これは、その灯里がアイちゃんとのメールのやり取りにおいて「やっぱりちょっぴり恥ずかしいから、送らないでおこうっと」と、自ら封印したメールに書かれた、とある一日の様子を紐解くものである。
朝の一難が去ったと思いきやまた一難。暁をARIAカンパニーに一泊させる事になった灯里。この後一体、どんな行雲流水なる一日が待ち受けているのであろうか?
今日のネオ・ヴェネチアは、昨日の冬真っ只中の寒さとはうって変わって、本当に朝からぽかぽかとした、とってもいいお天気です。
こういう日にお客様をご案内すると、ついつい沢山の素敵ポイントをご紹介したくなってしまいます。
何だか、ネオ・ヴェネチア中の小さな妖精さん達に、『こっちは素敵だよ!』『いや、こっちの方が素敵だよ!』と、あちこちから声をかけられているような気持ちになってしまうんです。
でも、今日はお休みなので、小さな妖精さん達はがっかりしているかもしれませんが、その分、気合いを入れて、ARIAカンパニーの大掃除です。
さあ、取りかかるぞ! と思って腕まくりをした所へ、一本の電話がかかって来たのでした。
「はい、ARIAカンパニーです」
「灯里ちゃん?」
「アリシアさん!」
そう、それこそ、今朝私が待っていた、アリシアさんからの電話でした。
「ごめんなさいね。なかなか連絡出来なくて」
「いえ、そんな事はないですよ~。今日の『未来のお仕事体験会』の事ですか?」
「そう。灯里ちゃんには予備要員でお願いしていたんだけど、予定通り、藍華ちゃんがそのままやる事になったの」
「はい。さっき、藍華ちゃんから聞きました」
「あらあら、そうだったの」
「なので、今日は通常のお仕事をお休みにしていたこともあって、これから大掃除をしようと思っていたんです」
「そう。今日はお天気もいいし、捗りそうね」
「はい、頑張ります!」
私が元気良く答えたのがおかしかったのか、アリシアさんは「うふふっ」と笑いました。
「……ところで灯里ちゃん」
「何でしょうか?」
「最近、特に変わった事とか、困っていることとかは、無いかしら?」
「はひっ!?」
私はまるで、弓で頭の上のリンゴを撃ち抜かれたかのような、驚き混じりの声を出してしまいました。
「特に今朝とか。ううん、何もなければいいんだけど……」
「は、はわわ……あ、あの……ええっと……」
「うふふ、何かあったのね?」
「……はい」
「もし灯里ちゃんがよければ、何があったのか、教えてもらえるかしら?」
と、アリシアさんは言うのですが、ダメとは言いづらい雰囲気です。
「あの……。実は、アリア社長が昨日激辛の中華まんを食べて、お腹を壊してしまいまして……」
「あらあら、それは大変だったわね。もう大丈夫なの?」
「はい。ミルクのお粥を食べたら元気になりました」
「そう、それは良かったわ」
「それと、藍華ちゃんの電話に出たとき、アイちゃんから貰ったマトリョーシカにつまずいたり、オールが空から降って来たりしちゃいまして……」
「あらあら、怪我とかしなかった?」
「はい。私の方は大丈夫です。今のところはそんなとこ…」
と、私が言いかけたその時です。
「他にはなぁい?」
「はひっ!?」
私の言葉を遮るように、アリシアさんがお話をしたので、私はまた驚き混じりの声を出してしまいました。
「特に、誰か意外な人が来たとか。ううん、何もなければいいんだけれど……」
「は、はわわ……あ、あの……ええっと……」
何だか、頭の上のリンゴに、どんどん矢が刺さっているような、そんなドキドキが止まらりません。
私の動揺は、もうアリシアさんにはバレバレでした。
「うふふ、誰か来たのね?」
「……はい」
「もし、灯里ちゃんがよければ、誰が来たのか、教えてもらえるかしら?」
「あの……実は……」
私はいよいよ観念して、暁さんとのやり取りを、アリシアさんにお話しました。
「あらあら、暁くんとはいえ、灯里ちゃんが殿方を泊めるなんて……。灯里ちゃん、意外と大胆なのね」
「ちっ、違いますよう! お話の流れで、いつの間にかそういう事になっちゃったんです」
「あらあら、うふふっ、冗談よ」
アリシアさんは、私の今の状況が可笑しくて仕方がない、という感じでした。
「やっぱり、良くないですよね?」
「うーん、それが良いかどうかは分からないけれど、少なくとも灯里ちゃんは困っているんでしょう?」
「はい。ただ、暁さんからは、『二人きりが嫌なら、藍華ちゃんとアリスちゃんも呼んだらどうだ』と言ってくれているので……」
「そうね、3人いればなんとやらって言うし、それも良いかもしれないわね」
「ただ、私の為に、2人に来て貰うというのは、悪い気がしてしまって……」
「それもそうだけど、そもそも、2人とも来られない可能性もあるわよ?」
「はい」
「お年頃の男女が2人、一晩を過ごすとなると、どんな危険な事が起きるか分からないわ」
「はあ……」
「だから、もし2人とも来られない場合は、前に私が使っていた、あのお部屋で寝たらどうかしら?」
「あっ! 引き継ぎの時に教えて貰った、あのお部屋ですか?」
「ええ。あのお部屋は、私が使っていた家具は、そのままになっているし、換気とか、少しお掃除をすれば大丈夫だと思うわ」
「そうなんですか」
「私もそうだったけれど、新人さんが来るまで使わない、というのも、もったいないわよね?」
「確かに、アリシアさんの言う通りですね」
「じゃあ決まりね。事務所のお掃除もあって大変かもしれないけど、準備だけはしておいたらどう?」
「そうですね。そうします」
「うふふ。じゃあ灯里ちゃん、私はそろそろ会議があるから失礼するわ」
「はい、ありがとうございました、アリシアさん」
「ああ、そうだわ。アイちゃんから貰ったマトリョーシカは、ちゃんと元の位置に戻しておいてあげてね」
「はへっ?」
「じゃあ灯里ちゃん、大掃除、頑張ってね!」
「あ、あのっ……ああ」
電話は、そのまま切れてしまいました。
静まり返ったお部屋で、私は、後ろに転がっていたマトリョーシカを見ました。
電話では分からないはずなのに、どうしてマトリョーシカが元の位置にない、という事がわかったのでしょうか?
