世間的にも有名で、休みの度にウマ娘達がトレーニングのためにやってくる。
その理由は、道が全て芝になっているからだ。
使われなくなった旧道をウマ娘達のために市がお金を出して、全ての道を芝にしたのだ。
短い直線に激しいコーナーの連続が、瞬発力とコーナリングテクニックと瞬時の判断力を身に付けるのにはもってこいの場所で、トレセン学園から近いという理由で学園の課外授業としても使われることが多い。
課外授業以外の時間にも走り込みをしているウマ娘は少なくはなく、誰が一番早く登れるか、下れるか、タイムを計り競い合うことも多々見られる。
そんな中、その峠には昼には現れない、かつての走り屋のようなウマ娘がいた。
昼に走るウマ娘達には知られることの無い影の最速レコードウマ娘。
そして、他称ダウンヒルの最強のウマ娘。
そのウマ娘の名前は「パンダトレノ」。
かつての時代を彩った車のように、彼女もまた時代を彩っていく。
* * *
私は一般家庭に生まれたただのウマ娘。
日課は山頂の丘まで全力疾走し、疲れたところでぼけーっとすること。
学業サボりを癖とした、堕落したウマ娘とも言う。
私の名前はパンダトレノ、髪の毛がパンダっぽいモノクロカラーだったのと、お父さんが例の車のオーナーだったからという理由でこの名前になった。
走るのは得意だし、コーナーだったら誰にも負けない自信は一応ある、下り限定だけど。
登りについては明らかなパワー不足のせいでどんなウマ娘相手でも勝ち目はほぼゼロだから、別に登りをどうこうしようってつもりは一切無い。
今日の配達の準備を済ませた。
私の家は山の麓で青果店を営んでおり、山の向こうにあるお店まで毎日配達をしているのだ。
配達は前までは車でやっていたが、山道の全てに芝が敷かれた時からは私が走って配達している。
配達先は小さいお店で配達量もかなり少なく、緩衝材で仕切ってあるリュックサック一つ分だけだ。
だから私はそれに加え、学業サボりのための道具も用意するのだ。もう一つのリュックサックに濡れタオルとタオルケット、腰巻きバッグにはレジャーシートと空気枕を詰め込む。
私は自分のリュックサックをまず背負い、その上に配達品の入ったリュックサックを背負う。
これは私の背中からの熱で果物と野菜をダメさせないためだ。
涼しいうちに行こうと、台所にいる母さんに顔を出さずに玄関まで直行する。
シューズに足を突っ込みしっかり靴紐を結んでいると、母さんがそれに気付いたのか台所の暖簾をくぐって出てきた。
「また山?」
「ん、学校暇だし」
「あんたねぇ、そんなんじゃ卒業できないわよ?……あ、そうそう」
母さんは何を思い出したのか、ポケットから一枚の紙を取り出して渡してきた。
「パンダ、これ行ってきなさい」
「これって……?」
受け取って見てみると、おそらく新聞に挟まっていたであろう広告紙で、そこにはいつも私が登っている山にウマ娘教育機関『トレセン学園』から有名なウマ娘がトレーニングに来ると書かれていた。
「ふぅん、トウカイテイオーって言うんだ」
「今ホットなウマ娘らしいわ。今日来て峠でバトル受け付けるらしいけど、勝たなきゃ晩御飯抜きだから」
「はー?わかったよ、勝ってくるよ」
「はい、弁当と水筒。入れてあげるから足下整えなさい」
「はーい」
靴紐をしっかりキツく絞めると、爪先で軽く地面を叩き踵を合わせる。
靴底と足裏がマッチさせて足から違和感が消えたところで母さんが私のリュックサックに弁当と水筒を入れ終えた。
「行ってらっしゃい、気を付けなよ」
「行ってきまーす」
私は外へ出て、ドアが閉まった音と同時に駆け出した。
まだ太陽が昇りきっていない薄暗い道路を駆け抜け、すぐに山道へと入る。
