これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。
朝のルーティンを華麗に失敗した藍華。この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?
ああ、疲れた……
やっとの事で、通用口のドアを開けた私が中に入ると、そこにいた
そして、「おはようございます! 支店長!」と、元気のいい挨拶をするのである。
「はいはーい! みんな、おはよう! 今日も一日、頑張りましょう!」と、私が言うと、「はいっ!」という、元気な声が返って来る。
う~ん、いい! やっぱり、朝はこうでなくちゃ!
この、
本店は宿舎も兼ねているので、朝はあまり大声を出さないのが姫屋の流儀だからだ。
尤も、某
「あら? 一人お休み?」
確か、今日は休みの人はいないはずなので、近くにいた子に尋ねる。
「いえ、今、支店長室にいます」
「ぬなっ!?」
普段から、私が来るまでは、誰も支店長室に入らない様にと言っている。
掃除と称して、重要なメモを捨てられたり、高レベルの機密情報を見られたりしたら困るからだ。
決して、備え付けの冷蔵庫の中にある、大量のパッチンプリンを見られたくないとか、万が一にも食べられたくないからとか、という訳ではない。
そんな、
普通なら事前連絡があるものだが、それがないとすれば、業務違反の有無をチェックする本店の監査部の人か、私に無理難題を押し付ける、あの某
しかし、ここはあえて、どちらかの特定はしないように尋ねる。
「本店から?」
「はい」
「
「そうですね、かれこれ20分以上は……」
「えっ? そんな前から?」
「はい。今、支店長室にいる子が今日一番だったそうなんですけど、その子が来た時には、もう仁王立ちで待っていたそうです」
「仁王立ち……」
ハイキタコレ! もう確定じゃない!
『陛下ーっ! 女王陛下!』
『何事か? 朝から騒々しいぞ!』
『も、申し訳ございません! ですが陛下、緊急事態に御座いますれば』
『どうした? 申せ』
『はっ! 畏れながら申し上げます。城内に、あの
『何!?』
『現在、陛下の執務室にいるとの事で御座います』
『何だと!? それは不味い……』
『陛下? ま、まさか……』
『そうだ、あそこには今、我が城の至宝とも言える、生クリーム&カラメル大増量の、プレミアムパッチンプリンを保管しておるのだ! しかも2個!』
『ぬおっ! 何と!』
『いや、今はまだ心配には及ばぬ。あれほど濃厚な物を、朝から食す様な強靭な胃を持つ者など、このAQUAにはおらぬだろうからな』
『し、しかし……』
『フン! 何が目的かは知らぬが、
などと言う、女王自ら軍を率いる、中世王国ファンタジー物語風の脳内問答をしながら、事態を受け止める。
「あの、支店長?」
「えっ?」
「どうかしましたか?」
「ああ、いや。だいぶお待たせしちゃったって事ね。わかった、すぐ行くわ」
私はそう言い残すと、早足で支店長室へと向かった。
「失礼します」
支店長室に着くと、
お盆を持っているので、お茶でも出してくれたのだろう。
「(おはよう)」
中の人物に気付かれないように、人差し指を口に当てて、小声で話すように促す。
「(おはようございます、支店長)」
「(晃さん、どんな感じ?)」
「(ええ、とてもご機嫌ですよ?)」
「(え?)」
意外な答えが帰って来たので、困惑する。
20分以上待っていたのなら、絶対イライラしているはずなのに、ご機嫌というのは逆に不気味だ。
この子も、お盆で口元を隠し、更に伏し目がちで、どこか後ろめたそうなのが気になる。
「(ご機嫌って?)」
「(はい。あの……ご案内した時は目がつり上がっていたんですけど、支店長室に入るなり、冷蔵庫を開けられまして……)」
えっ? 冷蔵庫開けたの?
「(そのあとは?)」
「(はい。中を見た途端、ニヤリと笑って、それから、濃いめの紅茶を持って来るように言われたんです)」
笑顔に、濃いめの紅茶……。
まさか……まさか……。
まさかまさかまさかまさかっ!