以前から、アリシアさんには魔法を使ったとしか思えない様な、こちらがびっくりしてしまう事をすることがあります。
さっきのお話もそうですが、きっとこれは、藍華ちゃんがよく言っている「大人の女の勘」というものに違いありません。
私も、もう少し大人になれば、アリシアさんの様な、「大人の女の勘」という、不思議な能力が身に付くのでしょうか?
そんな事を思いながら、私は再び腕まくりをして、お部屋の大掃除に取りかかりました。
「そうだ。まずは、マトリョーシカを元の位置に戻しておかないと」
そう自分に言い聞かせて、大きなマトリョーシカを持ち上げたのですが……
「えっ!?」
マトリョーシカの、ボタンのような目の部分が片方取れていて、取れた部品が床に転がっていたんです。
朝、私が足を引っ掛けてしまったせいであることは、間違いありません。
「は、はわわ……」
私の脳裏に、頬をぷくっとふくらませて、ドジっ子の私にぷんぷん怒る、アイちゃんの顔が浮かびます。
ひとまず、黒い目の部品を、元に戻そうとしたその時でした。
「……あれ?」
取れた方の目の部分くぼみに、何か別の、黒い目のようなものがある事に気がつきます。
まさか、目の部分まで、マトリョーシカと同じように幾重にも重なっているのでしょうか?
私が、その中を触ってみようと思ったその時です。
「あっ、メールだ」
ノートパソコンから、メールを受信する音がしました。
ひとまずマトリョーシカを置いて、メールをチェックしてみると……。
「はひっ!?」
それは、まさかまさかの、アイちゃんからのメールだったんです。
恐る恐るメールを開いてみると、こんな事が書いてありました。
灯里さん
今日のネオ・ヴェネチアはいいお天気ですか?
ARIAカンパニーのホームページを見たら、今日はお休みだと書いてあったので、何でかな? と思ってメールをしました。
でも、もし天気が良かったら、きっと、どこかに遊びに行っちゃいますよね!
それとも、がんばり屋さんの灯里さんの事だから、もしかしたらARIAカンパニーの大掃除をしてたりして……。
お掃除だとしても、私のあげた、マトリョーシカは、しまわずに飾ってもらえたら嬉しいです。
マトリョーシカって、日本の七福神が由来で、子孫繁栄や、願いの叶う縁起物なんだそうですよ!
その他にも、家内安全の意味があるので、もし飾っておいてくれたら、きっと灯里さんの事を守ってくれると思います。
実は昨日、大人になった私が、ARIAカンパニーの制服を着て、ピンチになった灯里さんを私が守る、という夢を見たんです。
もちろん、将来の事は分かりませんが、私がまだ、灯里さんを守れない代わりに、灯里さんを守ってくれますようにって、願いを込めたものなんです。
あっ! いつの間にか、灯里さんのお休みとは全然関係ない内容になっちゃいましたね。ごめんなさい。
それでは灯里さん、素敵なお休みを過ごしてくださいね!
追伸
そうそう、マトリョーシカの目は、倒したりすると、簡単に取れてしまうそうです。
もし取れたりしたら、接着剤とかは使わずに、そのまま直ぐにくっつければいいって、お土産屋さんが言ってましたよ!
「はへー……」
それは、アリシアさんからの電話に続き、まるで、私の事を見ていたかのような、びっくりするようなメールでした。
でも、アイちゃんはまだ「大人の女の勘」は……あるんでしょうか?
それとも、ぽっぷできゅーとな、みらくる
考えてみると、アイちゃんとは、出会った時から、とってもみらくるな事が起きていたような気がします。
だから、今回の事も、まさにみらくるな偶然なのかもしれません。
でも、私を守るって……。アイちゃん、私って、そんなに頼りないお姉さんって思われているのかな?
だとしたら、私も、もっと頑張らなきゃ!
マトリョーシカの目をはめてから、元々置いてあった場所に戻しました。
そして、マトリョーシカに向かって、礼をして、ぱんぱん、と、手を叩き、まるで、神社の参拝に来たような気分で、こう言いました。
「マトリョーシカさん。どうか今日一日が素敵な1日になりますように、私をお守りください!」
そう言えば、
来年の年始は、前に行った、あの日本の文化村の島にある神社に行ってみようかな……。
そうそう、あそこのおいなりさん。おあげはお
そうだ、今度お参りに行ったら、今度藍華ちゃん達にもお土産に買っていこうっと。
そんな事を思いながら、またまた腕まくりをして、お掃除に取りかかったのでした。
話は少し遡る……。
「許さない。絶対に許さない……」
とある場所で、パソコンを前に、ギリッと奥歯を噛みしめ、怒りをあらわにする一人の少女がの姿があった。
少女は思った。「やはり、灯里さんを守れるのは自分しかいない」と。
次の瞬間、少女はとある人物に連絡を取った上で、『灯里さんに指一本でも触れようもんなら晃さんじゃないけど即恐怖のお仕置き執行して暁さんをチーンってさせちゃう大作戦』の実行を決意したのであった。
無論、水無灯里には、そんなことを知る由はなかったのである。