これは、その灯里がアイちゃんとのメールのやり取りにおいて「やっぱりちょっぴり恥ずかしいから、送らないでおこうっと」と、自ら封印したメールに書かれた、とある一日の様子を紐解くものである。
「アリア社長~。大丈夫ですか~?」
「ぷ……ぷいにゅ……」
今日は冬なのにも関わらず、朝からポカポカと暖かい日差しが降り注いでいます。
もしかしたら、お日さまが、もう春が来た、と勘違いをしているのかもしれませんが、とってもゴキゲンさんなのは間違いなさそうです。
そんな、穏やかな朝、なんですが……。
私は今、かれこれ10分以上、お手洗いの前に立って、なかなか出て来ないアリア社長を待ち続けているのです。
どうしてそんな事になったかと言いますと……お話は、昨日の夜に戻ります。
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「はひー。お腹が空きましたね、アリア社長」
「ぷいにゅっ!」
昨日最後のご案内は、お客様のご希望もあって、アリア社長と一緒に回ったんです。
リアルト橋の近くでそのお客様をお見送りした時には、もう日もすっかり落ちていて、お月さまがちょっぴり顔を覗かせていました。
その、ほぼまん丸のお月さまは、まるで『ようし、これからAQUAを照らすぞ!』と張り切っているかのような明るさを放っていました。
そんな時間でもあり、これからARIAカンパニーに戻ってお夕飯を作る、というのも大変なので、どこか近くのお店でお夕飯を食べよう、という事になったんです。
「今日は寒かったですね~」
「ぷいにゅ!」
「こんな日は、やっぱり暖かい物が食べたくなりませんか? アリア社長」
「ぷいにゅ~」
「ですよね~。じゃあ、あの中華料理屋さんにしましょうか?」
「ぷいにゅ!」
「あそこのお店って、麺類はもちろん、色々な種類の中華まんもあって、とっても美味しい……はへ? アリア社長?」
「ぷいにゅ! ぷいにゅ!」
「あっ、ちょっと待ってくださーい!」
気がつくと、今まで横にいたアリア社長の姿は消え、既にお店の前で「早く、早く」と、私を待っていたのでした。
アリア社長って、本当に食いしんぼさんで、食べ物の事になると、とっても素早いんです。
「こんばんはー」
そう言いながら引戸を開けると、中華料理屋さん独特の、それでいてどこか懐かしい、いい匂いがしました。
「オー灯里ちゃん、いらしゃい。おや、今日はアリア社長も一緒?」
「はひ。ちょうど一緒のお仕事が終わったので、そのまま食べに来ちゃいました」
「そうかい。じゃ、ダンナに盛りを良くしなさい言わないと、アリア社長に怒られちゃうネ」
「ぷいにゅっ!」
「あはは……」
「とりあえず、空いてるテーブルはどこでもどぞ」
「はひ!」
そう私が答えた時には、アリア社長はもう席について、壁に貼られたお品書きを見回していました。
「ぷいにゅ?」
「どうしたんですか? アリア社長」
アリア社長が指し示す方を見ると、そこには『冬はHOTにシベリアまん』という紙が貼られていました。
「シベリアまん?」
「ああ、あれカ?」
「シベリアって、あの
「おお、よくぞご存知ネ。そか、灯里ちゃん確か、
「そうなんですよ~。でも、シベリアって、冬はとっても寒い所ですよね?」
「そう、そう言う極寒の地いても、これ食べたら身体の中から熱々になちゃう、激辛中華まんてことヨ」
「そ、それは凄そうな中華まんですね……」
「でも、みな興味あるけど、シベリアがイマイチ分からないみたいネ。味はいいだけど……。灯里ちゃん、お一つどう?」
「いや、あの……すみません、激辛のは、ちょっぴり遠慮しておきます」
「アハハッ! 冗談ヨ。ウンディネさんがお腹壊しちゃたら、大変だもんネ」
「ははは……」
というやり取りをしていたその時でした。
「ぷいにゅ!」
アリア社長が、シベリアまんを注文したい、というジェスチャーをしたんです。
「えーっ? アリア社長、頼むんですか?」
「ぷいにゅ!」
アリア社長は得意げに、右前足で胸をトントンと叩いていました。
「いやあ、
「ぷいぷいにゅっ!」
『
「本当に頼むんですか? アリア社長~」
「ぷいにゅぷいんぷにゅ!」
「何て言てるの?」
「多分『猫に二言はない』とかではないかと……」
「にゅっ!」
「……だ、そうです」
「うーん……。じゃ、食事の最後の方に出そカ? さすがにそれ先に食べたら、お腹がビクリしちゃうヨ?」
「それでいいですか? アリア社長」
「ぷいにゅ!」
「では、他の物も頼みましょう」
「はい。じゃあ決またらまた呼んでネ」
こうして、私は広東麺、アリア社長は海鮮チャーハンを、その他に、海老餃子と油淋鶏、それから巻き揚げを頼みました。
「ハイ、お待ちどさま」
