第17楽章 再会
2116年某日。
「……はい、はい。そうですか。えぇ、分かりました。またの機会がありましたら、その時には是非……えぇ、よろしくお願い致します」
恭しい口調で電話先の相手に応対していた彼は、一世紀以上前から存在する電話のマナーに従って、相手側が受話器を置くまで待った。そうして通信が切れる音が聞こえてくると同時に、
「くそっ!!」
叩き付けた受話器が、真っ二つに砕け散った。
「どいつもこいつも見る目の無い……いや、この場合は聞く耳が無いと言うべきか……何故、オフィーリアの歌の素晴らしさが分からない? 素人なら兎も角、まがりなりにもその道のプロだろうに」
彼の為にあてがわれたこぢんまりとしたオフィスでそう愚痴っているのは、人間ではない。巨大な円盤状の頭部に寸詰まりのデフォルメされた感のある胴体がくっついた、どこか愛嬌のあるデザインをしたAIだった。
AIの名前はアントニオ。
シスターズの一機であり、最新型モデルである歌姫AIのオフィーリア。「歌でみんなを幸せにすること」が使命である彼女を補佐することをその使命として造られたサポートAIである。彼はオフィーリアのステージでの音響照明を一手に担う他、こうして営業活動を行なって歌う舞台を彼女に提供する事も業務の一環としている。
現在、彼とオフィーリアのコンビは各地の小劇場を転々とする形で活動を行なってはいるが、その客入りは芳しくない。空席が目立ち、歌い終わった後の拍手も小雨がぱらつくようで、二機ともその使命を果たせているとは、どうにも言い難い状況だった。
オフィーリアの歌を、アントニオは毎日幾度も聞き返している。
相方の歌は素晴らしい。何度聞き返してみても、誰に聞かれても、彼は同じ答えを返すだろう。オフィーリアの歌は、絶対に素晴らしい。
だから、沢山の人にそれを認めてもらえるように、多くの客を劇場に招くこと。そうすれば、きっとみんなオフィーリアの歌の素晴らしさ、良さを分かってくれる筈だ。
その為には、自分の営業努力しかない。
そう、問題があるのは自分だ。オフィーリアには何の問題も無い。
相棒の歌は素晴らしいし、何より一生懸命に歌っている。彼女が音痴だとか、あるいは怠惰だとは、誰にも言わせない。言わせてなるものか。
仮にそんな戯れ言をぬかす奴が眼前に現れたのなら、アントニオはそいつがAIならば飛びかかって首をへし折ってしまうだろう。そしてもし人間であったのなら、AIにとって最大級の禁忌である殺人を自分が犯す可能性を、彼は真剣に危惧した。
「ふん……」
サポートAIは情報端末のキーボードを叩いて、保存されていた映像を再生する。
一月ほど前に、先達より学ぶものがあるかと相棒と一緒にニーアランドへ行った時に、文字通り「目に焼き付けた」記録だ。彼自身のメモリーから、この情報端末へとカットアンドペーストしていたのだ。
映像の中では、空色の髪をしたAIが歌っている。
AIの名はディーヴァ。名は体を表すという言葉通り、まさしく「歌姫」の名を冠する歌姫AIの始祖。ロールアウトしてから半世紀以上を経ているにも関わらず、未だ歌姫AIの代名詞と呼ばれる程の、トップクラスの人気を博するフラッグシップ機である。
ディーヴァはもう30年以上もニーアランドのメインステージを、人間・AIに関わらず誰にも一度も譲った事は無い。彼女のステージは連日満員で、チケットを手に入れるのに半年待ちだってザラだ。(勿論昔に比べてそうした対策が徹底されている事もあるが)人気が凄すぎて、ダフ屋もチケットを手に入れられないというのは有名なエピソードである。
確かに、ディーヴァの歌は凄い。
アントニオもオフィーリアも、ビデオ映像やラジオではメモリに焼き付いてスリープ状態でも彼女の姿と歌がリフレインするほど聞いたものだが、生のディーヴァの歌をやっと取れた会場の端っこの席で聞いていて……気が付いたら舞台で一礼しているディーヴァの姿を見た時には、二機とも夢中でスタンディングオベーションしてアンコールを叫んでいたのは記録に新しい。
