年明け前に投稿出来て良かった…
前回のあとがきで「次でライス編は最後です」と言ってしまった手前、この一話で終わらせなければならなくなり、その結果一万文字を超えました()
現実では雪が降り積もる中、今回は水着回です(頭おかしいッピ)
碓氷峠で行われたライスさんとの一戦から一週間、私は迎えに来た青色のスポーツカーに揺られて軽井沢に再び向かっていた。
高速道路を縦一列で走る二台の同じ顔の車のうち、私が乗っているのは後ろを走る車。
前を走るのはシル先輩のシルビアS13という車で、ライスさんが同乗している。
私が乗っているのは、ライスさんのトレーナーのシルエイティという青色の車だ。
運転席にはトレーナー、助手席にはエイティ先輩、後部座席には私とハチが乗っている。
「いやー、まさかライスの方からシルビアちゃんの車に乗りたいって言うとは思わなかったわ」
「先週はちょっとギクシャクしてたのに、もう仲直りしてさ。なんだかんだ仲良しなんだよな、あの二人」
「そうねぇ。エイティちゃんにはそういう人はいないの?」
「私にゃボーイフレンドもガールフレンドも縁が無い存在だね。私の彼氏は180SXだけだぜ」
「車が彼氏ねぇ……エイティちゃんは典型的な結婚できない女ね」
煽られるエイティ先輩だが、相手が運転中なためちょっかいを出せず、鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
トレーナーは基本的には優しい人なのだが、見ていれば何故かエイティ先輩にだけ当たりが強い。
私やハチにはそんなことないのに、そう外の流れる景色を見ながら思っていると、先ほどエイティ先輩に投げられた質問がこちらにも投げられた。
「パンダちゃんとハチちゃんは?そういう色話は無いの?」
「無いっスね。特にここ最近は」
「……私も特には」
「エーッ……あんたたち、それでも華の女子高生?もうちっと青春したらどうなのよ」
「アレェー?『レースよりも恋沙汰なんてやる気ないのね』って言ってたの誰でしたっけ?えぇ、トレーナーさん?」
「……エイティちゃん、結構根に持ってるのね」
エイティ先輩からの予期せぬ反撃にトレーナーは狼狽え、片手で頭を抱える。
それから少し何か思ったのか、トレーナーはエイティ先輩に改まった口調で言った。
「……あの時はごめんなさいね。初対面だっていうのに、キツイ言い方しちゃって」
「第一印象から最悪だったよ。正直、よくこんな人が人を教える立場のトレーナーになれたなぁって思ったね」
「……エイティちゃん、手厳しいわね」
「当たり前だろ?でも、こうやって今謝ってくれたんだ。もうあんたへの恨みは無くなったよ」
「……ありがとう、エイティちゃん」
「その言葉はハチからも許しを貰ったら聞いてやるよ」
私はお話についていけていないけど、エイティ先輩はトレーナーのしでかした何かを水に流したが、どうやらトレーナーはハチにも何かをしたままらしい。
ハチは特に気にしていない様子ではあるが、トレーナーはそうではなかったようだ。
「ハチちゃん、ごめんなさい。あんな言い方で迫っちゃって」
「いえ、大丈夫っスよ。特に気に障ることも言われてませんし」
「……そっか。ありがとう、二人とも」
トレーナーはしっかりハンドルを握り、シル先輩の車を追い続ける。
エイティ先輩とハチは……特にエイティ先輩は、トレーナーからの謝罪で気が晴れたのか、清々しいほどの笑顔を窓の外に向けている。
運転中のトレーナーがそれに気づくことは無いだろうが、きっと二人の関係はこれから良いものになっていくのではないかと思った。
この二人の間に何があったのか、私は全く知らないけど。
互いに何も喋らず、運転手であるトレーナー以外の各々がしたいことをしていると、降りる場所の名前が書かれた標識が視界を流れていった。