芝が敷かれているとは言え急な勾配、私の体力はどんどん奪われていき、30分も経てば肩で息をするほど体力は減り息は絶え絶えで、それでももう少しで着く山頂まで走っていく体力は残っていた。
だけど私はこの後の下りのために体力を温存することをいつも通り選び、山頂までは歩いていくことにした。
「やっぱり誰もいないや。この時間って涼しいし他に誰もいないのに、どうして皆来ないんだろう」
山頂の車の待避スペースだった場所に入り、一旦リュックサックを下ろす。
ここにはトイレ用の小屋(トイレだけのパーキングエリアみたいな建物)があり、私はその小屋の外にあるベンチに腰掛けた。
小屋の隣には階段があり、そこを下ると私が学校をサボっている時に居座っている丘に出る、今は行かないが。
リュックサックから水筒を取り出し喉を潤し、タオルで額の汗を拭う。
シャツの襟をパタパタさせ胸に空気を送り体を冷却させ、背中や胸にかいた汗も拭い、もう一度走り出す準備をした。
「さて、行こっと」
ベンチから立ち物を片付け、先ほどと同じ順番でリュックサックを背負い、ゆっくりと下りの道に向かって加速していく。
ここからが峠の名物とも言えようダウンヒルだ。
私は一つ目のカーブを曲がったところからトップスピードで走り始めた。
こんな速度で峠を下るウマ娘は正気ではないとどこかのメディアが言っていたが、慣れれば実はそんな事はない。
どんなに直線で速かろうがブレーキングさえ合えばどんなコーナーだろうと曲がれる。
私はトップスピードからコーナー前で足を若干斜めにすることでグリップを効かせ減速し、そのまま最短ラインを描きコーナーを駆けていく。
普通のウマ娘ならばそもそも走りを止めて減速するが、それでは峠を走るには遅すぎるのだ。
そんなことを繰り返しながらすぐに辿り着いた配達先のお店。迎えがお店の入り口で待っていた。
「おはようパンダちゃん」
「おはようございますおじいさん。はい、今日の分です」
「おう、ありがとさん。代金は今月分まとめて振り込んであるから」
「母から聞いています。それでは、また明日。失礼します」
私は中身が無くなった配達用リュックサックを小さく畳み私のリュックサックに入れる。
靴のコンディションを確認してからまたすぐに走り出す。
下りを帰るのだから当然登り、頂上に着く頃にはもうヘトヘトだった。
行きの時に休んだ頂上の小屋の隣の階段を下った場所にある丘に着き、私はリュックサックを下ろして、そこからレジャーシートを出して広げた。
シューズを脱いであぐらをかき、スポーツドリンクで喉を潤す。
「……っぷは、やっぱ走った後の一口は美味しい、最っ高」
私は濡れタオルで身体中の汗を拭き、ジャージを脱ぐ。
上がインナー一枚になり、吹く風を肌に感じる。
私はさらに枕とタオルケットを出して、シートの上で横になった。
「タイマーは……5時間後でいっか」
スマホのタイマーをセットして、私はタオルケットにくるまる。
目を閉じると襲ってくる疲労と睡魔を私は抗うことなく受け入れ、屋外での二度寝を決め込んだ。
* * *
トウカイテイオーが来るその日、パンダトレノが通っている地方トレセン学園は大騒ぎだった。
多くのウマ娘達が興奮して、燃えていた。
どのクラスでも話はトウカイテイオーで持ちきりで、中には授業をサボって見に行こうとした奴もいたが、見事に教師に連行されていった。
あるクラスにて。
「くぅ~っ!あのトウカイテイオーがこの峠に来るなんて、スゴすぎるよっ!」
机の上にテイオーに関する新聞の切り抜き記事をたくさん広げているのは、この学校のレース場で学年を越えても一番遅いことで有名なウマ娘「ハチゴー」だ。
「なんだよハチ、そんなの持ってきてよ」
