香港 李家邸にて
「駄目です。」
そう言ってきっぱりと両断した母にして当主たる夜蘭の言葉に、小狼は反発した。
「何故ですか!?クロウカードは我が一族の悲願なのでしょう!?何故今更手を引こうとするのですか!」
「危険過ぎるからです。彼の地の守りは未だ嘗て無い程に高まっています。それこそ我々李家すら危うくなる程に。迂闊な手出しは滅びを招くだけでしょう。」
李家はクロウ・リードとは母方の遠戚に当たる家系であり、アジア圏内では最大規模のオカルト名家だ。
嘗ては中国に本拠を置いていたが、中華恒例行事の革命の気配を察知するや否や一族丸ごと香港に拠点を移す事で難を逃れ、他の中華系霊能名家の多くが没落する中で逆に影響力を拡大させる事に成功した稀な名家だった。
そして今、末っ子にして跡取り息子の小狼は一族の悲願でもある世紀の魔術遺産の一つであるクロウカードを手にしようと出立すべく、当主である母に許可を貰いに来ていた。
「そんな事は事前に分かっていた事です!今行かなければクロウカードの主はそう遠くない内に正式に決まってしまう!今しかないんです!」
「その結果、李家が滅ぶかもしれないのにですか?」
夜蘭の指摘に言い返せず、小狼はぐっと黙る。
実際、夜蘭の言葉は正論だった。
現在、友枝町を守護している男は現代にありながら神話の時代の英雄が如く強大な魔力と武力、それを振るう事を躊躇わない冷酷さを持ち合わせた希有な存在だった。
嘘か真か(多分マジ)神すら殺し、大国すら滅ぼし得る神話やおとぎ話の住人に喧嘩を売る様な真似は絶対にしてはならない。
少なくともあの男が去るまでは友枝町への手出しは厳禁だ。
これは当主としては勿論、母としても絶対に許可できない事だった。
しかし、中華系文化圏、更には裏の世界で生きる者達にとってとても大事なものがある。
それがメンツだ。
ブランドや看板と言っても良い。
これを汚され、剰えそのままにする事は業界問わず自衛力を持たないと見られ、有象無象の攻撃対象となるので死活問題となる。
そしてクロウリードの系譜である李家としてはクロウカードの入手は昔から掲げていた悲願であり、これを何もしない内から諦める事は李家のメンツを潰す事となってしまう。
李家内部の夜蘭への反対派(弱小)や商売敵等の潜在的な敵勢力が弱ったと見て攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
そういった事を考えれば、確かに小狼の言う事自体は間違っていない。
枕詞にただ一点を除いて、と付くが。
「つい先日、私が手掛けた護符を持った男が死にました。」
「ッ!?」
「私の護符があるからとあの男を殺すように日本国政府に命じたらしいですが・・・それを不快に思われたのでしょう。先日、遺体となって発見されました。」
あの名前を言ってはいけない男の耳目は兎角広い。
現地に派遣された部下の報告では「トイレの個室内で体内のあらゆるものを排泄していた」らしい。
勿論排泄物のみならず、血液や臓器、骨と肉の一片すら残らず排泄、否、強制的に排出させられた様だ。
残ったのは皮と衣服だけの有様で、遺族に渡す事も難しいのでそのまま急遽火葬になったそうだ。
なお、男の持っていた護符は灰となって消えていた。
「あの護符は相応に強い守りの魔術が込められていました。しかし、術者である私に破られた事すら気付かせず、あの男の呪いは発動した。これがどういう意味か、分かりますね小狼?」
もしあの名前すら言ってはならないあの男がその気だったら、その時点で夜蘭は死んでいた。
彼女の護符を持った男が彼の死を日本に命じたその時点で。
皮と衣服だけを残し、体内の全てを排泄した、とても人とは思えない状態で見つかっていた事だろう。
標的だけを殺し、護符を作った術者までは殺さなかったのは単に気まぐれか、それとも何らかの思惑があったのか。
夜蘭には予想しか出来ない事だったが、彼我の実力差が知れたからにはこれ以上こちらから関わりたくはなかった。
「とは言え、李家として何も言わないというのは確かに問題です。なので、正規の外交ルートから接触します。」
「外交ルートですか?」
「少なくとも、正面から真面目に向き合えば話し合いに応じてくれる事は分かっています。そこからクロウカードの次代の主として小狼、貴方を推薦します。」