そろそろ目的地に着くか、私は足元に小さく押し込められているカバンを引っこ抜く。
そして忘れ物は無いか、改めて中身を確認する。
「さて、そろそろ高速降りるわよ。降りたらすぐそこにプールあるから、水着の準備しなさい」
「わかった。パンダとハチも……おい、ちょっと待てパンダ。お前、カバンの中にあるソレって……まさか」
「コレですか?これはですね……」
特におかしな物は持ってきていないはず、だって水着だし。
* * *
高速を降りて少し走った先にあるのは、今も出入りが絶えないプール施設だ。
今は夏真っ盛りなだけあり余計に人は多いが、それは夏だからというだけでなく、避暑地兼観光地である軽井沢に存在するからという理由もあるだろう。
私たちは来たタイミングが良かったのスムーズに車を停めることができ、すぐにプール施設に入ることが出来た。
水着の入った袋を後部座席から取り、私とライスさんは車から降りる。
少し離れた所にパンダたちが乗っているシルエイティが停まったが、どうやら少しハプニングがあったらしく、エイティが先に行ってろとジェスチャーをしてくる。
何が起こっているのか気になったが、エイティがそう言うならばと私はライスさんの方に向き直る。
「それじゃ、行こうかライスさん」
「うん……でも、その前に」
「ん?」
「シルビアさん、運転お疲れ様。ライスをここまで連れてきてくれて、ありがとう」
「……う、うん。運転は好き……だから」
私はまだ初心者マークの外れないドライバー一年生だが、パンダたちを乗せて運転することは多々ある。
しかしあいつらは簡単に礼を言うだけで、面と向かってちゃんとお礼を言ってくれるのはライスさんしかいない。
パンダたちとは仲が良いから別に構いはしないけれども、言われれば言われたで嬉しくなってしまうものだ。
少し頬が熱いのを日差しのせいにして、私はライスさんの手を引いて受付を過ぎる。
女性兼ウマ娘用の更衣室に入ると、そこにはカーテンで仕切られたいくつもの個別更衣室があり、空いているのは手前の一部屋と奥の方にある一部屋だった。
私は迷わず奥の方に行くとライスさんに伝えた。
「それじゃ、また着替えた後に」
「うん……あのねシルビアさん……」
「ん?どうかした?」
「えっと……その、楽しみに……しててね?そ、それじゃっ!」
恥ずかしそうにそう言い残して脱兎のごとく更衣室に入り込むライスさんに声をかける暇も無く、私は小さく息を飲むことしかできなかった。
私もすぐに更衣室に入り、私服を瞬く間に脱いで水着に着替える。
この日のために買ってきたライムグリーンの水着……レース生地で胸周り全体を覆うハイネックと、同じくレース生地のスカートのあるハイウエストを着て、ズレていないか鏡を見ながら確認する。
人前に肌を晒したくないため選んだ布面積が比較的多いこの水着だが、いざ着て鏡を見てみればそれなりに色気が出てしまっている。
自分で言うのは少し憚られるが、私はそれなりに胸がある方だと思う。
試着するのも恥ずかしくてサイズだけ確認して買ってしまったこの水着のレース生地が、私の胸の上に乗るとお腹とそれなりに距離のある場所に垂れてしまう。
身体の角度を変えながら鏡を見るが、横からの姿はあまりにも破廉恥である。
もっと胸の圧迫される水着を買えばよかったと後悔しても後の祭り、私はこれで行くしかないのである。
私は意を決して更衣室のカーテンを開け、プールへと繋がる通路の入口でライスさんを待つ。
スマホを弄りながら待つこと数分、下に向けていた私の視界の中に一人の脚が映り込む。
顔を上げてみれば、そこにいたのは水着姿のライスさんだった。
「し、シルビアさん……おまたせ……」
私の手からスマホが滑り落ちていく。
目の前の天使のようなウマ娘に見惚れてしまい、私は返事をすることすら忘れてしまう。
