アイドルにとってはスキャンダルなど以ての外。
かつて誘宵美九はお偉いさんの枕営業を断ってしまったため、有る事無い事を好き勝手に書かれて芸能界に居場所がなくなった。
それだけに留まらずこれまで彼女の事を応援してくれた人たちはまるで引き潮のようにさーっと消えて行った。その時のトラウマと、絶え間ない嫌がらせによって彼女は失語症を患った。
自殺を図ろうと思うまでに追い詰めたその時、不思議な存在が彼女に精霊の力を与えたことによって人を洗脳する力を得たのだ。
そして誰もが言う事を聞いて逆らわない環境を手にした事で彼女は暴走した。
士織を見つけるとすぐさま傍までダッシュして相手の手を握ってぶんぶんと振り回す。
「ハニーッ!!」
「こんにちは美九」
「会いたかったですぅ」
そんな邪悪な存在だったのも先日までの話で、すっかり美九は精霊の力を投げ出して辛い現実に目を向けて前に進もうともがいている。
弱さや過去と向き合おうとする今の彼女であれば士織は好きになれそうだし、力になりたいと思えるのだ。
待ち合わせ場所のデパート前で美九は帽子に伊達メガネをかけて軽めの変装をして待ち人を探していた。
誘宵美九が百合っ子である事はよほど彼女を深く調べ上げなくては手に出来ない情報で、基本的にはその事実は隠されている。
アイドルがデートをすればスキャンダル間違いなしだが、相手が士織なので傍から見れば仲の良い女友達と遊んでいるようにしか見えない。
実際の所士織はそう思っているが、美九は隙あらば既成事実を作ろうとしているためなかなか気が抜けない買い物になりそうだった。
「あれって誘宵美九じゃね?」「うわ…やっぱり可愛い」「てか隣にいる子って誰?アイドル仲間かな」
二人が話し込んでいると周りにいる人達が美九に気が付いて騒がしくなり始める。
軽めとはいえ変装をしているのだがそれでも全くの別人になれるはずもなく、周りの人達にバレ始める。
「…やっぱり美九って有名人」
「違いますよー私だけじゃなくてハニーも視線を集めてますー…ほらっ!」
そう言うと士織の体に抱き着いて周りに仲良しっぷりを見せつける。
周りからは動揺の気配だったり、少し色めき立つような応援のような妙な雰囲気が流れる。
(そっか……)
それが強がりである事に士織は気がついている。
何故なら美九の体が僅かに震えていたからだ。今の彼女には怖い存在が来たとしても反撃できる精霊の力は無くなってしまっているいわば無防備状態。
完全に乗り越えたわけでは無い、かつて陥ったトラウマが少しだけぶり返しているのだ。
それでも今のままではいけない事は何よりも美九自身が痛いほど自覚をしている事なのだ。そう思っているからこそかつて精霊の力によって支配する事が出来なかった士織に何度も執着したのだ。
心の片隅では思っていた、力なんて使わなくてもしっかり他人と向き合いたいと。
『もし私が今の『声』を無くして、他の皆にそっぽを向かれても、士織さんだけはファンでいてくれるって。あれは本当ですよね?』
『そうだね…あれは嘘じゃないけど一つ約束を付け加えていいかな』
『約束…ですか……』
『どんなに大変でも、歌う事をもう捨てない事。そんなあなたなら応援できる』
そんなことをしている間も騒ぎは大きくなっていく。
士織はこれ以上囲まれるのは不味いなと思い始める。騒ぎが広まりすぎると買い物どころではなくなるだろう。
「そろそろ買い物に行こうか、これ以上は服を選ぶ時間が無くなっちゃう」
「そうですねー折角の機会なのに見せつけるだけはつまらないですから」
そう言って二人はデパートの服を売っているエリアに向かって歩みを進めていく。
◎
「似合います!似合いますよおおおぉぉ!」
「いや美九の服を買いに来たんだと思ってたんだけど……というかそう聞いてたんだけど……」
