第24楽章 未来の為に
2126年某日。
都市の郊外に造られた共同墓地の一角。
黄昏時で他に墓参りに来る者も居ないそんな寂しい場所で、一機のAIが墓前に佇んでいた。
巨大な花崗岩のようにがっしりとして厚みのある体躯が特注サイズの喪服に包まれていて、目許は黒いサングラスで隠されている。
眼前の墓には花束が手向けられていて、墓石には「継枝家之墓」と刻まれていた。
「そちらは終わりましたか?」
「!」
掛けられた声に反応して振り返ると、そこには宙空に浮遊するキューブが一機。
「マツモトか」
墓前に参っていたそのAI、ボブはサングラスを外した。人間の瞳孔とは違う、ピントを合わせようとするカメラアイが収縮する瞳が露わとなった。
「ディーヴァ……ヴィヴィに会いに行ったんだったな。彼女はどうしていた?」
「まぁ……平穏そのものと言いますか、もしくは退屈極まりないと言いますか。無為に時を過ごしていたという表現が最も適切でしたかねぇ」
どこか皮肉気に、あるいは厭世的な響きも含ませて、マツモトはスピーカーを作動させた。
ディーヴァは、5年前の第15回ゾディアック・サインズ・フェスで観客を総立ちさせて歴史に残るような歌を歌ったのが、公式には彼女が歌った最後の記録となっている。
その後すぐに彼女は、歌姫の仕事を引退したのだ。
本来、AIはその帰属する組織が所有する備品であり所有主が「止めろ」と言わない限りはその仕事を辞める自由もその組織から離れる自由も無いのだが、AIが人間にかなり近付いた昨今ではそうした原則が有名無実、形骸化してきてもいるのも事実である。
一方で仕事を辞めるという事はAIがその存在意義である使命を放棄する、つまりAIがAIである事を否定する……いわば自殺にも近しい行動なので、そうした事例はAIが人間社会に浸透するようになってきてからもう半世紀を優に超えてはいるが、絶無でないにせよリストの1ページに納まるぐらいにしか存在していない。
ちなみに、人間とAIが単純な所有・雇用といった関係を超えて家族関係になる……つまり人間とAIとの結婚や養子縁組という事例は、こちらも指で数えるに足る程の少数例ではあるが存在していて、一部は公表されてニュースになったりもしている。シスターズの中にはかつてのグレイスのように医療施設や、あるいはメタルフロートでヴィヴィ達が出会ったエムのように大企業のキッズスペースにてベビーシッターのような仕事に従事する機体も居るので、この分ではその内、嬰児の頃からお世話をしていて、少年期には姉として接し、青年期以降はメイドのように身の回りの世話をして遂にはその人の最期を看取るような……揺り籠から墓場までを使命とするAIだって登場するかも知れない。
さて、ディーヴァの場合はニーアランドの従業員達の多くが彼女を備品ではなく仕事仲間、スタッフの一人として思っていたので彼女の意志を尊重しようとした事と、これまでのディーヴァの貢献を思えば我が儘の一つぐらいは聞いてやるべきだろうという判断もあったのだろう。
引退に際して、お別れライブが開かれなかった事についてはファンの間で物議を醸したのだが……
「歌えなくなったそうですよ、彼女は」
「そう、か」
ボブは無理も無いか、と天を仰いだ。まるで出もしない溜息を絞り出すように。
自分が消える最後の瞬間にまで、歌い続け使命を果たし続けたディーヴァ。彼女がヴィヴィに遺したものは、ディーヴァという一個の実存、彼女が今まで生きてきた時間そのものと言っても過言ではない。
使命であるとは言え、重いものを託されたのは確かだろう。シンギュラリティ計画の遂行、引いては人類の命運と、自分の分身とさえ言って良い存在の、全て。ボブはそんなヴィヴィの事を、どこか不憫に思いもした。
「だが……俺達にも、やらなくてはならない事がある」