紺色のフリルフレアビキニを身にまとったライスさんの肌の露出面積は私よりも多く、小柄ながらも女性としての武器がしっかりあることを私に見せつけてくる。
胸、へそ、腰……全体像を見つつも眼球が自動的に各所を捉えて、果ては私の脳が勝手にその視覚情報を永久保存ストレージにぶちこんでいく。
そんなことに処理能力の大半を使ってしまっていると、一切返事をしない私の顔を怪訝そうにライスさんが覗き込んでくる。
「……シルビアさん?」
「……え、あ」
「……もしかして、水着似合ってなかった……?」
私が返事をしなかったせいで悲観的になってしまうライスさんに、私は全力で首を横に振った。
「そっ、そんなことないっ!凄く似合ってる!というか……似合いすぎてて、どう言葉にすればいいかわからなくって……」
何の恥ずかしげも無く無意識にポンと口から出てきた言葉に、数秒の間を開けて私の顔は真っ赤になった。
それを隠すために落としたスマホを拾う名目として屈み、私は顔を伏せる。
落ちているスマホの真っ暗な画面に映る私の顔は耳まで真っ赤になっていて、スマホを手に取ったというのに立ち上がるのが恥ずかしくなる。
でもこれ以上ライスさんを待たせるわけにはいかない、こんな水着で歩き回るよりかはマシ、そう思い顔を上げると。
「似合ってる……えへへ、よかったぁ」
ライスさんの可愛さが爆発した。
スマホをすぐにハンドバッグに仕舞い、私は真っ赤な顔を腕で隠しながらライスさんに言う。
「い、行こうライスさん。エイティたちはすぐ来ると思うから……あ」
日差しの下に行けば顔が赤いのだって先ほどのように誤魔化せる、自分本位で人を催促しようとしたのを神は許さなかったのか、そのタイミングでパンダたちが更衣室に入って来る。
パンダたちと一緒にいるトレーナーは、私とライスさんを見て指を3本立てて更衣室に入っていった。
ライスさんはその指3本の意味をすぐに理解したのか、それを伝えるために私の横に並んだ。
「急がなくてもいいよシルビアさん。お姉さまたち、すぐ着替えるって」
「え……う、うん」
逃げ場が無くなったからこれ以上誤魔化しても仕方がないと、私は顔を隠していた腕を下げる。
それと同時に真っ赤な顔がライスさんに見られて私はからかわれると思ったが、ライスさんの口から出た言葉は私の知っているライスさんが言うようなものではなかった。
「シルビアさん。水着、すごく似合ってるよ」
「え……あ、ありがとう」
「でもね……ちょっと横から見ると……えっちかもしれない」
「エッ……エッッッ!?ちょっ、ライスさん!?」
笑われると思ったが意外や意外、そんな俗っぽい言葉が出てくるとは夢にも思ってなかったため、私は次はハンドバッグを落としてしまう。
先ほどはあまりの可愛さに脳がフリーズしたが、今回は理想のライスさんが崩れたことでフリーズした。
ライスさんも年頃という風に考えてみればすぐにわかることなのに、私はライスさんに理想を見すぎていたことを思い知らされる。
「……ライスさん」
「し、シルビアさん……?目が怖いよ……?」
「もしかして、むっつり?」
「むっ……!?し、シルビアさん!?」
処理を放棄した私の脳は「もしや」と思ったことを自動で口にしてくれるようになった。
ポンと出た圧倒的に失礼な言葉にビンタの一発や二発は覚悟したのだが、それに相当する衝撃など来るはずも無く、見ればライスさんは顔を真っ赤にしていた。
お赤飯と言いそうになったのは、なんとか我慢した。
「らっ、ライス……むっつりじゃないよ!」
「私の事、エッチとか言ったのに?」
「それは!……それはぁ~……!」
顔を両手で隠してもじもじするライスさんがあまりに可愛く、嗜虐心が煽られた。
もう少しだけイジってやろうと鼻息を荒くして調子づいている頭の中の悪魔を全力で殴り倒して、私は理性を保つことに成功した。
