ウマ娘超光速戦記 -TACHYON Transmigration- 作:LN58
――――――12月25日の夜明け、世界は人知れず平行宇宙からの侵略者の脅威から救われることになった。
多くの人間はそう言われても真に受けることはないだろうし、私自身も報告を聴くだけで実感が湧かないのでいつものほら話のようにしか思えなかった。
ただ、いつものように私の知らないところで想像もできないような偉業を成し遂げて帰ってくる彼の充実した土産話を聴くのが楽しみで、呑気にかまえていたものだ。
だから、今年の『東京大賞典』『有馬記念』を前に邪道でしかないドーピング剤を用意するように言われたのは大きな衝撃だった。
普段から使っている肉体改造強壮剤の効能を数倍にして発揮される火事場の馬鹿力を遥かに上回る瞬間的な爆発力の代償は想像するだけでも寒気がした。
それでも、そんなものを彼が絶対に使うはずがないし、第一“目覚まし時計”で時間を巻き戻すことができるし、時間跳躍能力まで使える彼がそこまで追い詰められるはずがないと――――――。
しかし、いきなり『有馬記念』の翌日に多摩地域に割拠するエルダークラス:ヒッポネイピアを討って決戦前夜を迎えることになり、
優雅に
そして、府中市から奥多摩の川苔山:百尋ノ滝に行くにしても本当に一瞬で辿り着いて、たった一夜で地球外生命体の本拠地を制圧するというのも俄には信じられなかった。
もちろん、ウマ娘よりも強大な怪人:ウマ女に100体近く囲まれて返り討ちにしたというのもまったくもってデタラメにしか思えなかった。
けれども、どうしても寝付けなくて 実験室でひとりクリスマスキャンドルを灯して最新の研究論文を読み漁っていると、
25日の夜明け前に突如として実験室に
いきなりのことで私はただただその治療に追われるばかりで彼が今どうしているのかなんて完全に忘れていた。
もちろん、これが神経ガスの中毒症状だなんて判断する術や知識を持ち合わせていなかったこともあり、
適切な治療なんてできるはずもないのだから、ただただどうすることもできず、WUMAの驚異の自己再生能力による時間経過の治癒を待つしかなかった。
それで、昼前になって軽度の神経ガスの中毒症状から自力で回復した
彼が敵地にひとり取り残されて神経ガスに冒されて数時間も経っている絶望的な状況をようやく知ることになった。
その時、これまで待つことを選んできた私がどれだけ
しかし、そうして私の理解が追いつかなくて必死に
その時、自分の想像を遥かに超えた
けれども、冷静さを欠いた状態では思考がダイレクトに反映される四次元能力は失敗するため、
そうして ますます焦りを募らせて歪ませた必死の形相から、私にも彼が置かれた状況がどれだけ危機的なものなのかを理解できてしまった。
だけど、ただのウマ娘でしかない私にできることなんて――――――。
ゴールドシップ「へい、お待ち遠! ゴルシ運送だぞ! ほら、さっさと荷物を受け取りやがれ! 時間は有限! Time is money! じゃあな!」ドン!
