もうこれ書くの日課になってる…続けるってすげぇ…
ルドルフさんから宣戦布告され二週間。
トレーニングは捗っているものの、それを実感することができずモチベーションが下がっていた。
そんなことを言っている暇ではないと頭ではわかっているものの、身体が言うことを聞いてくれないのが現状だ。
「……くそっ、またペース崩れて……」
峠と平地では使用するスタミナの量は大きく違い、スタート地点からゴールまでの下り八千メートルを余裕で走り切るには、平地で同じ距離を軽く走れるようにならなければ十分とは言えない。
勝負ともなればスピードも出さなければならず、それに伴うスタミナ消費は配達時以上に多量だ。
ルドルフさんを相手取るには、今まで以上のスタミナが必要になるだろう。
いくら毎日の配達を二回に増やしたからと言って、それを一日一度しか行わなければ多くの効果は得られない。
トレーニングの実感が欲しければ、それを一日何度もやらなければ意味が無い。
「パンダ、あんまり焦りすぎるな……怪我をしたら元も子もないから」
「シル先輩……でも、もっとやらなくちゃ……もっと、もっとトレーニングしなきゃ、ルドルフさんに勝つなんて……!」
「……パンダ。落ち着け」
「でも!」
言い返そうと顔を上げると、シル先輩たちが心配そうに私を見ていた。
シル先輩たちの目に映る自分があまりに焦っていて、空回りしているのは火を見るよりも明らかだ。
それを見てしまった瞬間、肩の力が抜ける。
今までピンと張りつめていた気が緩み、辛うじて保っていた足元が崩れていく。
「パンダ!」
力が抜けきった体は言うことを聞いてくれず、倒れ込もうとする身体に対して受け身を取ることが出来ない。
眼前に迫る芝に目をきつく瞑るが、引っ張られるような感覚と共に、私の身体が外的な力で起こされた。
「大丈夫かパンダ!」
シル先輩に抱えられて芝とキスすることは避けられたものの、そこから動くことが出来なかった。
どれだけ身体に動けと命令しても、指一本すらも反応を示さない。
完全に、エネルギー切れだ。
「シル……先輩……」
「しゃべるなって! 大人しくしてろ! エイティ、教官呼んで来きてくれ!」
「オッケー!」
「ハチ、保健室のベッドの用意しといてくれ!」
「了解っス!」
シル先輩に指示された二人は同時に駆け出し後者の中へ消えていった。
そんな二人を目で追うことしかできず、情けなさが自分の中で膨らんでいく。
いつの間にか、頬に生暖かい何かが伝っていた。
涙だ。
「っ!? パンダ、どっか痛いのか!?」
「……いえ、そういうのじゃ……無いです……」
「……そうか。安心したよ」
「……すみません。私、期待に応えられそうにありません」
ポロっと、ひた隠しにしてきた弱音が漏れてしまった。
今までずっと、新しい相手が私の前に現れる度に積み重なって来た不安。
最も近くで私を見てきて、支えて来てくれた先輩たちとハチ。
そんな三人がいたからこそ、私は勝って期待に応えなければならないと、心のどこかで思っていた。
だけど、今回こそ無理だ。
相手はあの七冠ウマ娘、皇帝シンボリルドルフ、どこまでいっても所詮地方トレセンのウマ娘である私が敵う訳がない。
「怖いんです……どうやっても勝てっこないのに、誰が考えても負け戦なのに……先輩たちが期待してくれてるのに、私は……っ!」
「落ち着けパンダ! ほら、深呼吸しろ!」
抱きつくようにして震える手でシル先輩の服を掴む。
TVの中のルドルフさんと現実のルドルフさん、一応ではあるが両方を見た。
彼女の手を初めて握ったときの硬くて武骨な手、あれは私には無い。
あれが彼女の血の滲むような努力によってできたものだとしたら、短期間の私の努力など足元にも及ばない小さな物だろう。