深呼吸を一つして煩悩を吐き出していた時、一つの更衣室のカーテンが開きトレーナーが出てきた。
「……ふふ、冗談だよライスさん。ほら、トレーナーさんも来たし行こう?」
「あっ……シルビアさんのイジワル」
「あの時の仕返し。これでチャラね」
「……ライスがパンダさんと勝負したいって言った時のことだよね」
「うん。結構ショックだったんだよ?あの後……」
「……あの後?」
私はこの後に続く「事故った」という言葉を飲み込んだ。
もしそんなことを話せば、ライスさんは間違いなく自分のせいだと思い込んでしまう。
せっかくプールでライスさんと遊べるというのに、それだけは避けなければならない。
落ちたハンドバッグを拾うために屈み、その間に代わりの言葉を探す。
「あの後…………実は」
「実は?」
「……ティッシュが無くて涙と鼻水垂らしながら帰ったんだ」
ポッと出た嘘にしては上出来だが、もう少し格好が付くものにはならなかったのだろうかと後悔した。
ショックで泣いたのは間違いではないし、鼻水だって垂らしたのも嘘ではない。
でもそれを拭かずに軽井沢から渋川市まで帰ったなど、あまりにダサすぎる。
「それは……ライスのせいで……ふふっ」
ライスさんはばつが悪そうな顔を一瞬したが、すぐ私に背けて肩を震わせた。
私が涙と鼻水を垂らしたまま運転している様でも想像したのだろうが、自分が原因だと分かっていながら笑っているのは酷くないだろうか。
でもライスさんが悲しまないためについた嘘で笑いが取れたのであれば、それでもいいかと私は肩の力を抜いた。
「おまたせ二人とも!って、ライスなんで笑ってるの?」
「お、お姉さま!これはね!えっと……」
「私の醜態を想像して笑ってたみたいです」
「し、シルビアさん!?」
「……ライス、そんな趣味持ってたっけ」
「ないよ!ライスそんな悪い子じゃないよ!?」
私は全力で否定するライスさんをよそにして、トレーナーさんの背中を押してプールへの通路を進んでく。
頬を膨らませて背中をポカポカ叩いてくるライスさんを連れて、私たちはプールへと駆け込んでいく。
炎天下のオアシスへ、天使と共に征くのだ。
奥の更衣室からハチが「スク水はやめろ!いくら貧相な身体だからって、人様に見せられるような身体じゃないからってスク水はダメだ!パンダァ!」と叫んでいたのは、エイティに任せることにする。
* * *
全員が集まりプールで泳ぎ遊びまわり一時間が経った頃、プールの運営が放送で全体休憩時間の合図であるチャイムを流した。
私達も含め多くの客は続々とプールから上がり、日焼を避けるためにプールサイドにあるパラソルの下や建物の影へと避難していく。
私とライスさんはプールから上がる際にパンダたちとはぐれてしまい、二人でパラソルの下に備え付けてある椅子に座っていた。
「パンダたちとはぐれちゃいましたね」
「うん。でもお姉さまから『こっちは大丈夫』って連絡が来てるから、休憩が終わったら合流しよ」
「わかった。それじゃ、ゆっくり休もうか」
私は椅子の背もたれに背中を預けて、足を放り出す。
長時間のドライブと水泳による疲労が一気に押し寄せたようで、体力と脚の状態はとても良いとは言えない。
そんな私に対してライスさんは余裕そうで、現役とそうでない者の回復力も含めた身体能力の差を見せつけられた気がした。
「……シルビアさん、大丈夫?」
「うぇ?……あ、うん。大丈夫大丈夫。ほら、脚だってちゃんと動くし」
「……脚が痛いんだね。ライス、マッサージできるから」
ライスさんが椅子から立ち私の前に来る。
私はライスさんにそんなことさせるわけにはいかないと立ち上がろうとした瞬間、思った以上の痛みが脹脛を襲い顔を顰めてしまい、椅子から転げてしまう。
「無茶はだめだよシルビアさん!マッサージしてあげるから、座って脚上げて!」
「いや、でも……」
