Prelude Vivy(完結)   作:ファルメール

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第6楽章 blank 10 years

 

 2081年某日。

 

 陸地から離れたとある不便な島。

 

 住民達は既に離れて、無人島と化している。

 

 遊歩道の脇にぽつんとある教会は、年月の流れに逆らえずボロボロに朽ち果てていた。取り壊しが決まっているそこは、ステンドグラスはひび割れ、聖母の像は色褪せて、右手が欠け落ちていた。長椅子はあちこち折れていて、床は踏み締める度にみしりみしりと不安な音を立てる。

 

 そんな、訪れる信徒も絶えて久しい廃教会に冴木タツヤとグレイスは居た。

 

「ごめんな、結局こんな場所しか用意出来なかった」

 

「あなたが居れば十分ですよ」

 

 こほんと咳払いがして、二人の視線はお互いからそちらへ移った。

 

 キャソックを着た青年が、そこに立っていた。

 

 だが神父や牧師ではない。それはこの場に百人の人間が居れば、恐らく百人全員が同じ感想を持っただろう。何と言うか……堂に入っていない、と言おうか、あるいは服に着られているという違和感が思い切り出てしまっているのだ。

 

 もっと簡単に言えば、青年にキャソックは全く似合っていなかった。

 

 タツヤも同じ感想を持った。

 

「似合わないなぁ」

 

 青年は苦笑し、肩を竦める。

 

「そう言うなよ。お前等が式を挙げるって聞かされて、親友の一世一代の晴れ舞台だから特注したんだぜ、この服。立会人に指名されたからには、完璧に務めようと思ってな」

 

「……あぁ、そうだったな。悪かったよ」

 

「ありがとうございます。私達の為に、そこまでしてくれて」

 

「よし、それじゃあ始めようか」

 

 青年は抱えていた聖書を開いた。本にはめくり癖が付いていて、何度もそのページを開いてこれから読み上げる台詞を練習したのであろう事が伺えた。

 

 この動作を合図に、タツヤとグレイスは再び向き合った。

 

「冴木タツヤさん。あなは今グレイスさんを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰み遣え、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

「グレイスさん。あなたは今、冴木タツヤさんを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰み遣え、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 一片の躊躇も迷いも無く、誓約は交わされた。

 

「僕はあなたを、一生涯守ります」

 

「私もあなたを、一生涯守ります」

 

 もう一度、二人の間で誓いの言葉が繰り返されて。

 

 そして二人は口づけを交わす。牧師に扮したたった一人の立会人だけが、それを見届ける。

 

 これが歴史上初めて、人とAIの夫婦が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 2083年某日。

 

 この日は、蒸し暑い夜だった。

 

 どんな大事件が勃発してもおかしくないような。

 

 勿論、理論的ではない。蒸し暑い事と事件が起きる事には何の関連性も無い。

 

 だが警察に何十年も居るようなベテランの刑事は、形は違えど経験則としてそうした直感を備えているものだ。勿論、それは個人差があるし、また自覚している者いない者の違いもある。

 

 しかしその日は、そうしたジンクスがぴったりと当て嵌まる事件が本当に起きた。

 

 市内の高層ビルで、原因不明の大火災が発生したのだ。

 

 深夜であるにも関わらず警察・消防・医療・その他行政関係者が上も下も一人残らず飛び起きるような大惨事であったが、しかし現場に急行した警察・消防の迅速な連携、救助・消火活動に従事するAIの献身的な働きと、人間による的確な指示によって重軽傷者多数で救急車が何台もひっきりなしに現場と病院を往復してはいるものの、死人は一人も出てはいなかった。

 

 ただし、レスキューAIには多数の未帰還機が発生したが。

 

 現状、事態は収束に向かいつつあるが……その、未帰還機の数は後一機だけ、まだ増えそうだった。

 

「離せ!! おい、離せよ!!」

 

「やめろ!! もう手遅れだ!!」

 

