仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーマイヤ 作:大ちゃんネオ
バケリュウマ襲撃により慌ただしい御守衆総本山。その中で、人気のない暗がりの通路で雅也は通話していた。
相手は、自らの上司。
警察上層部。
「人質は全員救出されました。ええ、四十人全員。ですが、化神は健在なようで。ええ、倒せてはいません。御守衆は今も化神退治の真っ最中というところです。仲間が何人もやられて、一人が捕らわれたと。人質解放と引き換えに」
「そうか。であれば後のことはどうでもいい。今回の件はただの悪戯ということで世間には公表する。君も、あまり深く関わらないようにな」
雅也の上司は淡々と告げると一秒の間もおかず通話を切断。
スマートフォンを耳元から下ろした雅也はそんな上司の態度に苛立ちを隠すこともなく舌打ちする。
「面倒事には関わりたくないか。人質を救ったのはまだ高校生の女の子だっていうのに……」
不満を漏らすも、雅也自身に出来ることは何もない。人間が相手ならば警察の出番。
では化神などという怪物の相手は?
餅は餅屋。
化神相手は御守衆がする。
そんなことは分かりきっているのだ。
分かっていても歯痒く、辛い。
国民の安全を守るための警察。御守衆がいくら化神と戦う者とはいえ彼等もまた同じ人間で国民。
そんな彼等を救おうという気すらない警察上層部に腹が立ってしょうがない。
何も出来ない自分に腹が立ってしょうがない————。
「ん〜人質を救って自分が捕まった女の子がいるなら〜。それを助けるのもまた高校生の女の子ってことで〜」
苛立つ雅也の背に、そんな精神状態など関係ないと間延びした声がかけられる。
雅也が振り向くと、高天原静久が髪を纏めていたバレッタを手にしていた。バレッタには小さな面のような飾りがつけられており、静久はその面と向き合い、薄暗い通路の中にありながら彼女の瞳に光が差し込んでいる。
「静久ちゃんも、戦いに行くのか?」
「……うん」
いつもとは違い、真面目な受け答えであった。
「怖く、ないわけ。薫ちゃんだって……」
「薫ちゃんは負けたわけじゃないよ。拐われた人達を助けるために自分が人質になったんだよ」
「それは、そうだけど……」
「さっき、薫ちゃんと一緒に戦った御伽装士のおじさん達が言ってたんだ。薫ちゃん、自分を差し出す時に人間を守るのが御伽装士だって。頼れる仲間がいるからって。静は薫ちゃんとは昨日からのまだ短い付き合いだけど、そんなこと言われちゃね」
照れ笑いのような少しぎこちない笑みを浮かべ、静久はバレッタから装飾の面を……否、溟鼬の怨面を手に取り顔を上げた。
「……かっこいいな、なんていうか」
「え〜そうかな〜?」
「ああ。さっきまで国民を、誰かを守るはずがいつの間にか自分のことばっかり守ってるような連中と話してたせいか、余計に」
「ふふ〜。静は正義の味方なので〜」
「俺も、何か出来ないか」
雅也の言葉に静久は一瞬考える素振りを見せた後、悪戯っぽく笑い雅也に伝えた。
「じゃあ〜京都観光の続きね〜」
「そういうのじゃなくて」
「ううん。大丈夫だよ。頭の運動に付き合ってくれたから、おじさんは充分に功労者だよ」
「頭の運動って……それ将棋だろ」
「いい準備運動になったよ〜。なんせ向こうは対局がお望みだからね〜」
静久の言葉に頭が固まる雅也。
将棋好きな静久らしい言い回しかとも思ったがしかし、今の話の流れから言って化神は御守衆総本山に対して将棋をしようとしているという事なのか。そして御守衆もまたそれに乗ったということか。雅也はくらりと来た頭を指で押さえた。
「そんなふざけた話があるか……!」
「ふざけてるよ〜。化神って基本、ふざけてるからね〜。こっちは大真面目だけど」
