峠の麓で母さんに帰りの足の依頼をしながらスポーツドリンクをがぶ飲みして、掻いた汗を拭っていると、目の前の施設に頂上からのゴンドラが停まった。
そこからトウカイテイオーのトレーナーと数人の記者が出て来て、同じようにスポーツドリンクを飲んでいるトウカイテイオーの所に群がった。
「トウカイテイオーさん、勝利のお気持ちはっ!?」
「相手の実力はどうでしたでしょうか!?」
「地方の学校のウマ娘でしたが、中央と比べると如何なものでしたか!?」
質問が全てトウカイテイオーが勝利したことが前提の物だった。
ゴールの瞬間を目撃していない誰もがそう信じていて、トレーナーは記者たちの質問攻めを制し、トウカイテイオーにタオルを渡しながら聞いたのも同様だ。
「お疲れテイオー。どうだった?」
眩しい笑顔をトウカイテイオーに向けて言ったが、トウカイテイオーは暗い顔をして黙っている。
トウカイテイオーを囲む者たちと、それ以外の者たちの温度差、トウカイテイオーが黙り続けている異様な状態にトレーナーがようやく気付いた。
トウカイテイオーがただ疲れているだけと思っていたらしいが、冷静になって周囲を見渡したところでこれがそんな単純なことではないと理解したらしく、トレーナーはトウカイテイオーの肩を掴んだ。
「て、テイオー……一つ聞くが……勝ったのか?」
それでも勝ったのかと聞く辺り、トレーナーがいかにトウカイテイオーを信頼しているかわかるが、その信頼に応えるための結果は、現実はそうではなかった。
「……トレーナー……ボク…………負け、ちゃった」
肩を震わせ嗚咽混じりにそう言ったトウカイテイオーからトレーナーは手を離し、私の方を向いた。
トレーナーの信じられるかと訴える目が合ったが、すぐに私は逸らす。
「……う、嘘だろ?お、おい君!」
トレーナーが私に声を掛けてきた。
私は「なんです」と短く返し、またスポーツドリンクの入ったペットボトルに口を着ける。
「テイオーが君に負けたって言っているんだが……本当なのか?」
スポーツドリンクで喉を潤し、ペットボトルを口から離す
「……えぇ」
刹那、記者たちが一気にざわめき始めた。
それは数が少ないのに出走の時のギャラリーたちと同じくらいの声量だ。
トレーナーは囲まれていた記者たちの喧騒からトウカイテイオーと出て来て、私の前に立った。
「君は、一体どうやってテイオーに勝ったんだ?」
そんな単純なことを聞くのかと内心思ったが、口ではしっかり答える。
「コーナリングですよ。トウカイテイオーさんは直線に強い……というか、ちゃんとした競バ場を走るウマ娘は大抵そうでしょう?でも私は峠のコーナーに慣れてます。知っての通り、ダウンヒルはパワーの差が小さくなるから、基本的に差はコーナリングで生まれます」
「あ、ああ。それはわかるが」
「なら話は早いです。得意なコーナーで差を詰めて、コーナーで追い抜いた。それだけです」
私にとってごく普通の回答に、トレーナーは目を見開いた。
「コーナーで、追い抜いた?」
「はい。コーナーで追い抜きました。直線じゃブロックされたので、ならポジションを動かしにくいコーナーで」
「ちょ、ちょっと待て。コーナーで追い抜く?それがどれだけ危険かわかってるのか?」
「この峠は毎日走り込んでるので、コーナーの突っ込みの限界スピードは把握してます。なので危険かどうかだってわかりますし、追い抜きが可能な状況なら追い抜きだってやりますよ」
私の言葉に心底「何を言っているんだこいつは」という目のトレーナーの袖を、トウカイテイオーが引っ張った。
「どうしたテイオー?」
「……この娘、変なところ走ってたの」
「変なところ?」
「うん……この娘、ボクを抜くとき、側溝を走ってた」
「……は?」
トレーナーが首をかしげた。