すると、突如として私たち以外には誰も訪れることがない実験室に入ってきたゴールドシップの存在に私はどうすることもできなくて驚くだけだったが、
彼女が両手に抱えて丁寧に運んできた麻袋がやけに光っていることを理解すると、一瞬で麻袋を奪い取った
すると、麻袋の中から眩ゆい光を放つ彼が現れたのだ――――――。私の意識は完全に宙に舞った。
すかさず、
一応、あれは
そのため、どういう状況なのかを訊き出すこともできなかったのだが、意を決して何があったのかを訊き出そうとすると、光を放つ彼はまったく返事をしなかった。
しかし、その理由を完全に理解した時、私は初めて彼がどれだけ辛い思いをしながら人知れず21世紀を生きる地球人類のために奮闘してきたのかを実感することができてしまった。できてしまったのだ。
そう、マッサージチェアの手摺に乗らなかった手が光り輝きながらいつまでも力無くぶらーんとしていたのだ。
ここまで観察できれば、いったい彼の身に何が起きたのかも想像がついた――――――。
ああ、これだけの輝きを放つ代償に返事をすることすらできなくなるぐらいに疲労困憊に追い込む特別製の肉体改造強壮剤を使ってしまったんだ。使わざるを得なかったんだ――――――。
ひとり敵地に取り残されて死物狂いで状況を打破するためにはそこまでの覚悟を決めるしかなかった――――――。
その光景を思うと、
手摺に乗らずにぶら下がり続けている光り輝く彼の手を両手に取って、私も
同じ顔をしたウマ娘2人がマッサージチェアに死んだようにもたれかかっている光る何かに縋り付いて泣き濡らす状況は実に滑稽だろう。
けれども、両手に掴んだ光り輝く手に微かな力が入ったことを私は見逃さなかった。
そして、眩しく光って輪郭がぼやけてしまいながらも彼の口から不規則な息遣いを感じ取ると、指向性マイクを使って音声を拾うことに成功したのだ。
そこでようやく彼が肉体的にも精神的にも死んでいないことを悟り、この時ばかりは嬉しさのあまりに
そこから指向性マイクを介して彼自身からの的確な指示を受けて介護し、小声ながらもしっかりと口を動かせるぐらいに回復させることに成功して、ようやく一安心することができたのだ。
相変わらず、自分の身体がまったく動かない状況だと言うのに彼はいたって冷静であり、『生きているだけでも儲けもの』とこちらを茶化すぐらいには頭は冴え渡っていた。
そんなわけで、今日は12月25日:トレセン学園の終業式であり、シンボリルドルフとトウカイテイオーの引退式もあったわけなのだが、
そんなものは最初からどうでもよくて、意識ははっきりしているが身体がまったく動かない植物人間状態に近い彼の介護のために2人で寄り添うことになった。
彼が私のために用意してくれた超特別製のマッサージチェアも今度は彼自身のために有効活用され、その甲斐あって夕方には生徒会室に顔を出すことができるようになった。
しかし、終業式が終わって一目散に生徒たちが学園を後にしていくのが大半である中、まだ学園に残っている生徒もそれなりの数になるため、
全身が黄金に光り輝く副作用のために遮光用のローブを身に纏うことになり、それを私が車椅子で押す光景はいろんな意味で噂になってしまった。
だが、そんなのは今更なのだ。今はとにかく莫大な新陳代謝の代償で請求されている栄養補給と休養を取らせ続けるしかない。
なので、私が彼の最愛の妹:ヒノオマシに連絡を取り、実家に引き取ってもらうように手配を進めながら、私も彼の実家に宿泊する準備を始めた。
一方、学園の実験室を棲家にしていた
●20XX年12月26日
――――――斎藤家の実家;母方の祖母(ウマ娘)の屋敷
斎藤T「ふっ! ぬんっ! とっ!」グイグイ
アグネスタキオン「ほら、1,2! 1,2! 1,2!」グイグイ
陽那「おつかれさまです、タキオンさん。休んでください」
アグネスタキオン「あ、ああ……。そうするよ……」フゥ・・・
斎藤T「……苦労をかけるな」フゥ ――――――ベッドの上でリハビリテーション中。
陽那「そんなことはないですよ、兄上」
陽那「兄上は世界を救ったんですから、これぐらいはしないと、です!」モミモミ!
斎藤T「……一生寝たきりかもしれないぞ?」
陽那「大丈夫です。私はこれまで兄上に養ってもらってきたのですから、今度は私が兄上を養う番ですから」
――――――それに、兄上はここで止まる人じゃないでしょう?
