完全に日が沈み、時刻は7時過ぎの夜。
私が言った通り、昼間だと日差しが危ないということでバトルは夜になった。
ギャラリーは一般人も含めかなり多く、テレビ局の物だと思われる大きなカメラや、各メディアの記者達がカメラを構えていた。
私は一通りの柔軟を終えた所でギャラリーに紛れ込んでいるハチ達に手を振ると、それに気付いてくれたらしく自らこちらへ寄ってきてくれた。
「来てたんだハチ。それにシル先輩とエイティ先輩も」
「来るに決まってるだろォーパンダ!あのトウカイテイオーとやるって聞いたときは驚いたけど、お前ならやれるよ!応援してるぜ!」
「ありがとう、ハチ」
ハチはいつものように興奮気味で私を励ましてくれるが、シル先輩とエイティ先輩はその反対だった。
「パンダ、無理する必要なんて無いからな。とにかく事故るなよ」
「そうだぜェパンダ。向こうは現役で走ってる中央ウマ娘、しかもどんなレースでも負け無しのトウカイテイオーだ。私たち地方ウマ娘じゃ到底太刀打ちできないウマ娘だからな」
「そ、そんなに速いんですか、あのトウカイテイオーってやつ」
メディアも全く見ない私からしたらその名は昨日聞いたばかりの物だったせいで、素朴な疑問はギャラリーからの嘲笑を買ってしまう。
「そ、そんなに速いんですかって、知らねぇのかよ!トウカイテイオーっつったらデビューから今まで負け無しの、今世代最強格のウマ娘だぞ?ウマ娘同士なのに知らねぇって、どうかしてんじゃねーのか?ハハハッ」
「そうだぜ!トウカイテイオーの実力を知らねーのにバトルなんて、記事にする必要もねーぜ!」
主にメディア関係者から投げられる冷たい言葉にハチが猛反発する。
「なぁに言ってんすか!パンダはね、ウチの学校……ううん、この峠最速のダウンヒラーなんですよ!トウカイテイオーなんて……いや、なんてなんて言いませんけど、ぶっちぎりっすよ!」
一瞬、ギャラリーがしんとした。
ハチ自身が困惑し始めるほどの沈黙が流れ、記者の一人が吹き出したのをきっかけに嘲笑の嵐が再び私とハチゴーを襲った。
ハチは半ば涙目になってしまい、シル先輩の胸に顔を押し付けていた。
シル先輩はそんなメディア達を睨み付けていたが、言っていたのも事実だと言いたいのか、顔を伏せてしまった。
エイティ先輩も同じだ。
「……ここまでバカにされて、黙ってられないよ」
だから私は、敢えて嘲笑を買いにいくことにした。
これは勝算があるからこその行為で、終わった後にメディアに度肝を抜かせるためだ。
丁度柔軟が終わったらしいトウカイテイオーとそのトレーナーの下へ行き、ある提案をする。
「プラクティス、しといた方が良いんじゃないですか?」
刹那、周囲は爆笑で包まれた。
単純に呆れて笑うしか無い者、流石にネタだろうと笑い飛ばす者、そして先程と同じ嘲笑をする者。
しかしその言葉を言った人の全員が地元の人では無いことに、地元から見に来たギャラリーは気付いていた。
笑いの渦が引いて、静かになってから言ったトウカイテイオーの返事に、私は「やっとけばいいのに」と思ったが、その理由は黙っておいた。
「要らないよそんなの。それとも、ボクに体力を消耗させたいの?」
「……あっそう。じゃあ始めよっか」
トウカイテイオーの挑発を無視して私はゲートへと向かう。
なんだよぉと口を可愛らしく尖らせるトウカイテイオーを視界にも入れず、大人しくゲートで待機する。
その後ろでトウカイテイオーがギャラリーに自身の名をコールさせ、士気を高めていた。
数分後、満足したのかようやくトウカイテイオーはゲート入りし、私を見た。
「素人相手だからって手加減は無しだよ!全力で行こうね、この峠最速のダウンヒラーさん!」
「……好きにしなよ」
明らかに調子に乗っているトウカイテイオーをほぼ無視する。
トウカイテイオーは「この峠の最速レコードは既にちぎった」と記者に言っていたが、この峠の最速レコードは昼間に走るウマ娘のもので、私のものではない。
だから嫌味に反応することはしなかった。
暗い時間帯に峠で走る場合に両腰に装着することを義務付けられているライトの電源を、ダイヤルを回してONにする。
格納されていたライトが展開され、目の前の芝の道を照らす。
トウカイテイオーも同じようにツマミをひねり展開された状態のライトを点灯させ、出走の準備を整える。
トウカイテイオーのトレーナーが峠でのスタートのやり方を予め調べておいたのか、ゲートの横に立って手を掲げた。
「カウントいくぞォ!」
ギャラリーがどっと沸き、むさ苦しさが増す。
相変わらずシル先輩とエイティ先輩は心配そうな顔を向けてきているが、それ以上にハチが「頑張れよーパンダァ!」と大声で叫んでくれたのが嬉しかった。
「3、2、1……」
私はターフに沈むほどの力を脚を入れ、スタートダッシュの準備に入る。
心の中で、懐かしいエンジン音が聞こえた気がした。
「ゴーッ!」
トレーナーが歓声に負けない程の声を張り上げると同時に、ゲートが開く。
間違いなくスタートダッシュは成功したが、レースに慣れているトウカイテイオーの方が一枚上手だったようで、私よりも前についた。
