理事長から再評価を言い渡された次の日、八京のスマホには面接の日程が送られてきていた。
「二週間か……」
八京は自宅近くの土手道を歩きながらため息をついた。
あれからずっと理事長に言われた事を考え続けていた八京だが、未だに納得のいく答えが出せていない。そんな状況で明確な期限を知らされた八京の胸中は重かった。
自分が歩んできた人生を振り返ってみたりもした。
しかしどうやってもトレーナーになる自分の意気込みというものが曖昧なままで、あの聡明な理事長がそんな曖昧な言葉を認めてくれる光景も全く浮かんでこない。
気分転換にと散歩にでかけてみても、考えれば考えるほど自分の至らなさに嫌気がさして足が重くなってくる。嫌な流れだ、と八京は内心で呟いた。
時折トレセン学園のジャージを着たウマ娘たちが彼の隣を通り過ぎていく。この道はウマ娘たちのランニングコースとしても使われているらしい。話によれば学業で優秀な成績を収めていれば授業の時間を練習に当てることも許されるようなので、自分の走りにかける熱意だけ見ても中央のウマ娘たちのレベルの高さが窺える。
とはいえ、八京がトレセン学園で出会ったウマ娘は昨日の栗毛のウマ娘一人で、ウマ娘達のことをよく知るには二週間後の面接を乗り切る必要がある事には変わりなかった。
「意気込みって何だろうな……」
諦めにも似た自問だった。
当然答えるべき自分の口から答えらしい答えが出る事はなく、八京は本日何度目かのため息をついた。
八京が近くのスポーツショップに訪れたのはその日の昼過ぎのことだった。
テスト期間中に部屋の掃除をしたくなる学生よろしく、嫌なことは一度忘れようとかねてより買い換えようと思っていたランニングシューズの購入にやってきていた。
何度目かの入店音を聞いて店内に足を踏み入れる。どこかの系列店ではなく個人で営業しているタイプのスポーツショップで、こじんまりとした店内は八京のお気に入りでもあった。
新商品が置かれているコーナーを通り過ぎてその奥の棚へ向かう。何世代か前の古いシューズが置いてある場所だ。超人的な脚力故か、すぐにシューズをボロボロにしてしまう八京にとって、高いシューズを買うより安いシューズを買って壊れるたびに買い換えた方が効率が良かったのだ。
普段使いできる手頃なものを選ぼうと靴売り場をうろうろしていた八京だったが、ふとその隣のウマ娘のコーナーに目がいく。
「蹄鉄か……」
ウマ娘の超人的な脚力を支えるのに必須な補助具である蹄鉄。足の負担を軽くし、怪我のリスクを減らす役割もあるそれは勿論ウマ娘専用のものだ。しかしウマ娘と似た脚力を持つ八京にとって一度試してみたいものでもあった。
「しかしサイズがな……。トレーナーになれば研究の一環として堂々と買えなくもないが……」
ウマ娘の中には職人に直接依頼する事もあるそうだが、採用を保留にされている段階では悩んでいても仕方のない事だ。
諦めて安いシューズを買おう、と適当なものに手を伸ばした時、
「……おや?」
声がした。
誰に向けられたか分からない言葉。しかしその声に八京は聞き覚えがあった。
声のした方向に顔を向けると、昨日見た栗毛のウマ娘がいた。
「蹄鉄に興味があるのかい?」
「え?」
どうやら蹄鉄を凝視していたのを見られていたらしい。
八京はシューズに伸ばしていた手を一度引っ込めて、
「そりゃあ、ウマ娘が走る上で需要なものだからな。興味はあるよ」
「ふぅン? トレーナーはみんな勉強熱心だねぇ」
「いや、トレーナーって訳じゃ……」
「おや、違うのかい? 昨日学園にいただろう」
確かにトレセン学園の敷地内には生徒と関係者以外は入れない。目の前のウマ娘が自分のことをトレーナーだと予想するのも無理はないだろう。
八京は何と答えようか迷った末に、
「……まだトレセン学園のトレーナーになれるかは分からないんだ。色々あってさ」
「……へぇ、色々ね」