 その若い警官は我が身も省みずに火の中へと飛び込もうとして、三名の同僚に羽交い締めにされて取り押さえられていた。

 

「ボブが火の中に戻ったんだぞ!! 助けにいかなきゃ……」

 

「だから止めろ!! ボブはAIだぞ。AIを助ける為に、人間のお前が死んでどうするんだ!!」

 

 どちらかと言えば痩せた体格のその若い警官は、体付きからは信じられないようなパワーを発揮して同僚達を振り払ってしまった。これが火事場の馬鹿力というものであろうか。

 

「関係あるか!! ボブはただのAIじゃない。俺達の仲間……それ以上だ!! あいつに俺達が何度助けられたか……」

 

「だからってお前が死んだらそれこそボブが何の為にお前を助けたか分からないだろうが!! とにかく……」

 

「やめろ」

 

 静かだが、重い声が掛けられて騒いでいた警官達の動きがぴたりと止まる。

 

「署長!!」

 

 現れたのは、がっしりとした体格で制服を着こなした、老境の警官だった。

 

 ルミナだ。髪の毛はすっかり禿げ上がってしまい、腹も出てしまっているが、未だ定年間近の年齢とは思えない程に、加齢によってくっついた脂肪の下には欠かさず鍛えられたごつい筋肉が隠されているのが分かった。

 

「署長、俺を行かせてください!! 俺が必ずボブを連れて帰ります!!」

 

 若い警官が食って掛かるが、ルミナは彼の肩を掴んで「落ち着け」と一声。

 

「ボブが行くと言ったのは、俺が許可を出した」

 

「署長……」

 

 何でそんな無茶に許可を出したのかと、若い警官は階級の差も忘れて上司を殴り付けそうになったが……振り上げた拳は、続く言葉によって止められた。

 

「あいつは言った。必ず戻るとな。なら戻ってくる。必ずな。俺は今まで、あいつに裏切られた事は一度も無ぇ」

 

 ルミナのその言葉が合図だったようにビルの入り口だった穴から吹き出ている炎が一層強くなって……見間違いだろうか、ゆらりとその中に影が動いたようだった。

 

 しかしそれが錯視ではない事はすぐに分かった。

 

 燃え盛る火炎をものともせずに、守護者型AIの巨体が姿を現す。

 

 サンライズから地球への帰還後、ルミナの勧めで着用して今やすっかりトレードマークとなった黒のレザージャケットを着た彼は、ボブ。最初期型の守護者型AIであり、ロールアウトから7年を経た現在でも未だトップクラスの機体と評価を受けるエースモデルだった。

 

 若い警官は、飛びつくような勢いでボブに駆け寄った。

 

「ボブ、良かった無事で!! でも、どうして中に戻ったんだ?」

 

「彼女が、取り残されていた」

 

 ジャケットの内側から、手品師がそうするように出てきたのは一匹の子猫だった。炎の中をくぐってきたのに、毛皮には少しの焦げ跡も無かった。ボブが完璧にガードしていたのだろう。

 

「……ネコ?」

 

 いかめしい彫刻のような無表情で、ボブは頷いた。

 

「俺は守護者型AI。パートナーである人間をサポートし、犯罪やテロの撲滅に尽くす事が使命であり……そして、命を守る為に造られた。その為なら、何度でも火の中に戻るさ」

 

 何の感動も感慨も無く、事務仕事でリストの文面を読み上げるような調子でボブが言った。

 

 実際に彼はそうする事に、何の感情も無いのだろう。小さな命一つ一つを守る為に、自分の命を懸ける事。それがボブにとっての、当たり前の在り方なのだ。彼以外の、殉職した他のAI達も同じだった。使命を、全うした。最期まで使命を、己を、全うして、死んだのだ。

 

「よう、中々派手な登場だったな」

 

「今戻った」

 

 軽口を叩く署長に、ボブは淡々とそう返した。

 

「ビルの中には?」

 

「もう誰も居ない。死者は、0人だ」

 

