土曜日、午後8時半。
私は自室のベッドの上で、部屋を暗くして横になっていた。
明かりは手元のスマホの光だけで、光る画面に書かれている文字をもう何十回と繰り返し読んでいる。
「土曜日午後9時……秋名山ダウンヒルバトル……集合場所は展望台の駐車場……か」
スマホを放り投げ仰向けになり、腕を目の上に乗せた。
光がなく真っ暗になった視界に浮かぶのは、テイオーのトレーナーが言った言葉と焦った姿。
『君たちは大事な時期にいるテイオーに仇をなすつもりか!』
そんなつもりはない。そう断言できるはずなのに、峠バトルという行為で勝利すればテイオーのトレーナーの言う通りになってしまうかもしれない。
とは言え、勝負から逃げればどうなるか、負ければどうなるか、エイティ先輩が言った通りになってしまうかもしれない。
どの選択肢が最善か、刻々と迫るタイムリミットの中で半ば夢うつつで考える。
「……お父さん、どうしたら」
うつらうつらとしているうちに意識が落ちたのか、ふと体が沈む感覚に陥る。
まるで水面からゆっくり沈んでいくように、体が軽くなり……着地した感覚を足裏に覚えた。
どうやら私は暗闇に着地したようで、うっすら見える辺りを見渡す限り、ここは秋名山のパーキングのようだ。
「夢……?なんでこんな時に」
早く起きなくちゃ、そう思った時、家のある方面から聞き覚えのある音が迫ってきた。
そしてふと気づく、今立っているのは芝の上ではなく、舗装されたアスファルトの上だということに。
ガオオッと近づく音はどんどん大きくなり、姿を表した。
「あれは……ハチロクッ!」
白と黒のパンダカラーのハチロクのリトラクタブルヘッドライトから浴びせられる光を手で遮り、ハチロクの走るライン上に立つ。
眩しい光の向こうに、確かに見えたドライバーの人影の名を叫んだ。
「お父さん!」
しかしハチロクは止まらない、減速すらしない。
私が見えていないのか、真っ直ぐ突っ込んでくるハチロクに目を瞑ると、いつの間にかハチロクは自分の後ろにいた。
すり抜けた、そう理解した瞬間に私の脚は駆け出していた。
「待ってお父さん!」
私は出せる全ての力を出し、アスファルトを駆ける。
打ち付けた力がダイレクトに跳ね返るアスファルトのステージで、ダウンヒルでのスピードは殺人的だ。
でも、そんなのには構ってられない。
お父さんのハチロクをただ見失わないように、必死に脚を回す。
向こうは100km/hオーバーで走るのに対してこちらは80km/hも出ていない。
車にウマ娘が追い付けるわけがない、そう思っていたハズなのに、ハチロクのテールはなかなか姿を消さない。
どうして、疑問が頭をよぎった瞬間、ハチロクのテールが残像を残して消えた。
「なっ……でも……まだ、
私は脚の更に回転数を更に上げる。
直線からのブレーキングをほぼ行わず、コーナリングも溝走りを使った限界を越えたスピードでハチロクを追う。
すると、ハチロクのテールが見えた。
どんどんそれは近付いてきて、並走状態になる。
暗くて窓の向こうにある表情はよく見えない、でもハッキリ聞こえた気がした。
『トレ子。走り屋は走り屋に挑戦されたら、受けて立たなきゃいけねーんだぜ?』
それだけ言い残し、ハチロクは消えた。
まるで亡霊が姿を消すように、赤いテールが残像を残して、霧のように消えていった。
スピードを落とし、ゆっくりハチロクが消えた場所まで歩く。
まだ不自然に宙に残り続けているテールの残像を、消えるまで眺める。
スゥ……と消える残像を見送り、私は顔を上げた。
「お父さん……行ってきます」
視界が暗転し、目が開く。
最初に目に飛び込んできた見慣れた天井に、自分が覚醒したことを自覚すると、ベッドから飛び出して部屋を後にした。
ドタドタと階段を駆け下りて、リビングで煙草をふかしている母さんに声を掛ける。
「ちょっと秋名行ってくる!」
「ん……?バトル?」
「うん、勝たなきゃいけないバトルなんだ」
