ギリギリの連日投稿…明日から、社会復帰です。
二十時半、私はまだ家にいた。
行くか悩んでいるとかではなく、単に装備品の最終チェックのためだ。
勝っても負けても、身の回りの物で言い訳をしたくないから。
私は下着姿のままあぐらをかいて、畳んである勝負服とシューズ、ライトを前にしていた。
「勝負服にほつれ、破れナシ。ゴム蹄鉄の蹄釘の緩み……ナシ。ライトの展開と点灯……ヨシ」
それぞれを広げ叩いて点けて確認する。
これといった以上は見受けられず、最終確認はものの数分で済んでしまった。
「パンダ、もう少しで時間でしょ? 早くしなさい」
「うん。もう着替える」
広げた勝負服たちを着て、改めてどれだけ自分が成長できたかを認識した。
今まで簡単に穿けたはずのニーソックスが少しきつく感じる。
一旦脱いで見てみれば、そこにあったのは今までよりも筋肉が付いている武骨な細い脚。
ライスシャワーさんとのバトルで感じた無力感を糧に、短期間ではあるが血の滲むような努力を重ねてきたつもりだ。
タイムには表れてくれなかったが、気にもしない場所でそれは花咲いていた。
「……こんな所じゃなくて、タイムで表れてくれた方が嬉しいのになぁ……でも、いいや」
短期間の努力の成果、確かな成長がそこにあった、私にとってはそれだけで十分。
改めてニーソックスを穿き、残った勝負服も走行中に着崩れしないようにしっかりボタンを留める。
シューズとライト以外の準備を終えて、私は玄関へ……向かう前に、仏壇に立ち寄った。
お父さんに、頑張って来ると言うために。
「お父さん……行ってきます」
勿論返事は無い。
だけど、お父さんの事だ、返す言葉は一つだけだろう。
軽く手を合わせて、私はすぐに玄関へと向かった。
そこには外でアイドリングしているインプレッサの持ち主、母さんが待っていた。
「あんた、あと二十五分しかないわ」
「母さんなら余裕でしょ?」
「まあね。さ、行くわよ。忘れ物は無い?」
「シューズもライトも持った。スマホもタオルもボトルも持ったし……うん、無いよ」
「じゃあ行くわよ。乗りなさい」
「はーい」
私は玄関の鍵をしっかり掛けて、後部座席にライトとシューズを置いて助手席に乗り込む。
既に運転席に座っていた母さんは私がシートベルトをしたのを確認すると、瞬時に一速にギアを入れてアクセルを吹かした。
ホイールスピンを一切させず、車は町中を駆け抜けていく。
行く先はもちろん秋名山だが、母さんが送ってくれるのは温泉街の駐車場まで。
あとは私の脚で行かなくてはならない。
「……シンボリルドルフ、凄い相手とやるのね」
「うん。負ける気しかしないけど……頑張る」
「負けたら明日のメシ抜きだからね」
「えー。わかったよ……」
なんでこういう時にそんなこと言うのかなぁ…と口を尖らせて外の景色を見ていると、温泉街の入口のバス停には見たこと無いほどの数のウマ娘たちがいた。
温泉にでも入りに来たのかと思うも、この時間は閉まっているお店が殆ど。
そうなると、彼女たちがこれからどこに向かうかは一つしかない。
ウマ娘たちがごった返しになっている秋名山の入口に一番近い駐車場に、母さんは車を停めた。
他にも多くの車が停まっているが、大半はワンボックスカーだ。
私は車から降りて、後部座席にあるライトとシューズを装着する。
ライトのベルトをきつく締めて、シューズがズレないように紐を固く結んで、準備を終えた。
助手席から車内を覗いて、母さんに言う。
「じゃあ、行ってくるね」
「ええ。勝ってきなさいパンダ」
「……うん。頑張って来る」
最後に「TRUENO」の文字が刺繍されている帽子を被り、私は峠道に向かおうとした、その時。
「……パンダ」
「? なに、母さん」
助手席から私を呼んだ母さんは、見たことないような楽しそうな顔を浮かべていた。
「あんたは勝てるわ。なんせ……私とお父さんの子供なんだから」