それだけで挑もうなど、滑稽もいい所だ。
「ごめんなさい……バトルしても……」
「……パンダ。今は休め、な? ちょっと根を詰めすぎたんだよ。一旦休もう……」
「……ごめんなさい」
期待を裏切ってしまう、それによって軽蔑されてしまう。
シル先輩たちとハチならそんなことをはしない……だけど、私の頭の中で勝手に作られるイメージに、心はもう押し潰されそうになっていた。
そんな重圧から逃げるように、私は目を瞑った。
シル先輩に言われるがまま、意識を手放す。
最も安直で簡単に手に入る一時だけの前安らぎに、私は手を伸ばした。
* * *
ブゥン……
どこかで聞いたことがある音と感じたことのある揺れに、私は目を覚ました。まだフワフワした感覚が残っているものの、目はしっかり光を捉えている。
ここはどこだろう……そう辺りを見回せば、遠い昔に見た景色が私を包んでいた。
スプリンタートレノ AE86の中……お父さんの車の中だ。
「……お父さん?」
私は助手席に座っているようで、隣の運転席を見たがお父さんはいない。
どこに行ったの? 窓の外を探そうとして目に飛び込んできたのは、毎日見ている広大な秋名湖。秋名湖の周りで堂々と車を停められる場所は一つしかないから、ここは秋名湖畔の駐車場だろう。正確な時刻はわからないけど、空が赤くて消えかけの太陽が水面に映っているから、おそらく夕方。
お父さんは、夕日を見ながら缶コーヒーを呷っていた。
「お父さん!」
ドアを蹴飛ばす勢いで開けてお父さんの後ろに立つ。
秋名最速と言われたダウンヒラー、それが私のお父さん。どんな相手だろとあの車で勝利し続けてきた、無敗の最速のダウンヒラー。
そして、何年も前に、ただの交通事故で死んだ……追うことのできない背中。
「お父さん……久しぶり」
「……」
お父さんは振り向かない。返事もしない。
そんな背中に、私は続けて話しかける。
「あのねお父さん! 私、頑張ったんだ! 中央で無敗って言われたウマ娘も、最強のスプリンターって言われたウマ娘にも秋名で勝ったんだ!」
「……」
「今じゃ秋名のウマ娘って呼ばれてるらしくて……えへへ、なんかお父さんになれた気分」
「……」
返ってくるのは静寂にも等しい、秋名湖を揺らす風と小さな波の音だけ。
それもそうだ、これは私の頭が生み出してる幻覚に過ぎないんだから。だけど、今はそれでもいいから縋りたいと、私はお父さんの背中に抱き着く。
「……碓氷峠にも行ったし、妙義山にも行ったんだ。それも両方とも勝てて……結構危なかったけどね。えへ……まだまだって母さんに言われて……」
「……」
「…………でも、今回はダメなの。勝てない。相手が悪すぎるから……」
いい報告だけをしようとしたのに、気づけばまた弱音を吐いていた。
お父さんだからか、私の心が弱いからなのか……きっと、両方だろう。
「シンボリルドルフさん……お父さんは知らないだろうけど、史上初の七冠ウマ娘で、とにかく速いんだ。勝利より、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘……すごいよね。そんなの……私なんかが相手になりっこないじゃんか」
私は大きな背中に顔を埋める。
大きくて逞しくて優しくて……そうすることが叶わなかった、お父さんの背中に。夢でも構わないから、今だけはこうしていたい、弱音を吐きたい……甘えるように、抱きしめる。
「……トレ子」
「……お父さん?」
カチカチという音がお父さんの手の中から鳴る。吸っていたことは知ってはいたけど、ずっと私の前では吸わなかった煙草に、お父さんは火を着けた。煙が宙を舞い、母さんが吸っている煙草と同じ匂いが流れてくる。
「どんなに強い相手だろうと、完璧な奴はいない。付け入る隙は必ずある」