斎藤T「……ああ。みんなのおかげで力が湧き上がるのを感じている」
斎藤T「……WUMA討伐作戦の後始末はまだまだ残っているからな。資料作成と情報セキュリティの制定、多摩地域と船橋市の残党狩り、百尋ノ滝の秘密基地の管理とかな」
斎藤T「……楽しみだ。百尋ノ滝の秘密基地を解析したらどんなオーバーテクノロジーがもたらされることか」
陽那「さすが、兄上は本当に凄いですね。私と同じように寝たきりの状態になっても、こうして夢に向かうことができるんですから」
斎藤T「……人間の価値は舌先だけでも創れるというわけだ」
陽那「兄上、報告書を代筆させていただいた時に疑問に思ったのですが……」
斎藤T「……何だ?」
陽那「兄上の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことでしたよね?」
陽那「なら、WUMAの宇宙船を破壊することなく、そのまま所有すれば夢は実現できたのではありませんか?」
斎藤T「……それはないな」
陽那「すみません。浅はかでした」
斎藤T「……謝ることはない。宇宙にもいろんな種類があって、私が目指したい
斎藤T「……まだ見ぬ別天地なんだよ、辿り着きたいのは」
斎藤T「……まあ、そこに効率よく辿り着くためのヒントは得られたけどね」
陽那「そうでしたか」
陽那「兄上。正直なことを言えば、私にとって世界というのは兄上のことでした」
陽那「けれども、
陽那「こうして親戚の方々と親しく付き合うところから始まり、今度は兄上の職場となるトップアスリートたちが集うトレセン学園の方々との交流も深めて――――――」
陽那「そして、
斎藤T「……そうか」
陽那「兄上、子供を育てるのは本当に社会;たくさんの人たちとのふれあいや支え合いなんですね」
陽那「そういう意味では、核家族化して共働きのために子育てが満足にできない環境を生み出しているのは政治の問題というよりももっと根本的な個人個人のつながりの問題でもあったわけです」
斎藤T「……当たり前だ。動物の生態を見てみろ。父親と母親で出稼ぎと子育てを見事に分担しているだろう」
斎藤T「……下等生物になればなるほど子をたくさんを産み落とすが世話なんてしなくなるのだから」
斎藤T「……そもそも、
陽那「本当にそのとおりですね、兄上」
陽那「ですから――――――」
陽那「………………」
斎藤T「……どうした?」
陽那「いえ、ただ、だから
斎藤T「……それはヒノオマシも同じじゃないのか?」
陽那「兄上はタキオンさんとスターディオンさんのどっちが好きなんですか?」
斎藤T「……急にどうした?」
陽那「いえ、兄上だったらどういう方が好みなのかと――――――」
斎藤T「……子供のままの子供が子供を生む社会は不幸なだけだ」
斎藤T「……愛欲に勝る愛情があれば結婚も離婚も恋愛も破局も好きなだけやればいい」
陽那「はっきり言いますけど、それって男の人の考え方ですよね? 身籠ることが決してない気軽な立場の意見じゃありませんか?」
斎藤T「……そうとも言う。けれども、自由には責任が伴う。統制がなければ秩序は保たれない」
斎藤T「……これからの時代は女性の時代でもあるんだ。女性らしさが個性となって理性を保つ高度な精神文明の時代にもなる」
陽那「で、どっちが好きなんですか?」
斎藤T「……どっちも嫌いじゃない。むしろ、好きになるように努力したから一緒にいるんだけど」
陽那「質問が悪かったです。結婚したいと思うなら――――――?」
斎藤T「……紙切れ一つで婚姻関係を結べるんだから、VRゲームの世界で思う存分に好きなだけ結婚すればよろしい」
斎藤T「……要は気持ちの問題だろう? 現実世界での婚姻とVRゲームの中での婚姻を同質に考えることができるなら人生の中でいくらでも重婚は可能だ」
陽那「でも、イチャイチャしたいとか、その、好きな人の身体に触りたいとか思いません?」
斎藤T「……いや、全然。フェロモンにクラッとした後には後悔することばかりだ」
陽那「――――――それが来たる宇宙時代における結婚観なんですか?」
斎藤T「……ああ。そうしないと現実世界での人口管理や痴情のもつれを回避することができなくなって逃げ場のない宇宙船での狭いコミュニティを健全に保つことができない」
斎藤T「……だから、人々は仮想世界に自由で解放的な社会を幾重にも築き上げて多層現実に生きるようになる。情報化社会の極みだ」