「それに、いくら静久ちゃんが将棋強いからって……。ここはじいさんも多いんだ、もっと適役がいたんじゃないの?」
「うん。だからね〜名乗り出たおじいさん達をのしてきたところだよ〜。多面打ちって言うの?」
まさか、既に勝敗が決していたとは。事実上の御守衆将棋トーナメントで優勝したようなものかもしれないが、それにしてもこの短時間で。そして多面打ちでなんてと雅也の驚きは止まらない。
多面打ちということはつまり、静久一人が複数人を相手して指したということ。
たった一人で複数の盤面を、これまでの手も全て記憶しそれぞれの次の手、更にその次の手まで読んでいかなければならないという極めて高度な技術、記憶力、読みの力が要求される。
「というわけで、おじさんも応援してね〜」
気軽に言ってくれる。
そう言ってやりたいところではあったが、雅也は純粋に言葉を選んだ。
「ああ。がんばって」
満面の笑みを浮かべ、静久は戦場へと向かう。
もっとも、その戦場とは……戸を開けてすぐの園庭であったが。
「ここで、やるの?」
さざれ雨降る枯山水の庭で静久と長身痩躯、丸眼鏡をかけた和装の男。化神バケリュウマが相対していた。
二人を囲むように総本山の装士達が詰め、バケリュウマに何か不穏な動きがあれば即攻撃出来る態勢が整えられている。
そんな装士達の間から雅也が顔を覗かせて様子を見届けていた。
人質が解放されてから、薫がバケリュウマに捕らわれてからまだ一時間と経っていない。
化神討伐に失敗し、防衛線を更に固めた御守衆の前にバケリュウマは現れ言い放った。
「暴力で事の解決を図るのは無粋。ここはひとつ将棋でもしませんか。勝てば、あなた方のお仲間をお返しします。そして私も大人しく散りましょう」
御守衆は当初これを無視し、攻撃を続行。
しかし、防衛線は崩されてしまった。これ以上の損害を出すよりはマシと総本山はバケリュウマを招き入れ、対局に応じることとなった。
喉元に刃を当てられ脅迫に屈したかのような形ではあるが、何よりもバケリュウマが空間に何かの術を施したのだ。いつ何をされてもおかしくはない。非戦闘員も多い総本山。人命のために、やむを得なかった。
(将棋盤も駒も必要ないとバケリュウマは言ったらしいけど……。なるほど、この感じ何か結界みたいなものが張られてる……)
「あなたが私の対局相手ですか。随分とお若い」
「安心してよ。静、ここの誰よりも将棋強いから」
「ふふ、いいでしょう。それでは、指していきましょうか」
「盤も駒もないのに?」
「盤はここです」
バケリュウマの言葉に反応し、地面が光り、線を描いていく。
縦横に9×9のマス目が刻まれ、なるほど確かに将棋盤ではあると静久は納得した。
そして、二人はその盤の上に立っている。
ちょうど一番外側。その真ん中。
将棋的に言えば5一、5九。
つまりは、自らが王。
「分かりますね。この将棋、投了も待ったもありません。王手を宣言することもない。どちらかの命が獲られるまで行うのです」
「ふぅん……で、駒は? でかい駒でも持ってきてるわけ?」
「僕の物をお貸ししましょう」
バケリュウマは宙に古びた駒を放り投げる。
するとそれぞれの駒が所定の位置に配置され……その駒の中に封じ込められていた者達が呼び起こされる。
「……趣味悪い」
静久の周囲には古の武者達の姿があった。
もっとも、彼等には既に肉はなく骸骨。死臭が静久の鼻をつく。
そして、バケリュウマの周囲にも同じように骸の武人達が陣を成す。が、駒がひとつ足りない。
8二、つまりは飛車だ。
「それでは、お見せしよう。僕の飛車を」
意気揚々と飛車を掲げたバケリュウマに静久は嫌なものを感じ取っていた。最悪の想像。外れてほしいと願ったそれは、無残にも現実となる。