「……付け入る、隙……」
私はお父さんの話を聞くために回していた腕を離す。お父さんは変わらず背中を向けたまま続けた。
「二つ目の溝走り……立ち上がり重視の溝走りだ。溝に入るタイミングも飛び出すタイミングも違うが……直線で速い相手にこそ刺さる技だ」
「立ち上がり重視の……溝走り?」
「お前にならできる。なんせお前は……俺と、母さんの子供だからな。勝てよ、トレ子」
煙草を携帯灰皿に入れて、お父さんは手をひらひらさせながらハチロクへと向かっていく。私のことは、一度も見ようとしない……いや、わざと見せないようにしている。
そんなお父さんを、私は追おうとはしなかった。
「……行っちゃうの?」
「……」
「そっか……ねえ、お父さん」
「……」
少しだけ振り向くお父さん。だけど、その顔は黒くて表情が読めない。
「あのね……また、会えるかな」
「……」
言葉は帰ってこない。お父さんは前を向いて、そのままハチロクに向かって歩いて行ってしまう。
もう会えないのか……そう思った瞬間、お父さんは足を止めて背を向けたまま言った。
「会えるさ。お前が秋名を走り続ける限り、いつでも。俺は常に、お前の前を走っているからな」
「っ……!」
「いつか追い抜いてみせろよ、トレ子」
今度こそ、そう言わんばかりに手をひらひらさせて、お父さんはハチロクに乗り込んでいく。すぐにエンジンを始動させ、ブゥゥンという重低音が秋名の山に響き、それに合わせたかのように、日が沈む。リトラクタブルのライトが開き、ハチロクの先の道を照らす。
少し吹かしながら駐車場を出ていくハチロクを、私は追わない。お父さんが言う通り、また会える気がしたから。
「……バイバイ、お父さん」
月の映る秋名湖を一目見て、私は目を閉じた。
* * *
目を開けると、点がたくさんある白色の天井が目に飛び込んで来た。
ここはどこだろうという疑問は、鼻に入り込んで来た薬品の匂いで理解できた。
学校の保健室だ。
「……私、どうしてここに……?」
「ようやく起きたのね」
ぼやける視界のまま声のした方を向くと、そこには母さんがいた。
学校の保健室になんで母さんが……? 声に出さなかった疑問は、母さんが答えた。
「パンダ。今何時だと思ってるの? もう八時よ。ハチちゃんたちならとっくに帰ったわ」
「……八時」
壁掛けの時計を見ると、確かに差している時間は八時で、窓からの光は既にない。
どうやら私は半日は寝ていたらしい。
「……私、倒れて……?」
「まあ、根を詰めすぎたってとこね」
「……そっか」
私はもう一度ベッドに倒れ込もうとするが、母さんはそれを許さない。
首根っこを掴み、私を起き上がらせる。
「何寝ようとしてるのよ。学校で朝を迎えるつもり? 帰るわよ」
「あー……うん……」
ベッドから足を降ろして立ち上がろうとすると、まだ三半規管が回復しきっていないのか、足元がふらつく。
また転びそうになるのを、母さんが支えてくれた。
「ったく。世話の焼ける子ね……ほら、乗りなさい」
母さんは呆れながら座り、背中を見せてきた。
「……」
「何よ、早くしなさいよ」
「は、恥ずかしいよ。この歳でおんぶなんて……」
「面倒くさいわねぇ……ほら、乗った乗った」
「わ、わわっ」
私の足を持ち上げて、母さんは無理やりおんぶしてくる。
抵抗しようにも力が出ない今、私は母さんにされるがままだ。
母さんにしっかり足を掴まれて逃げられないため、私は諦めて体を母さんに任せることにした。
「……ありがとう、母さん」
「ん」
「……背中、大きいね」
まるでお父さんみたい……そうは言えなかった。
あと二話挟んでVSシンボリルドルフ戦開始になります。
多分四月からお仕事が始まる…であろうと思われるため…残り少ないプー太郎生活の間、書きまくろうと思います。