「……そう。んじゃ、これ着てきなさい」
母さんは隣に置いていた、畳んである服を掴み、私に投げてくる。
宙で踊る服をなんとか掴み、腕の中に納める。
「わ、わわっ……何、この服?」
「私の勝負服。着てたときの背丈があんたと同じくらいだからね」
「着ろってこと?」
「勝負服ってのは負けられない勝負のときに着るもんよ。私はもう着ないからね、あげるわ」
「……ありがと、母さん」
私は急いで部屋着を脱いで、それを無造作に投げ、勝負服に袖を通す。
黒いスポーツブラを着て、その上から白を基調として黒のラインが走り、袖が黒のツートンカラーの半袖ジャケットを羽織る。
黒のニーソックスを穿き、ジャケットとは逆の黒を基調として白のラインの走るツートンカラーのハーフパンツを穿く。
ハチロクの様な、白い側に走る黒のラインと黒の底のゴム部のシューズを履き、地面を爪先で軽く叩き踵を合わせる。
鏡の前に立ち、2色しかない勝負服に若干の寂しさを感じつつも、初めての勝負服ということに満足し玄関のドアノブに手を掛ける。
しかし、ドアノブを捻ろうとした手は母さんの声で止められた。
「パンダ、忘れ物」
振り返ると、勝負服の寂しさを補うためのパーツを持った母さんがいた。
「着けてあげるから、こっち来なさい」
手招きされるまま母さんの方に行くと、母さんは私に長い白いマフラーと「TRUENO」の文字がつばの上に書かれた黒いスポーツキャップを被せた。
深く被せられたキャップを調整しているとき、ふと鏡に映る自分が見えた。
「どう?勝負服姿の自分は?」
そこには先程と同じ2色だけなのに、見違えるような私がいた。
長い白いマフラーをなびかせる、キャップの影にひっそり見える私の目、お父さんのハチロクと同じ色を纏った私が。
私は自分でもわかるほど口角を上げて、その満足を母さんに見せた。
そんな私を見た母さんは、タバコを咥える口を吊り上げて笑い、私の頭を撫でて背中を叩いた。
「勝ってきなさい」
「……うん!」
私は腰にライトを装着して、ダイヤルの一段階目を回してリトラクタブルライトを展開する。
家から出た玄関前で、ダイヤルをもう一段階分回し、ライトを点灯させた。
秋名山へライトの光を向け、道路を駆ける。
走り屋として勝負を受けるために。
* * *
今回のバトルの出走地点、秋名山の展望台先のヘアピン付近ではざわめきが絶えない状況だった。
その理由はバクシンオー君の対戦相手、パンダ君が集合時間を過ぎても来ないからだ。
「……カイチョー」
私の隣にいるテイオーは、パンダ君が来ないのを自分のせいだと感じているのか、耳が忙しなく動きキョロキョロと落ち着きなく辺りを見ている。
私はそんなテイオーの肩に手を置いた。
「落ち着くんだテイオー。まだバトルまでは時間がある」
「でもっ、こんなことになったのはボクのせいで……」
「お前のせいではない。気にするな」
「……うん」
周りのざわつきを聞けば自分のせいだとテイオーが思うのも無理はない。
「やっぱデマなんじゃない?」「地方の子がテイオーちゃんに勝てるわけないじゃん」おおまかに分ければ、ざわつきの内容はこれに尽きる。
テイオーは自分が負けたから事が大きくなったと思っているようだがそうではない、「地方のウマ娘がテイオーに勝ったせい」というのが正しいだろう。
常勝を負かせたウマ娘、注目はテイオーの敗北よりもそちらに向いている傾向がある。
「パンダ、来ねェな」
「どうしたんスかね。パンダに限って逃げるなんてことしないでしょうし」
「でもあり得なくはないと思う。パンダ、あのトレーナーに言われたこと、結構真に受けてる節があったし」
「ああ、確かにあったな。あの
喧騒の中から聞こえてきた、全く違う内容の会話に目を向けると、そこには先日会った3人がいた。
「ハチ君、それにシルビア君とワンエイティ君も。来ていたんだな」
私はこちらに気づいていない彼女らのもとに行くと、3人は私がいることに心底驚いたのか、奇妙なポーズをとって仰け反った。