「う、くぅ……!」
飛車として立つは、夜舞薫。
苦痛に顔を歪ませ、その全身に蝶の紋様が刻まれる。
「ぐぅぅぅ……! だ、めぇ……!!!」
「薫ちゃん!」
「あぁぁぁ!!!!」
強制的な変身。肉体の主導権は完全にバケリュウマにあるようだ。
怨面の力を無理矢理に引き出したせいかマイヤの身体に紫電が迸っている。
「申し訳、ありません……静久さん……」
「薫ちゃん……! いま助けるから!」
溟鼬の怨面を纏い、御伽装士メイユウへと変ずる静久。
マイヤに続き紺碧の装士も現れたせいか、周囲の駒達が衝動に駆られたかのように一斉に騒ぎ出すと……大駒の骸達もまた一斉に変身した。
「これは……そんな、まさか……!」
「今日の飛車でようやく揃ったのです。僕の駒が……御伽装士が夢の跡とでも言いましょうかね」
その光景に御守衆の装士達は怒髪天を衝く。
今ここに立つ無数の骸達はかつての装士達。バケリュウマが千年かけて蒐集した戦士の駒。
怒りに震えるメイユウを直視し口角を上げたバケリュウマが先手を打つ。
「それでは始めましょうか。振り駒は……」
バケリュウマ側の歩五人が空中に浮き上がり、竜巻に巻き込まれたかのようにぐるぐると振り回され、乱暴に地面へと叩きつけられる。
「それでは、こちらが先手。7六歩」
バケリュウマの言葉に従い、角道を開けるため歩が動き出す。
手番が回ってきたメイユウは間髪入れずに駒を動かした。
「3四歩」
「2六歩」
「9四歩」
両者、淡々と駒を進めていく。
拮抗した勝負に見えるがまだ対局の序盤。盤面にはまだ大きな動きはない。
「基礎はおさえているようで安心しました」
「化神に褒められてもね〜。ていうか、化神がなんで将棋?」
「面白いではありませんか。戦好きな人間がどこでも誰とでも戦するためのものでしょう、これは。醜悪で私好みです」
「さすが化神。捉え方が醜悪」
「ふふっ。いえまあ冗句も含んでいますが、そうですねぇ……千年も生きていると暇潰しになるものが欲しくなるでしょう。暇潰しには遊びが一番。ですが、化神というものは遊びを考える才能が人間と違ってないものですから。やれ人間を何人狩るだ、どう殺すかだ、血生臭いものばかり。ほとほとうんざりしていたところ人間は面白い遊戯を次々に思い付いていくではありませんか」
「そうだね〜。じゃあ現代の遊びをやったらもっとすごいよ。ファミコンとかさ!」
白熱していく盤面を周囲は固唾を飲んで見守ることしか出来ない。それでも対局はまだ序盤。静久、バケリュウマ共に陣形を整えて中盤からの攻防に備え、作戦を練る時間帯である。
定跡に則りながらも相手の手に対応しながら、そして何手も先を読んで、計算して、王を討つ。
静久の脳はバケリュウマを倒すため、薫を救い出すためにいつも以上の回転を見せていた。打つ手は速く、バケリュウマに対して一歩も引かない。それどころか押しているとすら見える静久の様に周囲は勝機を見出していた。だがそれは、将棋を知らぬ者だけである。
御伽装士ゲットに変身する装士が、長身で強面の帝牙の装士に意気揚々と言う。
「いい感じじゃないすか先輩! 勝てそうですよ!」
「……いや」
「いやって、どういうことですか」
近くにいた雅也が強面の男に問いかけた。
少し離れた御守衆の上役達もまた険しい顔をしている。
「打たされておる」
「熱くなりやがって……」
静久自身にその自覚はない。だが、周囲から見て明らかにその指し手に違和感があった。
「化神のペースに乗せられてるってこと!?」
「ああ。くそ、持ち時間制ってわけでもねぇのに、無駄に早打ちしやがって。ちったぁ考えろ」
「静久ちゃん! 少し落ち着いて!」
雅也が声を張り上げる。だが、静久にはまるで聴こえていない様子。集中しているせいかとも思ったが……。
