随分時間がかかった上に今回で碓氷バトルが終わらないという。
次で絶対に終わるから中編にしてます。
パンダとライスさんが碓氷峠を駆け下り始めて少し経った頃、私たち三人はタブレットの画面に映る追跡ドローンの映像に釘付けになっていた。
まだパンダたちは二桁目に至らないほどの数しかコーナーを抜けていないが、見てる私たちはパンダがもし崖に激突したら、ミスで谷底に落ちてしまわないかと気が気でない状態がさっきから続いたままだ。
特にシル先輩は祈るように胸の前で手を組んでいる。
このバトルを引き起こしてしまったという罪悪感も伴って、きっと心は今にも押し潰されそうになっているのは想像に難くない。
私はシル先輩の組んでいる手のを優しく包み、力の入っている指を解いてあげた。
「は、ハチ……」
「シル先輩、パンダは大丈夫です。悔しいけど、アイツは峠のスペシャリストなんです。例え初めて走る峠だとしても、絶対に無事に帰ってきますよ」
「でも……さっきからパンダの後姿はふらついてて……私、怖い」
「きっとまだ自分のペースを掴めてないんですよ。信じましょう。シル先輩は秋名スピードスターズのリーダーでしょ?チームメイトを信じなくてどうするんですか」
「ハチの言う通りだぜシル。ここは見守るしかねえんだ。送り出した者がしなくちゃいけないのは、信じることだけだぜ?」
「ハチ……エイティ……そう、だな」
三人が見守る画面の向こうでは、パンダがふらつきから立ち直りつつあった。
加速減速を繰り返してコーナーを抜ける度に、パンダはライスさんとの距離を縮めていった。
そしてパンダがある直線を過ぎた時、三人は見てしまった。
ライスさんが足の回転を止めて、慣性だけで芝を滑って移動して、コーナー終盤で足を回してあっという間にコーナーを抜けていく姿を。
そして、それを真似して同じように滑りながらコーナーを抜けていったパンダの後ろ姿を。
予想だにしなかったその光景に、私たちは三人とも固まってしまった。
数秒間の完全な思考停止は、後ろから投げられたライスさんのトレーナーの言葉により再起動を果たす。
「何よ、あんたたちドリフト走法を知らないの?」
「ドリフト走法……?なんです、それ」
「……走り屋ウマ娘なら知ってるのが当然だと思ってたわ。あんたたち、結構物知らずなのね」
トレーナーはこめかみに指をあててため息をついて、片手で持っているPCから視線を私たちに移してその説明を始めた。
「ドリフト走法っていうのは、車でやるドリフトを模倣した走り方のことよ。簡単に言えば、意図的に脚を滑らせる行為を混ぜた走り方ね」
「意図的に脚を滑らせる……?それって、アンダーのことか?だとしたら滅茶苦茶危ない行為なんじゃ……」
「似てるけど違うわ。アンダーはゴム蹄鉄のグリップ力を超えて滑ってしまってラインを外してしまうこと。スピードも落ちるしラインも修正しなきゃいけない、百害あって一利なしだわ。
それに対してドリフト走法は、わざとグリップ力を超えたスピードでコーナーに突っ込んで、滑っている時にかかる摩擦力をブレーキとして使って適正スピードに調節する。ラインの上を走るんじゃなくて、滑っていく。コーナー後半にはゴム蹄鉄のグリップの効く適正スピードになるから、そこから即座に加速してコーナーから脱出できるわ。時と場合によってはグリップ走法よりも速く走れるのが、ドリフト走法よ」
私たちは顔を見合わせ、全員でなるほどと頷いた。
タブレットの画面に視線を移すと、パンダがライスさんの背中に必死ながらもピッタリ張り付いていた。
次々に迫るコーナーに、まるでライスさんの走り方を、ラインをトレースしたかのような走り方で駆けていく姿に、私たちは固唾を飲む。
慣れている相手の走り方をトレースなんて、普通のウマ娘じゃできない。
でも目の前のパンダはそれをやってのけているのだ。
「……ライス、出し惜しみはもう無しよ。……そう、突き放すの。相手が才能の塊だろうと、あなたならできる。碓氷のブルーインパクト、その二つ名の実力を見せてあげなさい」
いつの間にか私達から距離を取ってシルエイティのドアに背中を任せているトレーナーさんが、PCの画面を見ながらライスさんの名を言いながら通話をしていた。
私はタブレットの前から立ち、トレーナーさんの場所まで移動して後ろに立ちPCを覗く。
そこにはライスさんの後姿とパンダの正面姿の二つのライブ映像が流れていた。
「……通信ですか」
「ええ。パンダちゃんからはOK貰ってるわ。その場その場の状況からどういうい走りをするか、それをインカムで指示するの」