つい先日、夢の中で見たお父さんのセリフ。
その言葉に私は、二人がどうしようもないほど似た者夫婦なんだと思わざるを得なかった。
少しだけ和らいだ緊張は、いつの間にか私に笑みを浮かべさせていた。
「……うん。勝ってくる!」
強く頷き、私はライトを点灯させる。
モーター音と共にせりあがるライトが、私の前方を強く照らす。
ライトの光を見たウマ娘たちの視線は一斉にこちらに向き、モーセの海割りのように道を開けた。
その中をゆっくりと歩き、私は山道の入口に立つ。
つま先を軽く地面に叩きつけ靴を合わせて、小さく息を吐き……走り出す。
決戦のウォーミングアップとして、いつものコースを。
春も夏も秋も冬も超え、雨も風も超え、雲も闇も超えて走り続けたこの道を。
私は、駆け登る。
* * *
走り始めて十分ほど、私は秋名山頂上パーキングについた。
そこには何人ものウマ娘たちがスタートの準備を終えたルドルフさんを囲み、励ましの声を送っていた。
ルドルフさんは数多くの声に困った様子を少しも見せず、その期待の全てを背負うように一つ一つ返事をしている。
「会長! 頑張ってくださいね!」
「ああ、ありがとう」
「ルドルフ会長! 私、会長の勝つところ、絶対に見逃しませんから!」
「うん、そのカメラに私の勝利を映せるよう、努力しよう」
「カイチョー! ボクの仇、カッコよく取ってよね!」
「テイオー、それは自分でやるんだ」
「エェー!」
そんな賑わいにも等しい時間が過ぎて、スタートまで残り五分。
ゲートの準備が進み、開閉がしっかりできるかの最終チェックをテイオーさんのトレーナーが行っている。
そろそろ出走の準備をしようと柔軟をしている中、ようやく人混みから出てこれたらしいシル先輩たちが私を呼んだ。
「パンダ!」
「シル先輩、それにハチも! 来てくれたんですね!」
「当たり前だろ、秋名スピードスターズのエースが皇帝に挑むんだから。リーダーとして見届けるのは当然さ」
「中央の制服が多いケド、しっかり群馬トレセンの奴らもいるからな。味方はたくさんいるぜェ」
「私、パンダが絶対に勝つって信じてるから……頑張れよ!」
「うん……行ってきます!」
三人の確かな声援を背負い、私はゲート前まで行く。
そこには既に出走準備を終えた勝負服姿のルドルフさんが腕を組んで佇んでいた。
腰には白色の私と同じリトラクタブル式のライトを付けていて、おそらくモデルはFC3S。
勝負服はTVでも見た軍服のような物だが、色は白色を基調としていくつか黒いラインのあるシンプルな物に変更されていて、勲章も全て外されている。
肩章やサッシュすらも外されていて、代わりというには貧相だが、左肩に妙なデザインの三角のワッペンが貼られていた。
私が近づいてきたのに音だけで気づいたのか、閉じていた目を開き私を見る。
「……こんばんはパンダ君。直前にも関わらずその落ち着きっぷり……余裕綽々と言ったところかい?」
「こんばんはルドルフさん。余裕じゃないですけど、焦ってはいませんよ」
「ふっ、まさに泰然自若だな。だがその余裕、いつまで持つかな?」
「……ルドルフさん、イジワルですね。バトル前からそんなこと言うなんて」
「……軽口を叩けるほど余裕があるとは。それとも、ただの虚勢か。いずれにせよ、走ればわかることだな」
いつか見たルドルフさんの瞳が、ギラリと鋭く光る。
まるで獲物を見つけた肉食獣がゆっくりと襲い掛かるタイミングを図るような……そんな、危険な目。
鳥肌があっという間に全身に伝播していき、これが皇帝のオーラなのだと本能的に理解する。
「っ……やっぱ怖いですね。見学の時はあんなに仲良く話してくれたのに」
「勝負事で仲良しこよしをするつもりは無いよ。君とどんな仲であろうと、私は緊褌一番せねばならない」
そう言い、準備の済んだゲートの中にルドルフさんは入っていく。
時間は二十一時、スタートの時間だ。