「無駄だ。あの野郎、ご丁寧に盤を囲むように結界貼ってやがる」
「結界って、そんな遮蔽物みたいなものは……。第一、雨だって降ってますし」
「特定の条件のものを弾く結界ていうのもあるんですよ。この場合、助言とかかな。……というか、おたくはどちら様?」
「今はいいだろ。とにかく、いま俺達に出来ることはないってことだ」
「そんな……」
雅也が悲痛な面持ちで盤上の静久に目を向けた時、盤面が動いた。
バケリュウマの飛車、マイヤが直進。静久の歩を討ち取りバケリュウマの持ち駒となる。
「っ……」
角への道が開き、すかさず静久は金を角の隣につける。
それを見たバケリュウマは扇子で隠した口でほくそ笑む。そして次の手でバケリュウマは飛車を一気に下げるのだった。
「危ない危ない。せっかくの飛車を取られたらもったいない」
「くっ……」
そして、この飛車の流れからバケリュウマが積極的に仕掛けていく。
盤面は一気にバケリュウマ優勢。静久の打ち手からは精細さが欠けていく。
「さっきの飛車に対する手が駄目だ。マイヤを救おうと角を犠牲に飛車を取ろうとして盤面を俯瞰することが出来なくなったからな」
「やってることは将棋だけど……最悪な精神攻撃っすよ……」
「静久ちゃん……」
静久の顔色は仮面で窺えない。それでも雅也には静久の焦りが伝わってくるようだった。
十代の少女が背負うには大きすぎるものを背負ったこの対局。
静久には荷が重すぎたのではないかと雅也は拳を強く握り締める。そこへ更なる追撃が静久を仕留めようと迫る。
9八まで振っていた飛車、マイヤが静久の香車を取る。静久の陣深くまで一気に達したマイヤの身に、変化が起きる。
「龍と成れ」
「ッ……あぁぁぁぁ!!!!」
「薫ちゃん!」
マイヤが悲鳴を上げ、その身体に紋様が迸る。
眩い輝きと熱波が放たれ、周囲の装士達が吹き飛びそうになるのをなんとか堪えなければならないほど。
そして、マイヤ•アカツキが顕現する。天を衝く光の槍が雨雲を貫き、総本山一帯のみ一瞬晴れ渡る。
「何だよあれは……!」
「マイヤ•アカツキ! 噂には聞いちゃいたが!」
「出鱈目っすよこんなの!」
雅也は強面の男に庇われながら、マイヤ•アカツキを凝視した。さながら、人の形をした太陽とでも言うべき輝き。そして、熱。
真夏の猛暑とだけでは済まないような気温に汗が噴き出し始めていた。
「くうっ……アカツキの力まで引き出されるなんて……!」
『薫! 強制的に力を引き出されて制御が効かない! このままでは自壊する……だけでは、すまないかもしれません……』
危険信号を発する舞夜の声が薫の脳裏に響く。
自分だけならばまだしも、総本山をも巻き込んでの爆発、あるいは溶解、あるいは焼失。それだけはなんとか避けねばならない。
しかし、薫に出来ることはない。バケリュウマの傀儡となり、命じられるままの駒となり、このままでは静久にトドメを刺すのが自分になりかねない。
いや、奴ならばきっとそうすると確信を持っていた。
盤面はバケリュウマ優勢。これをひっくり返すのは至難の技。
身体でどうこうすることは出来ない。
意識すらも持っていかれそうである。だが、それでも出来ることがあるとすれば……。
「舞夜様……」
『薫? ……分かりました。いいえ、気にしないで薫』
マイヤは何かの覚悟を決めたかのようにメイユウを、静久を見つめた。
「さあさああなたの番ですよ」
メイユウは俯いたままでいる。長考か。いや、絶望したかとバケリュウマは眼鏡の奥の瞳で見つめている。
盤面に不安もなく、あと数手で詰みといったところ。
最初は面白い相手が出てきたと思っていたものだが拍子抜けであったと次の遊びを考え始めようとしたが……ここで、メイユウに動きがあった。
