境界にララバイ   作:妖怪デスゴリラ

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ドラマツルギーの肆

 今朝の朝食はいつも通りのご飯と味噌汁。ついでこんがり焼けた鯖の塩焼きであった。大根おろしとポン酢も添えられて見た目的にも百点だ。味噌汁になめこが入っていたので追加で二十点。野菜が足りないのでマイナス二十点の計一億点と言った所であろうか。世界記録保持者でも名乗ろうか。

 

「私の分はどこですか蓮子さん」

 

「…あんた食べなくてもいいんじゃないの?」

 

「食べなくてもいいと食べたいは別のものですよ」

 

「一本取られたから作ってあげるわよ」

 

 赤色が目立つリボンをふりふりと揺らしながら、喜びを表現すように飛び跳ねる少女。言葉遣いとは裏腹に、その態度は年相応で愛嬌がある。今更妹ができたと思うと、少しだけ私も跳ねたい気分になる。

 もっとも、その妹が一晩でいきなり湧いて出てきたとなると話は別だが。

 

「あんたって本当に…」

 

「何度でも博麗の巫女であると答えますよ、私は」

 

 青い炎で熱され、表面を安いサラダ油でコーティングされたフライパンに鯖の切り身をどぼん、と落とせばパチパチと音を立てて勢いよく油が跳ねる。

 ただ脳のリソースは無意味な思考に割かれていて、柄をもつ左手はいつの間にか赤い斑点に包まれていた。

 

「あっちょっと!焦げてる!焦げてます!」

 

「焦げたぐらいが美味いのよ」

 

「そんなことは無いと主張します!苦いだけです絶対!」

 

 青みがかった皮が不注意で黒く染まってしまったが、これもまぁ風情というものだ。居候の文句は無視してフライパンから引き上げて皿に移し替えてしまおう。

 

「あんた見てると頭痛が少なくていいわ」

 

「それは遠回しに私に化け物って言ってるようなものですからね」

 

 焦げ目の付いた皮に箸を突き立ててればぱり、という景気のいい音を立てて、煌めく脂が滴り落ちる。身を切り離して口に運べばまとわりつくような油と塩味が程よく合わさって、湯気を散らす白米もそこに流し込んでしまえば当然至福というものだ。日本の食文化に感謝せねばなるまい。

 なみなみと注いだ味噌汁を取れば、薄い漆茶碗から手に染み渡るような温かみが伝わってくる。なめこでとろみをました汁と玉ねぎはなんというか、旧知の間柄という言葉が良く似合う。程よい塩味の漬物もまた美味だ。歯を押し返す食感はそれだけで美味に感じる。

 

 結局その食事が無くなるのに二十分も掛からないで、時刻は六時半より少し前。家を出るにはあと数刻の猶予があるようだ。

 

 一先ずやれる事を片付けねばと勢いよく蛇口を捻れば、ぴしゃりと大きな飛沫が上がる。服が大きく濡れたことに内心うへぇと声を漏らしながらも、そのまま食器に手を掛けてゆく。食洗機を買ってしまえばこんな思いはしないのだろうが、人間怠惰に生きると心が死んでしまうというものだ。

 

 さて、それと同時に、私にはもう一つやるべきことがあるのである。

 

「結論は出たんですか?」

 

「間違ってたら笑ってくれる?」

 

「そりゃあ勿論、当然に」

 

 少しばかり足りていなかった勇気も、ほんの僅かに足せた気がする。結果など分かるはずもないのだから、あとは踏み込むしかあるまい。故に私はこの世界に、少し歪んだ世界に目を凝らして洗面台へと駆けて行った。

 

 

 

 主観という言葉は極めて普遍的で、そして途方もないほどに偏向的だ。それは正しく客観と同じ程度に。

 

 同じ右であったとしても、主観が二つ存在するのならばそれは右であり左になる。同じハンドサインであったとしても、価値観が違えば意味も違う。この世に存在するものの本質は一つであるのに、主観はそこに付加価値を無理やりつけてしまう。物が多面性を持つとするのならば、それは正しく我々が持つ独善的な主観のなせる技なのである。我々は物事を常にだまし絵として見ているのである。

