超光速の証明   作:雁来紅

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会長の口調が安定しない


6 交渉

 人もまばらなカフェテリア。大半のウマ娘達は教室に戻り、次の授業の準備をしている時間帯。

 自販機で買った缶コーヒーを片手に、八京はカフェテリアの隅の席に腰を下ろしていた。

「……どういうことだ……?」

 先程の栗毛のウマ娘の言葉が頭から離れない。

『君がここのトレーナーになる頃には、私はもういないだろうから』

 いない、というのはこの学園を去るという意味で間違いないはずだ。彼女が研究室と称した空き教室が殺風景だったのも、学園を去る為に片付けていたと考えれば辻褄が合う。しかしその肝心な理由が分からない。彼女の振る舞いから見ても走れなくなるほどの怪我を負ったようには見えなかったからだ。

 彼女も才能を認められてこの学園に入学した身だ。更に彼女の研究の果てにある目標を達成する為にこの学園の環境は非常に役立つだろう。そうやすやすとそれを手放すとは思えない。まあ、授業を無駄な時間だとは言っていたが。

(興味を惹かれたのは事実だ)

 最高速度の先へ行く。

 自分の特異な脚力を隠し続け、その結果無八京が無意識に避けていた話題を彼女は簡単に口にした。

 そこに妥協や嘘は無く、ただただ限界を越えることだけを考える、狂気的ともいえる姿勢は危険を感じさせながらも「もっと知りたい」と思わずにはいられなかった。

「あいつと一緒に走れたら、きっと楽しかっただろうな……」

 トレーナーになって、あのウマ娘をスカウトして。

 きっと彼女は八京の秘密を知っても離れていったりはしないだろう。むしろ称賛して嬉々として研究の足掛かりとしたはずだ。

 だからこそ、惜しい。分かり合えるかもしれなかったウマ娘が学園を去ってしまうというのは。

 「やはりサボりが原因だろうか」と思いながら缶コーヒーに口をつける。苦い液体が舌を包み込み八京は顔を顰める。そういえば間違ってブラックコーヒーを買ったのだった。

 そんな時、八京の近くで誰かの靴音が響いた。

「失礼、少しいいだろうか」

「はい?」

 声をかけられた。たづなや秋川やよいの声ではない。かといってあのウマ娘の声ではなく、落ち着き払った声だった。

 窓の外へ向けていた視線を声がした方向へ向ける。

「その許可証、見学者は君だけのようだ」

「……君は」

 無意識に背筋が伸びる。幼いながらも情熱をもってこの学園を取り仕切る秋川やよいと対面した時とは別種の緊張。いや、歓喜か。

「そう畏まらないでくれ。アグネスタキオンが言っていた見学者を探していたんだが、君で間違いないか?」

 自然な動作でそのウマ娘——トレセン学園生徒会長のシンボリルドルフはテーブルを挟んで八京の正面に腰を下ろした。

 誰もが一度は名前を聞いたことのあるウマ娘の登場に、八京はどう反応するべきか迷った。椅子に腰を下ろした彼女は何も言わずに先程の質問の答えを待っているようで、八京は努めて冷静な声音でそれに答える。

「アグネスタキオンという名前は聞かないな」

「おや、聞いていなかったか。栗毛のウマ娘の事だ。ほら、白衣を着てる」

 そう言われてやっと一人のウマ娘の姿が脳裏に浮かぶ。今思えば名前も聞いていなかった。

 しかしあのシンボリルドルフが自分の前に現れる理由とアグネスタキオンにどんな関係があるか分からず更に混乱する八京だったが、シンボリルドルフが発した言葉で缶コーヒーを握る手に力がこもった。

「アグネスタキオンの退学が決定した」

「……そうか」

「正確にはついさっき退学勧告を言い渡した所だが、アグネスタキオン本人がそれを受け入れた」

 浮かんできたのは「残念」という感想だった。

「理由は?」

「レースに出なかったのが原因だ。トレーナー達のスカウトも全て蹴ってね」

 この学園にいるウマ娘達の共通の目標である公式レースでのデビューはトレーナーがいなければ達成する事ができない。学園側から見れば、アグネスタキオンはスタートラインにも立とうとしなかったように見えたのだろう。

