仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーマイヤ 作:大ちゃんネオ
寂れた雰囲気の住宅地にある小さな理髪店は、70代の老夫婦が営んでいた。
地元の人が通いつめ、髪を切りに来たというわけではない常連の高齢者が雑談に興じることが日常。
50年近く、この町を見つめてきた誰からも愛されるありふれた店である。
昼間は笑いが絶えない明るい場所だが、他人には見えない影がひとつ────。
店舗の二階は居住スペースとなっている。
そこにはひとつだけ、開かずの扉がある。その扉の向こうには、50近い老夫婦の娘が20年以上もの間、引きこもり続けていた。
「幸恵、ご飯置いとくからね」
母親が夕飯を部屋の前に置くと、少ししてから部屋の扉が少しだけ開かれ、食事が部屋の中へ。
カーテンを閉めきった、薄暗い部屋。
髪を切ることもなく、乱雑に伸ばされた黒い髪には白いものが混ざっていた。
食事を口に運ぶその顔は、年齢にしては幼い顔つき。若く見えるのではなく、幼い。人と接してこなかった者の顔だ。
ずっと、ずっと閉じこもっていたのだから当然だろう。
両親とすらずっと会話をしていない。
声の発し方すら、忘れかけてしまいそうなほどに、会話などずっとしていない。
そんな彼女に、話しかける者がいた。
『ねえ、あなた』
「……だ、だれ……」
『あなたって、生きている意味あるの?』
生きている意味。
そんなもの、自分にはないと、幸恵は思っていた。
だからといって、死を望んだこともなかった。
漠然と、今を続けていただけ。
『あなたみたいなのが娘じゃ、お父さんもお母さんも可哀想。私が娘になった方がきっと幸せよ』
「……じゃあ、なれ、ば……」
『ええ、なるわ。じゃあね、親不孝者さん』
黒い靄が、幸恵を包む。
その苦しみに幸恵は叫んだ。
「幸恵! 幸恵!? どうしたの!? 扉を開けて!」
扉を叩く音。母の張り裂けそうな声。
父もやって来て、母と共に扉を叩く。
そんな悲痛に包まれながら、それは生まれた。
黒い靄が晴れ、倒れた幸恵を見下ろす一人の若い女。その顔は、幸恵に似ている。
女は部屋の扉を開けて、両親の前に姿を現した。
「ゆ、幸恵……」
若かりし頃の幸恵の姿。
その女に目を奪われて、父と母は倒れた本物の娘に目がいかない。
そんな二人に向かって、女は妖しく微笑んだ。
「何年ぶりだろうねぇ、幸恵の髪を切るなんて」
『そうね、お父さん。可愛く切ってね』
「はは、もちろんだよ」
父は娘の髪を切っていた。母はその光景を嬉しそうに眺めている。
久しぶりの親子の交流に、父も母も楽しそうにしている。
「せっかくだし、みんなでご飯を食べましょう」
「ああ、いいね。そうだ、明日は久しぶりに外に食べ行こうか」
『……まだ外は怖いわ』
「あ、ああそうかい……。じゃあ出前でも取るか。寿司でも」
『私、食べたいものがあるの』
「なにが食べたいの?」
女は、鏡を真っ直ぐ見つめて言った。
食べたいもの。
人間。
「長さ、どうします?」
「いつもと同じで」
「えー。まったく張り合いないなぁ」
白髪が綺麗な頭のおじいさん。
ここの常連客で、店主である父とは軽口を言い合う仲である。
「髪型を変えて遊ぶような歳でもないし、いつもと同じがやっぱり良いのよ髪ってやつは」
「まあ確かにねぇ。こっちも楽でいいってやつですよ」
「ところでなんか良いことでもあったの」
「え?」
「いや、なんだかウキウキしているようだからさ」
「いやぁ分かります?」
雑談を続けながら鋏が髪を鋤いていく。小気味良い鋏の音と共に床に落ちていく白髪。50年は続けてきた仕事ゆえ、その腕は確かなものだった。
髪は切り終え、頭を洗う。
力強い頭皮マッサージも兼ねたそれもまた好評であった。
そうしてシャンプーを流し終え、髪と顔をタオルで拭かれた老人はいつものように上体を起こそうとした。
「あ、ちょっと待ってね」
「え? なんかまだあったっけ?」