「今着てるカジュアル系もいい!こっちのフェミン系もいいです!あ、あっちのゴスロリも捨てがたいですぅ!!」
「あ、聞いてない……」
美九はもう士織の言葉など右から左で店内の魅力的な服飾品に視線がいったり来たり。
冬服を買いたいから手伝って欲しいというお願いのもとやってきたはずだが、ふたを開ければ士織が美九の着せ替え人間にされている。
『シン、これを』
『この封筒は…?』
『琴里から聞いてね。デートの足しにしてくれないか?』
『いえ、友達と遊びに行くだけなんでそんな、いいですよ』
『これもラタトクス仕事なんだ。使わなければ返してくれていい』
今回の一件を聞いた琴里は放課後に入る前に令音にお金を渡すように言っていた。デート中にお金が足りないなどと言ったら白ける事この上ないからだ。
最初は使う気は無かったが、美九のチョイスした店は結構値が張るブランドが並んでいたためありがとうだった。
そのためラタトクスから一応軍資金を貰っているため二人分の服を買う事は特段問題無しなのだが、士織の中ではそれを使うのは美九に対してのプレゼントだけで、もし仮に自分の物を買うのであれば己の財布のひもを緩める予定だ。
「…まぁ、楽しそうならいいか」
「へ、楽しい!?私と一緒だと楽しいってっ、やはり私達は運命の赤い糸で結ばれているんですよ!!」
「そだねー」
都合のいい所だけ耳に残ってかつ相手の勝手すぎる脳内変換に少しだけ辟易してしまう。
士織は服に対してこだわりが薄く地味で無難な物ばかりを買いがちだ。だからこそ芸能界で様々なコネクションや知識を豊富に持っている美九の手にかかれば素の状態での美少女ぶりが何段階も上乗せされている。
何よりもこれまで興味が薄く、知る機会も設けてこなかった未体験な色々なことを知れるのは彼女としても楽しいのは事実だ。
ふと美九がきょろきょろと見回しているとある事に気が付いて声をかける。
「見てくださいよっ」
「何を?」
「周りの目ですー」
「目ぇ?ああ、視線の事」
士織は相手の言いたい事を理解して店の中を見渡す。
店の中にいる店員や客たちは大はしゃぎしている美九だけを見ているのではなく、その連れである士織にも視線を向けている。
よくある可愛い子の連れが冴えなくて引き立て役にされていて可哀想的なものではなく、可愛い処には相応の相手がいるんだな、類は友を呼ぶんだなというそれだ。
とどのつまり負けず劣らずの容姿を兼ね備えていて、そんな彼女がセンス溢れる服を身にまとっているため皆の注目を集めているのだ。
「やっぱりハニーは磨けばいくらでも輝けるんですよっ」
「ん、ありがとう」
彼女自身あまりべた褒めされるのは好きでは無いのだが、美九の表情は相手を必要以上に持ち上げて機嫌を取ろうとしているというわけでは無く、本心から思った事が漏れているのは察したため素直に受け取る事にした。
下心の見え隠れする機嫌取りのべた褒めは嫌いだ。
だが士織は常にスタイルを維持するために軽めの運動や、誰に見られても恥ずかしくないようにナチュラル風に見えるようにメイクする事に余念がないため褒められる事は嫌ではない。
そんなやり取りをしていると周りの人達がスマホを弄って何やら話し込んでいる。士織と美九は何を画面に映しているのか直接確認する事は出来ないが、どうやら誘宵美九と検索して目の前の客と最近積極的に顔を出すようになった知る人ぞ知る超有名アイドルが同一人物ではないのかと疑っているのだ。
(有名人は大変だな…)
よく分からない人たちに囲まれても面倒なだけ、これ以上はこの店も限界だなと感じて士織は少しだけ小芝居を打つことにする。
オフなのに周りの人達に邪魔されて精霊の機嫌を損ねられても困る話だ。
「少し疲れちゃったな…ちょっと休まない?」