「でもじゃないよ!脚はウマ娘にとって大切なんだよ!?後になって怪我でしたなんてなったら……危ないんだよ?」
「……」
ライスさんに言い聞かせられ折れた私は、ただ頷いて座り直し脚を任せた。
華奢な手指が私の足首から脹脛へと這い、疲労で固くなった筋肉をゆっくりと指の腹で押される。
一瞬走る痛みに続く気持ちよさに、変な声を上げてしまう。
ライスさんはそれをツボにはまったと理解したのか、近くの場所を入念に揉んでくる。
数分間揉んでもらえば痛みすらも気持ちよく感じるようになっていて、脚はあっという間に軽くなった。
「お、おお~!すごい!全然痛くない!」
大げさに言葉に出すがそれは事実で、私の足は屈伸からジャンプまでを連続でしても全く負担を感じなくなっていた。
そんな私の姿にライスさんは小さく笑みを零していた。
「良かった、これでまた遊べるね。ライス、まだシルビアさんと遊び足りないから……もうちょっとだけ、付き合ってくれる?」
「もっ、もちろん!閉場までだって付き合うよ!」
「ふふっ……そんなに長くいたら指がふやけちゃうよ。……でも、それぐらいシルビアさんとずっと、一緒にいられたらいいのになぁ……」
ライスさんの笑みは次第に無くなっていき、声も徐々に小さくなっていった。
聞き取れるかギリギリであったが、私は確かにライスさんの言葉を最後まで聞いた。
どうして、そう聞こうとする前に左右の耳をバラバラに動かしているライスさんが口を開いた。
「シルビアさん。ライス、しばらく会えなくなっちゃうんだ」
「……それは、トレーニングが忙しくなるから?」
「……うん。他にもたくさんあるけど、トレーニングが中心の生活になったら、勉強も片手間じゃ間に合わなくなっちゃう。そうしたら、もうこうやって遊ぶことなんて……できなくなっちゃう」
ライスさんは座っている私の前に立ち、告げた。
「きっと、今日が最後の遊べる日なんだと思うの。だからライス、今日だけは目いっぱいシルビアさんと遊びたい」
「……そ、っか……」
ライスさんの言葉を聞いた瞬間、私の目の前に他の人には見えない仮想のタイマーが現れた。
具体的な数字は一切無いのに、別れが確実に訪れることを示すように私を脅す。
「……シルビアさん」
「……」
ライスさんが私の手を握る。
「次があるかわからない。もしかしたら、この先ずっと無いかもしれない。走るのを辞める頃になればライス達の関係だって、ただの選手と観客だけの関係になってるかもしれない。だから……」
「……だから?」
「……シルビアさん。目を、瞑って」
「目を?う、うん」
言われるがまま目を瞑る。
何をするつもりだろうと考えていると、頬に柔らかいものが触れた。
触れて、すぐに離れた。
一体何だったのだろうかとまたもや停止した頭で思うと同時に、こういうシチュエーションに見覚えがあると私の記憶が叫んだ。
目を瞑ってと言われて、次に頬に柔らかいものが触れる。
二つの事象が合わさることで連想される出来事、私の止まった思考は高速で動き出し、瞼を強制的に開かせた。
「……ライスの、ファーストキス。ほっぺたにだけど、シルビアさんにあげるね」
「……どうして」
あの時、ライスさんは条件としてこれを提示してきた。
それを今することの意味が、私にはわからなかった。
「……お別れのキス。これで、終わり」
ライスさんはそう言い、手を離す。
「ライスとシルビアさんは、特別な関係にはなれない。だから……これで元に戻るの。踏み出した足を戻して……ライスたちは、元に戻るの」
私に背を向けて、ライスさんは歩き出す。
向かっている先は売店ではあるが、私にはそうには見えなかった。
私には決して立ち入ることのできない場所へ、その向こう側へと向かっているように私には見えた。
咄嗟に伸ばした手は途中で動きを止めた。
あの時と同じで、ライスさんの背中がとても遠くに感じたから。
