Prelude Vivy(完結)   作:ファルメール

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第0楽章 三人の人間と、一機のAI

 

 2076年12月4日。

 

 来年には新庁舎が建設されて取り壊される予定の警察署の一室で、甲斐ルミナは二分前に火を付けた煙草を灰皿に押し付けた。既に灰皿には底が見えないぐらいの吸い殻が敷き詰められていて、壁は長年彼が吸い続けて吐き続けたニコチンとヤニで変色してしまっている。

 

 すっかり毛が薄くなってしまった頭頂部を撫でながら、ルミナは紫煙をシロイルカのバブルリングのようにして吐き出した。これは彼の特技の一つだ。尤も、年々愛煙家は肩身が狭くなるこのご時世、中々披露出来る機会には恵まれなかったが。

 

 彼のデスクには、一杯に資料が広げられている。

 

 無数の資料は雑然としているようではあったが、概ね二つの事件に関連しての物である事が、よく観察すると分かった。

 

 一つは15年前に起こった「相川議員暗殺未遂事件」。現在、反AI団体の最右翼とされている『トァク』が(尤も、当時はまだ現在程の規模でもなかったが)起こしたテロ事件だ。

 

 結果は議員の殺害には失敗し、人的被害は皆無であったものの爆発によって彼のオフィスがあったビルとその隣のビルが根元から倒壊するという大惨事となり、事件後一週間はテレビ・新聞・ネットなどあらゆるメディアのトップニュースとして取り沙汰されるような大事件であった。

 

 もう一つは、つい先日発生したばかりの、通称「落陽事件」。

 

 宇宙ホテル『サンライズ』が、文字通り地球へと落下しそうになった一件である。

 

 その背後にはやはりトァクの存在があった事が確認されている。何よりもルミナ自身、現場に居て彼等の存在をその目で確かめている。

 

 これは推測であるが、彼等は恐らくサンライズの支配人がAIであった事に目を付けて、AIにそのような重大な役割を任せていた事が間違いであったと、世間にアピールするつもりであったのだろう。

 

 結果的に、この一件でもトァクの目論見は潰える事になった。

 

 ホテルの支配人であったAI『エステラ』が客やスタッフを迅速に避難させ、自らは阻止限界点を超えて落下軌道に入った『サンライズ』に残り、ホテルの各パーツを細かくパージさせる事によって大気圏突入時に燃え尽きるように操作したのである。

 

 自らは戻れない、生きて還れない事を、分かった上で。

 

 エステラのこの献身は、彼女こそAIの規範、あるべき姿だと賞賛を浴び、彼女が製造された工場には無数の献花が送られている映像を、ルミナはニュースで何度も見た。

 

 ルミナは対テロリスト、特にトァクの犯行を長年追っている刑事だ。多少アナログな所はあるもののその検挙率の高さは署内でも高く評価されている。だから彼が連中の犯行に関係する資料を調べている事には何の不思議も無いが……

 

 しかしどうも彼の頭を悩ませているのは、トァクそのものではないようだった。

 

 眉間に寄せた皺を揉みほぐすようにして、彼は空になった煙草の箱を捨て、新しい箱の封を切った。

 

 だが咥えようとしたそこで、煙草は横から伸びてきた指に取り上げられた。

 

「ん……」

 

「今日はそこまでにしておけ。煙草の吸いすぎは健康を損なう」

 

 すぐ傍らに立っていたのは、フットボールの試合に出ようものなら独壇場の活躍を見せるだろうと一目で断定できるほどにがっしりと力強い体格をした、男性型のAIだった。

 

 守護者型AIと呼ばれるタイプで、警察や警備会社で使われる中でも、特に危険であったり難易度の高い任務に従事する少数生産型のハイエンドモデルだ。

 

 大男のAIは取り上げた煙草の代わりに、持っていた濃いコーヒーの入ったカップを机に置いた。

 

「あぁ……分かったよ、ボブ」

 

 

 

 

 

 

 

 2111年7月29日。

 