私はトレーナーさんの言葉に目を細めたが、パンダが許可をしたことに外野がどうこう言うべきではないと引き下がる。
シル先輩とエイティ先輩は変わらずタブレットに釘付けになったままで、私が移動したことには気づいていない。
私はそのままトレーナーさんの隣に移り、PCの映像を無言で覗き込む。
トレーナーさんは私の行動に何か用かと聞いてきた。
「どうしたのハチゴーちゃん。あっちで観ないの?」
「……終わった後、トレーナーさんに聞きたいことがあるので」
「ふぅん……ま、終わった後なら相談でも何でも乗るわ。でもここで観るなら、今は大人しくしててね」
私は頷きトレーナーさんの隣に居座る。
画面の向こうでライスさんに必死に食い下がるパンダに流石だと感服しつつ、苦しいだろうに浮かべている笑顔に決定的な違いを思い知らされているような気分になった。
私もあんな風に誰かを追いかけられたら、そんな僻みと願いを「今だけは」と胸に押し込んだ。
* * *
あの二連コーナーを過ぎてから、もういくつのコーナーを抜けて来ただろう。
勝負どころのC121がもうすぐそばまで迫ってきてしまっているというのに、パンダさんを全く引き離せていない。
お姉さまの指示通りの走りをしているというのに、完璧な走り方のはずなのに、パンダさんとの距離はむしろ近くなっている。
私のペースが落ちたわけでもないし、どこかでラインを外れたわけでもない。
負けられない気持ちが私の走りを今までにないほど繊細に、かつ大胆にしているけど、パンダさんはそれを完璧にトレースしてピッタリくっ付いてくる。
集中力が欠け始めているのは自覚できるし、だからと言って走りが雑になっているわけでもない。
今のままでいいのか、このまま走り続ければいいのか、疑問が頭の上でグルグルし始めてきた時、インカムからお姉さまの声が飛んで来る。
『ライス!集中しなさい!』
「っ……!うん!」
『次、グリップ!焦らないで行きなさい!』
「うん……っ」
自覚の範囲外で、やはり集中力が欠けているような動作が出てしまっているのがお姉さまの言葉でわかった。
私は後ろからのプレッシャーを振り切ろうと、パンダさんが身体能力的に出せないスピードを出して直線で突き放す。
短い直線で一気に距離を作るが、それが悪手であるとお姉さまは叫んだ。
『オーバースピードよライス!減速して!』
「……っ!」
既に次のコーナーが迫ってしまっている今、できることは踵を使ったフルブレーキングで減速することだけ。
コーナーへの進入スピードは普段より明らかに速く、ゴム蹄鉄がスピードに耐えれず滑ってしまいコーナリングの適正ラインから膨らんでいってしまう。
後ろから聞こえる足音はコーナーに入る前よりも近くて、直線で作ったと思った二バ身ほどの差がたった一つのコーナーで埋まってしまった。
『ライス!もう後ろは気にしちゃだめ!前だけ見なさい!』
「わ、わかったお姉さま……!」
難しい課題だけど、それをできずにパンダさんには勝てない。
そう感じた私は耳を前向きに畳んでお姉さまの声以外の音をシャットアウトし、視線を私のライトが照らす場所より少しだけ遠くを見つめる。
ふぅーと細く長い深呼吸を済ませて、肺の中の空気と頭に巡る焦りをリフレッシュした。
インカムからのノイズだけが静寂の中に響き、気づけば流れる景色は先ほどよりも広く見えた。
『いいライス?このレースはあの娘がライスのために……あなたの
「!……そうだねお姉さま。ライス、もっとがんばる……!」
『そうよライス!サイコーのラストバトルにしましょ!次、グリップ!』
「うんッ!」
右、左、右と連続で続くコーナーにお姉さまの言う通りにグリップで突入していく。
連続するコーナーはどれだけスピードを殺さずに走るかが全体のつながりとスピード、そしてタイムに直結する。
バトルではそれができるかできないかで勝敗が決まってしまうこともある。
「(ここで、このスピードで!)」
焦っていた時とは違う景色が見えている今、今までに経験の無いスピードでコーナーを駆けても滑る不安を感じることは無い。
足裏のゴム蹄鉄は最適なパワーを芝から脚に跳ね返して、私の加速力を段違いに跳ね上げる。
加速すればするほど増える漫画の加速線のような物は現実の視界を蝕んでくるが、冷静な頭が見えない場所をイメージで補ってくれる。
『ライス!そろそろC121よ。勝負をかけるわ!』
「わかった!」
『限界スピードを超えるスピードで!めいっぱいグリップ力を使って走るのよ!碓氷峠の最高難易度のコーナー、あなたと同じスピードで突っ込んでクリアできたウマ娘はまだいないんだから!』