栗毛のウマ娘は僅かに目を細めたが、それ以上の詮索はしてこなかった。
話せば話すほど奇妙なウマ娘だ。間違いなくこちらが年上なのに、話していると彼女の方が年上のように見えてしまう。
そんな大人びた態度を見ていると、思わず言うはずのなかった言葉が口からこぼれた。
「君は何をしに来たんだ? 早退したって訳でもなさそうだが」
今の彼女は制服姿だ。街中では流石に白衣は着ないらしい。
自主練習なのであればジャージを着ているはず、という八京の予想に栗毛のウマ娘は僅かに考える素振りを見せて、
「早退だよ」
「嘘だろ」
思わず即答してしまう。
そもそもトレセン学園に通うウマ娘の大半は寮で生活しているはずだ。仮に体調不良が原因で早退したのなら寮の自室で休んでいるのが自然だろう。
「サボりか?」
「違うよ。早退というのは嘘だけどね。私は常に研究に時間を当てたいんだ。それなのに学園の教師達ときたらレースに出ろとうるさくてね」
「? レースに出るのがウマ娘達の共通の目標なんじゃないのか?」
その問いに、当然の疑問だ、と言わんばかりに彼女は頷いて、
「そうとも。トレセン学園は才能あるウマ娘が入学を許される。かくいう私も走る才能を見込まれて入学を許された。だから、ほら」
栗毛のウマ娘は自分の体を見せるようにばっと両手を広げた。
「少しくらいサボっても、ある程度は目を瞑ってもらえる」
「それでもサボりはサボりだろ」
「かたいねぇ、君は。さっきも言ったが、私は研究で忙しいんだ。出来るだけ無駄なことは省きたいんだよ」
栗毛のウマ娘の言っていることはめちゃくちゃだが、少なくともその研究とやらにかける熱意か本物であることは彼女の瞳を見れば分かった。ただ、走ることに向ける熱意も研究に注ぎ込んでしまっている点はいかがなものかと思わずにはいられないが。
「……まあ、熱心なのはいいことか」
「だろう? 君は少しは話のわかるトレーナーみたいだね」
「なんの研究をしているのか」と問おうかとも思ったが、まだ会って二度目の人物に踏み込んだ話を聞くのは失礼かと思い、口から溢れそうになった問いかけを飲み込む。代わりに近くにあったカゴを掴み、その中に比較的値段の安いシューズを三足ほど突っ込んだ。
「随分買うんだね?」
「すぐ壊れるからな。ストックしときたいんだ」
そう言ってそのままレジに向かう。レジにいた男性の店員に「少し前もいっぱい買ってなかった?」と訊かれたが適当に受け流して会計を済ませる。
袋を片手に持って出口に向かう途中、八京は少し考えてから、こちらではなく八京が買ったシューズが置いてあるコーナーを見つめている栗毛のウマ娘に向かって、
「研究熱心なのはいいが、早く戻れよ。怒られるぞ」
とだけ言って、返答は期待せずに出入り口の扉を押した。予想通り返事は返ってこなかった。
八京が去ったスポーツショップの店内。
控えめな店内BGMが流れる中、栗毛のウマ娘は八京が手に取ったシューズを見ていた。色は違うが同じ型のものだ。
「……耐久面に問題は無さそうだが……」
そう呟いてシューズを一度戻すと、今度はレジに向かう。
「ちょっといいかな」
「ん? どうしたんだい?」
「さっきシューズを買って行った彼に何か訊いていなかったかな?」
「ああ、彼か。いや、今日で三度目の来店なんだけどね、いっつもたくさん靴を買っていくもんだから気になったんだ。受け流されちゃったけど」
「そうか。ありがとう」
苦笑する男に礼を言って再びシューズのコーナーに戻る。
もう一度同じシューズを手に取る。しかしどこをどう見ても、安売りしているとはいえ一般的な耐久を備えているシューズで、濡れやすいとか破れやすいとか、そういった要素は見られない。
心配性なのか、はたまた本当に壊れやすいだけなのか。
「……ふぅン」
栗毛のウマ娘の含みのある頷きは、当然八京には聞こえるはずがなかった。
賢さSS