 平均的な企業の会議室程のスペースにはオモチャや資料が足の踏み場も無い程に乱雑に散らばっていて、地下室であるが故に窓も無く、照明の光量も薄暗いレベルに絞られたその部屋のど真ん中。

 

 継枝ギンは頬杖付いて、デスクに置かれた端末が表示する映像に視線を落としていた。

 

 映像を再生しているその機器はパソコンや電子手帳のようなものではなく、今時珍しい映像再生の機能しか持たないプレイヤーだ。

 

 やがて記録されていた映像が終わって、画面には彼の顔が映るようになる。もうずっと陽光を浴びずに、色素が抜けて白くなった肌。何年も切らずに伸びるに任せて腰にまで届く程になった枝毛だらけの髪。寝不足と不摂生でクマの出来た目元。

 

 総じて不健康で不衛生さを感じさせる顔だった。

 

 ボリボリと頭を掻いて、床にフケが落ちる。

 

「それで……これを見せて、私にどうせよと? ボブ」

 

 ギンは回転椅子をくるりと回して、背後を振り返る。

 

 彫像のようにそこに立っていたのは、岩のように逞しいボディをもった守護者型AIだった。

 

「最初に言った通りだ。俺の役目は、これはと俺が思った相手にこの映像を見せる事だけ。その後で、どうするかは、その人間に委ねる事にする。つまりはギン……君に」

 

「……」

 

 ギンは何も言わず、更に頭を掻き毟った。

 

 

 

 

 

 

 

 2161年4月10日。

 

 この日、折原サラはAI博物館に居た。

 

 展示されているAIとサラとの間の空中には、そのAIと同じ姿をした、まさしく『理想の歌姫』と呼ぶに相応しいAIが、スポットライトに照らされて、万雷の拍手を受けて歌っている映像が投影されていた。

 

 鏡に映したように同じ姿をした(実際に同一機なのだから当然至極なのだが)実物と映像の中の二機だが、しかし彼女達は全く違ったものに見えた。

 

 展示スペースに鎮座している実機は大人しそうでどこか儚げな印象を受けるが、空間映像に記録された歌姫は快活に踊り、歌い、歓声を浴びている。

 

 二者は全く別の性格をした双子と言うのが、最も近い表現のように思えた。

 

「40年前の映像です。ご覧いただいた通り私は歌でみんなを幸せにするという使命の為に稼働してきました。主にニーアランドという場所で」

 

「うん、知っているよ。記録映像で見たから」

 

 AIのアイカメラがピントを合わせようと、人間の瞳孔が収縮するのに近い動きを見せた。

 

 レンズに映ったのは、ジャケットにチューブトップ、ホットパンツにアーミーブーツとラフな格好をした少女の姿だった。背丈や顔の造形はエレメンタリースクールの学生と言われても違和感は無いが、じっと覗き込む瞳には無邪気さの色は無く、寧ろどこか老成したような雰囲気すらあった。

 

「おばあちゃんがあなたのファンでね。あなたの歌を子守唄にして、私は育ったんだ。おばあちゃんはあなたの最後の舞台……40年前のゾディフェスの話を口癖みたいに話してね……あの時、あそこに居れた事は、一生に一度の幸運だって」

 

 歌姫型AIは、僅かな時間だけ動きを止めて首元のランプを明滅させた。これはAIの穏やかな驚きの動きに当たる。ややあって、彼女は優しい微笑を浮かべた。

 

「そうですか……そう言ってくれるファンの人が居てくれたと分かって……私も嬉しく思います」

 

 AIにとっての幸福は使命を全うする事であり、最も恐ろしい事はそれを果たせない役立たずで終わる事だ。その意味でサラの言葉は、今は展示物となっているこの歌姫AIにとって冥利に尽きるという感情があるとしたら、今のこのプログラムの動きの事だと理解させるような甘美な響きがあった。

 

「居てくれた、じゃないよ」

 

「え?」

 

「今も、ここに。少なくとも一人は居るよ」

 

 サラは、薄い胸板をどんと叩いた。

 