次の瞬間、私は
そしてすぐに標的を探すと、ソファに腰かける、姫屋の制帽をかぶった鬼軍曹の後ろ姿に焦点が合った。
かなり派手にドアを開けたにも関わらず、後ろを振り返りもせず、口元だけを小刻みに動かしている。
いや、まずは冷蔵庫だ! 頼む! 1個だけでも!
ない、ない、ないっ!
眼を皿のようにして、くまなく冷蔵庫の中を確認するが、そこにはもう、愛しのプレミアムパッチンプリン(2個)の姿はなかったのである。
「よお、藍華。遅かったじゃないか」
何かを食べながらなのだろう、晃さんは少し口をもごもごさせながら私に語りかける。
声のする方を見た私は、晃さんよりも先に、カラになったプレミアムパッチンプリン(2個)の容器を凝視する。
「お゛……お゛お゛……」
絶望、怒り、恨み、悲しみの感情が同時に押し寄せてきたせいか、私は
ああ……さようなら、私の宝物。
昨日のうちに食べてあげられなくて、ごめんなさい。
この
「どうした? 顔が真っ青だぞ。体調でも悪いのか?」
ありとあらゆる負の感情を必死に押さえ込む。
「い、いえいえ。元気、バリバリ君ですよ?」
「そうか?」
「プリン、食べたんですね?」
「ああ。今話題の、プレミアムパッチンプリンだろ? 良く手に入ったなあ」
「ええ、昨日午前だけお休みして、買いに行ったんですよ」
「そうか。いやしかし、濃厚でウワサ通りの旨さだったなあ」
晃さんに、悪びれる様子はない。
ギリッと、歯を食いしばりながら、必死の思いで笑顔を作った。
「プリン、2個も食べたんですね?」
「んー? 食べちゃまずかったか?」
悪びれるどころか、もはや高圧的な態度だ。
「いや、何て言うか……その……」
「何だ? 文句でもあるのか?」
「いや、実は、旅行会社の社長さんと、大口の商談があるんですよ。その社長さん、大のプリン好きらしいんで、その時に出そうかなーって」
「えっ……」
当然嘘だ。いや、商談はあるが、プリンの消費期限である今日ではなく、相手がプリン好きかどうかは推測だから、嘘というのは適切ではない。
勿論、このプリンを出すつもりなど更々ないが、目の前の鬼軍曹は、私の意図的なミスリードに引っ掛かったらしく、明らかに気まずそうな顔をしている。
ふふん。まあ、このぐらいの罰で許してやろう。
私の中の女王陛下が、軽くガッツポーズをした。
「それはそうと、今日は朝からどうしたんですか?」
「あ、ああ。そうだったな」
晃さんはメモを取り出すと、こう私に告げた。
「何でも、お前が通っていたミドルスクールで『未来のお仕事体験会』というのを始めたそうなんだ」
「へえ、今はそんな事してるんですね」
「でだ。そこには勿論、我々ウンディーネの仕事もあるんだが、今回、ゴンドラ協会の要請で、
「はあ」
ん? 聞いてないぞ? でもまさか、この流れは……
「それで、同じミドルスクールの出身である、お前がご指名を受けた、という訳だ」
「えっ!? 私が、ですか?」
予感的中。でも、全く嬉しくない。
「そうだ。いや、私がやっても良かったんだが、向こうにしても、できれば年齢の近い、十代の
「でも、それなら、卒業したばかりの後輩ちゃんの方が適任じゃないですか?」
「いや、協会も、最初はそう思ったらしいが、オレンジ・ぷらねっとが受けなかったらしい。アリスちゃん本人の意向かどうかはわからん」
まあ、会社が断ったのだろう。その時はそう思った。
「で、どうだ?」
「分かりました、いいですよ。それで、いつなんです?」
「今日だ。今日の午後1時から2時間」
「ふえっ!? 今日!?」
「ああ、そうだ」
「あ、でもでもっ、今日その時間は、ご指名の予約が入ってまして……」
「それだよ、それ」
「うえっ!?」
はめられた。確かに、十代の子が3人という、若いグループだとは思ったのだが……。
「嫌か?」
「その、嫌って事は無いですけど、今日の今日って言うのは、さすがに急過ぎて、準備が……」
「いや、別に
「先週? それって、私に言うの忘れ……」
「すわっ! だからこうして来て頭を下げているんじゃないか!」
「下げてはいませんけど……」
「私の事はいい! やるのか、やらないのか、どっちなんだ?」
プリンで胃がモタれたのか、明らかに不機嫌そうな晃さん。
「いやでもあの、断ったらどうなるんです?」
「ああ、病気などの緊急事態を想定して、他にもう一人押さえてあるそうだ。だから私も無理強いはしない」
「そうですか。いや、やりたいんですが、あまりにも急なもんで、今回はお断りできないかなーって」
上目遣いで見ると、晃さんは膝に手をついて目をつぶり、何かを考えているようだった。
「そうか……わかった」
えっ? そんなあっさり? 何で?