「退魔道具、溟渤の錫杖」
藍色の錫杖を手にし掲げたメイユウは頭上に巨大な水の塊を作り出す。
「やれやれ……暴力は無粋と言ったのに……」
バケリュウマは呆れてそう言うも、その水はバケリュウマに放たれることはなく————メイユウ自身に落とされた。
水が流れ落ちるとメイユウの姿が洗い流されるかのように変身が解かれ、ずぶ濡れの静久の姿が露となり周囲の熱に反応しあたりに水蒸気が立ち込める。
「……何をしている」
「何って、暑いから水浴びしただけだよ」
水を滴らせながら静久は答えた。その姿に先程までの焦りはない。
バケリュウマは考える。
今ので頭を冷やしたとでも。とはいえ、それでどうにかなるような盤面でもない。今更もう遅い。
己の勝利は確定していると、バケリュウマは静久の一連の行動を奇行と断じた。
「ねぇ」
「はい?」
「千年生きてて、なんで今になって総本山を襲おうなんて思ったわけ? 大人しく将棋指してれば良かったのに」
「ふむ……。ま、いいでしょう。理由のひとつは面白そうやと思ったこと。そして、若い化神の仲間に見せつけてやろう思いましてな」
「見せつける?」
「そう。まったく最近の化神と来たら人間に使われるだのなんだのと、化神とは思えない体たらくでほとほと呆れていたところでしたわ。そんで、この装士共を使った将棋でもって御守衆を討つ。そうすれば、多少は若い奴等の気合も入る。そう思ったわけです」
細まる瞳には狡猾さが見え隠れし、人間を見下している。
「人間なんぞ、使ってなんぼ。邪魔な御守衆は気に入った連中だけ駒にしてあとは全滅。ああ、安心してください。何も人間を絶滅させようなんてことは考えておりませんので。仲間を生む源ですし、面白いものを生み出すものがおらんとつまりませんので」
バケリュウマの言い分に怒りを覚えぬ者はこの場にはいない。だが、圧倒的にバケリュウマが有利なこの状況下では他の装士達は動くことが出来ない。
怒りと無力感で皆、悔しさに震えている。
だが、静久だけは違った。
「言いたいことはそんなところ?」
「ええ。さて、あなたの手番でしたが」
バケリュウマが静久に次の手を指すよう迫る。
(ま、どんな手を指そうとあんたは詰み。お友達の槍で貫いて差し上げましょう)
勝利を確信しているバケリュウマはどんな手が来ようとも関係ないと顔には出さずとも意気揚々。
そして、静久の一手。
「5一玉」
自ら、初期位置へと戻るだけ。
何の意味もないその手には最早諦観すら感じられ、バケリュウマは笑いを堪え切れない様子で持ち駒の歩を盤上へと配した。
「ふっ、ふふ……。さぁて、あと何手で終わるんやろなぁ」
「……待ったはない。そう言ったよね」
「ええ。ですが、もう待ったも何もないと思いますがね」
「そう。じゃあ、もう終わりだよ」
「は?」
「千年生きてるだけあって本当に強かったよ。流石は化神。暇だからこうして何かを極めるのにはうってつけか〜」
静久の態度が解せず、バケリュウマは静久が打つだろう手を考える。
だが、やはり自分の勝利は揺るがない。これは紛れもない事実。では、静久の余裕はどこから来る。余裕、というよりも既に勝利したかのような自信はどこから来る。
「何か、良い手でも?」
「いいや〜? ここから先、一手も進まないよ」
「はぁ?」
「だってもう、この対局は終わってる」
「何を言って……」
「そこに歩を打った時点で終局。そう、終わったんだよ。お前の負けで」
光が射す。
静久から滴り落ちた雫が陽光を乱反射させ、バケリュウマに真実の世界を見せつける。
ゆらめき、ずれていく駒達の虚像。
そう、バケリュウマが見ていた盤上はズレていた。
雲海の如く広がっていた蒸気が風に流れ、幻は終わる。
鋭く己を見据える静久の威圧感にバケリュウマは問わずにいられなかった。