「ヘェ~、めっちゃいっぱいあるじゃんか。お、この記事俺も見たぜ」
「あっ、シル先輩!エイティ先輩!」
ハチゴーをハチと呼んだのは彼女の先輩、「シルビア」と「ワンエイティ」。
この二人はハチとパンダが通うバイト先の先輩であり、同じ学校に通っている先輩でもある。
「なんだ、パンダはまた休みか?」
シルビアが回りを見渡し、ハチの親友であるパンダが居ないことを知ると、またいつもの事かと気にかける様子もなかった。
「そうなんですよ先輩!もうあいつ、二度と学校来ないんじゃないじゃって思うと心配で心配で」
「まぁわからんでもないけど。でもあいつがいるのってどうせあの丘だろ?」
「多分そうだと思いますけど……あ」
ハチは何かを思い出したのか、どうしたと聞くワンエイティの声を無視して鞄を漁り、一枚のチラシを凝視した。
「ちょ、ちょっとシル先輩、エイティ先輩、これ見てくださいよ!」
ハチはテイオーが大きく載っているチラシの、開催日時と開催場所を指差した。
「ナニナニ?『今週水曜日の正午、峠のバトルを受付ます』?……水曜日って、今日じゃないか!?」
シルビアがそう叫ぶと、ワンエイティがマジかとそれに同調した。
「ヤバイですって!山頂ってことはパンダがあそこにいたらトウカイテイオーにバトル仕掛けられちゃいますよシル先輩!」
「ああ、確かにこれはヤバイな。どうするエイティ」
「お、俺に聞かれても……電話すればいいんじゃないか?」
「そうかその手が!……すまん、スマホ忘れた」
くっそーと嘆くシルビアにハチがそっと「私も忘れましたァ」と言い、二人の視線がワンエイティに集まるが、ワンエイティは肩を竦めて首を振った。
「マジかよ……放課後まであいつ、バトルしないでくれるといいんだけどな」
シルビアは窓からパンダがいる丘を見た。
「……バトル受けないでくれよ、パンダ」
* * *
夢を見ていた。
ひどく懐かしい夢。
昔お父さんがやっていた、峠の向こうにあるお店に野菜を配達する姿を。
まだ峠が芝じゃなかった頃、お父さんはよく私を車の助手席に乗せて走ってくれた。
『トレ子』
『なぁにおとうさん?』
お父さんは私の事をトレ子と呼んでいた。
他のみんなはパンダと呼ぶけど、お父さんはトレノっていう言葉の方が好きだったらしい。
『お父さんはな、もうここを走れなくなるんだ』
お父さんはハンドルを切り、足と横のレバーをぐいぐい動かしながらそう言った。
『この道は芝が敷かれるんだ。お前たちウマ娘のために』
『えー!わたし、まだおとうさんとこの道走りたいよ!』
私は駄々をこねた。
バケットシートだったから大きく暴れることはできなかったが、それでも当時の私は全力で暴れた。
しかしお父さんは何も言わず、ただコーナーでリアを流していた。
暫くして配達先のお店に着き、お父さんが荷物を下ろし終えると、私を車から下ろしボンネットの上に乗せた。
そして、私の頭を撫でた。
『実はなトレ子。このハチロク、スクラップにしようと思ってるんだ』
スクラップにする、その言葉は幼い私でも感覚で理解できた。
このハチロクが、お父さんが乗るハチロクが大好きだった私は、その場で泣き出してしまった。
『おいおい泣くなよ。俺だって寂しいけど、時代なんだよ』
『いやいやあぁ!この車こわしちゃいやあ!』
『仕方ないだろ……でも、スクラップにしても捨てる訳じゃない』
『……?』
目元を真っ赤にしながら首を傾げると、お父さんはハチロクのルーフを撫で、ふっと笑った。
『お前がこの峠最速のウマ娘になって、いつかプロと戦うことになったらわかる。お前はこのハチロクになる。俺の乗っていたハチロクに、お前はなるんだ』
『……よくわかんないよおとうさん』
