「少し遅れたかな?」
「いや、僕たちも今来た所ですよ」
メタルフロートに再上陸後、マツモトからボブへと送信されてきたナビゲーションデータに従って通路を進んだルミナとボブ。ほどなくして一人と一機は、平均的な会議室の半分程の広さのスペースへと出た。
照明が落ちていてまるで印象が変わってしまっていたから最初は分からなかったが、入ってみると最初にエムが案内してくれたキッズスペースのある部屋だと分かった。
部屋の中には冴木博士とグレイス。そしてヴィヴィとマツモトも居た。
「冴木博士、停止プログラムを実行した結果、メタルフロートの暴走が始まりました。あなたの目的は?」
単刀直入に、ヴィヴィが切り出した。少々直球に過ぎるかもと思われたが、しかし聞かねばならない事でもある。タツヤは、迷うように時を置いた後、語り始めた。
「全ては……グレイスを救う為だ」
「……?」
ルミナは、タツヤのすぐ傍らに控えているシスターズへと視線を向ける。救うも何も、グレイスはそこに居るではないか? 言葉にしなくとも、その当然の疑問を読み取ったのだろう、科学者は、せつせつと話し始めた。
「あの日、僕の人生の幸せは一瞬で崩れ去ったんだ。シスターズであるエステラの活躍で、サンライズの墜落という未曾有の被害は防がれた。その結果AI、とりわけシスターズへの期待は一気に高まり、メタルフロートという人類の未来を担うプロジェクトの管理が、シスターズに委ねられた」
「……その、白羽の矢が立ったシスターズが……」
ヴィヴィの言葉を受け、タツヤは頷いた。
「そう、グレイスだ」
彼女は当時稼働中シスターズの中でも、最も評価の高い機体であったのが選ばれた理由だった。
「しかしこの島は外部からのコントロールは不可能な筈では?」
メタルフロートをグレイスが管理していると聞いて、マツモトはタツヤの傍らの女性型AIが遠隔からフロートを制御しているのかと思ったようだったが……実像は違うようだった。
「彼女はグレイスじゃない。これはグレイスの似姿だ」
「本物のグレイスはメタルフロートのコア、管理AIとしてここに居るんだ。この島は、彼女の意識でコントロールされている」
一体のAIに対して一つの使命を課す。これはAI製造に於ける原則だが……しかし、エステラの活躍がこの原則を例外的にねじ曲げ、グレイスには彼女本来の看護AIとして人間の命を助けるという使命に代わり、別の使命が与えられた。
「それが……人類の為にメタルフロートを存続させる事、という訳ですか……」
「AIにとって魂とも言える使命を書き換えられたんだ。グレイスはそれを受け入れるしかなかった。でも本心は違う筈なんだ!!」
「成る程。コアとなった彼女を物理的に取り返す事は不可能ですが、データを吸い出してそこのボディに移し替えようというのですね?」
ここまで言われて思い出してみれば、タツヤの家で応対したグレイスは高級な陽電子脳を使われているシスターズにしては受け答えに固さがかなりあったような気がする。
自分の考え、自分の言葉で喋っていないと言うか……
例えるならホテルに宿泊している時、滞在している部屋にやって来た清掃員がドアを叩いて「臭うけどネコでも死んでんのかい?」と尋ねてくるとする。
その返事を自分で考えて喋るのではなくプリインストールされている会話プログラムから『yes/no』『or what』『go away』『please come back later』『fuck you asshole』『fuck you』など幾つかの返答例が用意されて、グレイスはその中から『fuck you asshole(馬鹿野郎)』を選択。そうして、
「失せろ、ブタ野郎」
と、喋っているだけのようなぎこちなさがあったように思えた。
今にして思えばそれは、グレイスのデータを受け取る為の空っぽの噐でしかない彼女に、不純物が入る事をタツヤが望まなかった結果なのだろう。
「では何故停止プログラムなどと嘘を?」
「嘘じゃない。本来なら島を停止させ、AI達を無力化してからデータを抽出するつもりだったんだ」
これは本当だろう。ことプログラム関連についてマツモトを出し抜ける訳がないし、なにより今のタツヤの語気や表情には、どんな名優であろうと決して出せない真に迫った雰囲気があった。
この暴走状態は、タツヤにも予想外の事態だったのだ。これはルミナの推理が当たった事になる。
