side 木之元桃矢
そいつとオレが出会したのは、父さんの職場の大学に書類を届けにいった時だった。
たまたま父さんの研究室に書類を届け、人混みを出来るだけ避けながら帰宅する。
まだ制服着てる高校生だからと絡んできたり、こっちを逆ナンしようとする奴が時々いるからだ。
今日は家に妹のさくらが一人だけだから、あいつのためにも早く帰宅しようと絡まれないようにいつものルートとは違う所を通ったんだ。
といっても、既に何度か通った事のある場所だし、何より昼間の大学構内だ。
なにかあったら直ぐに誰かが気づける筈の場所だ。
しかし、その通路に踏み入った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
(あ、ヤバ)
友枝町の外には、危険な人じゃないモノが満ちている。
友枝町内では滅多に見かけないが、それでも時々危険なモノが入ってくる事もある。
大学内じゃ基本的に明確な意思を持って動いている奴はほぼいないので簡単にやり過ごせるのだが、今自分の視線の先にいるモノは違う。
明確な意思があり、既にこちらに視線を向けている。
そして今、瞬きの間に目の前にやってきた。
(ごめん、さくら、父さん)
よく夏場の怪談に出てくるような白い浴衣、否、死に装束を纏った髪の長い女の霊。
腐り落ちながらも残っている白濁した眼球からはこちらへの害意、悪意に満ちている事だけは分かった。
そいつが黒髪の間から腐って崩れた顔を覗かせながら手を伸ばしてきて・・・
パンッ
大きくもない、なのに何故か廊下全体に破裂音が響いた。
同時、そんな音一つで幽霊、いや、生者への悪意に満ちた悪霊は塵も残さず消えた。
「っ・・・!はぁ・・・ッ!!」
ドッと滝のような汗を流しながら、尻餅をついてしまった。
今正に命の危機に遭ったんだから、その位の無様さは許してほしい。
「大丈夫です?お加減悪いなら医務室にお送りしますよ。」
そう言って尻餅をついていた俺に優しげに手を伸ばしてくるのは、さくらよりも少し年上で、自分よりも幼いだろう少年だった。
何時からここにいたのか、勘が良いと自認する俺が全く気づけなかった。
見ただけで何処か典雅な挙手をするその少年は恐らくはそういう教育を受けるだけの背景があるのだろう。
容姿も同性から見ても整っており、きちんと手入れがされている事も窺える。
だが、そんな事がどうでもよくなる程にその美しい少年からは先程の幽霊よりもなお濃密極まりない死の香りが漂っていた。
「っ!?」
思考する暇もなく、本能のままに跳ね起き、距離を取る。
普段なら絶対しない、まるっきり無様な行動を、しかしオレは後になっても笑う事は出来ない。
人よりも敏感で色々と余計なモノが見えてしまう体質を、これ程までに恨んだ事は無い。
目の前にいる少年が見た目通りのものだと気づかずにいたかった。
逃げる事は勿論、目を背ける事すら出来ない。
今、自分の目の前に逃れ得ぬ死が立ち、こちらを見つめている事に、オレは唯々絶望していた。
「あぁ、そう警戒しないでください。用事があったのは貴方じゃありませんし、もう終わりましたから。」
笑顔で死が告げる。
全身から滝のように脂汗を流しながら、その言葉の意味を咀嚼し、背筋が凍る。
目の前の少年の姿をした死に神の美しい笑みが、ただただ恐ろしかった。
「それではご機嫌よう。今日はまっすぐ早めに帰ってくださいね。」
その後、どうやって家に帰ったかすら覚えていなかった。
気づけば自宅のベッドの中にいた。
随分と消耗していたらしく、父さんとさくらをかなり心配させてしまった。
というのもオレは丸二日寝込んでいたらしい。
原因は言うまでもなく先日の大学での一件に違いない。
というか、他に心当たりはない。
「・・・父さん、職場で何か変わった事ってなかったか?」
「変わった事、ですか?あまり子供に言うべき事ではないのですが・・・」
「頼む。教えてくれ。」
オレの必死な様子に何かを思ったのか、父さんは渋々とだが語り始めた。
曰く、自分と同じ大学の民俗学の教授がおかしくなり、昨日亡くなった。
曰く、その教授は以前から曰く付きの物を勝手に持ち帰っていた。
曰く、何度も問題になったが、理事の関係者らしく大きく罰される事も無かった。
曰く、調子に乗った教授は今度は取り壊し予定の倉から何かを持ち帰り、徐々におかしくなっていった。
曰く、昨日、研究室内で亡くなっていた所が発見された。
曰く、持ち帰られた物品は全て専門業者に任せて判明している分は全て元あった場所に戻された。
「教えておいてなんですが・・・桃矢君、あまりこういった事に関わってはいけませんよ。」
「分かってる。俺だって地雷を踏むつもりはないよ。」
日々穏やかな父が珍しく真剣な表情で俺に告げる。
亡くなった母の撫子はそういう家系に生まれたと生前に直接教えられた。
しかし、病弱だった故に子供を残す事を条件として自由に生きる事を許されたとも。