「ちょっと、電話を借りるぞ」
「ああ、はい」
晃さんは立ち上がると、備え付けの電話へと向かう。
少し後ろめたいが、やはり準備は必要だろう。これで良かったのだ。
「もしもし、私、姫屋所属の晃・E・フェラーリと申します。恐れ入りますが、アリシア理事はいらっしゃいますか?」
えっ? アリシアさん?
「ああ、アリシアか。この前のお仕事体験会の件だが、急ですまん。藍華は辞退するそうだ」
何で? 本当にアリシアさんなの?
「そうだ。せっかくアリシア理事にご指名戴いたんだが、ご期待に添えずで悪いな」
えっ? アリシアさん直々の、ご指名なの?
「でも、こういうのは藍華よりも灯里ちゃんの方が向いてるんじゃないか?」
あの、アリシアさん直々の、ご指名……。
しかも代わりは……灯里ですって!?
「ええ? おいおい、冗談よせよ。お前、藍華の事を買いかぶり過ぎだって」
トンベ・パドブレ・グリッサード……
決して、
無意識に、私はそのステップを踏みながら、華麗に晃さんの方へと向かっていたのだ。
そう、あの『花のワルツ』のリズムに乗って。
「ああ、私からも灯里ちゃんには…おわっ!」
決して、晃さんにショルダータックルをかました、という訳ではない。
感覚的には、少し肩が触れたかもという程度だ。
しかし、何故だか晃さんは受話器を放り投げ、私に電話の前を譲る。
そこで私は、その手放された受話器を華麗にキャッチし、電話に出た。
「もしもし! アリシアさんですか?」
「あら? 藍華ちゃん?」
「はいっ! 今回のご依頼、是非ともこの私にやらせてください!」
「えっ? でも……」
「大丈夫です! んもう、ご指名なら直接言ってくださいよう!」
「あらあら、ごめんなさいね。でも、お仕事もあって、大変じゃない?」
「いえっ! 未来ある学生達に、お仕事の魅力を伝えるのも、私達先輩ウンディーネの重要な使命だと思っていますから!」
「あらあら、素敵な心意気ね。そこまで言って貰えると、私も嬉しいわ」
「いやー、アリシアさんのご指名なら、誰だって気合い入りますよ! では今日の午後、待ってますね!」
「ええ。私は立ち会えなくて、生徒さん達だけで伺う予定なんだけれど、藍華ちゃんなら大丈夫ね」
「ハイッ! 万事お任せください! では失礼します!」
ああ、アリシアさーん……。
「おい……」
「えっ?」
背後から低い声がした。
そう、あの『怒りの日』のリズムに乗って。
声から感じる負のオーラが強すぎて、振り返る事すら出来ない。
「この私にタックルをかますとは、いい度胸しているなあ、お前……」
「あ、あれっ? 私には、何の事だか……」
とぼけたせいで、火に油を注ぐ結果になる。
「ほう? 記憶にございませんか? 女王陛下」
「い、いや、そのっ」
「そうか……では、思い出すまで、教えてやろう……」
「あ、あは…あはは……」
その後私は、囚人がため息橋を通るかのように、ソファーへと連行され、恐怖のひとときを過ごすことになるのであった。