「いいからいいから。その姿勢のままでいて」
少し疑問を感じながらもそのまま洗面器を覗き込む老人。
次の瞬間、老人の首に鋏が突き立てられた。
「がぁ!? な、なにを……」
出血する首筋を押さえ逃げようとする老人だが、その身体を老夫婦二人がかりで押さえ付けられ逃げることは敵わない。
さらに、洗面器の栓を閉じてシャワーから水を出すと溜まった水に顔面を押し付ける。
そうして、客の老人は暴れるのをやめた。やめたというより、止まったのだ。その生命活動が。
血に染まった水を栓を開けて流し、首をタオルで押さえると夫婦は老人を背負って二階まで上がっていった。
「はあ……はあ……これで、いいのかい?」
『うん、ありがとうお父さん、お母さん』
幸恵の部屋の扉が一人で開く。廊下に置かれた老人の遺体が見えない力により引き摺られ部屋の中へと迎え入れられる。
また、一人で扉が閉まると中からは、肉と骨が砕く音が響いていた。
それを、二人は笑顔で聞いていた。
並んで座るスーツ姿の男達。女は二人だけで、ほとんどが男だ。
そしてこの場にいる奴等は全員、刑事だ。
「一週間前に行方不明となった嶋俊夫さんから現在までに5人、行方不明者が出ており、行方不明者達は全員この幸町近辺で暮らしています。60代から70代と高齢者が多いですが、認知症を診断された方はおらず、徘徊の可能性は低いと考えられます」
報告を終えた刑事が座ると、今度は女の……可愛げのない方のやつが立ち上がり、報告を行う。
「誘拐を視野に捜査していましたが、今のところ全ての行方不明者の親族に犯人からの連絡等はなく、身代金目当ての誘拐の可能性も低そうです」
報告を終えて席につく女刑事から目線を前へ。
前に座る厳しい顔をした初老の男。つまるところ上司達。
どいつも似たような顔だ。出世するとああなってしまうのだろうか。いやだねぇ。
「一日一人のペースで行方不明者が出ている。一刻も早くホシをあげる!」
刑事達の気合の入った返事。
一斉に立ち上がり、捜査へ赴く刑事達の流れに乗って俺も部屋を出る。くたびれたシャツの袖を捲り直し、気合を入れ直す……風のことをする。
30も半ばとなると気合が入らなくなってくるものだ、何事にも。
「後藤さん」
俺に声をかけるのは組んでいるこいつぐらいなものだ。
羽場泰司。
まだ20代半ばと若く、髪はくるくるぱーでチャラい奴だ。俺とは正反対のタイプ。
もし、こいつとの共通点を無理矢理上げるとすれば独身という点だろう。
俺なんかお袋から見合い話をしょっちゅう持ち掛けられて……と、話が逸れる。
「聞き込みっすよね」
「それ以外あるか」
「タバコとか」
……確かに、出る前に一服していきたかったところだが。
それをすると羽場の予想があっていることになってしまう。なんとなく、それが癪で真っ直ぐ聞き込みへと向かう。
刑事の仕事は、とにかく足を使うものだ。
助手席から見る外の景色はよく見知ったものでつまらないものだ。
「幸町って、後藤さんの家近いっすよね」
車を運転する時の羽場は口を閉じるということを知らない。
いつものことなので慣れたものだが。
「ああ、地元だよ」
「ガイシャのこと、知ってたりします?」
ガイシャって、お前まだ死んだとは決まってないだろうに。
まあ、もう死んでるとは思うが。
「同じ町に住んでるからってお前は町人全員知ってるのか?」
「知らないんすね」
羽場のコミュニケーションは人の神経を逆撫でる。
慣れたものだから、別にいいが。
……そのせいで、こいつと組まされっぱなしなのではないだろうか。
「あ、そういえば知ってますか後藤さん。最新の都市伝説なんすけど」
「興味ない」
そう言っても話すのが羽場なのだが。
「最近、変な行方不明事件多いじゃないですか。んで、その事件が起こった現場にですね……。出るらしいんすよ」
「なんだ……。よくある話じゃねぇか」
「出るって幽霊だと思ってるっすよね? 違うんすよ」
「あ?」
「着物を着た赤い目の女の子なんすよ」
着物を着た赤い目の女の子ぉ?