「これはなんだ……何をした!?」
「目って、光を屈折させるレンズが二つあるんだって。そうやって目っていうのは物を見てるらしいよ」
「……なに?」
「これは人体の話だから化神にも当てはまるかどうかは分からないけど、今はそんなことはどうでもいいんだ。そう……だから静はレンズを作り出した」
「レンズ? そんなもの、どこに……」
「あったんだよ。ずっと雨も降っていたし、静もここを水浸しにしたでしょ」
「空気中の水を……!? 馬鹿な、そのようなことが!」
「それだけじゃあもちろん足りない。でも、それを可能にしたのは……マイヤ・アカツキの太陽みたいな光。乱反射した光とマイヤの幻惑の特性をもってバケリュウマ、お前に虚像を見せつけたんだ」
小娘の手により幻を見せつけられた。
それは理解したバケリュウマであったが、次第に笑いがこみ上げてきた。
だからどうしたのだと。
「なるほど、面白いものを見せてくれたいうわけですか。ですがそれで何か戦局が変わったと?」
「変わったんじゃなくて、終わったって言ったよ? 盤面をよく見てみなよ」
静久の言葉に促され、再び盤上を見据えるバケリュウマ。
何もおかしな事はない。
そう思ったのは、バケリュウマもまた盤上に立っていたから。
もしこの将棋が普通の将棋で、盤面を上から見下ろすことが出来れば即座に気付いただろうし、ルールをよく理解していれば絶対にやらない手である。
だが、バケリュウマは致命的なミスを犯していたのだ。
「————二歩だ」
盤を横から見ていた雅也が呟く。
そう、同じ列に前後に並ぶ歩。
この決戦前に静久と将棋を指していた時にやってしまった失敗ゆえに雅也は誰よりも先に気が付いた。
「な、に……!? 馬鹿な、そんなはずは!」
「お前がさっきまで見ていたのは全てズレた盤上。気付かれないように、時間をかけて作るのに苦労したよ」
「ッ……」
急激な変化は気付かれるもの。
だが数秒から数十秒とかけてゆっくりと行われる変化には注意して見ていなければ気付かないことがある。ましてや、変化するはずがないと思い込んでいたならば尚更。
これがいわゆる、変化盲という現象。
もしもバケリュウマが注意して盤上を俯瞰して見ていれば気付かれたであろう作戦であったが、正にその変化の最中に静久はバケリュウマの視線を釘付けにしていた。
「あの時の会話と変身を解除して自分に注目させていたのか……」
静久は水の塊を作り出し、あたかもバケリュウマを直接攻撃するかに見せかけ自分に浴びせてなおかつ変身まで解いてしまうという不可解な行動を取った。それによりバケリュウマの視線を釘付けにし、会話によって更なる時間を作り出して虚像の視界を作り出したのだ。
「まあ、お前ぐらい人間を見下してたらつけ入る隙はいくらでもあるけどね〜。というわけで、お前の負けだよバケリュウマ」
静久がバケリュウマへと敗北を突き付ける。すると空間に刻まれていた結界や将棋盤のマスが砕け散り、駒とされていた骸達は静かに崩れ去った。
そして、マイヤ・アカツキの変身が解除され薫が地面へと倒れ込む。
「薫ちゃん!」
咄嗟に静久が支え、薫の顔を覗き込む。疲労の色が強く出て、呼吸も荒い薫だったが意識はしっかりとしていた。
「ありがとうございます静久さん……。信じて、おりました……」
「薫ちゃんのおかげだよ。薫ちゃんが伝えてくれなきゃ、静は負けてた……」
静は対局中のことを思い出して薫へと感謝を伝えた。
窮地に陥り、敗色濃厚。このままでは薫も救えず、総本山も何もかもが終わってしまう。
プレッシャーに押し潰されかけたその時、静久の頭の中で声が響いた。
『聞こえますか、溟鼬の装士よ』
『誰……?』
『私は舞夜。私の声がよく届く者で安心しました』