「最初はおばあちゃんに紹介されて、途中からは自分のお小遣いやバイト代で、あなたの曲が収録されたアルバムや記録映像は全て揃えたよ。勿論、今でも聞いてる。その上で、ディーヴァ。あなたに聞きたいのだけど」

 

「はい、何でしょうか」

 

 ディーヴァ。まさしく歌姫の意であるその名前で呼ばれたAIは、礼儀正しく応答しようとした。

 

「もう……あなたは歌わないの?」

 

「……」

 

 沈黙。これは陽電子脳が適切な回答を検索しているタイムラグである。

 

 しばらくして、回答が無い事を不快に思った様子も無く、サラは苦笑いして軽い溜息を一つ吐いた。

 

「ま、百年も生きてりゃ色々あるよね。そりゃ」

 

「え、ええ……ごめんなさい」

 

「良いんだよ」

 

 そっと、サラが手を差し出した。ディーヴァは彼女の意図をすぐには掴みかねていたようだったが……

 

「ディーヴァ。握手を」

 

「あ、はい」

 

 ディーヴァはサラとの間に薄いガラスのように展開されていたシールドを解除した。これは盗人や悪質な客から展示品を守る為のものだが、この客にはそんな懸念は杞憂であると、彼女の演算回路は結論した。

 

 少しだけしゃがんで視線を合わせると、生身の手と、体温こそは無いがそれと遜色無い程に柔らかく精巧に、人工素材で作られた手が、握り合わされる。

 

 ディーヴァにとっては歌姫として現役時代には数え切れない程に(と言っても、彼女の記録回路は最初に稼働してから現在に至るまでの握手の回数を正確に覚えているが)繰り返した動作だったが、ここ何年かはずっとご無沙汰だったアクションであり、初めてのように錯覚するものがあった。

 

 やがて握手が終わると、ディーヴァは展示スペースへと戻りサラとの間には、再び遮蔽シールドが展開される。

 

「だけど私は、いつまでも覚えてるよ」

 

「え?」

 

 ディーヴァのカメラアイに映ったのはぐっと握り締められた拳だった。親指が立てられている。

 

「ディーヴァ、あなたという最高の歌姫と、今でも私の中に響き続けているあなたの歌を。そして信じてる。いつか……いつかあなたがステージに帰ってきて、また歌でみんなを幸せにしてくれる事を」

 

「お客様……」

 

 先程と同じく、ディーヴァは少しだけ固まって驚きの動作に入り……そして微笑んだ。だがこちらは先程よりもずっと優しく。ずっと柔和に。

 

「……ありがとう」

 

「うん。だからその時は、あなたに一曲、歌って欲しい歌があるんだ」

 

「……それは、どんな歌でしょうか? 今の私は歌えませんが、せめて曲名だけでも……」

 

 まだ、歌おうとする意志自体はある事が確認出来て、ディーヴァのそれよりはずっと分かり易い喜色を顔に浮かべるサラ。彼女の口がパカッと開いて、だがすぐに思い留まったように閉じた。

 

「ん……それは、その時のお楽しみって事にするよ。じゃあ、そろそろ行かなくちゃ。またね、ディーヴァ」

 

「ええ……またのご来館を、お待ちしています」

 

 接客プログラムに入力されているのよりも遙かに恭しい動作で、ディーヴァは頭を下げると彼女のファンを見送った。だが頭を上げたそこで「あ」と思い出したように声を上げた。

 

 名前を聞いておけば良かったのにと、彼女は少し後悔した。

 

 まぁ……良い。

 

 今の態度から、彼女が再度来館してくれる確率をディーヴァの陽電子脳は88%と弾き出している。その時に聞けば良いだろう。こちらにも『その時のお楽しみ』が出来たというものだ。

 

「……今日が最後だ。心置きなく楽しんだか?」

 

 博物館の外には、屈強な守護者型AIが待っていた。彼は握手する際のディーヴァのように屈んではくれなかったので、短身のサラは視線を合わせるのには首をかなり曲げなくてはならなかった。

 

「ええ」

 

「では、そろそろ行こう。もうあまり時間が無い」

 

 サラは、頷いて返した。

 

「そうね。ボブ」

 

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