「あ、そうですね。何だかんだ一時間近くウインドウショッピングしていますねー、すみません疲れているのに気が付けなくて」
「いえ、こちらこそごめんなさい。服の事よく分からなくて……」
士織自身疲れているのは事実だし、服の事に対してさほど興味が無いのも事実だった。だが疲れをわざわざ口にするわけでもないし、疲れて休みたいほどでもない。
やはり人付き合いには九割の本音と一割の嘘が丁度いいと昔から相場は決まっている。だが相手に負い目だけを感じさせては小さな嘘だとしても意味が無い。
ここで彼女はリカバリー案を口にする。美九は服を買うこと自体に目的の重きを置いているわけでは無いのは今日のやり取りから分かったため服のウインドウショッピングの代案を提示する。
「そう言えばここに好きな喫茶店があるから行かない?」
「わあっ!ハニーのおすすめですかー?行きたいですぅ」
相手からのその提案に美九は手をパンと叩いて嬉しそうなリアクション。
先ほどまで少し負い目を感じて暗かった感じは吹き飛んで、今日のデートに対してどちらかといえばされるがままだったのに、ここに来て積極的な姿勢を見せる士織に美九はすっかり機嫌が元通り。
「ここのコーヒー美味しいですぅ」
「気に入ってもらえたなら良かった」
士織の紹介した店は関東内に五店舗ほど展開している知っている人は知っているといった感じの喫茶店だ。
昼食から軽食をメインにコーヒー類も数多く種類が豊富なお店だ。
たまに琴里と行くが、大人ぶって士織の真似をしようとして、ブラックコーヒーを頼んでは飲めなくて結局士織が全部飲むことになる。大人ぶりたい年頃なのは理解できるが、もう少し後先を考えた方がいい。
「このパンケーキも柔らかいし、乗ってるクリームも舌上で溶けるようでいいですねぇ…」
ほっぺが落ちそうなのか左手を頬に手をやりながらすっかり破顔する美九。
因みに夕食前なのでたくさん食べるのは不味いため、一人分のパンケーキを二人でシェアしている。
「紹介して良かった」
相手の楽しそうなそのリアクションだけで既に士織のお腹はいっぱいだ。
すると突然ずいっと彼女の口元にフォークで刺した一口サイズのパンケーキが提示される。
士織は突然のそれに呆然といった感じて固まってしまう。
「…?」
「はいあーん」
「はい?」
「あーんですよぅ、もう……」
ちょっとノリが悪い士織に美九はぷくーっと頬を膨らませて抗議をする。別段機嫌が悪いというわけでは無いが、上手く返してくれない相手のリアクションには少しだけご不満のようだ。
「っ」
士織は少しだけ頬を赤くしてしまう、恥ずかしいのだ。
友達同士で軽食を取っていて「あーん」をしてもらうというのは同姓であっても親しい間柄であれば無くはないシチュエーションだ。特に百合っ子である美九はそのようなシチュに憧れを持っているだろうし、何なら幾度となく場数を踏んで慣れているだろう。
だが今の相手が求めているのは、精霊だったころのように女の子を愛玩動物のように可愛がるそれではなく真剣なアタックなのだ。
普段相手の好意に対するセンサーがそこまで働かない士織であっても、相手の抱いている意図に気が付かないほど鈍感というわけでは無い。
「そんなっ…ハニーは私の気持ちを断固拒否ッ……」
美九はいつの間にやらハンカチ片手におよよといった感じのリアクションを取る。もし仮に今ラタトクスのサポートがあれば演技である事は丸わかりだった。
士織もまた演技なのは分かってはいたが、これ以上静かな雰囲気の店内で騒いでほしくなかったため要求を呑む。
「わ、分かったって…はいあーん……」
「はいっ!ではあーん」
士織が乗っかってくるとすぐさま相手の機嫌は元通りになってしまう。そして彼女の口に運ばれるパンケーキ。
(やっぱりおいし)
一方で美九は自分の願望が叶ってニコニコしている。何というかげんきんな奴だった。