さっきのように目を見開いてこちらを見るわけでもなく、ただ頭にクエスチョンマークを浮かべている。
その反応が当たり前で、むしろそんな行為をする私がおかしいことはとうの昔に分かっている。
イメージもわかないであろうトレーナーに、私は必殺技、「溝走り」の説明をする。
「溝走りって言うんです。側溝のある峠でしかできない芸当です。体を倒して走っても溝の段差で足を引っ掛けられますから、遠心力をほぼ無視して走れるんですよ」
「な……何を言って、いるんだ……?」
「簡単に言うならば芝を走ればオーバースピードで転んでしまうスピードでも、それを使えば曲がりきれる……絶対ではありませんけど、大抵は曲がれます。でもこれは芝からコンクリートにいきなり変わりますから、対応がほんの少しでも遅れるとレースから引退どころかこの世から引退になります」
「そんな危険なこと……そこまで勝ちたかったのか?」
このレースの敗北による恨みや悔しさは、その言葉には一切含まれていない。
そこにあるのは純粋な、生命の危機を無視したことへの疑問だ。
しかし、これに負けた場合、私にも生命の危機があった。
「母さんに言われたんです。トウカイテイオーに勝たなきゃ晩飯抜きだ、って」
私はそう言い残し近くの駐車場まで歩く。
スポーツドリンクの残りを飲み干そうとペットボトルを傾けた時、トウカイテイオーが大声で私を呼んだ。
名前ではなく「ねぇ!」ではあったが。
「なんですか?」
「き、キミの名前は……なに?」
そういえば自己紹介もしてなかったなと、ふと思い出す。
向こうは一般人にも名の知れたウマ娘だから名前を知ることができたが、私は今日初めて顔を合わせただけの無名だ。
「パンダトレノ。呼び方は何でも良いよ」
「パンダ……トレノ。うん、わかった」
「それじゃ」
今度こそスポーツドリンクを飲み干して駐車場に向かおうとしたが、遠くからいつもの音がしたから足を止めた。
ブゥゥンとマフラーで抑えきれないうるさいエンジン音が上り坂を駆け抜けてくる。
どんどん近づいてきて、なんだなんだとトウカイテイオーに群がっていた記者の目がそちらへ向いた。
どんどん、どんどん大きくなっていき、それは現れた。
「車?……あれはインプレッサか?こんな時間に……まさか、走り屋か!?」
突如現れた車、記者が言ったインプレッサという車は走りを止めない。
道路のど真ん中で立つ私に、中央線を無視して一直線で突っ込んでくる。
「あっ、危ない!」
トウカイテイオーが叫んだ瞬間、インプレッサが突如失速する。
思った以上の人だかりができていたのに驚いたのか、それは間違いなく免許剥奪の回避のための行動だ。
ゆっくり私の前に止まったインプレッサのドアが開き、そこからドライバーが現れる。
母さんだ。
「遅かったね母さん」
「……勝ったの?」
「うん。溝走り使ったけど」
「溝走り使うなんて、まだまだね。乗りなさい、帰るわよ」
「はーい」
荷物をレースをする前から近くのコインロッカーに入れておいたから、わざわざ頂上まで戻る必要はない。
私はさっさと荷物を回収して、インプレッサのトランクに詰め込み、助手席へと乗り込んだ。
「じゃあねトウカイテイオーさん」
「あ……うん」
窓からちょっとだけ手を振り、すぐに前を向いた。
ギャギャギャとタイヤを鳴らして、母さんはインプレッサを走らせ、家へと向かう。
「(……あ。ハチと先輩に応援のお礼言うの忘れた。……明日、学校行くか)」
ふと思い出した三人を思考の片隅に押し込み、私は窓の外に流れる街灯を意味もなく眺めた。
* * *
後日、地方トレセン学園にて。
「ぱっ、パンダが!?」
「学校に!?」
「来てるゥー!?」
「そりゃ来ますよ……私だってまだ学生なんですから」
あくびをしながら教室に現れたパンダ。