「うわあ……美味しそうですー」
「ぷいにゅ~」
「沢山食べてネ」
それから私達は、あつあつの料理を、はふはふと食べ、うまうまの味に、ほかほかな幸せを味わいました。
そしていよいよ、あれの登場です。
「ハイ、お待ちどさま」
「ぷいにゅ!」
「こ、これが、シベリアまんですか……」
それは、見た目は普通の中華まんと変わらない様に見えるのですが、真ん中には雪だるまの焼き印がされています。
湯気が立っている中華まんにスノーマン、何だかちょっぴり不思議な組み合わせです。
「熱いから気をつけ……アッ」
店員さんが注意をしようとしたその時、アリア社長はシベリアまんを放り投げ、丸ごと口の中にキャッチしたのです。
「はへー……」
それから、静まり返った店内に、アリア社長のもぐもぐという音が2、3回ほど響いた後、アリア社長の動きがピタリと止まりました。
「…………」
「はわわっ、アリア社長!?」
「お、お水持てくるネ……」
ブワッと汗が出るアリア社長。そんなアリア社長を見て焦る私。そんな私を見てパタパタと調理場の方に向かう店員さん。
「アリア社長、無理しないで、このお皿に出してください!」
「む!」
……ゴックン
「えーっ!?」
私の『無理しないで』という言葉が逆効果だったらしく、何と、アリア社長は、口の中の物を、ひと思いに飲み込んでしまったのです。
その後すぐに、まるで炎を飲み込んだかのようにのたうち回る、アリア社長の悲鳴が店内に響き渡ったのは、言うまでもありません。
「ありゃ、遅かたカ。とにかく水飲んで!」
「はわわっ、しっかりして下さい、アリア社長」
店員さんの持って来た、ピッチャー一杯のお水を飲ませると、ようやく落ちついたようでした。
「ぷ……ぷいにゅ……」
「もう大丈夫そネ」
「すみません、お騒がせしてしまいました」
「アハハッ! 気にしないでいヨ。昔、灯里ちゃんと同じ制服のウンディネさんも、辛いの食べて、火、吹いてた事あたヨ」
「えっ?」
「ARIAカンパニの人、みな面白いネ」
「あ、あはは……」
まさか、グランマとか、アリシアさんとか、私の知っている人じゃないよね?
そんな事を思いながら、私とアリア社長はお店を後にしたのでした。
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と、いう訳で、昨日は何とか帰って来た訳なのですが、やはりモチモチポンポンの方は無事ではなかったらしく、今朝のこの状況になっているのです。
「アリア社長~。そろそろ出てきてくださーい」
アリア社長の様子が気になるのはもちろんなのですが、実は私も、あつあつの料理を沢山食べて、お水をたくさん飲んだせいで……。
「ちょっぴり、わたしと交代してもらえませんかー?」
「ぷ……ぷいにゅ?」
「あの、お願いします~………」
「……ぷい」
そんな時、電話のベルが鳴ったのでした。
「あれ? アリシアさん?」
実は、今日の午後、藍華ちゃんやアリスちゃんの卒業したミドルスクールで『未来のお仕事体験会』と言うイベントがあるそうなんです。
もちろん、私達ウンディーネのお仕事も体験するそうなのですが、講師は我らが藍華ちゃんが務める事になっていました。
でも、もし藍華ちゃんが病気などで、急に出来なくなった場合の事も考えて、私にも講師の依頼が来ていたのです。
そして、そのお話を戴いた相手が、ゴンドラ協会の理事であるアリシアさんだった、という訳なんです。
例え私がやらなくても報酬は戴けるそうなのですが、その前後にお仕事を入れてしまう訳にもいかないと思って、今日はお休みにしちゃいました。
「でなきゃ……アリア社長、早く出てくださいね!」
そう言い残して、私は電話の方に行ったのですが……。
「はひっ!」
慌てていたこともあって、私は以前アイちゃんから貰った大きなマトリョーシカにつまずいてしまいました。
「ほへっ!」
更に悪い事に、足がもつれて今度は暁さんから貰った、大頭頭(かぶり面)という張り子のお面を蹴飛ばしてしまいました。
「はわわっ!」
更に更に悪い事に、そのお面が、陰干ししていたオールに当たってしまい、倒れてこようとしています。
「ほっ!」
何とかオールをキャッチして、事なきを得たのですが、この時、私は大切な事を忘れていたのです。
「はうっ……くっ!」
そう、お手洗いに行くのを我慢していたことに。
でも、とにかく今は、電話にでないといけません。
私は色々な所に、ありったけの力を込めながら、何とか電話に辿りつきました。
「……ハア……ハア……はい、ARIAカンパニーです」
「あ、灯里?」
「ああ、藍華ちゃん?」
電話はアリシアさんではなくて、藍華ちゃんでした。
一体どうしたんだろう?