「恐らく……島を存続させるというグレイスの現在の使命と停止プログラムが衝突(コンフリクト)を起こしたんだ。それでもグレイスは人間の命を助ける看護AIの使命を忘れられずにいる……」
タツヤが手にした情報端末を操作すると、ひどく雑音が混じって途切れ途切れで、しかし辛うじて歌だと分かるメロディが流れ始める。それを聞いて、この場の全員が大なり小なり驚きの表情になった。特にヴィヴィは、その反応が顕著だった。
聞こえてきたのはずっと昔に、彼女が歌ったナンバーだったからだ。今でも、懐かしのメロディーとして時々ラジオ番組でリクエストされたりして、耳にする機会も多い。
「そう、君の曲だよ。グレイスはこの歌が好きだった。僕と彼女の思い出の曲でもある。この歌声は録音じゃない。リアルタイムで、電波に乗りメタルフロートが出来たその瞬間から流れ続けている」
たった一人でこの島に取り残されて、ずっと、この歌を歌い続けているシスターズ。それが今のグレイス。
「データを救出するのに力を貸してくれないか? 君はグレイスの姉でもある。大好きだった……君の曲を歌っているんだ」
「残念ですが、不可能です。冴木博士」
泣きそうな顔で、血を吐くようなタツヤの訴えをマツモトは残酷な程にあっさりと切って捨てた。
「これだけの規模の施設管理をたった1体でこなすなんてボディやデータの癒着程度で済む筈がない。最早この島に居る1体1体のAIがグレイスそのものだ。それらを全て回収など出来ません」
「……バスタブ一杯の水にインクを垂らして、混ざってしまった後でインクだけを取り出せと言っているようなもんだって事か」
「適切な例えですね」
「ふん」
褒められても、ルミナは少しも嬉しくはなさそうだった。
「……でも、彼女は今も歌ってる。もしかしたら」
「ディーヴァ。本当に今の彼女に意識があると思いますか?」
ヴィヴィはまだどこかに未練を残しているようだったが……しかしマツモトが問う。
この歌は、本当に彼女が歌っているのか。
それとも、ただのプログラムの残滓が垂れ流している音のデータに過ぎないのか。
「あなたにはこれが歌に聞こえますか?」
「それは……」
「答えてください、あなたにはこれが、歌に聞こえるんですか?」
何を以て歌とするのか。歌と音階を分かつのは何か。
歌姫AIの始祖である彼女をして、未だその答えには至れていないが……
でも、一つだけ分かる事がある。
今まで稼働してきた時間の中で自分が何万回も歌ってきた曲。
後継機のシスターズとのデュエット。
小劇場で自分に憧れて、カバーを歌ってくれた子供達。
落ち行くサンライズから届けられた、エステラとエリザベスの歌。
エム達が歌ってくれた、サプライズの合唱。
それらと、今流れ続けているこれとは全く違う。
ただその音階をなぞるだけなら、歌姫AIの存在意義は無い。その曲のメロディと歌唱データを録音した記憶媒体と、スピーカーがあれば事足りる。
自らの意志で、心を込めて歌うからこそ、歌う事には意味がある筈だ。それは、歌い手が人間でもAIでも、きっと変わらない。
ならば今、このメタルフロートから流れているこれは。
「これは歌じゃない。ただの……音階データだわ」
歌っているのではなく。ただ、レコードに収録された音をエンドレスに再生するプレイヤーのように。既にグレイスの意識は千々に引き裂かれてこの島に散りばめられ、溶け合ってしまっている。その残滓が、彼女の中に記録されたディーヴァの歌を、もはやそれが「歌」だと認識する事すら出来ずに繰り返しているだけなのだろう。
決意を固めて、ヴィヴィは踵を返した。
「どこに!?」
答えの分かり切っている問いを、それでも否定して欲しいのだろう。タツヤは縋り付くように尋ねた。
「停止プログラムが効かない以上、方法は一つです。グレイスを破壊します」
ヴィヴィの回答は、残酷なまでに明瞭だった。
「そんな……待ってくれ。彼女が居なくなったら僕は!!」
「今ここで彼女を止めないと多くの人が犠牲になる。グレイスの使命は……人の命を助ける事なのでしょう!?」
「……っ」
またしても、突き付けられたのは酷な選択だった。
グレイスを破壊しない限り、彼女は、正確には彼女の一部を与えられたAI達は多くの人間を直接的・間接的に殺傷してしまうだろう。それは、彼女の使命への裏切りとなる。使命への裏切りは、彼女が生まれた理由も稼働してきた意義も、存在そのものを否定する事になる。それをさせない為の方法は、一つだけ。