なんだよそれは。結局のところ……。
「幽霊じゃねぇか」
「だから違うんすよ。着物着てる赤い目の女の子ってのが、あちこちで目撃されてんすよ。東京でも群馬でも……遠くて今のところは京都っすね」
「それがなんだってんだ」
「まあまあ話はこっからっすよ。そんで、この女の子が現れると……途端に事件解決になるらしいっす」
「……なんで」
知らないっすと、肝心なところは聞けなかった。
この話で一番重要なのはそこじゃないのかと。
「もしかしたら会えるかもしんないっすね。この女の子に」
鼻で笑ってやる。
そんなのが出て事件解決になるなら、俺達警察はいらない。
第一の行方不明者は行方不明になる前、床屋に行くと言って家を出たらしい。
少し離れた場所に車を停め、少々様子見。普通に営業はしているな。
「理容ミサワ……。老夫婦が営むどこにでもある床屋。二階は住居っすね。二人で暮らして……」
「いや、三人だ。娘がいる」
「えっ? そんな話は……」
メモをめくり、情報の抜けを探すが無駄であろう。
娘がいることは伏せられていた。
あの家に閉じこもり、数十年。最早、忘れ去られているのかもしれないが、俺だけは覚えていた。
「三澤幸恵、50近いはずだな」
「なんでそんなこと知ってるんすか?」
「あの床屋はガキの頃から通ってるところだからな」
……ああ、だからかもしれない。
こんなにも、捜査に身が入らないのは。
「まさか後藤さん。床屋が犯人とか言わないっすよね? 確かに、最初の行方不明者である嶋俊夫はあの床屋に行くって言って外出して、行方不明になったわけですけど。老夫婦に連続誘拐なんて無理っすよ。その、娘がいたとしてもっすよ?」
「……他の行方不明者達も、あの店で見かけたことがある」
「え、さっき知らないって」
「知らないとは言ってない」
あの床屋には雑談目的でやって来る爺さんも多い。
その中に行方不明となった人もいた……気がする。いちいち覚えてはいられないから、少しあれだが。
「ともかく、行くぞ」
「はいっす」
客が出たところを見計らって車から降り、床屋へと向かう。
……毎月通ってるとこに、こんな形で顔出したくはないんだがなぁ。
引き戸のドアを開けて中に入ると店内には親父さんだけだった。
「よっ」
「お、おお。薫ちゃん、いらっしゃい」
隣の羽場が笑いを堪えたのを横目に睨み、視線を親父さんへと戻す。
後藤薫。それが俺のフルネームだ。女装しても似合いそうな、今時のイケメンってやつなら違和感のない名前だったかもしれないが、両親譲りの恵まれた骨格と柔道で鍛えられたことによって、薫って名前には似つかわしくない風貌となった。
名前のおかげで苦労してきたのは想像に難くないだろう。
隣のこいつが笑ってるみたいに。薫ちゃんって呼ばれるのは本当にやめてほしいのだが、親父さんはずっと昔から薫ちゃんと呼ぶのだ。
「そっちの若いお兄さんは切り甲斐がありそうだ」
「あ、俺は美容院でやってもらってるんで、大丈夫っす」
「最近の若い子は、みんな美容院だなぁ」
「……親父さん、今日は散髪じゃなくて、こっちでちょっとな」
警察手帳を見せる。すると親父さんはすぐに何のことか理解したようだ。
「行方不明のやつでしょ、参るよね。お客さんが減っちまって……」
「ああ……」
「この前来た刑事さんにも話したけど、それ以上のことは何もねぇ……」
「悪いね、刑事の仕事ってのは同じ話を何回も聞かなくちゃいけなくてね」
「……立派な刑事になったんだねぇ」
優しく微笑む親父さんの笑顔は昔から変わらない。笑い皺の多い、人相の良い誰からも愛される町の床屋。
どこにでもある、普通の床屋。
俺は、親父さん達を信じていたい────。
町が暗くなってきた。
この辺りは街灯が少ないために陽が落ちると特に暗い。
床屋も店仕舞いし、シャッターが降ろされた。
「マジで張り込むんすか? 絶対犯人じゃないっすよ。おじいさんだって最近足腰が駄目になってきたって言ってましたし、お母さんの方だって細い方でしたよ。無理っすよ」
隣であんパンを齧りながら、羽場はこの張り込むが無意味だから止めろと提言してくる。
「あのな……。別に床屋が犯人と決めつけてるわけじゃない。だがな、あの床屋が関係している可能性はある。犯人じゃなくともな。見ろ、この辺りなら誘拐ぐらい起きそうだろ」
影が多いこの場所は、何処から途もなく誘拐犯が現れて人攫いを可能としそうだ。
……本当に、そう思っているのか?