その相手が一般人かつ10以上年上の教師という余りのかっとびぶりに関しては関係者一同驚天動地だったらしいが・・・それで生まれたのが俺なのでとやかくは言うまい。
重要なのは俺とさくらがそういう家系の血を引いており、才能に溢れているという事だった。
尤もさくらの場合はそっちの才能も身体能力も高くとも、極端ににぶちん且つ性格が優しすぎるので向いてないだろうなと思っているが。
「取り敢えず、父さんの方も気をつけてくれ。俺も今後は今まで以上に注意するから。」
「分かりました。一応、撫子さんの実家方面には連絡しておきますので、後は専門家に任せましょう。」
こうして、一先ず対応は終わった。
けど、俺は気になって仕方なかった。
幽霊なら、今まで程度の差はあれど何度も見てきた。
だけど、あの死は違う。
あんなモノ、この世にあって良いものじゃない。
親戚の爺様方でどうにか出来るモノじゃない。
ただただ過ぎ去るのを待つ事しか出来ない、埒外の存在。
俺に出来るのは、あの死が俺や身内の前に現れない事を願って日々を暮らす事だけだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
side 桜坂 星史朗
大昔から万難を排してきた天才の手による大結界と言えども、当然ながら限界は存在する。
メンテナンスが滞れば、必然的に効果は落ちる。
効果が落ちれば、何時かは突破される。
一応、万が一の時に備えた結界の再構築手段はあるらしいが、そちらは可能な限りは使用が禁じられてる上に詳細は門外不出なので知らん。
多分才能ある一門の人間を幾人か生け贄にするものだろうとは見当がついているがそれはさておき。
問題なのは今、長らく怠らざるを得なかったメンテナンスの真っ最中であり、終わるまで簡易的に展開された多数の小型結界で急場を凌ぐ必要があるという事だ。
勿論小型の結界複数で無理矢理町全体をカバーしているので隙間はあるわ、効果も大結界より低いわであちこちでトラブルが発生している。
更に大規模メンテナンス自体が大勢の人を必要としており、町の関係者やその親戚が一斉に呼ばれたため、大規模メンテナンスが行われるという情報がそういった人やその動きから漏れ出てしまったのだ。
少しでも結界の情報を抜く、或いはメンテナンスの妨害のために有象無象のオカルト犯罪者や魑魅魍魎達が友枝町へと殺到する事態となり、オレこと桜坂星史郎も普段から世話になってる公安のオカルト部門に通報しつつ、全力で以て友枝町へとやってくる有象無象を鏖殺し続ける事態となった。
他にも危険物の持ち込み禁止等の効果も大幅に低くなっているので、今後は結界内の見回りを強化するように意見出しておかないとなぁ。
「まぁ雑魚ばっかで今は大丈夫なんだけどさ。」
ノールックで中華系犯罪組織を皆殺しにした時に入手した59式手槍(ソビエト製自動拳銃マカロフの中華コピー品)を三連射し、調子に乗って民家に押し入ろうとしていたオカルト犯罪者をあの世に送る。
この界隈ではオカルトばかりに傾倒して物理防御を疎かにした馬鹿の寿命は短い。
他にも毒や暗殺への対策とすべき事は枚挙に暇がない。
実際、こうして目的のためなら何でもやるオレのような奴にとっては鴨だったりする。
「くそ、桜塚護がいるなんて聞いてねぇぞ!」
そう言って逃げようとする犯罪者の背に、透かさず鉛玉を叩き込んで黙らせる。
「ぁ・・・がッ・・・ちく、しょ・・・ッ!」
「おや、意外としぶとい。」
3発も背中に受けながら、芋虫の様に這いずって逃げようとするオカルト犯罪者。
しかしまぁ、この手の人間を逃がすと碌でもない事にしかならない。
それにこいつは禁句を言った。殺す理由しかない。
「待」
「待たない」
這いずるその背に足を置き、言葉と同時にぐしゃりと踏み抜く。
右足が真っ赤に染まったが、まぁ構うまい。
「その名で呼ばれたからには生かしておけないんだ。」
くそったれの実家の長の名で呼ばれては、もう殺すしかない。
元々この町に寄せてきた時点で生かす理由は無かったが、自分で殺す理由を増やすとは頭の悪い奴だった。
「ん、次はそっちか。」
近隣一帯に放っていた式神達、元は保健所で処分を待つ野良犬や猫達からの術式を通した報告により、移動を開始する。
犬猫は良い。
人と違って無条件に可愛らしいし、大事にすれば懐いてくれるし、身代わりや素材と幾らでも使い途がある。
何より人間よりも遙かに片付けと世話が簡単で、日本全国津々浦々で揃える事が出来る上に消えた所で基本的に誰も騒がないのだ。
まぁこれ以上なく有用だけど、搾取はあかんと前世からの倫理が叫ぶので、対価として死ぬまでは大事に大事に世話をする必要があるけど。
「ま、そのお陰で死後も働いてくれるんだから、やっぱ情けは人のため為らずって事なんだろうね。」
死後も式神、イヌガミとネコマタとなってまで働いてくれる犬猫達へとにこりと微笑み、思考を切り替える。
ぴょんっと軽々と民家の屋根まで飛び上がり、風の様に駆け出しながら、オレはそんな事を呟きながら次の現場へと向かうのだった。