『今はわからなくて良い。いつか、その時が来たらわかる。さあ、帰ろう。ハチロクのラストランだ』
お父さんは私を助手席に乗せると、しっかりシートベルトを絞めた。
ふぅとお父さんが一息つくと、アクセルを一気に踏み込んだ。
ガオオオオッとエンジン音を轟かかせ、峠の登りへと……
シートへ押し付けられる感覚と共に、目が覚めた。
「……良く寝た」
夢が原因なのかはわからないが、パチッと目が覚めた。
半分ほど捲れているタオルケットを退かして起き上がると、その原因が背中の汗だったことに気づく。
「気持ち悪い……着替えよ」
タオルケットを畳みリュックサックへ突っ込み、着替えを取り出す。
この時間は誰もいないだろうと確信して大胆に服を脱いだ、その時。
「ピャーッ!」
「え?」
上半身最後の砦だったインナーを脱いだ私は半裸。
そんな状態で声がした後ろを振り向くと、そこには一人の背丈の低いウマ娘がいた。
「誰?」
私が聞くと顔を真っ赤にして手で顔を覆い、しかし指の隙間から私の体をチラチラ見ている目の前のウマ娘が、恥ずかしそうにしながらもちゃんと答えた。
「ぼ、ボクはトウカイテイオー!」
「トウカイ……あぁ、今日ここに来るっていうウマ娘」
「いっ、いいから早く服着てぇー!」
しょうがないと思いながら着替えて、しかし上がインナー一枚なのには変わりはない。
「やっと着てくれた……」
はぁと大きなため息をつきながら手をどけるトウカイテイオーだが、その顔はまだ赤かった。
しかしすぐに気持ちを切り替えたのか、幼さが目立つ顔を凛とさせ、私に聞いた。
「ねぇ君。ボク、今日ここでバトル受け付けてるんだけど、もしかして挑みに来たの?」
「まぁね。母さんに『勝ってきなさい』って言われたから一応来たんだ。正直乗り気じゃないんだけどね」
何気なくそう言うと、トウカイテイオーの耳がピクリと動いた。
「……乗り気じゃないのに、勝ちに来たの?」
「まぁ。勝たなきゃ晩御飯抜きって言われてるし」
「……ボクも舐められたものだね。ボクはキミがチャレンジャーだと思ったんだけど、キミはボクをチャレンジャー扱いしてるんだ、ふぅん」
トウカイテイオーの朗らかな顔が流れるように真剣な顔になる。
首を左右に動かして鳴らし、挑発するように体を解し始める。
「今からやろうよ。ボクがイチバン速いってこと、見せてあげる」
「やだ」
バトルをする前から既に勝ったつもりで言ってくるが、私の一言が想像もしなかったものだったのか、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
理解できない、そういう顔で首を傾げるのをよそに、私は空を指差した。
「まだ眩しい。コーナーで角度変えたときに目眩ましされたら事故になっちゃうかもしれない。だからやるのは夜」
私はそれだけ言いリュックサックから弁当を出す。
トウカイテイオーにどっか行けと手を払い、私は昼食へと洒落込んだ。
「……なんだよぉ、せっかく走れると思ったのに」
口を尖らせながら私に背を向けるトウカイテイオー。
私から顔が見えなくなった所で口角を釣り上げたのは、見なくとも分かった。
だから私は、どんな勝ち方をすれば最も彼女を落ち込ませることが出来るかを考えた。
行き着く先は、一つだけだった。
「……アレ、使うかもなぁ」
この峠最速のダウンヒラーのお父さんと、どんな競バ場でも下りだけが異常に速かった、下り最速のウマ娘の母さん。
その二人が編み出した、誰よりも速いコーナリング技。
私はトウカイテイオーに、いざとなったらそれで対抗することを決め、弁当の中の厚揚げを頬張った。
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