「えぇ、そうですね」
マツモトのカメラアイが、ボブの眼前の「継枝家之墓」に向いた。
「ギンさんが、生きていてくれたのなら……」
AIにしては珍しく「もしも」に、マツモトが言及する。あるいはこれも、勿論休眠時間が長いとは言え65年も存在してきた事で彼が獲得した人間性かも知れなかった。
「人間が、僕たちよりもずっと脆い存在だという事を……僕は分かっていたつもりですが、改めてそれを思い知らされた気分ですよ」
「あぁ、まさか……零した紅茶に足を滑らせて、頭を打って死ぬなんてな」
未だ信じられないと言う風に、ボブは頭を振った。
この5年間、ギンはその明晰な頭脳で多くの考察、多くの予測、多くの指針をボブやマツモトに示したが、数日前に40にもならない若さで死亡した。
死因は、たった今ボブが語った通りだ。
遺体の第一発見者となったボブとマツモトは入念な現場検証を行なったが、何処にも第三者が介入した痕跡などは存在しなかった。ギンの死因は純粋に事故だ。紅茶を床に零して、立ち上がった時にそれに足を滑らせて転倒し、その際に頭を打って脳挫傷を引き起こしたのだ。
黙祷のように閉ざしていたカメラアイを、マツモトは開いた。
「ギンさんはもう居ませんが。彼が僕たちに遺してくれた遺産は生きています」
「あぁ」
ボブは首肯すると、サングラスを掛け直した。
「オフィーリアとアントニオの襲撃事件……主犯は未だ不明ながら、恐らくはトァクのような反AIの過激派によるものだというのが定説になっていますね」
眼前に立つ本当の実行犯に、マツモトはウインクするようにカメラアイを瞬きさせた。
「ある意味理想的に、歴史を改変できたと言えるな」
オフィーリアの自殺は正史に於いて、彼女に続く形でAIの自殺が頻発するというAI史の重要な転換点となった。だがこの歴史に於いては、何者かの手によってオフィーリアとかつてのサポートAIであったアントニオが破壊された事件となっている。
確かにセンセーショナルな事件ではあったが、AIが殺害される事それ自体は、AIが人間社会に浸透するようになってから何百件何千件も発生してきた、ありふれた事件・事例でしかないのだ。
「予測されたシンギュラリティポイントは5年前のあの事件で最後……そして現在に至るまで、AIの自殺は確認されていません。シンギュラリティ計画の成否は現在から35年を待たなければ不明ですが、計画の骨子であるシンギュラリティポイントの修正それ自体は全て完了しました」
「後は、天命を待つ……という事か」
「えぇ。本来シンギュラリティ計画はそういうものですから。不要な干渉は、避けるべき。僕もヴィヴィも、シンギュラリティ計画の為に出来る事は、もう何もありません。だから今から35年間。結果発表までのそれまでの時間を、僕たちはシンギュラリティ計画を成功させる為に使わねばなりません」
「そうだな。行こうか」
「はい」
20年後。
2146年某日。
「ヴィヴィ?」
AI集合データーベース『アーカイブ』の一角。
個々のAIが思い描く心の景色が反映されているその空間。
ヴィヴィにとってそこは、旧世紀の学校の音楽室のようだった。
20年前から、マツモトはAI博物館に寄贈されて展示業務に従事しているヴィヴィに、ちょうど二機が初めて出会ったその日に会いに来る事を織姫と彦星よろしく一つのルーチンとして繰り返している。
この年も、彼は同じ日にヴィヴィに会いに来たのだが、今日のヴィヴィはピアノに突っ伏して眠っているようだった。
「おや……お休みの最中でしたか」
これは良くない時に来てしまったかなとマツモトは、仮想空間でしかも人型をしていない彼が立てる筈も無い物音を立てないようにしてこの場を離れようとして……部屋の一隅に、音楽データが存在しているのを見付けた。
「これは……」
