超光速の証明   作:雁来紅

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4 尋問

「トレセン学園に来てみませんか?」

 そんな誘いを駿川たづなから電話越しに告げられたのは、面接が一週間後に迫った日のことだった。

 はっきり言って、外に出る気力がなかった。

 来る日も来る日も、あの時の理事長の指摘に頭を悩ませる日々。教科書を読み直し、学生時代熱心にとっていたノートをめくってみてもそれらしい答えは浮かばない。全ての原因となった自身の脚抜きで自分の意気込みを語るのは八京にとって至難の業だった。

 机に張り付いていても良い答えは見つからない。かといって外に出ても、解決していない課題を思い出してばかりで心が休まらない。

 そんな状態でもそんな誘いを了承してしまったのは、やはりウマ娘に対する憧れが強かったからだろう。

「あの、本当にスーツじゃなくても?」

「大丈夫ですよ。その許可証があれば咎められる事はありませんから」

 私服でやってきた八京に笑顔を向けた駿川たづなの後ろについて歩く。 

 トレセン学園の校内は平日なだけあってウマ娘達の姿が多く見られる。といっても今は教室で授業を受けている為、廊下に喧騒が満ちる事はない。

 現在八京は、たづなに連れられて校内を案内されている所だった。

「ここがトレーニングルームです。ありとあらゆるトレーニング器具が揃っていますよ」

 案内された場所はジムでも開けそうな広々としたトレーニングルームだった。

 あらゆる部位の筋肉を鍛えるための器具が整然と並べられ、八京はこの学園の豊富な設備を改めて実感する。

「やはりすごいですね、ここは。何でも揃ってる……」

「ウマ娘の為ならサポートを惜しまないのが理事長ですから。たまに暴走気味になるのも事実なんですが……」

 たづなが遠い目をする。理事長の秘書という事だが、一目では計れないくらいには苦労をしているらしい。

 ふと気になって八京はその問いを口にした。

「何故見学の誘いをくれたんですか? 俺はその……、再評価という立場の人間なのに」

「だからこそ、ですよ」

 たづなは淀みない口調で答えた。

「そもそも、採用した人を再評価するなんて本来あり得ないんです」

「そうなんですか?」

「はい。ですが今回は理事長がどうしてもということで、再評価することになったんです」

 初耳だった。

 そして疑問でもある。

「やはり、私に至らない点があったからでしょうか」

「あ、いえいえ! そういう訳ではないんです!」

 八京の感情が沈んだ声に気づいてたづなは即座にそれを否定する。

「ここのトレーナーになるのは簡単なことではありません。それこそ、至らない点があったのなら選考の時点で落とされています。理事長はあなたの能力を評価した上で再評価の決定を下したんです」

「意気込みがない、からですか?」

「ここのトレーナーになって、辞めていった人はそれなりの数存在します。これは私の推測ですが、あなたに気持ちを強く持つように促したいのではないでしょうか」

「気持ちを……」

 実感が湧かない。しかし輝かしい場所にはそれと同じくらいに暗い陰があるのも事実だ。この学園にあるウマ娘たちは、皆学友でありライバルだ。そんな競争にウマ娘と共に身を投じるのだから、身体が丈夫でも精神が脆ければ必ずどこかで挫けてしまう。

『君にはこう、なにか、核になるものがない!』

 あの日の理事長の言葉は、あやふやのようで的を射た表現だったのかもしれない。

 気づけば八京とたづなは外に出ており、最後の案内先である練習場へと到着していた。

「私が案内する場所はここで終わりです。その許可証は今日一日有効ですから、今日はあなたの思うようにこの学園を巡ってみてください」

「……はい。ありがとうございます」

「頑張ってくださいね」

 そう言ってたづなは去って行った。

 八京は特に理由もなく練習場を見下ろす。芝を見ていると、自分の憧れとなった名も知らないウマ娘が走る映像が脳裏に浮かんでくる。

「誰にも譲れないもの……」

 足に熱が溜まっていく。部屋に引きこもっていたせいで最近は早朝のランニングさえまともにできていない。

「流石にあそこは走れないよな……」

 後ろ髪を引かれる思いで八京が練習場から目を逸らすと同時にチャイムが響いた。腕時計を確認すると正午を回っており、昼休みを告げる鐘である事を理解する。

「少し、見て回るか」

 たづなとの話で少しだけ落ち着きを取り戻た八京は、ひとまず食堂へと足を運んだ。

 

 

 