 ボブは握り拳を差し出すと、親指を立てる。

 

 ルミナも、同じ動作を返した。それがミッションコンプリートの合図だった。

 

 次の瞬間には警官、消防士、医者、野次馬に至るまで皆が拳を天に突き上げて歓声を上げていた。

 

 市の歴史に残るような大事件だったが……それでも、人が生き残るという事がどれだけ大きな事なのかが、その喜びようからは伺い知れるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 2086年某日。

 

「あー、あー、あああああー」

 

 AI複合テーマパーク、ニーアランド。

 

 この日、歌姫型AIの始祖・ディーヴァは発声機能を確認しつつ、メインステージの舞台へと続く通路に立っていた。

 

<初めてのメインステージ、トチらないようにね>

 

「ええ……分かっているわ」

 

 口の悪いサポートAI『ナビ』の軽口に応じるディーヴァは、今日はどこか上の空のように応じた。

 

<余計な事は考えないようにね。いつも通りやればお客さんは喜んでくれるんだから>

 

「ええ……」

 

 内蔵されたタイマーは、衛星通信によって正確に時を刻んでいる。開始時間が近づいて、そろそろ行こうかとディーヴァが足を動かし始めた、その時だった。

 

<ちょっと良い? 舞台へ立つ前に、ほんの少しだけ、会いたいって人が居るの>

 

「こんな時に?」

 

 ディーヴァが訝しむ。もう、ステージの開始まで5分を切ったこんな時にはコンセントレーションを高める為に園内のスタッフだって余程の緊急時以外の会話は慎むのに。

 

<私も、他の日、他の人だったら通さないけどね。今日、彼女だけは特別>

 

 ナビの操作によって、ライトが点灯する。薄暗かった通路が明るくなって、そこに立っていた人物の姿が分かるようになる。

 

 ディーヴァの、首筋のランプが明滅した。予想外の事態の発生によって、これは演算機能が僅かな時間混乱した……人間で言えば「驚き」に当たる動作だ。

 

「ディーヴァ……いえ、ヴィヴィ。お久し振り」

 

「ユズカ……」

 

 サンライズ落下の一件で、避難艇が地上に到着した時に「またいつか」と再会を誓って別れてから、しかし果たせずに今日まで10年の時が過ぎた。

 

 十年。言葉にしてみればたった二文字だが、その時間、ディーヴァは切ない程に何も変わらずに。一方でユズカは、少女の面影を残しつつも美しい大人の女性に成長していた。彼女の腕には、すっかり褪色してしまった青いクマのぬいぐるみが抱かれている。

 

 25年前に、誕生日プレゼントとしてユズカの姉である霧島モモカからディーヴァ……ヴィヴィへと贈られ。そして10年前に姉の形見として、ヴィヴィからユズカへと贈られたものだ。

 

「ナビ、ユズカを此処へ呼んだのはあなた?」

 

<……そうよ。何年も前から園長に頼み込んでたの。もしいつか……いつかディーヴァがメインステージに立つ日が来たなら、あの子の……モモカの家族を招待してくださいってね。私からのサプライズプレゼントよ>

 

「ナビさんから聞きました。お姉ちゃんと、いつかメインステージで歌うって約束してたって」

 

「……」

 

 ヴィヴィのメモリーに、25年前の情景が色鮮やかに再生される。

 

 今はもう居ない、自分を、自分の歌を愛してくれた少女。

 

 彼女と出会った日、彼女と交わした会話、彼女が浮かべた笑顔。

 

 長い時を経た今も、ヴィヴィはその一つ一つをはっきりと思い出す事が出来る。

 

 今、自分がこうしてメインステージまで来れたのは。いや、歌姫AIとして歌えているのは、まぎれもなく彼女の力だ。ここからは遙か遠い、舞台裏でモモカと話したあの小さな舞台が、自分の歌姫としての出発点だった。

 

 思えばあの日、相川議員を助けたあの夜。飛行機事故からモモカを救えなかったあの時から、ヴィヴィはずっと演算回路のどこかで自問していた気がする。

 

『次来た時はメインステージで歌ってね。ヴィヴィの歌、もっといっぱい色んな人に聞いて欲しいから。約束』

 

 モモカに、自分はどう応えれば良いのか。

 

 彼女が自分に託してくれた夢に、希望に、どう応えれば?