いや、誘拐の可能性でなくとも殺害後に死体を別の場所に運んでいることだってあり得る。
誘拐なら犯人からの連絡があって然るべきだ。殺人を視野に入れるべきだ。
「いや……」
せめて、自分ぐらいには正直になろう。
この事件は、普通のヤマじゃない。もう十年以上刑事をやって、いろんな事件を見てきたが、今回のものは何かおかしい。まるで、人間によるものではないかのような……不気味なおぞましさがある。
それに、親父さん達が関わっているのではないだろうか。
いや、こんな勘は外れてくれ。そうであって欲しいと願う。
だが、状況証拠というものがある。
頼むから、偶然の一致であってくれ……。
「そういえば、あそこの娘さんってのには会ったことあるんすか?」
羽場の言葉が、思考の海から俺を引き揚げる。ちょうど良かった、悪いことばかり連想する嫌な空気を変えてくれる。
「……ガキの時にな。歳は俺の10こ上ぐらいで、当時は変わった姉さんだなって思ってたが、今にして思えば何か……障害でもあったんだろうな」
同年代の友人はいなさそうだった。
何もない時は常にぼうっとしていた。ただ、そのぼうっとしているだけでも絵になるほどの、美しい人だった。
長い黒髪が、澄んだ小川のように風に流れる姿をよく覚えている。
『私も混ぜてよ』
遊んでいると、よくそう言って俺達と混ざってきた。
年下の面倒を見て遊ぶというより、俺達と同い年のようにはしゃいで遊んで……。
「初恋だったっすか?」
「……ああ」
「え、マジすか。後藤さん大丈夫すか、そんな素直に答えるなんてらしくないっす」
「美人で綺麗な歳上だぞ。ガキならそうなるってもんだろ」
ただ、まあ……ある時から、その姿を全く見せなくなった。
俺が中学の時だったか。
その頃には遊ぶなんてことは無くなったけれど、話したりとかはしていた。幸恵はどこかの会社に就職したらしく、目にする頻度も大分減っていたが……。
「親父さん、姉ちゃんは?」
「……幸恵は、引っ越したんだよ。一人暮らしを始めてね」
そう語る親父さんは、いつもの親父さんではないようだった。
嘘をついていると、なんとなく分かった。
ある日、部活で遅くに帰っていた俺は幸恵と出会った。だが、それまでの幸恵とはまったく違っていた。髪は手入れをまったくしていないのか、無造作に荒れていて、髪の隙間から覗く瞳には、昔みたいな光がなかった。
そして……。
「いや……見ないで……!」
そう言って、店に急いで入っていったのが最後に見た彼女の姿であった。
引っ越してなどいなかった。幸恵は、あの家の自分の部屋に閉じこもっているのだと分かった。
それから何十年と経っても、幸恵の姿を見ることはなく現在に至る。
就職した先で、何かあったのだろうか。元々、人付き合いも出来ていないような人が社会に出たところでどうにかなるわけではない。
きっと、打ちのめされてしまったのだろう。
「……仮に、床屋が犯人だったとしてっすよ。娘も協力していたとして三人で犯行に及んだ理由はなんなんすかね?」
「さあな。その犯人の思惑が分からないから、捜査も行き詰まってるんじゃねえか」
犯人の目的、動機。見当がつけば、捜査もしやすくなるのだが……。
『今日はご飯、無いの』
扉の向こうから、苛立つ女の声がする。
扉の外に立つ老夫婦は申し訳なさそうにして、扉の向こうの娘に弁明した。
「今日は薫ちゃん……刑事が来て、出来そうになかったんだよ」
「ごめんねぇ」
『ならその刑事を殺ればいいじゃない』
「それは……」
『出来ないなら、また閉じこもっちゃうわ私』
「そんな……!」
『嫌なら、刑事でも何でも人間を寄越しなさいな。でも、老人はちょっと飽きてきちゃった。髪の美しい綺麗な若い女とか食べたいわね』