斎藤T「……やがて現実世界の価値はVRシミュレーターでは算出できない未知なる可能性を探し出すための仮想世界の裏庭になるぞ」
――――――つまり、この現実世界を生きるために必要な肉体でさえもアバターの1つになる。
陽那「だから、兄上は未知なる可能性を求めて
斎藤T「……そういうことだ。並行宇宙を渡ったところで“もしもの世界”が拡がるだけだからな」
陽那「それも、そうですね。“もしもの世界”も元からこうだという予想が着いている世界であって」
斎藤T「……それにだ、“もしもの世界”の主役に成り代われないだろう、絶対に?」
斎藤T「……たとえば、両親を失わずに済んだ兄妹のところに上がりこんだところで、自分自身の辛い過去が変わるわけでもないし、そこにはもう幸せな兄妹がいるのだから居場所なんてない。完全な余所者だ」
陽那「そうでしたね。“もしもの世界”を夢見て そこに行くことができたとしても、そこで幸せに過ごしているだろう自分自身を押し退けて成り代わるのは本末転倒ですよね」
斎藤T「……だから、WUMAの存在は許せなかった」
陽那「でも、
斎藤T「……それだから、責任を持って私が最期まで面倒を見るしかないんだ」
陽那「兄上……」
斎藤T「……結局さ、世界っていうのは寛容と忍耐と妥協によって出来上がっているものなんだよ」
陽那「じゃあ、どちらかと言うとスターディオンさんの方が兄上に近いわけなんですね?」
斎藤T「……独立自尊ができる大人になったら一人の人間としてのお付き合いを考えないわけでもない」
斎藤T「……選択肢のない人生は不幸だ。選択肢のある人生が本当なんだ」
陽那「本当にお優しいですね、兄上は」
陽那「だから、突然 ポトフを
陽那「フランス料理の基本となるダシの作り方をマスターできれば、料理人としての生き方も備わるでしょうから。一石二鳥ですね」
陽那「科学者なんですから、分量の計算も完璧ですもんね」
斎藤T「……ああ。新開発の自動アク取り鍋の性能試験も兼ねてな」
斎藤T「……あいつは実験好きらしく出不精だから、実験の片手間にじっくりコトコト煮込む料理が得意になれば、たくさんの人にポトフを振る舞ってあげられるようになる」
陽那「素敵です、兄上」
斎藤T「……ちょっとした対抗心だよ。“無敗の三冠バ”ミホノブルボンがメイクデビュー前からアスリートフードの試食会や炊き出しのボランティアによってファン数獲得を行っていたことへのね」
陽那「よかった。兄上も担当ウマ娘のために本気を出してくださってる」
斎藤T「……だから、手伝ってやって欲しい。何事も経験だ」
陽那「はい。わかってますよ、兄上。あの様子なら、正月三が日のおせち料理も張り切って作るでしょうから」
――――――でも、
コトコトコト・・・
アグネスタキオン’「………………」
アグネスタキオン「……戻ったよ」
アグネスタキオン’「……そうかい」
アグネスタキオン「……なあ?」
アグネスタキオン’「……ああ、言いたいことはわかる」
――――――私たちは“子供”にしか過ぎないってことだろう。
アグネスタキオン「……ああ」
アグネスタキオン’「……そりゃあ、悔しいさ。
アグネスタキオン「……けど、それはただ待っているだけの私と何も変わらなかった」
アグネスタキオン’「……ああ。ウマ娘よりも圧倒的に強いはずの私がウマ娘に及ばない脆弱なヒトに一方的に助け出されたのだから」
アグネスタキオン「……だから、勝つために本当に大切なものが何なのかを『東京大賞典』『有馬記念』でのミホノブルボンとトウカイテイオーの勝利から学ぶことができたと思う」
アグネスタキオン’「……そうさ。それこそが四次元能力の要であるんだから」
アグネスタキオン「……でも、私たちは自分たちに与えられた能力を完全に使いこなせているとは言えない」
アグネスタキオン’「……ゴールドシップやNINJAとやらが助けてくれなかったら、私たちは本当に大切なものを失うことになったのだからね」
アグネスタキオン「……だから、私はプランAだけじゃなく、プランBも遂行しようと思う」
アグネスタキオン’「……けど、私には『ターフの上で走るな』と言うのだろう?」
アグネスタキオン「……ああ。一度きりの真剣勝負の世界だ。そこに甘えがあったら私が望むものには一生手が届くことはない」
アグネスタキオン’「……会長やテイオーにそっくりな眼になったな、
――――――真剣な眼差しの上を行く“使命感を帯びた眼差し”とでも言うのかい?