「うん!やるよお姉さま!」
私は今までどんな相手でもこの先のコーナー、C121で勝負をかけて勝ってきた。
なぜならばここが碓氷峠で最も難しいコーナーであり、私が最も得意とするコーナーだからだ。
このC121は入り口はとても広く、一見フルスピードで突っ込んでいけるコーナーだと思いがちだ。
だけどそれは入り口だけのお話。
後半は入り口と比べると考えられないほど狭くなっていて、勢いよく突っ込んでいけばラインが膨らみ鉄製のガードレールに直撃してしまう。
最速タイムでこのコーナーを攻略するにはコーナーへの進入スピードとコーナリング中の加速タイミングと最適ラインが重要で、これは初見でクリアできるほど単純なものではない。
何十回も繰り返しコースを走り込み、どうすれば最速タイムを出せるか、どうすれば一番スピードを乗せられるか知って初めて理解することが出来ることなのだ。
C122コーナーを抜けC121が姿を現した。
真っ暗でもわかるほど大きな口をポッカリ開けている。
『コーナー先に障害物も無い!いつも通りのラインでいくよ!』
お姉さまの声と合わせて、コーナーに入るための踵ブレーキングを少しだけする。
最高速度から若干落ちただけのハイスピードでコーナーのアウト側に行き、インに目いっぱい切り込んでいく準備をする。
後はお姉さまの合図で、脚を全力で回すだけ。
脚が沈むような錯覚を覚えるほどゴム蹄鉄がしっかりと芝を噛み、いつでも加速できる状態になった瞬間、お姉さまの声が耳に飛び込んできた。
『ハデに行こうよライス!……ゴーッ!』
加速体勢のままコンマ何秒か溜めた脚が、お姉さまの合図と共に溜めていた脚が爆発的な加速力を持って私を突き出す。
コーナーのイン側ギリギリに向かって矢のように飛んでいき、そのままの勢いでコーナーを曲がり始める。
あまりに高い横Gにゴム蹄鉄が捻じれてグリップの効き具合が若干変化するものの、そんなことは今までのバトルで経験済みだ。
今よりもスピードを出せばグリップの限界を超えて滑って行ってしまうし、あまりにスピードを落とせばグリップ力が効きすぎてしまい疑似的にブレーキング状態になってしまう。
今必要な走りは「適切なスピードの走り」であり、それ以上でもそれ以下でもないということだ。
だけど、それが必要なのはコーナリング前半であって、後半はそうではない。
どんなコースでも同じだが、コーナーの後半というのは言わば立ち上がり、パワーと加速力が物を言う。
コーナーに侵入するスピードの上限というのは、体格等の個人差を除けばほぼ皆同じだが、そこから先はどれだけ他より早く加速できるか、どれだけ早く最高速に到達できるかがそのまま相手との差になる。
私はコーナー後半に差し掛かる寸前にストライドを狭め足の回転数を上げて、何度も見てきたバクシンオーさんの末脚のように加速する。
コーナーに入ってから今までに落ちてしまったスピードを取り戻すように加速し、狭い出口のアウト側のガードレールを撫でるようにスレスレを駆ける。
一瞬で終わった最高難易度のコーナーでは、いつもなら終わった瞬間に無事に抜けれて安堵して一瞬だけ気を抜かしてしまうが、今回はそんなことをしている暇はない。
普段の相手ならば無くなっているはずのライトの光と足音が消えていない。
「(……すごい)」
圧倒的な走りに私は驚嘆したが、インカムの向こうのお姉さまは違う感情を抱いていたらしい。
もう目前に次のコーナーを控えさせているのに、お姉さまは指示ではない言葉を声を震わせて言うだけだった。
『……勝てない』
「……お姉さま?」
『……ライス。私たちは……桁違いの怪物を相手に選んじゃったみたい』
いつものようなお姉さまはインカムの向こうにはおらず、私は独断のみでコーナーに突入することを余儀なくされた。
現状のスピードやその他のコンディションでどう走れば正解かをいつもお姉さまが教えてくれていたのに、それがわからない今の私は自信を持てずに走るだけ。
だけど私は現状に観念してパンダさんとのバトルを、シルビアさんが作ってくれたチャンスを無駄にしたくない、その一心で脚を回した。
不安と危うさに包まれたふらつくコーナリングもなんとか抑え込み、パンダさんに抜かれることなくコーナーを立ち上がっていく。
「(お姉さまの指示が無くても走ることだけはできるんだ!絶対に負けたくない……!絶対に、負けるもんかっ!)」
心にあった火が、残光を残す蒼い炎に変わった気がした。
ワタナベホイール買いました。
色を変えるために現在剥離中…