女のリクエストに老夫婦は困惑する。
若い女というのは、この店の客層にはおらず調達が難しいためだ。
ならば、外で殺すか?
いや、老夫婦の体力でそれは難しい。
なんであれ、娘は人間を寄越さなければ再び閉じこもってしまうという。
何とかしなければという焦りが、老夫婦に募る。
結局、昨日は新たな行方不明者というのは出てこなかった。
いいことではある、が。
「捜査の方も進展なし、っすね」
この手の事件というのは因果なものだが事件が起きないと何も得ることが出来ない。警察としてはとにかく後手に回らざるを得ないのだ。
いや、元々警察とはそういうものなのだが……。
「はあ……。赤い目の女の子、来てくれないっすかね」
「なに馬鹿なこと言ってやがる。とにかく、今日も張り込み続けるぞ」
あの床屋の客は大体入って一時間もすれば出てくる。雑談目的の客ならそれ以上となるが、とにかく入った客と出ていく客を確認していく。
そうこうしている内に、また今日が終わろうとしている。
「最近すっかり陽が落ちるのが早くなったっすね。この時間帯からだともう客は入ってこないっすよ」
そう、暗くなるとあの床屋に来るものはいなくなると思っていい。
しかしまだ時間的には5時過ぎだ。店仕舞いにはまだ早い……。
「……おい」
その光景に、目を疑った。
スマホで時間を見ていた羽場に声をかけ、あれが幻視でないかを確認する。
「なんすか……って、マジっすか……!?」
床屋の前に立つ、着物の少女。
紫の布地に、金色の蝶が描かれた着物を纏う少女。目が赤いかは分からないが……明らかにあの店の客には似つかわしくない。
「ど、どうするっすか?」
「動くな、待機だ」
これは勘だが、これから何かが起こる。
ともすれば、この事件が終わる────。
「ごめんください」
鈴の音のような声が店内に響いた。戸を開けて入ってきた人物を前に店主である老夫婦は「いらっしゃいませ」という言葉を忘れ、思わず見入った。
今時珍しい和装を着なれているのか、所作に違和感はなく、またその着物も安物ではなく高級品だと確信するほどの品があった。
よく手入れされているであろう髪はほんのりと赤みがかっているが自然のもの。
なによりその、紅玉のような瞳に目を奪われてしまう。
まるで、姫とでも形容すればいいだろうか。老夫婦はこんな客が来るとはと、固まってしまった。
「髪を、切っていただけますか」
「あ、ああ……いらっしゃいませ。どうぞ」
ようやく言葉を取り戻した店主が案内する。
席につかせ、改めてその髪を見た店主は幸恵の若き頃を思い出し、重ねていた。
「あの、本当にいいのウチなんかで? 通われてる美容院さんなんかあるでしょう?」
奥さんが言葉をかける。自虐的とも取れるそれだが、正しく客を思ってのことであった。店主も同じく「うちは辞めといたら?」と客に向けて話した。
しかし、そんな老夫婦に悪魔が囁く。
『余計なこと言わないで! 私、この女が食べたいわ!』
娘の我が儘であった。
恐らく、この客が今日最後の客であろう。娘の食事として提供しなければ、娘は再び閉じこもってしまう。
それを考えると、老夫婦にはもう、やるしかなかった。
「いえ……。ほんの少々、整えていただきたいだけですので……」
お願いします。そう客に言われればやるしかないと、店主はネックシャッターとクロスを客の首に巻かせ、どこを整えるか確認する。
前髪と毛先を全体的にというオーダー。
触れると汚してしまうのではないかと思いながら、その髪に触れて鋏を通そうとする。
「……申し訳ございません」
「あ、何か?」