「……ライス、さん」
どんどん離れて行ってしまう。
私の知らない場所へ行ってしまう。
もう二度と、手を伸ばすことのできない場所へ。
ライスさんが私に向けた盾に、私の声はもう届かない、そうであればもう諦めるしかない。
伸ばした腕を降ろそうと肩の力を抜こうとした刹那。
後姿だけのライスさんが、腕で顔をぬぐった。
私の場所から見ればあまりに小さくて視認なんてできやしない、でも確かに私は見た。
私たちを燦々と照らす夏の太陽が、ライスさんの拭った涙を煌めかせたのを。
私は、走った。
「ライスさん!」
産まれてから一度だって、本気で走ろうと思ったことは無かった。
幼心に刻み込まれた才能の壁という、他人との生まれながらの差を埋めることが決してできないと分かっていたから。
私と同じように大してトレーニングしていない奴らにさえ全力で走っても勝てない自分に、もう諦めていたから。
全力で走ってダメなら、本気で走ったって変わりはしないと、心のどこかで決めつけていたから。
だから私は、才能の差をテクニックで補える峠というステージを主戦場として選択した。
そこで戦えば、身体能力の差なんて気にせず、負けた時だってテクニックが不足していると言い張れるから。
でも、本当は悔しかった。
どうして勝てないんだと、授業で行う負けレースをする度に枕を濡らしていた。
不甲斐ない自分が嫌で、でもそれを覆すほどの努力も、覆してやると思うほどの向上心も、覆したいと思うほどの気概も無かった。
泣きはらした目を鏡で見るたびに、その自分を忘れようと峠を走った。
辛いことは忘れて、自由で楽しく走るためだけに、私は峠を駆けた。
だけど……今だけは、大切なもののために走る。
全力で、そして本気で。
私の頭の中に、掛け方を忘れてしまっていたエンジンの音が轟いた。
「ライス、さんッ!」
椅子を蹴飛ばして、日陰から飛び出す。
大した距離でもないのに、私はレースよりも速いスピードでプールサイドを駆ける。
遠かった背中は私が想像していたよりも近くて、すぐに追い付いた。
はるか遠くに感じていた手は、すぐに掴めた。
「ライスさんッ!」
「……シルビア、さん?」
誰もが日陰にいる中で、私たちだけが太陽の下にいた。
「……だめだよシルビアさん。ライスたちは、元に戻らなきゃ」
「戻る必要なんてない!」
「戻らなきゃ……いけないの!ライスたちは、特別な関係にはなれない!」
「特別じゃなくたって構わない!私はライスさんにとって特別になれなくても、ライスさんの友達でいたい!」
「特別じゃなくて……友達?」
ライスさんは振り向いて、涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せた。
私はそんなライスさんを胸に寄せて、顔が周りに見えないようにする。
「うん。友達でいい。それとも、特別にならなきゃ私たちは遊んじゃいけないんですか?」
「そ、そんなこと……ないけど」
「なら私は友達でいい。特別な関係がライスさんにとって重荷になるなら、私は友達で構わない」
「で、でも……ライスは府中にいて、シルビアさんは群馬にいる。それだけでも会うのが難しいのに……それに時間だってうまく合わせられないと思う。会話だって、メールとかの文面だけじゃ、気持ちは伝わらないよ」
ライスさんが憂慮しているのは物理的な距離であり、共に過ごすことができない時間であり、心がすぐ近くにいないということだろう。
でもそんなことは、私にとって……いや、現代の力があればいくらでも解決できることだ。
「時間なんて、渋滞や事故を考慮して動けばちゃんと合わせられる。気持ちだって、今はどこでも電話ができるから大丈夫。それに……」
「……?」
「会いに行くのに遠いなんて、私にとっては特に些細なことだよ。だって私には……」