 たづな曰く、許可証を持っていれば外部の人間でもカフェテリアで食事を取る事ができるという。しかも無料で。

 ウマ娘をサポートするトレセン学園の料理。そこで出されるものに興味がない訳ではない。しかし、

「ウマ娘優先だよな」

 授業を終えた解放感からか、ウマ娘と喧騒に満ち満ちているカフェテリアを見て、八京は諦めたように踵を返した。

 結局近くの購買でパンを一つ買って5分にも満たない昼食を終えると、再び校舎の中をぶらぶらと歩き出す。

 ウマ娘達はカフェテリアか外に出ているらしく、廊下に人気はない。時折すれ違うウマ娘に視線を向けられるが、首にかけられた許可証を見るとすぐに視線は外れた。

 そんなウマ娘達ともすれ違わなくなった頃、八京は自分でもどこにいるか分からない場所にいた。

「学園で迷うとか……」

 あてもなくぶらぶらと歩いていた自分が悪いのか、はたまた広大な敷地と校舎を持つトレセン学園が悪いのか。

 間違いなく前者だな、と内心で結論づけながら八京は窓から下を見下ろした。

 ベンチで友人と話すもの、練習場へと駆けていくものと様々な生徒がいる。そして彼女達は共通して笑顔だった。

 ウマ娘のトレーナーになる。

 その願いが間違いではないと何となく思う。解決しない課題を前に素直に頷けなかったものが、彼女達の笑顔を見ているとなんだかすんなりと認められるようになった気がする。

 ウマ娘は走るために生まれてきた存在だ。

 よくそんな事を言われる彼女達であるが、実際はどうなのだろう。

 この学園にいるウマ娘たちはきっと頷くはずだ。本格化を迎え始めた彼女たちにとって、走るという行為はきっとどんな娯楽にも勝るものだ。

(……そういや)

 ふと思う。

 八京の脚力は恐らく後天性のものだ。もしかしたら生まれつきのものだったのかもしれないが、彼が自身の脚力を自覚したのは小学校の頃である。

 しかし彼の置かれた環境故にその能力が日の目を浴びる事は未だにないが、少なくとも人は自分自身の体については把握しているものだ。

 例えばそれは足が速かったり、泳ぐのが苦手だったり、ある食べ物が嫌いだったり。

 そんな中で自分は、自身の脚力を、さしあたっては自分の足を詳しく知ろうとしていなかったのではないか。

 足が速いという事実だけ見て、はしゃいで、その脚力を生み出している足自体にあまり関心を抱いていなかったのではないか。

(仮に、子供の頃からもっと自分の足について調べていたら……)

 全てもしもの話だが、今の課題解決の一助となった可能性は高い。

 八京はぼそりと呟いた。

「足の研究でもしとくべきだったかな……」

「ほう! 足に興味があるのかい!?」

「うわっ!?」

 情けない悲鳴が口から飛び出す。同時にがしっと肩を掴まれたかと思いきや、ぐるりと体を回される。

 聞き覚えのある声だった。主に二回くらい聞いた気がする。

「足の研究でもするべきだったと! そう言ったよね!?」

 制服の上から羽織られた白衣が揺れる。

 栗毛のウマ娘は狂気にも似た瞳を八京へと向けていた。

「き、今日は学校来てたんだな……」

「そんなことはどうでもいい! 足の研究がしたくてたまらないと言ったよね!?」

「いやそんなこと言ってないぞ! しとくべきだったとは言ったが」

「そんなのは些細なことだよ、君。いやぁまさか同志が見つかるとは。……へぇ、見学ね。つまり君はまだここの人間ではないという訳か。うんうん、益々丁度いい! さあ廊下で立ち話もなんだ、入ってくれたまえ。空き教室だが、私の研究室みたいなものでね。なあに、許可は取ってあるとも」

「お、おい、ちょっと……って力強いな」

 そう早口で捲し立てる栗毛のウマ娘に流されるまま、八京は彼女の力に成す術なく自身の背後にあった空き教室へと足を踏み入れる。

 殺風景な部屋だった。机は並んでおらず、一つの長机と椅子が何脚か置いてある。黒板の左右にはホワイトボードがあり、黒板には何かを乱雑に消した痕が残っていた。研究室と聞いていた為、八京は何もない部屋に僅かに疑問を抱いたが、机を挟んで彼の正面に座ったウマ娘はそんな疑問を問う時間さえ与えてくれない。

「名前は? どこの出身だい? 好きな食べ物は? 足に興味を持ったきっかけは?」

「ま、待ってくれ! 一体なんなんだこれは」

「あのねぇ、時間は有限なんだよ? そんな事より質問に答えてくれたまえ」

「俺は足の研究がしたいなんていってない!」

 八京ははっきりと言い切った。

「確かに今の俺の課題を解決する為に自分の……体を知るのは良いことだと思ったのは事実だ。だけど時間も無いし必要な知識も足りてない。だから」

「ランニングシューズ」

 言葉を濁す八京の発言に割り込むように栗毛のウマ娘は言った。

「買ってただろう? 三足」

「え? あ、ああ、買ったけど」

「使ったかい?」

「いや、まだだ」

「では今使ってるものは?」

「それはもうボロボロなんだ。だから次走りに行くときに変えようと思ってる」

「……ふぅン、では質問を変えよう。その靴をボロボロにするまでにどれくらいかかった?」

「え、……あまり気にした事ないから正確な数字は分からないけど、一ヶ月とか」

「ありえないよ」

 今度は栗毛のウマ娘がはっきりと言い切った。

「君、走るのは好きかい?」

「そ、そりゃあ好きだが」

「いつ走ってる?」

「いつもは早朝にランニングしてるな。でも最近は色々あってできてないんだ」

「走る時間は?」

「……一時間くらいだな」

 ぞわり、と嫌な予感がした。心の中を覗き込まれている気分。何か自分が取り返しのつかない事をしている気分だった。

「な、なあもういいだろ? まだ見て回りたいところがあるんだ」

「ふむ。では最後の質問だ」

 しかしその瞬間にはもう、目の前のウマ娘は八京の核心に迫る問いを口にしていた。

「君、自分の足に違和感を覚えた事はないかい?」




切れ者
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