 しかしその実、彼女は彼女自身の目標に到達するべく研究を重ねていた。気まぐれと言われれば否定できないが、研究に必要とあらば彼女は真っ先にレースに参加したはずだ。となれば、彼女が嫌ったのはレースではなくトレーニングに割く時間の方か。

「……無駄、か」

 ぽつり、と呟いた八京の言葉にシンボリルドルフは目を丸くする。

「……彼女も同じようなことを言っていたよ。トレーニングの為に研究の時間を削るのはいただけないとね」

「だろうな」

 三回しか話したことのない間柄だが、アグネスタキオンが何を優先して何を切り捨てるかくらいは何となく分かった。

「彼女の才能は本物だ。私の方でもなんとか彼女が学園に残れるように尽力するつもりだ」

「俺が言えた義理じゃないが、学園に残ってもレースに対する態度が改善されなければ意味がないと思うぞ」

 彼女がトレセン学園という研究に適した環境を捨てるという事は他にもあてがあるということだろう。あるいはこれから作り上げるかもしれない。彼女にとっては、邪魔が入らず、研究だけに没頭できる空間があればいいのだから。

 しかし八京の諦めにも似た言葉とは裏腹にシンボリルドルフは、

「彼女に退学の意思を聞いた時、興味が湧いた人物を一人だけ口にしていた。恐らく君のことだ」

「俺?」

 突如自分の名前が上がって驚く八京だったが、何故シンボリルドルフが自分の目の前に現れたのかが何となく理解できた。

「君の力を貸して欲しい」

「俺に力なんて無い。俺はただこの学園の見学に来ただけだ」

「君のことは理事長から聞いている。君がもし彼女に興味を持っていたなら、この問題は無視できないはずだ」

「……」

 八京は黙り込む。

 人事に関する情報を、かの「皇帝」とはいえ在校生に教えたのはいかがなものかと思うが、シンボリルドルフの指摘は最もだった。

 譲れないものを心の内に持ち、その為には手段を選ばないウマ娘。狂気的なその姿は客観的に見ると不気味に見えるだろう。しかし八京にはその姿が眩しく見えた。周りの評価を気にせず前に進む姿は八京が思い描いてきた理想の姿と言ってもいい。

 そんな彼女の走る姿は、きっとどんなウマ娘よりも鮮烈だ。思わずスカウトしたいと思ってしまうくらいに。

 八京はシンボリルドルフに尋ねる。

「具体的には何をするんだ?」

「彼女には私と併走してもらうようにお願いした。それだけで彼女が考えを変えてくれれば良いが……」

 シンボリルドルフと併走するなんて並のウマ娘ならついていくだけで精一杯だろう。確かにその併走でアグネスタキオンがシンボリルドルフと並んで走れるほどの実力を見せる事ができれば、アグネスタキオンの能力の高さを周りに見せつける事ができる。

 シンボリルドルフという存在を使った作戦に、合理的だ、と八京は感想を漏らした。しかし、

「大事なのはあいつの気持ちだ。君から説得すればいいんじゃないか?」

「私ではダメだ。少なくとも彼女が興味を持った人物でなければ」

「それで俺か」

「ああ。彼女自身の口から興味を抱いた人物を口にするのは初めてだからな」

 自分の存在価値は如何程のものだろう。退学の意思を固めたウマ娘一人を引き止めるほどの価値はあるだろうか。

「その併走は?」

「一週間後だ」

 がっつり面接の日と被っていた。

 しかしそんな八京の心を見透かしたかのように、

「大丈夫だ。併走は夕方に行う。君と理事長の面接はそれまでに終わるだろう?」

 あの理事長、面接の事も喋ったのか。

 思わず呆れてしまうが、それほどに生徒会長が信頼できるというのは理解できる。

「どうだろう、協力してくれないか?」

 ここまで入念に準備していても、シンボリルドルフはあくまで八京の意思を尊重するらしい。

(どうする……)

