死していたずらに涙を請わんより、
生きながらにして烏を招き、汚れたる脊髄の端々をついばましめん。
其れは遥か地平の彼方からも垣間見えた。
灰色の空を覆う暗澹たる影。
聳えるは禍々しき触肢を伸ばす黒き巨大樹。
其れらはあたかも自ら意志を持つように枝葉を四方に伸ばして天上に根を張ろうとするかのようだ。
「な、なんだあれは……」
「一体、何が起きてるんだ……?」
人々が遠方からでも視認できるほどの空の変わりように驚愕する。
不安げに仰ぎ見る人たちに混じり、アインも不穏な気配を漂わせる大樹の影を見やる。
「……まさか、あれは……」
己れの中の偏食因子が騒つく。
かつて世界を呑まんとした災厄の再来。
いやな予感が脳裏によぎる。
────終末捕食。
******
荒ぶる神々の闘いの一部始終を目撃したヴェルナー。
乱心したベルを追いかけるうちに魔竜と化した彼女が向かった先。オーディンに酷似した巨大なアラガミが待ち受け、凄まじい争いが巻き起こった。
戦闘は天変地異そのものであり、終始決着が着かない。一進一退、このまま膠着状態かと思ったが、魔竜となった少女が目も眩む破壊のブレスを撃ち放ち、オーディンの装甲に致命の風穴を空けた。
しかし、オーディンは黒い波動を放ち、次々と周囲からアラガミを呼び寄せ喰らい始めた。
そして、みるみるうちに肉体をおぞましい異形の姿へと変貌せしめたのだ。
無数に生えた怖気が走る触枝、いやあれは蝕枝、を幾重にも伸ばし、襲い掛かるバケモノになった巨大なアラガミに果敢に挑む人竜一体となった少女。
自分にもあの巨大なアラガミが危険極まりないのはヒシヒシと感じる。
本能が、自身の偏食、アラガミの因子が告げるのだ。
だが、今の自分に何が出来るのか?
彼女のように強大な力など無い自分に。
ただ、被害が及ばぬようにするのが手一杯だ。
く……っ、情けない……何も出来ない己れが恨めしい。
そうこう手をこまねいているうちに、彼女が起死回生の一撃を解き放った。
自ら雷撃を纏い、蝕枝を薙ぎ払い、巨大アラガミに向かって突貫したのだ。
やったのか? 私は彼女が勝利したものと思わずにはいられなかった。
だから、彼女が、絶大な力を持つあの彼女が……無惨にも喰われてしまうなどと、思いもしなかったのだから。
─────私は、また見殺しにしてしまうのか。赤の女王の皆のように。散っていた同胞たちのように。
─────私は、何のために生き残ってしまったのか。本当は私こそが散るべきはずだったのに。
─────私は、何故今も生きているのか。その命は誰に繋ぎ止められたのか。
─────ああ、そうだ。この命は彼女に救われたのだ。私という、とうに消え去った過去の亡霊としての自分を。失った存在を。
─────私の在る意味を。
それは偏食因子の成せる技か、あるいは突然変異か、はたまた暴走か。
もしくは、彼に流れる人竜の少女が与えた血の奇跡か。
ヴェルナーは嵐のように瘴気が渦巻く蝕枝が跋扈する領域へ踏み出す。
蝕枝が彼を捕食対象と見做し、喰らわんと襲い来る。
「私の邪魔をするな。退いてくれ」
振り払われたバイティングエッジの閃刃が蝕枝を寸断する。
構わず、次々と襲い掛かってくる黒い蝕枝のさざめく波。
「今度は」
振るう刃。細切れになる蝕枝の群れ。
「私が」
また一歩、一歩と踏み出すヴェルナー。
その都度、蝕枝は禍々しく狂ったように大口を開き、迫る。
「彼女を」
ヴェルナーを中心に紅い波動が派生する。
蝕枝は紅い波動に遮られ、触れることすら出来ずに朽ちていく。
「救う番だ」
生じた紅い波動の光りに包まれるヴェルナー。
赤々と明光発する波動の奔流。
彼を包み込んで大きくなり、やがて────
紅い嵐の渦巻く渦中から、巨大な一匹の獣が姿を現した。
狼さながらの獰猛な猟獣のような体躯に紅蓮の鎧を纏う、まさに神獣。それは、アヌビス。いや、原種に比べると体格が何倍も大きい。
未だ未知領域のアラガミ、アヌビス灰嵐種に酷似した躯体。
血のように舞う紅い灰霧。眉間に十字の傷を刻む鋭い眼光。
突如として出現した紅光のアヌビス灰嵐種を喰らうべく黒い蝕枝が襲い掛かるが、太まじい巨腕を振り上げて、その鋭利な爪の斬撃で地面ごと叩き斬り分断する。
蹲る体勢をとった灰嵐種は、耳がつんざける咆哮とともに凄まじい衝撃波を発生させ、迫る蝕枝を吹き飛ばし掻き消す。
それでも尽きること無い蝕枝に対し両腕を交差させ、鉤爪を倍以上に伸ばして超スピードで高速旋回を行い、暴刃の竜巻を巻き起こし細切れに切り刻む。
踏み込んで正面に高く飛び上がる灰嵐種。
口から黒い火球を発生させ、真下からしつこく迫る蝕枝の大群目掛け、紅光の極大レーザーを照射する。
大地に弧を描くように閃光が走る。衝撃と大爆発と炎の大渦が捲き起こり、周囲の蝕枝もろとも木端微塵に跡形も無く粉砕する。
轟々と燃え燻る地を踏み締め、紅魔の獣神が歩みを続ける。
立ち塞がる障害を一切排除した灰嵐種が、黒い呪いを振り撒く不気味に蠢く大樹の前に立つ。
アラガミ化したヴェルナー。何故、こんな力が自分に顕現したのか。判らないが、唯一理解出来ることは、この力は今まさに彼女を救うための力であるということ。
その子は私の大事な家族だ。返してもらおう。
そして、両腕を左右に大きく広げて、その両手に備わった鉤爪を勢いよく異形に成り果てたアラガミだったものの胸元に突き立てた。
メキメキバキバキと異音を鳴らして大樹のヒビ割れた外殻を破り貫き、慎重に内側を探り─────
─────見つけた。
肉塊の中に埋もれた少女。
竜化は解け、目を閉じているが、鼓動を感じる。どうやら気を失っているだけのようだ。
良かった。無事なようだ。
ヴェルナーは安堵した。もう失うわけにはいかない。大切なもの。
だが、その一瞬の気の緩みが致命的な隙を生み出したのだった。
大樹からおびただしい量の蝕枝の黒波が溢れ出し、ヴェルナーの手脚に瞬時に絡み付き、縛り上げる。
ぬあぁっ!?し、しまったっ!!
拘束され、振り解こうと足掻くが、幾重にも重なり絡む蝕枝の強靭さに抗えない。
くうぅ……っ!!べ、ベル……ッッッ!!!
掴みかけたその手から、少女が引き離されてしまい懸命に手を伸ばす。
そのまま、すべてを塗り潰すように蝕枝の帳がヴェルナー諸共に覆い尽くし、黒く黒く、何もかも闇色に染め上げた。