その声は優しく穏やかなものでありながら、凛とした気高きものをたしかに宿していた。
その声の主は舞夜。怨面に宿りし擬似人格であった。
『時間がないため、手短に伝えます。薫からの言伝です』
『薫ちゃんから……?』
『盤面はこちらに不利。正攻法で勝つのは無理でしょう。しかし奴を負かすことは出来る』
『勝つのは無理でも、負かすことは出来る……?』
『私達の力でバケリュウマを惑わすのです。とはいえ、今は彼奴めの手駒とされて薫は身体の自由が聞きません。しかし私の力は無制限に放出させられています。これを上手く利用すれば……』
『……! ありがとう。本当にありがとう、舞夜。薫ちゃんにもそう伝えて。大丈夫、なんとかしてみせるから』
薫からの言伝に勇気を貰った静久は普段の落ち着きと、静久らしさを取り戻し即座にマイヤ・アカツキの力を利用しつつバケリュウマを惑わす策を構築、そして実行してみせた。
紛れもない、天才の所業である。
「この術名付けるなら、日照水鏡とでもしようかな〜」
「ふふっ。良き名かと……」
二人は微笑み合い、信頼を確かなものとし合うも敵は未だ健在。
俯きがちでその場に幽鬼の如く立ち続けるバケリュウマは装士達に包囲されていた。
薫は静久の支えなしで立ちバケリュウマへと相対し、怒りを込めて言い放つ。
「バケリュウマ! 化神の中でも性格が捩れ曲がった貴方のことですから私に同士討ちさせ絶望する様でも見たかったのでしょう。それが仇となりましたね」
人間を見下していたから、こうして足下を掬われるのだと薫は言う。
鋭く睨み付けた先のバケリュウマは震える左手で眼鏡を外し、穢れに染まった瞳で薫と静久を見つめる。怒れる瞳が、ぶつかり合う。
「……ふざけるのも大概にしろよ、人間」
「なに?」
「小細工でどうにかするしかなかった雑魚共が粋がる様を見るのは虫唾が走って仕方ない! 俺の神聖な遊戯に水を差したこと、後悔させてやる」
「たしかに私達人間は化神と比べればか弱き存在でしょう。ゆえに、知恵と勇気をもってしてお前達化神と戦うのです」
「神聖な遊戯〜? こっちは遊びだなんて思ってないよ。静達は戦っているんだよ。今までもこれからも」
睨み合いの果て、バケリュウマの肉体が真の姿へと転じていく。
バケリュウマの内側から食い破るように現れたのは巨大な翼。馬の如き下半身にヒトガタの上半身。だが、その頭部はさながら竜の如きもので、全身を黄金の鎧具足で武装していた。
「これが、バケリュウマの正体……!」
『我は永世竜王バケリュウマなれば! この姿見た事を後悔させてやるぞ人間どもぉ!!!』
天を貫く咆哮が空気をも震わせ人間達を恐怖へと陥れる。
だが、ここに立つ者のほとんどは御守衆の装士。その中枢たる総本山にて集いし者達である。
幹部の翁が声を張り上げ、装士達を奮い立たせる。
「ここが正念場ぞ! 我等の誇りにかけて、必ずや化神バケリュウマを撃滅せよっ!!!」
「応っ!」
まさに一心となりバケリュウマへとそれぞれの武器を、闘志を向ける戦士達。
薫と静久も顔を見合わせ頷き合うと、それぞれの怨面を手にし呪い、変身する。
「オン・ビシャテン・テン・モウカ。舞え、マイヤ……」
「オン・ルドラ・ラン・ソワカ!」
二人の身体にそれぞれの紋様が迸る。紅きそれは変身の代償、呪いの証。変身する度に痛みを伴うものであるが、今この場において。戦意が高揚し、もとい負ける気しない二人は痛みなど置き去りにして叫ぶ。
「「変身!」」
紫光より蝶が溢れ、夜に舞い悪を打ち砕く御伽装士マイヤが立つ。
青黒い渦が弾け、深淵より闇を祓う御伽装士メイユウが立つ。
「我が名はマイヤ。あなた方、化神を滅する夜の蝶でございます」
「御伽装士、メイユウだよ~。さて、深淵に沈んじゃってね~」