命か、使命か。
救えるのはいずれか一つ。
そして使命、魂を救済する方法は、これも一つだけ。
「ディーヴァ!!」
タツヤは懐から、隠し持っていた銃を抜いた。震える銃口は、ヴィヴィへと照準されている。
ゆっくりと、ヴィヴィは振り返る。
首のランプは、演算の点滅をしてはいなかった。
「今の私はディーヴァではありません。私の名前はヴィヴィ……ヴィヴィは滅びの未来を変える為の、AIを滅ぼすAIです」
「おぉ……」
畏敬の念が籠もっているような声を、マツモトが漏らした。
あるいはこれは、歴史上AIが初めて自ら己の使命を定義した瞬間かも知れなかった。
ディーヴァの使命は『歌でみんなを幸せにする事』。
ヴィヴィの使命は『滅びの未来を変える事』。
ヴィヴィ自身が、今、それを選んだのだ。
皮肉な事かも知れない。他者によって新たな使命を与えられたグレイスを、自分自身に新しい使命を課したヴィヴィが毀さねばならないなんて。
「くっ……」
タツヤの銃を持つ手が遠目にも分かる程に震えて……グリップを握る指が白くなっているのをボブのアイカメラは捉えていた。暴発を警戒して、彼はルミナやヴィヴィ達の前に出た。
「銃を下ろすんだ、冴木博士」
厳かに、レスキューAIは口を開いた。
「自分でも分かっている筈だ。物理的にグレイスを救出するのが不可能な以上、グレイスを取り戻す事は出来ないと」
「っ!!」
恐らくは、タツヤ自身が意図的に目を背けていた部分を、ボブは容赦なく突いた。
AIに同じ自我は宿らない。
全てのメモリーをバックアップして、新品の陽電子脳にその全てをインストールして起動させても、同じ個性には決してならない。これは意識野を持った陽電子脳が開発されてから現在に至るまで、AI科学者を悩ませている難問だ。
その答えとしてAIの蘇生を目指したのがエステラとエリザベスの『双陽電子脳計画』だったが……十分な設備に予算、最高のスタッフと考えられる限り恵まれた環境を整えてさえ、結局その試みは成功しなかった。
ましていくら優秀だろうと、ただの一個人でしかないタツヤにそれを上回る環境・状況を整えられる訳が無い。
彼の計画は、最初から失敗していたのだ。そんな事は、彼自身が一番分かっていた。
だがタツヤはそれでも、試してみたかったのだ。
万に一つの確率に、あるいは奇跡が起る事に賭けてみたかったのだ。
その気持ちを、誰が責められるだろうか。
「悪いが博士、それは俺も同感だな」
相棒の陰から、ぬっと顔を出してルミナが言った。
「例えあんたの計画が成功して、グレイスの全てのデータをそのAIに移して……そしてそのAIがグレイスの記憶を持ち、どんなにグレイスのように振る舞ったとしても……『それ』がグレイスでないと一番突き付けられるのは……きっとあんた自身だ」
「!!」
くわっと、タツヤはその言葉を受けて目を剥いた。
「正直……俺はそんなシチュエーションは想像しただけで身の毛もよだつぜ……だから悪い事は言わねぇ。やめとけ」
「う……あ……ぁ……」
銃を持った手が下ろされて、ややあって銃が床に落ちて冷たい金属音を鳴らした。
がっくりとくずおれるタツヤ。本来ならそんな彼に寄り添い、支えるべき役目のグレイスの姿をしたAIは、ぼんやりと傍らに突っ立っているだけだった。
「……」
一人の人間と三機のAIは誰からともなく退出していって……この部屋には、タツヤと女性型AIだけが残された。
「グレイスは……以前の、使命に生きているグレイスはどんな子だった?」
メタルフロート外周部。セントラルタワーを睨むヴィヴィが、マツモトの方を向かずに尋ねた。
グレイスの正確な位置は不明だが、島の管理を円滑に行なうのなら電子的な経路を物理的に短くする為に、メイン端末の近くや電力消費の多い機構の傍に彼女を配置するのが理に叶っている。そしてその条件の両方を満たすのが、あの中央制御塔だ。十中八九、グレイスはそこに『安置』されている。
「正史の情報によれば、優しく使命に純粋であったと。まさに白衣の天使を体現していたそうです」
「……そう」
「行くか」
ルミナが、手にしていたフランキ・スパス12を構える。
「……」
ボブは何も言わず、彼の手に握られているとサイズ比からまるでサタデーナイトスペシャルのように見えるUZIの動作をチェックした。
「シンギュラリティ計画を、遂行しましょう」
「了解です、ヴィヴィ」