「そんなに驚くことか?私がいるのが」
「まさかルドルフさんが来てるとは思いませんよ」
「今回のこのバトルの主宰は私だ。その私が来ないわけにはいくまい」
「確かにそうかもしれませんけど……いいんですか?一応
峠バトルが禁止されてるということは重々承知している。
彼女たちが危惧しているのは私の立場で、今後のことだ。
私は顎に手を当て考える素振りを見せ、笑ってみせた。
「既に私はトゥインクルシリーズを走り終えている。ドリームシリーズの出走は在るかもしれないが、構わないさ」
そう言うと彼女たちは、私がそういう覚悟で来ていることを察してくれた。
しかしテイオーはそうにもいかず、私の袖を引いた。
「カイチョーは……カイチョー辞めさせられるかもしれないの?」
「禁止されてるバトルを危険と分かっていながら行えば当然、相応の処置は下されるだろうな」
「わかっててやってるの?」
「ああ。立場や理念、世間的な目や今後についてなどを言葉の前に出せば、もちろんこれが私に相応しくない行為だということは理解している」
私はテイオーの頭に手を乗せ、宥めるようにゆっくり撫でる。
「しかし私の理念は全てのウマ娘が得手勝手により幸福になるということではない。己の行き着く果てに得る物を幸福と呼べるようにするために導く。それがトゥインクルシリーズを通し、生徒会長を務め辿り着いた、私の理念の真」
私はいつもと違う黒い勝負服に身を包み、柔軟を行っている最中のバクシンオー君に目を向けた。
腰に付けているライトは黒いR32スカイライン GT-R。
自他共にスプリントの王者と認める彼女に相応しいとも言えようそれは、まるで王者の着る甲冑のように黒光りしている。
「バクシンオー君はテイオーに勝ったと言われたパンダ君に、本当に勝ったのかを明明白白にするために勝負を仕掛けた。だが、単にテイオーに勝つほどの実力が本当にあるかを知りたいならば、もう一度テイオーとパンダ君に走ってくれと頼めば良いだけだとは思わないか?」
テイオーは小さく頷いた。
「あえてもう一度テイオーと走らせるのではなく、自身が相手になることでその実力を測ろうとしている。誰かに頼ることなく自ら挑戦状を叩きつけた。それはウマ娘の闘争心の模範だと私は思う」
模範、その言葉にテイオーは何かに気がついたようで、手のひらに拳をポンと置いた。
「イインチョーにとっては模範になることこそが幸福ってこと?」
「少なくとも私はそう捉えている。例え彼女が無意識にそうしていたとしてもな。故に私はこのバトルの主宰に立候補したんだ」
バクシンオー君が前掻きをして、まだ現れないパンダ君への不満を抑えているのを見て、もしかしたら今回のバトルは無駄足に終わってしまうかもしれないという懸念を抱き始めたとき、山頂付近のパーキングに配置しているエアグルーヴからトランシーバーによる連絡が来た。
『会長。たった今ウマ娘が一人、パーキングからそちらに向かって下っていきました』
トランシーバーからのそれを聞いたハチ君が、トランシーバーの向こうのエアグルーヴに聞いた。
「そのウマ娘、ライト付けてましたか!?」
『お前は会長の……ああ、付けていた』
「どんなライトでした!?」
『……リトラクタブルのライトだったが、見たことの無いデザインだ。しかしあの角々しいデザインのリトラクタブルはおそらく……トレノだ、ハチロクの』
ハチ君の大声とそれに答えるエアグルーヴの声が聞こえたのか、周囲のウマ娘たちがざわつきが収まった。
サクラバクシンオーも顔を上げ、先程より良い顔で、パーキングのある方向を見つめた。
「何色でしたか!?」
『さっきから何故そんなことを聞く……白黒だった。パンダトレノだ』
「き……来たぁッ!」
ハチ君たちの短い歓声が、周囲を盛り上げる。
そして僅かな間の後、それは現れた。
カーブの向こうから展望台を一度明るく照らしたライトが、今度はこちらを照らす。