「だがオフィーリアとて、決して彼女に劣ってはいない。相応しい舞台と聴衆さえ用意できれば、必ずあいつの歌の素晴らしさを、皆も分かってくれる。その為には私が奮起せねば……」
気合いを入れ直して、アントニオが次の営業先へと電話を掛けようとした、その時だった。
半壊した電話が、着信音を立てる。先程の癇癪で受話器が壊れてしまったので、アントニオは自分の回路に直接電話を繋いで応答した。
「はい、こちらアントニオです」
AIで、しかも裏方専門であって人間とコミュニケーションを取ることを想定していない彼には表情及びそれを変化させる機能を持っていない。しかし、この時ばかりは、その喜怒哀楽が存在しない筈の彼の顔が笑っているように、もし余人の目があればそう見えたであろう。
「えっ。オフィーリアにメインステージを?」
声も明らかに弾んでいた。
<えぇ。その為に是非、一度直に会って打ち合せがしたいのですが>
電話の向こうの相手の、極めて紳士的に思える穏やかな声がアントニオのCPUに反響した。
「分かりました。では、二時間後にそちらに伺います。はい、では後ほど」
通信が終わると同時に、まるでギリシャ神話に語られ星座にまでなった、ペルセウスのサンダルのような足取りでオフィスを出るアントニオ。
彼が原因不明の機能停止に陥るのは、この翌日の事だった。
2121年2月7日。
150年ほど前に叫ばれた環境問題も今は昔。
テクノロジーと自然が融合し、共存するようになって久しい現在。
自然豊かな山間に建てられたログハウスへ、一機のAIが歩いていく。
190センチを超えるがっしりとした長身の、屈強なその男性型AIは旧時代の大砲の砲身を思わせる程の太さを持った丸太を肩に担ぎ、のっしのっしと歩みを進めていく。
ログハウスのすぐ傍まで来ると、そのAIは持っていたチェーンソーで丸太を適当な長さにまでカットすると、チェーンソーをすぐ傍らに置いてあった斧に持ち替えた。
そうして彼はそれなりの重さはある筈の斧をまるで竹刀のように振りかぶって、丸太を簡単に四つに割ってしまった。
今時、部屋全体がものの5分もあれば居眠りするのに最適な室温に調整される暖房器具はほとんど各家庭に普及してはいるが、しかしそれはそれとして何百年も前から使われ続けてきたレトロの極みとも言える暖炉や薪ストーブが持つ火の暖かみには根強い人気があり、そうした暖房器具は一種の贅沢品として現在でも少数ながら生産が続けられている。
明らかに富裕層が使用する別荘か高級ペンションに見えるログハウスにも、そうした暖房器具が備わっているのだろう。
3つめの丸太を断ち割ろうとそのAIが大きく振りかぶったそこで……
「!」
AIの視覚は手入れが行き届いた斧の断面を鏡として、背後から近付いてくる影を捉えた。
くるっと、斧を持ったまま振り返る。
「お前は」
「お久し振りですね。ボブさん」
そこに居たのは、内蔵されたイオンエンジンによって空中に浮遊するキューブ。
破滅の未来から、その未来を変える使命を託されて時間を遡行してきたAI、マツモトだ。
薪を作っていたそのAI、ボブは現れたのが曲者ではない事を確認して、いざという時はそいつのドタマを薪の代わりにカチ割る為に使われたであろう斧を下ろした。
「マツモト。お前か」
「メタルフロートであなた達と別れてから、もう35年になりますか」
「あぁ。ボスは亡くなる一月前、体が動かなくなるまでは、ずっとお前達の事を待っていた」
だが、結局ルミナとマツモトは、メタルフロートを停止させて以降は二度と会う事は無かった。
それが良い事なのか。それとも悪い事なのか? 判断する術を、ボブは持たなかった。
「ボブさんのお噂はかねがね。幾度かの改修を経て、あの後も25年間は人命救助・対テロの最前線で勤務、レスキューAIの最優秀機として毎年表彰され、次の5年は後継機の指導を任務とした教官役に。ここでも高い評価を受け、その後は山岳監視・遭難者の救助活動を任務として、ここに配属されたと」
「流石だな」
感心したという風に、レスキューAIが頷いた。
未来から来た最新AIは、その持ち前の演算能力を駆使してボブの経歴や現状などはとっくに調べ上げていたという事だ。