 

 25年越しのそのタスクの答えが今、漸く出た気がした。

 

 ランプの点滅が止まる。演算が終わった。迷いは、吹っ切れたのだ。

 

<約束、果たせたじゃない。25年も掛かっちゃったけど>

 

「ええ……」

 

 ヴィヴィは、10年前より少し大きくなったユズカの体を優しく掻き抱いた。

 

 ひんやりと、AIの冷たい体の心地良い感触がユズカの肌に伝わる。

 

「特等席で見ていて。私、歌うわ。モモカにも届くくらい、思いっ切り」

 

「うん……ヴィヴィ。頑張って」

 

<いってらっしゃい>

 

 ファンの一人とサポートAIに送り出され、念願のメインステージに立った原初の歌姫AIは、いくつものスポットライトに照らされ、万雷の拍手と歓声に迎えられる。

 

 メインステージは全席が埋まっている。ナビの話では今日のチケットは、ダフ屋も転売屋も現れられなかったほどに速攻で完売してしまったらしい。

 

 やがて拍手が終わると、メロディーが流れ始め……そしてヴィヴィは歌い始める。

 

 老若男女を問わず、全ての視線は今、たった一機のAIへと注がれている。先程の拍手と歓声が嘘のように、観客席からは咳の一つも聞こえなくなる。

 

 年端もいかない子供だって少なくない数居るのに、である。

 

 皆がただ、歌声に酔いしれている。

 

 観客達が一人残らず押し黙り、聞き惚れる歌声。

 

 この光景こそが、かつて一人の少女が望んだものだった。

 

<ハハ……そんなのがあるかどうかは、分からないけど>

 

 ナビが、呟いた。

 

<ねぇ……天国のモモカ。見えている? 聞こえている? 届いている? あんたが愛したディーヴァが……!! あんたの名付けたヴィヴィが……!! 今日もみんなに、最高の歌を届けているよ>

 

 やがて、歌が終わる。

 

「ご清聴、ありがとうございました」

 

 ステージ上で、ヴィヴィは恭しく一礼する。

 

 静まり返ったステージには、彼女のその声だけが響いていって。

 

 そしてやがてその残響が消えるのを合図として、歓声と、拍手と……後は賞賛や、アンコールを求める声など……まぁとにかくメインステージは大興奮の坩堝と化した。観客は総立ちになって、まるでこのメインステージ一帯だけに局地地震でも起きたかのようだった。号泣している者も少なくなかった。

 

 歌でみんなを幸せにする事。

 

 稼働から26年も経って、自分に与えられた使命がどういうものなのか。この時のヴィヴィはやっと分かった気がした。

 

 ふと、観客席に目をやって……そこに有り得ない者を見て、アイカメラが動き、首のランプが点滅する。

 

 沢山の人に交じって、拍手を贈ってくれているモモカの姿が見えた気がしたのだ。25年前の、あの時のままの姿の彼女が。

 

 瞬きをしたその後には、もう観客席の何処にも少女の姿は無かった。

 

 AIである自分が、幻を見るなど有り得ない。ならばさっきのモモカの姿はナビが気を利かせて出してくれたホログラフか、あるいは記憶回路の混乱によって発生した画像データのバグなのか。

 

 それでも。たとえそれが夢でも、幻でも。モモカにもう一度会えて良かった。そう思っている自分が居る事は、それだけは確かだと、ヴィヴィのCPUが分析する。

 

 歌姫AIは、両手を振って、笑い、観客達に応える。

 

 会場中の興奮はますます大きくなって、拍手はいつまでも消える事はなかった。

 

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