私はプールサイドから見える柵の向こうの駐車場の、数多くの車の中でも一際存在感を放つ車に目を向ける。
ライムグリーンとガンメタのツートンカラーの美しい色を持ち、角ばったデザインながらすっきりとしたボディであり、どこか優しい顔つきの車……S13シルビア。
それは、時代が謳ったデートカー。
私たちをどこまでも連れて行ってくれる、日産を代表するスペシャリティカー。
「あの車がある限り、私たちに距離なんて関係ない。あのデートカーは、私たちを必ず会わせてくれる」
「……シルビア」
「うん。私と同じ名前の車。ライスさんと私を引き合わせてくれた……私の愛車」
まだ私の名義じゃないから、私のとは言い切れないけどと付け足して苦笑いするけど、ライスさんの顔を見たらそれは自然と笑みに変わる。
ライスさんも私と同じように、あの車で共に得た思い出を振り返っていたから。
あの車には多くのライスさんとの思い出が詰まっている。
たった一ヶ月程度の期間とは思えない程の思い出が、きっしり詰まっている。
「……ライスさん。あの車で、私はいつでも会いに行くよ。ライスさんが楽しい時、嬉しい時、悲しい時、辛い時……誰かに会いたいと思った時。私はいつでもあの車を走らせて……誰よりも速く走ってライスさんの所に行くよ」
「……ほんとうに?特別じゃなくても、ライスに会いに来てくれるの?」
「もちろん。ライスさんが私を呼んだ時、誰よりも速くライスさん下に駆け付ける。それが私の……私ができる唯一のレース」
それに、と最後に加える。
ライスさんと私を繋ぐたった一本の線。
それはきっと、これから先もずっと握り続けていく線。
だからこそ、私はそれを大切にしていきたい。
手放さないように、切れないように。
ライスさんに何が起きようと、すぐに伝って行けるように。
「私は、ライスさんの友達だから」
私はライスさんの手を握る。
シルビアから私へと視線を移したライスさんに、私は聞く。
「ライスさん。これからも私と……友達として、遊んでくれますか?お出かけしてくれますか?」
ライスさんは少し俯いて、目元を腕で拭った。
顔を上げて、言った。
「……うん!」
ライスさんの赤く泣きはらした目は、既に悲しみを振り払っていた。
きっとライスさんの目には、ライスさんの名前の通りの祝福は映っていないだろう。
でも、そういう幸せが無くても、私たちは私たちの幸せの形をもう掴んだ。
だからもう、私は特別を望まない。
これがきっと私たちの、あるべき形だと思うから。
休憩の終わりを告げるチャイムがプールに鳴り響く。
チャイムが鳴り終わるのを待ちきれずに子供たちがプールサイドを駆けて、次々にプールへと飛び込んでいく。
水しぶきが舞う中で、私はライスさんの手を引いた。
「パンダたちの所に行こう!皆待ってる!」
「うん!行こう!」
私たちも子供たちに混ざって駆け出す。
太陽が照らして灼熱と化したのプールサイドを、足裏が熱いと感じるよりも速く私たちは駆ける。
ライスさんとの新しい繋がりを胸に、夏のこの日を、私たちは駆ける。
これにてライス編は終了します。
ライスとシルビアを恋人にするか迷いましたが、GLタグを付けたくなかったのと、全国のお兄様が激怒しそうだったので止めて友達で納めました。
久しぶりにここまでのオリジナル展開を書いたため、頭が疲れました。
でも休んでる暇はありません、なんせアニメで言えばまだファーストステージの真ん中あたりですから…()
目標は、来年の6月までにvs高橋涼介(FC戦)を書き終えて、セカンドステージを書き始めることです。
今後のスケジュールとしては、FDvsR32戦を飛ばしてvsシルビアS14戦を書き、すぐにvsFC戦を書く予定です。
つまり次はS14戦ですが…雨に強いウマ娘にしたいと思っています。
誰かは言いませんので、次回もお楽しみに!