「ようやく来ましたね、パンダさん!」
バクシンオー君が腰に手を当てて、パンダ君を正面から待つ。
リトラクタブルの目映い光が私たちを照らし、黒白の勝負服に身を包んだ彼女が、ゆっくり減速して目の前で止まった。
「……ごめんハチ、遅くなった」
「ぱっ、パンダァ!ホントに来てくれたんだ!私はてっきり、もう来ないのかと……」
そうハチ君が言うと、パンダ君は少し困った表情で本音を言った。
「来るかどうか、ホントは迷ってたんだ。でも、走り屋は走り屋に挑戦されたら受けて立たなきゃいけないって、お父さんに言われたから」
「親父さんに……?パンダ、お前の親父さんは……。いや、ありがとう、パンダ」
それに続きシルビアとワンエイティもパンダに寄った。
「来てくれたんだなパンダ!」
「あんなこと言われたのに良く来てくれたぜ。ありがとなパンダ!」
ハチ君たちは遅れてやってきたヒーローを非難すること無く歓迎する。
パンダ君はダイヤルを回し、リトラクタブルライトを消して格納すると、帽子の位置を修正してからバクシンオー君の方を向いた。
「……遅れてすみません、バクシンオーさん」
「いえ、構いませんよ!委員長たる者、生徒の遅刻の一つや二つ、見逃すほどの寛大さを持たねばなりませんから!」
腰に手を当ててはっはっはと高笑いし、バクシンオー君はパンダ君の目を見据えた。
そして先程のように明るく元気な雰囲気は一変し、不敵な笑みは周囲にプレッシャーを放ち始め、臨戦態勢に入ったことを教える。
「では、少し遅くなりましたが、始めましょうかパンダさん」
「うん」
二人はゆっくり、パーキングから移動されたゲートに向かった。
しかしパンダ君はゲートの近くにいた一人の男性の前で足を止めた。
その男性は、テイオーのトレーナーだ。
「君は、本当に……」
「勝ちますよ。私は」
パンダ君は睨むわけでもなく、ただ言う。
ハチ君たちから聞いた、テイオーの評判についてパンダ君に言ったテイオーのトレーナーの話を持ち出すわけでもなく、ただ、一人のギャラリーに言うように。
「テイオーさんの成績とか、評判とか、私が考えることじゃありませんから」
「君はサクラバクシンオーには勝てない」
「勝ちます、絶対に。母さんから貰った、継いだこの勝負服にかけて」
パンダ君は足を進めてゲートに入る。
後ろの扉が閉まり、ゲートのランプが赤く光る。
狭いゲートの中で、柔軟を念入りに済ませたバクシンオー君は首を軽く回して、ここまで走ってきて既に身体が温まっているパンダ君は軽くジャンプして膝を慣らしていた。
身体の確認を終えた二人は、腰に付けているライトを付ける。
バクシンオー君は小さなツマミを捻り点灯させ、パンダ君はダイヤルを回しリトラクタブルライトを展開し点灯させた。
私は学園から持ち出したドローンを起動させ、ライブカメラの確認を済ませ、飛行モードを自動追従に設定する。
ブゥゥンとモーターが回転しドローンが浮遊を始め、自動で二人をカメラで捉える。
パソコンのモニターに二人が映し出されたのを最後に確認して、出走の準備が完全に整ったことをカウント役のテイオーのトレーナーに知らせると、渋々と言った様子だがゲートの横に立った。
「……カウントいくぞォ!」
トレーナーは手を掲げ、指を三本立てた。
同時にギャラリーがどっと湧き、その歓声に二人はスターティング体勢になる。
「3……」
「パンダァー!勝てよォー!」
「2……」
「バクちゃん頑張って!」
「1……」
どちらが勝つか、結果の見えないバトルが、始まる。
凝り固まった地方のイメージをぶち壊す予感をさせる、そんなバトルが。
「ゴォーッ!!!」
腕が振り下ろされると同時に、ゲートが開いた。
二人のテールライトは、あっという間に小さくなった。
親父「パンダ、相手の事情は考えるな。問答無用で倒せ」
パンダ「ウス」
アオハルぅ…まだ一周しかしてないですねぇ(なおイベントミッション期日迫る)