「それで、お前がここに来たという事は」
「えぇ」
マツモトはぱちくりと前面のカメラアイを瞬きするように動かした。
「35年振りにシンギュラリティポイントがやって来ました。そこでボブさん。あなたに」
「分かった」
マツモトの説明を待たずに、ボブは了解した。
「協力を……あれ?」
未来の最新鋭AIも、流石にここまで返答が早いのは予想外だったようだ。
「良いんですか? いや、協力を持ち掛けたのは僕なんですが」
「ルミナ……ボスからの命令だ。マツモト……お前からシンギュラリティ計画の協力依頼が来た時には、受けろとな」
ボブは、ポケットから取り出したサングラスを顔に掛けた。
ルミナの相棒であった頃、彼のトレードマークだった物だ。
「署長さんが……」
「そうだ」
ボブは頷いた。
「付いてきてくれ。武器が必要だ」
マツモトが案内されたのは、ログハウスの裏手にある倉庫だった。
外見はどこにでもあるただの木造物置にしか見えないが、マツモトがカメラをX線モードに切り替えると、内部には床・壁・天井の全てに分厚い装甲板が敷き詰められているのが分かった。
入り口はロックされていた。指紋や陽電子脳の波形パターンを認証するタイプではなく、昔ながらのナンバーロックだった。扉のすぐ脇に、クラシックなテンキーが据え付けられている。
ボブの大きな指が「1」「3」の順番にボタンを押す。テンキーの上にあった「LOCK」を示す赤のランプが「OPEN」を示す白に切り替わった。
「随分と簡単なパスワードですねぇ。セキュリティの観点からもう少し複雑なパターンに変えるのをお勧めしますよ」
呆れたようなマツモトの声を受けつつ、ボブがずっしりと重量感のある金属製のドアを引いて、二機のAIは物置の中へと進んでいく。
中は真っ暗で、マツモトはカメラを暗視タイプに切り替えようとしたが、それより早くボブが照明のスイッチを押して、ライトが灯って内装が見えるようになった。
「おぉ……」
呼吸はしていないが、思わず息を呑むような声をマツモトが上げた。
そこにあったのは銃だった。
壁一杯に掛けられた、という程度の表現では到底追い付かないぐらいに大量な。寧ろ銃で壁が作られていると言った方が適切かも知れなかった。そしてそれらに込める為の、大量の弾薬。
「どこか小さな国を相手に侵略戦争でも始めるつもりだったんですか?」
これはマツモトの笑えないジョークだが……今回、彼の眼前に広がっている武器弾薬の量からするとあながち冗談にも聞こえなかった。
「これらの武器を集めたのはボスだ」
壁に掛けられていた超大型回転式拳銃S&W・M500の動作を確認しつつ、ボブが言った。
「警官時代のコネクションを利用して、アンダーグラウンドの武器商人から買い集めた。次にお前が来るのは10年後か20年後か……あるいは自分が生きている間に出会う事はもう無いかも知れない。それでも、シンギュラリティ計画に協力要請があった時には、この武器を使って未来を、人類を守ってくれと……そう、俺に言い残してな」
ボブが、奥まった所に鎮座していた物に被せられていたカバーを取り払う。
姿を見せたのは、現在からおよそ200年前に製造された骨董品と言って良い武器……否、兵器。イギリスのメトロポリタン=ヴィッカース社製の水冷式重機関銃だった。
全備重量は50キロにもなる代物だが、怪力を誇るボブは軽々と台座から手に取って、アサルトライフルのように構えてみせた。
「とてもよくお似合いですよ。あなたにぴったりだ」
「ありがとう」
皮肉が含まれたマツモトのコメントだったが、ボブには通じなかった。
「それで今回のミッションは何をするんだ?」
「ゾディアック・サインズ・フェス……当然、ご存じですね?」
「あぁ」
反AI運動による人間とAIの軋轢解消の為に2106年から毎年開催されている、世界中の歌姫AIの中から選りすぐられた12機を黄道十二宮になぞらえた、一大歌唱イベントである。今年は第15回目の開催となる。
「このイベント中に、オフィーリアというAIが自殺を行なうんですよ。僕たちの任務は、それを止める事です」