過去の事例は既に調査済みだった。
話し合いや依頼等は場所が国内限定だが応じてくれるし、こちらが真摯に対応すれば相手もまた応じてくれる。
その内容が認められるものではなくとも、それが自分に関わらないものならば放置する場合が多い事も確認済みだ。
あの名前を言ってはいけない男が何を考えているかは知らないが、敵になってもいない相手を態々鏖殺する程の気狂いでも暇人でもない。
だからこそ正面から正攻法で挑み、駄目なら駄目ですっぱり諦める事が最適解となる。
「そこで許可が出ずとも、李家はすべき主張はしたと言えます。許可が出れば堂々と次代の主候補としてあの町に入る事が出来ます。ですが、結果はどうあれこちらに戻ってくるまで気を抜く事は一切許されません。それでも貴方はやるのですね?」
恐らくは断られる可能性が高いが、それは即ち李家が危険から遠ざかる事を意味する。
寧ろ許可され、その後一切の切れ間なく見張られる事の方が夜蘭の精神と胃に絶大な負担となるだろう。
何せ自分は兎も角、唯一の直系の跡取り候補である末の息子が常に命の危機と隣り合わせになるのだ。
一人の母として、当主として、とてもではないが安心して送り出せる環境ではない。
「念のため、芙蝶も共に行かせます。」
「な!?姉上は魔力がありません!危険過ぎます!」
「ですが、各種正式な手続きは未成年の貴方では無理でしょう。表向きの日常生活をするにも一人では不安がありますし、術ばかり重視して勉強を疎かにしてしまう事も有り得る。」
「うぐ・・・分かり、ました。」
「小狼・・・くれぐれも注意して行動するのですよ。別にクロウカードの主とならずとも、貴方には私に並ぶ才能があるのですから。生き残りさえすれば、また次があるのです。」
こうして李家は方針を固め、表向きはクロウカード獲得のため、裏向きは李家としてのメンツのために動き出した。
中国政府や香港特別行政区政府はこの一件に絡もうとも考えたらしいが、直近でとんでもない被害があった事から軽挙妄動は慎んだのか大人しかった。
そんなこんなで後日、日本政府を通じたクロウカードの主となる試練への参加にOKが返されるという悪い方での予想外の事態が起きてしまう事をこの時の二人はまだ知る由も無かった。
これは渦中の名前を言ってはいけない人物が自分のせいで小狼が来れなくなる可能性に気付き、慌てて公安に尋ねたタイミングが李家の接触とばっちり合ったのも原因の一つだったりする。
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side 大道寺知世
その日、私は魔法というものの恐ろしさを知りました。
さくらちゃんとケロちゃんのクロウカードの収集で魔法の存在と力は知ってはいたのですが・・・それが悪意を以て運用されるとどうなるかというのは思考の外でした。
いえ、きっと敢えて考えていなかったのでしょう。
あの可愛らしく愛おしいさくらちゃんが魔法少女、カードキャプターとして活躍する姿を思えば、魔法がそんな悍ましいものだなんて思いたくなかったのでしょう。
ですが、それは正しい行いではありませんでした。
私と母のつけてくれた馴染みの護衛の方々は悪意ある魔法使いによって移動中に襲撃を受けました。
ボディーガードの方々は大きな傷を負って動かなくなり、私はあっさりと捕まってしまいました。
目と口元を布で覆われ、ガムテープの様なもので手足を縛られた上でそれなりの時間を移動し続け、遂には何処か埃臭い場所に置かれました。
多分ですが何処かの廃墟や廃工場なのでしょうが、詳細は分かりませんでした。
聞こえてくる音から複数の男性、それも複数の外国語混じりで内容も判然としません。
辛うじて分かった事は私が誰かに引き渡される予定だという事でした。
外国語=外国人に引き渡される→さくらちゃんやお母様と二度と会えないかもしれない。
その可能性に気付いた時、私の身体は震え始めました。
身体の震えを何とか押さえ込もうとしたのですが、これから私の身に降り掛かる事を思うととてもではないですが平静ではいられませんでした。
護衛の方々にお母様、学校の皆さんに使用人の方々、何よりもさくらちゃんと二度と会う事が出来なくなる。
それを思うともう冷静でいられなくなってしまいました。
いやだ、いやだ、いやだ!