「だ、大丈夫?」
「うん、ごめんなさい。あう……うんっ……ちょ、ちょっと……さっき起きたばかりで……」
「ああ、もしかして、起こしちゃった?」
「あっ……はひっ……そんな事は、ないよ。今日は……んんっ……休みなんだ」
「ねえ、何か息が荒いけど、ホントに大丈夫?」
お願いです、藍華ちゃん。早く要件を言ってくださーい!
「大丈夫んっ……あっ」
「そうは思えないんだけど……」
「ご、ごめん……それで、なあに?」
「ああ、そうそう。今日の『未来のお仕事体験会』の事って、灯里がピンチヒッターの予定だったって聞いたからさ」
「あ、藍華ちゃんが……やっ……やるの?」
藍華ちゃんがそのままやるのに、何故電話をしてきたのかが、その時は良く分かりませんでした。
「そーなのよー。何かさっき急に言われたんだけど、アリシアさんのご推薦だって言われてさ。そりゃやるでしょうよ」
「はひっ、そっ、そうなんだ」
そうこうしている時に、アリア社長がお手洗いから出て来ました。何だかとってもやつれた顔をして、ゆっくりとこちらに歩いてきます。
「でさー、そこでなんだけど、灯里は、今日の体験会の概要書とか貰ってる?」
「んんっ! うん」
「悪いんだけど、ちょっと見せて貰いたいからさ、今から行ってもいい?」
そうか。藍華ちゃん、私に用があると言うよりは……。
私はようやく、電話の意味が理解できました。
と、その時です。
「ぷにゅっ!?」
アリア社長がビクッとしたあと、再びお手洗いの方へ向きを変えたのです。もつ、嫌な予感しかしません。
「あっ……うん……あっ、イヤッ……」
「えっ?」
「ち、ちが……あっ! ダメですうっ!」
アリア社長がフラフラとお手洗いに向かうのを見て、わたしは思わず大きな声を出してしまいました。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
心配してくれる藍華ちゃんですが、それどころではありません。
「大丈夫だからっ! 後でメール送るからごめんもう切るね!」
「あ、あの、灯里?」
私は心の中でも藍華ちゃんに謝りながら、電話を切りました。
とにかく止めないと……そうだ!
「えいっ!」
私は、お手洗いに向かおうとするアリア社長を止めたい一心で、思わず足下にあった大頭頭を投げてしまいました。
「ぷい? にゅにゅっ!?」
ガポッという、鈍い音がしたのと同時に、アリア社長の顔が、あの独特の顔に変わりました。
「アリア社長、ごめんなさーいっ!」
そう言って、もがくアリア社長を尻目に、私はお手洗いへと向かったのでした。
暁に 藍の華きる お花摘み アリアの流る 水の音入れ(※)
そんな一句でも
などと、思ったのは束の間で……。
「ぷーーいにゅーーっ!!」
扉を叩きながら叫ぶアリア社長の声が聞こえて来ます。
穏やかざるいつもの一日。今日はとっても賑やかな一日になりそうな予感がします。
※短歌の解説
夜が明けて、藍色の華やかな花を切ったりして、お花摘みを楽しんでいると、川の水が流れる音が、まるでアリアを歌っているかの如く聴こえて来るなあ。
という意味(ウソですごめんなさい)