 アグネスタキオンが退学してしまうのは惜しい。八京自身、彼女の走りを見てみたいというのは正直な気持ちだった。

 しかし八京の課題はまだ解決していない。

 このトレセン学園でトレーナーをやっていく上での意気込み。或いは誰にも譲れないもの。

 アグネスタキオンとの会話の中で得るものはあったがまだ納得のいく答えは出ない。そんな状態でアグネスタキオンの説得さえ引き受けてしまって本当に大丈夫だろうか。

 虻蜂取らずという言葉もある。

 面接にも失敗して、アグネスタキオンの説得にも失敗したら、自分の手元には何も残らない。

 考えた末、八京は口を開いた。

「一つ、訊きたいことがある」

「なんだ?」

「理事長から聞いてると思うが、俺は再評価を言い渡された身だ。本来そんなことはありえない。良くも悪くも初めての出来事だそうだ。そんな俺が、仮にアグネスタキオンを引き止めることに成功したとして、彼女がレースに出たいとか、トレーニングをしたいだとか、そういう考え方をするようになると思うか?」

 アグネスタキオンが考えを変えなければ、いずれ近い将来、彼女はまた退学勧告を言い渡されるだろう。

 ここで引き止めるということは、何かしらの変化が無ければならない。シンボリルドルフ自らが何かをするというのはそう何回も使える手ではないからだ。

 成功は成功でも、意味のある成功にする必要がある。

「形だけの成功はいらない。もし変わらないと思うなら、俺はこの話にはのらない」

 責任を全てシンボリルドルフに押し付けるような酷い言い方だった。

 この問いを友人にしたのなら、きっと励ましの言葉が返ってくるだろう。

 大丈夫。きっとうまくいく。

 しかし八京が求めているのは本心からの言葉だ。故にシンボリルドルフにこの問いを投げかけた。

「……そうだな」

 シンボリルドルフは少しの間考える素振りを見せたが、

「少なくとも、生半可な説得では無理だろう」

「じゃあ――」

「だが君がやるんだ」

「……!」

 「やれる」ではなく、「やれ」と。

「私は君以外にアグネスタキオンが興味を持った人物を知らない。だから君に頼む。見たところ君は自分を卑下しているようだが、君はここに合格するほどの能力を持っている。運だけで入れるほどこの学園は甘くないんだ」

 たづなと同じような事を言うシンボリルドルフ。その目は真剣そのものだ。

「素質は十分。更に君はアグネスタキオンに興味を持たれ、君もまたアグネスタキオンに興味を持っている。なら後は、その気持ちを伝えればいい」

「……簡単に言ってくれるな。数回しか話した事ないんだぞ」

「仲の良さは会話の回数に比例しないさ」

「……まあ、そうか」

 握っていた缶コーヒーから手を離す。

 八京は話の内容を整理した。

 アグネスタキオンは研究に没頭するあまり、学園のウマ娘共通の目標である、トレーナーと組んでレースに出場する事をしなかった。

 結果、その姿を見た上層部がとうとう痺れを切らし、アグネスタキオンに退学勧告を言い渡すように決定を下した。アグネスタキオンはそれを受け入れ退学することを決める。こんな所だろうか。

「ちなみに、俺が断るって言ったらどうする?」

「アグネスタキオンと交流のあった生徒に協力を仰ぐ。それでもダメだったら、一人でどうにかするしかないだろうな」

 一人。それはつまり、誰も理解者がいない状況だ。

 長い間輪の中にいながらも一人だった八京にとって、その状況は他人事とはいえなかった。

 八京は缶の中に残った液体を全て口の中に流し込む。そして口の中に広がる苦味に顔を顰めながら立ち上がると、

「併走は見に行く。だけど、アグネスタキオンを説得するかどうかはその時に決めさせてくれ」

 未だに煮え切らない返事しかできない自分に嫌気がさすが、今はこれが限界だ。話に乗る以上、こちらにも準備がある。

「委細承知した。感謝する」

 背中越しにシンボリルドルフのお礼を聞きながら八京はカフェテリアを後にする。

「感謝する、ね」

 あのシンボリルドルフに言われたお礼に素直に喜ばないのは、やはり課題が未だに山積みだからだろう。

(たが、やるしかない)

 面接も成功させて、アグネスタキオンも引き止める。

 この二つを成功させる。理想から現実にもってくる。

 作戦が無い訳ではない。

 秋川やよいが文山八京に求める意気込みと、アグネスタキオンを引き止めるに値するもの。そこに共通するものを八京はすでに持っている。

 結局は自分の頑張り次第だ。

 そう呟いて、八京はスマホを取り出した。そして今日の朝にかかってきた電話番号を選択する。

 何回かのコールの後に聞こえてきた聞き慣れた声に、八京は覚悟と共に口を開いた。




会長が四字熟語botと化したので普通に喋らせる事にしました
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