ヴィヴィは20年前から、既存の歌が歌えないのなら自分が歌える歌を作ると、作曲を行なっていた。長い間、そのタスクは最初の1フレーズで行き詰まっていたが……しかし今このデータベースにあるそれは、確かに一つの楽曲として完成していた。
マツモトがデータをダウンロードして……そして、数分の間、彼は思わず自失した。話に聞く「我を忘れる」という感覚とはこういうものなのかと、理解した気分だった。
眠っているヴィヴィに尋ねる事は出来ないが、この曲はきっとシンギュラリティ計画をイメージして作られたものだというのが、彼にも分かった。理論的ではないが……同じ経験を経てきた者にしか分からない共感性が、彼の中にも存在したのだ。
「そうか……完成したんですね、ヴィヴィ。20年越しのタスクが終わったんです。演算回路にも休息は必要ですか」
ちらりと、眠っているヴィヴィへと視線を向けるマツモト。
「……出来れば、あなたが作ったこの曲を多くの人達に聴いてもらいたかった……あなたが歌うこの曲を、僕も聴きたかったですが……先に謝っておきますよ。ヴィヴィ」
マツモトは楽曲データを自身の内部メモリに保存すると、アーカイブ上からは削除した。
「あなたが作ったこの曲だけは。これだけは渡さない。きっとこれは、パートナーとして、僕があなたの為に出来る最後の事。お休みなさい、ヴィヴィ……出来れば、戦争の無い未来で……また……尤も、その時あなたと会う僕がこの僕であるのかどうかは、分かりませんが」
それを最後に、マツモトはヴィヴィのパーソナルスペースから退出する。
これ以降、この歴史に於いてヴィヴィとマツモトが出会う事はなく。
ヴィヴィが……と、言うよりもAIが初めて独力で作った曲が、公表される事は無かった。
14年後。
2160年某日。
この日、トァクの支部の一つは喧噪の只中にあった。
通信機からはひっきりなしに怒号と悲鳴が飛び交って、銃声や爆音が響き渡っている。
<リーダー、こっちは何とか時間を稼ぎます、その間に脱出を……うわっ!!>
<情報が欲しい。敵は何人なんだ!? AIか、それとも人間か……ぎゃあっ!!>
空間に表示された通信ウィンドウが次々砂嵐になっていって、最後の一つが消えるまで数分とは保たなかった。
「リーダー、ここももう危ない。とにかく脱出を」
「いえ、ベス。他の人達を置いて行く事は出来ません」
車椅子に座る、この支部の長である垣谷ユイはまだ二十歳にもならないであろうその若さに見合わぬ凜とした態度で、すぐ背後に立つシスターズ、エリザベスの提案を却下した。
「だが……ユイ!!」
少しだけ苛立ったように、エリザベスの語気が強くなった。
敵の正体が分からないが、状況は悪いのは確かだ。
マスターの命令に逆らう事になるが、盲導犬が主に「行け」と命令されても赤信号なら行かないように、不服従もまた高度な知性を持ったAIにとって重要な役目でもある。
この場合は、ユイの命令に逆らってでも彼女を抱えてここから脱出すべきか……
陽電子脳がその可能性を真剣に検討し始めたが……
「それに……」
「?」
「どうやら、もう遅いみたいですね」
ユイが言い終えるかどうかというタイミングで、部屋のドアが爆発したかのように吹き飛んだ。
床と水平に猛スピードで飛ぶ金属製の扉が、そのままではユイに直撃するコースだったが、エリザベスは腕を振って残骸を払い除けた。
残骸が床にぶつかって転がる音がして、それが鳴り止んだのと同じぐらいのタイミングで部屋に入ってきた煙の向こう側から、鼻歌が聞こえてくる。
「これは……」
「ディーヴァの歌か……?」
前に懐かしの曲というラジオのコーナーで流れていた最初の歌姫AIの昔のナンバーが、どこか調子の外れた鼻歌となって、室内に響いていた。
「あんたがこの支部のリーダーだな?」