 

 まぁ今日のところはその善し悪しを語るのは良しておくとして、本題を見つめよう。

 

 影が不定形の怪物のように形を変え、鏡の縁は牙を生やし、空気は淀みこちらを睨む。

 

 動悸がする。深呼吸をしても胸を縛られるような感覚が消えない。けれども向き合わなければならない。でなければ私の考えは、私が私なりに出した答えはきっと一生机の上から出られない。

 

「思えば、単純な話しよね」

 

 始まりはなんだったか、と考えれば、それは私が始まりであった。ピントをどれに合わせてもこの怪奇でおぞましく醜悪極まる世界が見えるのだってそうだ。私は八雲紫を見ても世界は少し歪んで見えたけれど、果たしてメリーにそんな素振りはあったであろうか?もちろんあるはずが無い。だってそれは色眼鏡であるのだから。

 

 当人の視界を赤にも青にも変えてしまう、そういう代物であって、故にそれがどこに取り憑いているのかはほんの数秒考えてしまえば、誰にでも分かることであった。

 

 

 鏡を見つめた。世界を見つめた。ただそこにある、私でない私を見つめた。

 

 人は人ではなく。物は物ではなく。虚構は有へと登り、概念は虚構に伏す。けれどその中で、ただそこに映る私は、私だけは私であった。

 それは自然で普遍で常識で、故に異端で異質で異常であった。1ミリたりとて違わず私だ。ありのままの私が映っていた。ただそれが答え合わせだった。

 

「お前は誰だ」

 

 そう問いかけた。けれどもそれはズレていて、あぁそうだ、その言葉は違うのだ。

 

「お前は──────────」

 

 心底で拒絶している。本質が見えてきた途端何処か気持ち悪い。だから見ようとしていない。けれどもそれでは駄目なのだ。決して正解にたどり着けない、後退りの道なのだから。

 

 だから手を伸ばした。鏡合わせの私の、冷たく暖かい手のひらと手を合わせた。今分かった。今なら分かっている。端から分かっていた。

 お前の、あなたの名前はきっと──────────

 

「封獣、ぬえ」

 

 その言葉を皮切りに、あの子は影に包まれた。

 そこから瞬きの間に全ては全てに戻ってしまって、それはあまりにも呆気なく一瞬で。ただきっと刹那にあの女が見えたから、これで正解だったのだろう。あの子が笑っていたような気がしたから私は最善の道を歩いたのだろう。あぁきっと終われたのだと唱えながら、私は玄関の扉を開いた。

 

 

 玄関を開けて目に広がったのは青空であった。何度も何度も見て、だから恋い焦がれた青空だった。愛してやまなかった世界であった。

 

「やっぱり、こうでなくちゃあね」

 

 空気は澄み渡り、鳥が歌い花は咲きみだれる。…なんてことは無いけれど、けれども何もおかしくない世界だ。何よりも尊く、だから無下にしてしまう愛すべきこの世だ。

 

「あらおはよう。今朝はどう?」

 

「土砂降りなせいで服が濡れたわ」

 

「お元気そうでなによりよ」

 

 先程濡らしたばかりの胸元は日に照らされたぐらいで乾くはずもなく、大きな痕を残している。完璧な精神状態を保ち登校するための一張羅であるが仕方がない。何せこの重さの分、私の心は満たされているのだから。漫画であればふわり、なんて擬音でも携えてそうな金髪の悪女と言葉を交わせば、嫌でもそんな実感が湧いてくる。

 

 再度空を見上げる。空は青く澄み渡り、お天道様は爛々と、私達を見守るように天高く輝いている。草木を揺らし、風は花の香とともに清廉な音を運び立て、どこの誰かに飼い慣らされた虎鶫の鳴き声がひっそりと主張するように響き渡る。

 

 何度でも言おう。普遍的である。何度でも言おう。平凡である。けれども、けれども。

 

「学校、サボっちゃいたいくらいよね」

 

 なんて自堕落なことを呟いて、早くしないと置いていくぞと言いたげな少女を尻目にして。私は戸口を後にした。

 

 なんだか何となく、今日も今日とて日常が始まりそうであるような気がした。

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