私もルドルフさんを追うように、彼女の隣のゲートに入る。
そして、後ろの扉が閉まった。
「パンダァー! 頑張れぇーっ!」
「パンダ! 秋名最速の走り、見せつけてやれ!」
「パンダ、負けんじゃねーぞォ!」
後ろから三人の声が聞こえる。
一番落ち着けて、私が頑張ろうと思える声。
私は少しだけ振り返って三人に向かって笑みを見せた。
任せてください、そういうニュアンスを込めて。
「……良い仲間だな」
「自慢の先輩と友達です。彼女たちの為にも……勝ちます」
「面白い……久しぶりだよ、こんなに気分が高揚しているのは」
どこか恍惚しているルドルフさんだが、その内面には今にも暴れ出しそうな獣がいる。
いや、獣か……もしくは狩人か。
どちらにせよ、私にとっては脅威なのは変わりない。
「ドローンの準備、完了しました!」
「大型スクリーンの準備も完了! トレーナーさん、いつでも行けます!」
「よし……カウント始めるぞォ!」
テイオーさんのトレーナーの声に大勢のギャラリーが拍手と共にどっと沸き起こる。
周囲の空気が揺れていることがわかるほど大きなそれに、ルドルフさんは苦笑いしていた。
きっとこんなに盛り上がるとは思っていなかったのだろう。
トレーナーがカウントするために腕を掲げたのと同時に、ギャラリーから「ちょ、ちょっと待ったー!」という可愛らしい声がカウントを遮る、テイオーさんだ。
テイオーさんはギャラリーコーナーとコースを区切っているロープをひょいと乗り越え、トレーナーの下に駆け寄った。
「テイオー? どうした急に。もう始まるからギャラリーに戻って──」
「お願いトレーナー! この勝負のカウント……僕にやらせて!」
「きゅ、急だな……でもまあ、構わないよ。贔屓できるようなシステムじゃないし。ルドルフ君もパンダトレノ君も……いいかい?」
私はルドルフさんと目を見合わせ、頷く。
「大丈夫です」
「ではカウントは任せたぞ、テイオー」
「任せてよ! おっきな声でやるからね!」
そうしてトレーナーと入れ替わりゲートの横に立つテイオーさん。
彼女は腕を掲げて指を広げた。
五秒カウントだ。
「ふぅ……それじゃあ、カウント始めるよー!」
再び沸き起こる歓声と拍手を背に、テイオーさんが大声でカウントダウンを始めた。
大きく開かれた指は、一本一本閉じられていく。
秒刻みに、出走の瞬間が近づく。
「5……4……3……」
「頑張ってください会長!」
「絶対に勝ってくださいね会長!」
「皇帝の恐ろしさを見せつけてください!」
ルドルフさんへの声援。
「2……1……」
「パンダァー! がんばれぇーっ!」
「無事に走り切ってくれ……!」
「怪我だけはしないでくれよなァ……」
私への声援……というには、少し少なすぎる気がする。
半分以上が私を心配しての声だが、そんな中にもちゃんとある声援を受け止め、私はテイオーさんの最後の合図を待つ。
今にも開くゲートを前に、脚に力を込めて。
「……ゴォーッ!」
テイオーさんが腕を振り降ろす。
刹那、音を立てて開くゲートから、目いっぱい力を込めた脚を弾けさせて、私は飛び出す。
いつも以上に上手くいったスタートで、私はルドルフさんよりも前に出た。
出遅れた様子も無い、綺麗なスタートを切ったルドルフさんの前に。
「(……え、私が先行!?)」
そう、今までにない展開……私が先行するという展開だ。
最初の直線で追い抜いてくる様子も無い、完全な後追いを選んだルドルフさん。
少し振り向いてみると、そこには獣がいた。
獲物に飛びつく瞬間を見逃すまいと、鋭い眼光が私に向いている。
私はすぐに視線を前に戻して、逃げるように必死に足を回すことしかできなかった。
もう一度社会に出ることが怖すぎて、気になりすぎて他に手を付けられない…
実は今回のお話はストックしておいたものなのですが、そのストックもこれで最後なんです。
VSルドルフ編も一文字も書けてません…心がしんどい()