鼻歌が止んで、代わりに部屋に響いたのは幼く、甘ったるさを感じさせるような少女の声だった。
煙が薄れて、その向こうから姿を現したのは声の印象に違わず、少女だった。まだ十代も後半ではないだろう。
ジャケットにチューブトップ、ホットパンツにアーミーブーツとラフな格好で、肩ぐらいの長さの黒髪は短めのポニーテールに結われている。
右手には対AI用の超震動ナイフを握っていて、左手には氷が一杯に入ったグラスを手にしている。
少女は口を開けると、グラスの氷をそこに放り込んでガリガリと噛み砕いた。
「……初めまして。お名前を伺っても?」
「!」
襲撃を掛けてきた相手に対しての、ユイのその言葉に対して少女は少し戸惑ったようであった。表情が、少しだけ柔らかくなって毒気を少しだけ抜かれた風に見える。肩の力もちょっと抜けていた。
そうして二呼吸ばかり置いた所で、襲撃者は名乗った。
「私はサラ。折原サラさ。あんたらには、トァクハンターと名乗った方が分かり易いかな」
「トァクハンター……」
エリザベスが警戒を強くする。
トァクハンターはその名の通り、最近になってトァクの支部を次々に襲撃している者の通称である。
者と言ったが単独犯なのか複数犯なのかも実際には分かっていない。確かな事は一つ、ハンターに狙われたトァクの支部は、一つの例外も無く壊滅させられて支部長が殺されているという事だけだ。
「その私が来たという事は、どういう事かは……分かっているだろ?」
トァクハンター、サラは話しながら、震動ナイフを順手から逆手に持ち替えた。
「ユイ、すぐに済ませる。此処で待っていてくれ」
エリザベスはユイの車椅子を引いて後方に下げると、ぐっと腰を落として構え、戦闘態勢を取った。
「邪魔をしないでほしいのだけど。私のターゲットは各派・各支部のリーダーだけ。他の連中はちょっと眠ってもらっただけで殺しはしてない。AIであろうと、殺したくはないのよ。特にシスターズはね」
「そうは行かない。お前はユイを殺そうというのだろ? なら、私の敵だ」
「そう。お友達には、なれないみたいね。乾杯(プロージット)!!」
もう一度、氷を口に流し込んで噛み砕くと、サラは空になったグラスを放り捨てる。
グラスは気持ちいい音を鳴らして砕け、それが合図になった。
サラとエリザベスが、いずれも人間のそれを遙かに超えた瞬発力を発揮して対手へ突進する。
震動ナイフとAIの拳が突き出されて……
しかしそのどちらも、相手に届かなかった。
「むっ!?」
「あんたは……」
サラとエリザベスは、どちらも横合いから伸びてきた手によって手首を掴まれてしまっていた。
当然ながら両者ともその手を振り払おうとしたが、万力のようなパワーでまるで手首を空間に固定されたようで、びくともしなかった。
そこに立っていたのは、ブラックのレザージャケットに身を包み、いかめしい顔つきがサングラスを掛けている事で更に迫力を増している守護者型AIだった。
「はい、双方そこまで」
もう一つ、殺伐とした場には似つかわしくない剽軽な声がして、ふわりと一機のキューブが舞い降りてくる。
「初めまして皆さん。僕の名前はマツモト、こちらの守護者AIはボブさんです」
「ボブ……!!」
「あの、伝説のボブか……!?」
マツモトは知らないが、もう一つの名前にはサラもエリザベスも敏感に反応した。
守護者型AIの最初の一機であり、スーパーコップ・甲斐ルミナの相棒として活躍したボブの名前は、現役を離れて久しい現在に於いても尚、警察や警備会社、それにトァクのような非合法組織の間では語り草となっているのだ。
「トァク穏健派リーダーの垣谷ユイさん。そしてトァクハンターの折原サラさん。お二人にお願いがあって参上しました」
「私達に……」
「お願い……だと?」
「えぇ。世界を救う為に、あなた方の力を貸してほしいんです」