「いえ、鋏に少々こだわりがありまして……。手入れが行き届いた鋏が良いのです。それを調べるために、こちらの紙を切っていただけませんか?」
客が懐から取り出したのであろう、和紙の紙片のようなものが一枚。
これを切るぐらいならと、店主は紙片に鋏を入れる。
「あれ、上手く切れないな……っと」
一回では、何故か切れずに少々力をこめて紙片を断ち切った店主を見て、客はこう言った。
「その鋏、少々手入れしていただいてもよろしいですか?」
「え、ええまあ……」
言われた通りに鋏の手入れを始める店主に娘の声が響く。
『なにやってるの。そんなことはいいから早くあいつを殺して!』
「それは……」
『早く! 昨日食べてないからお腹空いてるの! このままじゃ死んじゃうわ!』
娘が死ぬと言い出して、動揺しない親はいない。
意を決して、店主は鋏を持ち替えて客の首筋に突き立てようとした。
その瞬間。
「────二階か」
先程切った紙片の一枚が、客の目の前で浮いていた。勢いよくクロスが脱ぎ捨てられ、客は紙片が飛んでいくのを追って店内から住居スペースの方へ。
階段を駆け上がりながらネックレスを首元から取り出すとそれは蝶を模した仮面、舞夜の怨面となって御伽装士は変身する。
「オン・ビシャテン・テン・モウカ 変身」
御伽装士マイヤを追って老夫婦が階段を上がるが時既に遅し。
マイヤは幸恵の部屋の前に到達していた。扉の前にはもう一枚の紙片が浮いており、二枚に分かたれていた紙片はどういう原理か一枚に戻った。マイヤが使用したのは、簡易的な式神。切られることで効果を発揮、敵を探索、追尾する。
店主が鋏を手入れしている間に、紙片が建物中を探索し、この家に隠れ住まう闇を発見したのだ。
そうしてマイヤは扉を蹴破り、幸恵を模した化神と相対する。
『ッ!? 御伽装士だったか!』
幸恵の姿から、真白い蛾を思わせる怪人態へと変貌する化神。両肩にはボビンのような器官があり、白い糸が巻かれていた。
マイヤを撃退しようと襲いかかる化神だったが、勝負は既に決していた。
『ガッ!?』
老夫婦も、それを目撃していた。
異形が、朱色の槍で貫かれる瞬間を。
「人間に自身の世話をさせ、成長していく……人間に依存する化神バケカイコ、覆滅」
『あ、ああぁぁぁぁ──────』
崩れ落ちていくバケカイコの肉体。その傍らに、幸恵の死体が倒れていた。
部屋はもともと物やゴミが散乱しており汚いものであったが、バケカイコが食した無数の人間の肉片や骨が散らばり、地獄となっていた。
「ゆ、幸恵ぇ!!!」
「あぁぁぁ!!!」
老夫婦が泣き崩れるのを、マイヤは何も言わずに眺めていた。
しかし、そこへ第三者の声が響く。
「警察だッ!!!」
「ッ……」
マイヤは部屋の窓から飛び降りて、撤退。
そこへ、後藤達がやって来てこの惨状を目にするのであった。
「ご、後藤さんこれ!?」
「ッ……! 幸恵……」
死亡し、一週間そのまま放置されていた幸恵の死体を目にした後藤は言葉を失った。
再会というには、あまりにも最悪なものであった。
なにより……。
「幸恵……幸恵……!」
「いやぁ……!」
老夫婦が幸恵、幸恵と言って寄り添い泣くのは白い砂の山のようなものなのだから。
「何言ってんだ……あんたらの娘はこっちだろうがッ!」
「後藤さん落ち着いて!」
激昂する後藤を羽交い締めにして抑える羽場。ほどなくして、床屋の周辺にはパトカーが集まり、捜査が開始され老夫婦は逮捕されたのであった。
上が下した判断に、俺は噛みついた。
三澤夫妻は精神鑑定の結果、心神喪失状態にあり刑事責任を問える状態にないとされ不起訴処分。
そんなはずはない。あんな、普通に会話して、普通に店をやってた人らが心神喪失?