だして、だして、だして!
かえして、かえして、かえして!
無駄だと分かっていても私は必死に拘束を解こうと動き続けました。
しかし、ただの小学生に過ぎない私ではそんな事は出来ません。
ただただ情けなく、普通の子供らしく涙(と鼻水)を流しながら呻き、身動ぎする程度しか出来ませんでした。
やがて泣き疲れた私はそのまま眠りにつき・・・気付けばそれなりに長い時間が経過していました。
相変わらず拘束されたままでしたが、特に身体に異常はありません。
泣き疲れた時のままでしたが、不意に鼻先にいやな匂いが漂ってきました。
鉄、いえ、鉄分を多く含んだ独特の匂い。
護衛の方々も流していた血の匂いが漂っていました。
「おや、起きてたか。」
不意に優しげな、それでいて何処か冷え切った様な印象を受ける声が聞こえました。
私よりも少し年上程度だろう男の子の声でした。
「今は目隠しを外さない方が良い、か。ちゃんとお母さん達の所に返してあげるから、もう少しだけ我慢してね。」
あぁ、もう大丈夫なんだと思った私はその声に素直に従い、大人しくなった私をあの人は抱き上げました。
あの人は私を横抱きにすると、その場からゆっくりと移動を始めました。
周囲は眠る前の喧噪と比べてとても静かでした。
でも、とても強い血の匂いが満ち、足下からぴちゃぴちゃと音がしている事から「あぁ、あの人達は皆死んだんだな」と納得しました。
私を抱き上げている腕から感じる熱というか迫力というか・・・そんな形容し難い力そのものが私を浚った魔法使いのものよりも遙かに大きいように感じられたからです。
こんな強い力を持っている人なら、この位の事は出来るんだろうなと納得しました。
同時に、その力のせいでとても窮屈で生き難そうだなとも。
「疲れたのならもう寝ても大丈夫だよ。もうすぐ迎えの人達が来るからね。」
私を抱える手がぽんぽんと一定のリズムで叩かれる。
まるで赤ん坊をあやすみたいな行動でしたが、その声とリズムを聞いた私は極限環境による負荷も相まってあっという間に意識を失ってしまうのでした。
その後、気付けば私はかかりつけの病院のベッドの上で横たわっていました。
色んな人達に心配され、泣かれ、良かったと抱き締められる中、私の頭の中ではさくらちゃんと並んであの力強い腕の殿方の事がこびり付いて離れなくなってしまいました。
これが私とあの人との出会いであり、長い付き合いの始まりでした。
知世ちゃんを浚った犯人は主犯の魔法使い(雇われ)と洗脳された一般人(その辺のチンピラ)でした。
その後、急いで駆けつけた星史郎主により実行犯と黒幕その他全てキレイキレイにされました。
魔法使いは死亡後、その魂から直接情報を取り出され(超絶苦痛。最悪魂が損壊する)黒幕を確定され、即座にカウンター狙撃(中華の何処か)されて族滅されました。
チンピラ?単なる殺処分で済まされました。全てを素材にもされなかったのでこれでも十分温情処置