Prelude Vivy(完結)   作:ファルメール

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第1部 甲斐ルミナ
第1楽章 100年の旅の始まり


 

 2061年4月11日、深夜。

 

 この日、甲斐ルミナは市内のパトロールにパトカーを転がしていた。眠気が襲ってきて、大きな欠伸を一つ。その後でブラックコーヒーの缶を開けると、彼は一息でその中身を空にした。

 

「ねむ……AIの相棒が居てくれたら、事件が起きない限りは俺は寝てられるんだがなぁ」

 

 彼はひとりごちる。昨今、警察や警備会社にもAIは導入されつつあるがBOTやドローンの類と違って、独自の思考力・判断能力を持つAIは高価な事と単純にその絶対数が少ない事もあってまだ配備は進んでいない。それにまだAI技術は発展途上、その能力を疑問視する声も多い。

 

 かく言うルミナ自身もその一人だった。

 

 とは言え、昔アニメや映画で見たロボット警官が自分の相棒となるというシチュエーションは正直魅力的であり、憧れる自分が居る事もまた事実である。

 

 そんな日が来るかどうかは分からないがそれを期待しながら、優先して相棒AIが配属されるような実績を挙げるよう、優秀な警官を目指そうかと思考しつつ、彼はパトロールのコースを変更してドーナツ屋へと、ハンドルを切ろうとした。

 

「……!!」

 

 だが、切ろうとしたその瞬間に、ルミナはぴくりと体を弾ませてパトカーの進行方向を直線に戻した。

 

 車体のカウルや窓ガラス越しであり、しかもエンジン音と路面の僅かな凹凸がもたらす震動によって体に伝わってくる分には微かなものだが、だが確かに、空気がびりびりと震動している感覚が肌に走って、耳は爆音を拾っていた。

 

 対テロ特殊部隊に所属していた経験もあるルミナは、ハードロックをガンガンに鳴らしていても銃声やヘリコプターのプロペラ音を拾って、銃器や機種を判別し、おおよその方角と距離を割り出せるレベルにまで訓練を積んでいる。

 

 パトカーのサイレンをONにすると、体に染み込ませて刻み付けた感覚が教える方向へとハンドルを切り、思い切りアクセルを踏み込んだ。

 

 平行しつつ、ナビゲーション機能のスイッチを入れる。この方向と距離の範囲内で、爆破事件が起こりそうな建物は……

 

「AI企業のビルか……」

 

 そう言えば最近、反AIを標榜するテロリスト・トァクの活動が活発になってきていると彼は今朝のミーティングで上司が言っていたのは思い出した。

 

 懐に手を入れると、脇の下に愛銃の固い感触がある事を確認した。そうする事で、少しだけ興奮で早くなっていた心拍数が落ち着いたのを自覚する。

 

 目的地には5分で到着した。

 

 この時間帯だから当然だが、ビルの全ての階層の明かりは消えていて、静まり返っている。

 

 人が動く気配も無い。

 

「……こりゃあ、俺のカンも外れたかな?」

 

 自分も少しナマって来たかなと自嘲しつつ、ルミナはパトカーを停めて外に出ると、胸ポケットからお気に入りの銘柄の煙草を取り出して、最後の一本に火を点した。

 

 吸い込んだ紫煙を、ふうっと吐き出す。

 

「平和そのものの、いい夜だ。毎晩こんなだったら、夜勤も楽なんだが……」

 

 ……という、適度に肩の力を抜いた不真面目な勤務態度が許されていたのは、その瞬間までだった。

 

 最初は銃声。

 

 続いてガラスが砕け散る音。

 

 その次には大勢のブーツが、床に散乱したガラス片を踏みにじる独特の音色が響いてくる。

 

 ビル内部から自動ドアを撃ち破って出てきたのは、戦闘服や暗視ゴーグルを身に付けて、銃火器で武装した……所属は不明だが、少なくとも堅気の人間ではないという判断を下すのにピコ秒も要さないであろう一団であった。

 

「急げ!!」

 

「早く避難しろ」

 

 すぐに銃をドロウして彼等を制止しようとしたが……一瞬、遅れた。

 

 ルミナの動作よりも早く。

 

 先程、パトカーの中で感じたものに軽く百倍する衝撃と爆音が襲ってきて、ビルの中層階の窓ガラスが全て内側から吹っ飛んだ。

 

 典型的な爆弾テロの手口だ。

 

 だがそれだけでは終わらなかった。

 

 木槌の速度が足りなかったり、あるいは中途半端に二つの円柱を叩いてしまったダルマ落としのように、ビルの上層階が崩落を始めたのだ。

 

 思わず、この瞬間だけはルミナも、トァクも視線を上にやった。

 

 そして、彼等は見た。

 

 舞い散るガラス片の一つ一つが、光の欠片のように散りばめられて。

 

 月光に照らされつつ、青い長髪をビル風に流して。

 

 ギリシャ神話にある、有翼のサンダルを履いたペルセウスのように空を駆ける人影。

 

 一瞬だけ、ルミナは言葉を忘れ、自分が今置かれている状況を忘れて、自分の職業も忘れた。

 

 目を奪われて、心を奪われた。

 

 それほどに、その姿は美しくて。

 

 が、そこは彼もやはりプロ。忘我していたのは一瞬に過ぎなかった。

 

「動くな、警察だ!!」

 

 銃を抜き放って、警告する。

 

 返答は、無数の銃声だった。

 

 反射的にすぐ傍にあった街灯の陰に身を隠す。細い鉄柱からは、元々大柄な上に鍛え上げられた彼の体の大部分がはみ出てしまっていたが、今回は運が味方してくれていたのか、弾丸は夜の闇に吸い込まれていくか、鉄柱を凹ませただけに終わった。

 

 ひとしきり銃声が鳴り終わったのを見計らうと、通信機のスイッチを入れる。

 

「こちら甲斐。テロリストだ、応援頼む!!」

 

 無論、要請したってすぐに応援の警官が駆けつける訳も無いが、しかし大声でそう叫ぶだけでも効果はあった。

 

 ルミナは知らなかったが、この時点で既にトァクは予期せぬ闖入者に阻まれて目的である相川議員暗殺に失敗していて、撤退行動に移っていたのだ。そこに警察が来たとあっては、彼等にとって後はいかに迅速にこの現場から離れるかが勝負であった。

 

 威嚇射撃が成功してやってきた警官に動きが無い事を確認すると、彼等は訓練された素早い動きで改造されたワゴンに乗り込み、法定速度を軽く40キロは超過したスピードにまで加速させてあっという間にルミナの視界から消えていった。

 

 後には、少しずつ近付いてくるサイレンの音をどこか遠い世界のように感じながら、街灯の陰から出てきたルミナが立ち尽くすのみ。

 

 彼はもう一度、天を仰いだ。

 

 勿論、先程の人影はもうない。

 

 ただ月が、地上の喧噪など他人事のように光を地上に落としているだけだ。

 

 この日の経験は、しかし日々の忙しさの中で、いつしかルミナは記憶の片隅に押し込めてしまう事になる。

 

 彼が今日の事を思い出すには、後15年の時を待たねばならなかった。

 

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