それに、あまりにも早い捜査の打ち切りと不起訴処分の決定。おかしい、こんなこと今までなかった。
俺と羽場が証言した、突入前に店に入った着物姿の少女の姿もなく、現場からも少女がいたらしい証拠がなかったという。
……遺体達の中にも、だ。
あり得ないことが、分からないことが多すぎる。
ふざけるな。
ふざけるな、馬鹿野郎。
なんで、こんなことになっちまったんだ。なんで……。
「ともかく、上がそう判断したのだ。そうするしかあるまい」
「三澤夫妻は既に身柄を留置所から施設へ移された。もうこの事件は終わったのだ」
「しかし!」
「後藤! 警察官なら、もっと聞き分けよくありたまえ」
こうして、事件は終わらされた。
「絶対おかしいっすよ! なんなんすかねマジで!」
羽場も、同じように怒っていた。
たまには気が合うものだ。
署にいるのも嫌な空気だったんで、街に出てきたもんだが、普通に人は生活している。
新聞やニュースでは地方で起こった凄惨な連続殺人事件として報道され、今やこの街の注目度はうなぎ登りだってのに。
床屋のあたりなんかは、早速心霊スポットだなんだのって気味悪がられて人通りが更になくなっちまった。
そのうち、あの店も取り壊されてしまうらしい。
ま、町の負の遺産なんて無くなった方がいいに決まっている。
「あ、青っすよ」
交差点を渡り、人波をかきわけて進んでいく。
こうして俺もまた、普通の生活を送る人々の一人として戻っていくのだろう……。
「ッ!?」
交差点の真ん中で立ち止まり、振り返った。
今、確かにいたはずだ。
俺の近くを通り過ぎていったんだ、あの着物の少女が。
「どうしたんすか?」
「……いや、なんでもない」
……事件のことを考え過ぎて、夢でも見たのかもしれない。
人々の中に、あの少女の姿はなかった。
あんな格好でいたら、一瞬で見つかるだろうが……。
「……なんでもない」
「そっすか」
「お前が話した通りだったな」
「え? 何がっすか?」
「赤い目をした着物の少女が現れると、事件は解決する」
「あー。でも、解決って言えるんすかねこれ?」
「そう、だな……。解決ってより終わらせに来た、だな」
こっちが必死こいて事件解決のため働くことも、あの老夫婦が犯人じゃないということを信じたかった俺の気持ちも、俺の、初恋も……。
きっと奴は無情にも終わらせたのだ。
「……見合いでもするかねぇ」
「え、マジすか! 面白そうっす! ついてっていいすか?」
「ふざけんな」
「結婚したらちゃんと言ってくださいよ? 俺、人妻が好みなんすよ……」
「最悪だなお前……!」
日常に回帰していく。
あの少女のことを探るのも、きっと無意味なのだろう。彼女はきっと、闇の中にいる。普通人が立ち入ってはいけないような闇の中だ。
だから、俺は日常に戻る。
今回の事件は俺の刑事人生において生涯忘れられないものとなるだろうが、いずれそう重要な事項ではなくなっていくのだろう。
時間という遠近法の彼方に置き去りとなって……。
その庭園は、愛する者のために。
その花は、想いを色彩にして咲く。
次回「華麗」
花は咲く、愛を伝えるために。