しかし、彼女が登校するのは実に一週間ぶりである。
ハチたちがこのような反応をするのは当然だ。
パンダはスクールバッグを机の横に掛け、三人が固まっている教室の窓際に行く。
「それにしてもよく勝てたよなパンダ!でも私、信じてた!」
「ありがとうハチ。あんなにバ鹿にされた中でハチたちが応援してくれなきゃ、きっと負けてた。ありがとうハチ、それにシル先輩とエイティ先輩も」
パンダが頭を下げると、三人は慌てて首を振った。
「何言ってんだよパンダ。勝ったのは間違いなくお前の実力だよ」
「そうだぜェパンダ。慣れてるステージっつーアドバンテージがあってもあのトウカイテイオーに勝ったんだ。誇ってもいいんだぜ?」
「買い被らないでくださいよシル先輩、エイティ先輩。私はただ運が良かっただけで、あのトウカイテイオーが本気だったら、きっと負けてましたよ」
パンダは昨日のバトルの最中の終始焦った様子のテイオーを思い出していた。
もし彼女が冷静で、本来の力を遺憾無く発揮できていたとしたら、自分は負けていたかもしれないと思っていた。
「運も実力のうち。勝利の女神様のキスはお前に来てくれたっことさ」
「そういうもんですかね、バトルって」
「そういうもんさ」
手をヒラヒラさせるシルビアにパンダは「ふーん」と言うだけだった。
暫くなにもせず各々がしたいことをしていると、朝礼が始まる予鈴が鳴った。
パンダの担任が教室に入ってきて、入れ替わるようにシルビアとワンエイティが出ていこうとしたとき、パンダのスマホが着信音であるユーロビートを流して震えた。
「あ、すみません。ちょっと出てきます」
担任に頭を下げて教室を出て画面を見ると、そこには番号だけしか表示されておらず、登録していない番号だとすぐにわかった。
誰だろう、と若干躊躇いがあったものの、何回もコールされれば出るしかないと応答のボタンをスワイプし、スマホを耳に当てた。
「……もしもし」
不審に思いつつ反応してみると、向こうから出てきたのは女性として比較的低い声だった。
こんな声の知り合いいたっけとパンダは思ったが、向こうが聞いてきたことがそれは無いと確信させた。
『君がパンダトレノ君か?』
知らない相手に突然自分の名前が呼ばれ、若干不安を感じたパンダは、自分の教室に帰っていく最中のシルビアとワンエイティに手招きをした。
なんだなんだと寄ってくる二人に、その様子を見ていたハチも教室から出て来て、4人が廊下に再び集まる。
『……パンダトレノ君?』
音をスピーカーに変えてハチたちにも聞こえるようにすると、3人は顔を見合わせてパンダに聞いた。
「誰、この声?」
「聞いたことねえなぁ」
「知ってる相手か?」
「いえ、聞いたこともない声ですし、知らない番号です」
「危ないニオイがするが……とりあえず話してみろ」
「わ、わかりましたシル先輩。……もしもし」
もう一度スマホを耳元にあて、パンダが返す。
すると向こうは安堵したように言った。
『良かった。反応が無いからてっきり切られたのかと思ったよ』
パンダ達は相手を知らないのに、向こうは一方的にこちらの反応に一喜一憂している。
ますます不安が募るパンダは、恐る恐るではあるが話を切り出した。
「あ、あの」
『ん?』
「……貴女は、誰ですか?」
全員が唾を飲み込む。
誰かも分からない人物が誰か分かる。
一方的な情報でパンダに連絡を取った、影の向こうの人物が。
『そうか、先に言うべきだったな』
そんな前置きをして、電話の向こうの彼女は言った。
『私はシンボリルドルフ。パンダトレノ君、君を中央トレセンに招待したい』
ノリで作ったような物なのですが、少しでも楽しんでいただけたのならば幸いです。
これからもチマチマ書いていく予定なので、よろしくお願いします。