「(まぁ後ろの方がやりやすいから良いんだけど)」
言葉ひとつが命取りとなる峠でのバトルでは、思ったことはあまり口にしない方がいい、母さんからの教えだった。
ぐんぐん離されていく距離に、私は焦りもしない。その必要が無いからだ。
「(へぇ、直線はえー)」
彼女に対しての感想は、それだけだった。
* * *
ギャラリーたちがどんどん小さくなっていくテイオーとパンダの背中を見ながら大興奮している中、ハチとシルビアとワンエイティは固まって今回のレースの行く末を予想していた。
「このレース、どう見ますか?シル先輩、エイティ先輩?」
腕を組み眉間にシワを寄せている二人は、正直にパンダが不利だとは言えなかった。
理由の一つはもちろん、ハチがパンダの事を信用しているから言うのを躊躇ってしまうからだが、その他にも不確定な要素がありすぎるからだ。
本来、峠での競技はタイムアタックだけと決められていて、その理由は、狭い道で並走だと接触したときの対処ができない可能性があるからだ。
つまり、今回のこのレースは禁止されている非公式レースなのだ。
今までテイオーが何度峠で走ったかはわからないが、並走はそもそも禁止されているから経験はゼロのはずだ。
ならば遊びで
テイオーは正規のトレーニングをこなし、完全にプロのボディを仕上げているのに対し、パンダはトレーニングをマトモにしていないアマチュアなのだ。
身体能力は経験を上回る絶対的な要素の一つでもあり、いくらパンダが熟練した峠ランナーだとしても、その差が開きすぎていれば敵う相手ではない。
今回のレースは下り、ダウンヒルだ。
ダウンヒルは身体能力の差が縮まることが特徴でもあるため、勝負はテクニックに重点が置かれる。
しかしそれは一概ではない。
たとえば、スピードが速ければちょっとでも長い直線で大きな差が生まれるし、パワーがあればコーナーからの立ち上がりを早くできるということ。
つまり、テクニックと熟練度の高いパンダと身体能力の高いテイオーは、どちらかに能力が偏っているだけで、その戦力としては五分五分なのだ。
「……正直、私はわからない」
「へ?シル先輩?」
「すまんハチ、俺もわからない」
「そんなぁ、エイティ先輩まで!?」
故に今回、二人は回答を避けた。
不確定要素が多すぎるこのレースにおいて、確定事項は一切ない。
たとえ予想を言ったとしてもそれは勘によるものと大して変わらないものになってしまう。
「私は信じてますよ、パンダが勝つのを!」
「あのなぁハチ、そんなこと言っても相手が相手だし」
「でもパンダも普通じゃねーんだよシル」
「……知ってるよ。だからわからないんだよ」
「同感。ここまでパンダを信じれるハチがすげーよ」
二人してため息をついて肩を落としていると、ハチが「そういえば」とスマホを取り出した。
「トウカイテイオーのライト、あれFDモデルのやつなんですね」
「エフディー?なんだそりゃ」
シルビアが聞くとハチはスマホの画面を見せた。
そこには「峠用ライト モデル一覧」という見出しのページだった。
峠には街灯が無いため、夜に峠を走るときにはウマ娘専用のライトを腰に着けることが義務付けられている。
朝早くから練習に来るウマ娘もいるためライトの需要は一定数あり、様々な形のライトが売られている。
一番ホットなのは、かつて峠を支配していた走り屋たちのスポーツ車のヘッドライトを模したライトだ。
ハチがシルビアに見せたのは、そのライトを販売している店の公式サイトのページだ。
「峠用ライトのモデルにした車の名前っすよ。サバンナ RX-7 FD3S。マツダのスポーツ車っすね」
「へぇ、そういうの詳しいのかハチ?」
「親父が好きでして。まー私はそれで覚えただけですケド」
「そうなのか。じゃあパンダのあれはなんだ?」
「それがですねシル先輩」
ハチは先ほどのページから一つ戻り商品一覧を見せてくるが、パンダが着けていたライトはどこにも見当たらなかった。
「どこにも売ってないんですよ。パンダに聞いてもはぐらかされますし」
「……なんだろうな。展開するライトなんて聞いたこともないし」
パンダのライトが気になってしまったせいで調べることに夢中になっているの二人に、ワンエイティがゲンコツをくらわせた。
「いてっ!なにするんすかエイティ先輩!」
「あのなぁお前ら!いつまでライトの話してんだよ、今はパンダの応援だろ?」
ハチとシルビアは「しまった」という顔をして大声でパンダへの声援を送る。
ワンエイティはそれを見て「こいつら本当に応援する気あるのかよ」と内心思いつつ、同じように声援を送るのだった。
トウカイテイオーが装着していたのはハチゴーが言っていた通り、マツダのスポーツ車『サバンナRX-7 FD3S』をモデルにしたライト。
理由は、トウカイテイオー自身が慕っているカイチョーことシンボリルドルフがこれの前期モデルである『サバンナRX-7 FC3S』のライトを持っているから。
対してパンダトレノは市販品の物は使っておらず、本物の『スプリンタートレノ AE86』のヘッドライトを加工して作ったワンオフのリトラクタブル式のライト。