私は最初の『選抜レース』以来、自分自身が目指す“果て”を共に夢見ることができる担当トレーナーを求めて待ち続けた。
そして、中等部の3年を完全に待つことに費やし、そうして待つことが許された最後の年:高等部1年のシーズン後半に私はようやく待ち続けていた
彼は私が目指す“果て”のその更に向こう側から来たかのような規格外の存在であり、彼自身が言うようにトレセン学園のトレーナーをやっているような人物ではない“門外漢”であった。
しかし、私が想像していた以上に対等の関係:互いをモルモットとモニターにする他にはない関係を結ぶことになり、今までの孤独だった日々が嘘みたいに毎日が満たされた日々を送ることができた。
その一方で、私と同年だったトウカイテイオーやメジロマックイーンに起きた事件にも深く関わるようになり、もしかしたらターフの上で競い合うはずだった彼女たちの栄光と失墜を間近に見ることなった。
そうした中で、少しずつこれまで漠然としていた自分がターフの上で目指したい“果て”というものが具体的な目標になっていき、
最終的には想像を遥かに超えるほどの逸材だった彼――――――、斎藤 展望の担当ウマ娘として相応しくあるために、“皇帝”シンボリルドルフから後を託された次の時代の象徴となるべく前人未到の領域を目指すことになった。
そんな矢先、人間としてできないことが何もないように思えるし 四次元能力や時の巻き戻しが使えて 地上最強のWUMA殺しとして まさに無敵に思えた彼が廃人寸前になるほどに光り輝く様を見せつけられて、私の意識は変革した。
そうだとも。トウカイテイオーやメジロマックイーンがそうだったように、どんなに強い存在でも絶望的な状況に追い込まれてしまうものであり、彼とて例外ではなかったのだ。
むしろ、そこから這い上がって『天皇賞(秋)』『有馬記念』をそれぞれ走り抜いたトウカイテイオーとメジロマックイーンの意志の強さを学ばなければならない。
だが それ以上に、誰にも知られることもなく ひとりでウマ娘以上のバケモノたちと戦い続けた不撓不屈の精神を私は誰よりも知っている――――――。
だからこそ、一度掴んだら絶対に離さない。彼は私だけの――――――。
アグネスタキオン「あ、あーん……」
斎藤T「……あーん」
アグネスタキオン「ど、どうだい?」ドキドキ
アグネスタキオン’「きみに言われた通りに肉は細切れにして野菜はドロドロになるぐらい朝から煮込んだぞ」ドキドキ
斎藤T「……うん。塩加減や風味が抜群だね。計算通りだね」
陽那「はい! すごく美味しいですよ!」
アグネスタキオン「や、やった!」
アグネスタキオン’「ああ!」
斎藤T「……これで自分でもポトフを作ることができるね? 次があったらミネストローネとかボルシチを頼みたいな」
アグネスタキオン「い、いいとも! 作ってやるさ」
アグネスタキオン’「次とは言わずに、年越しそばやおせち料理だって作ってやるからな」
陽那「いいですね! 兄上の快復次第ですけど、実家に帰ってきても宇宙食や流動食ばかりなのは気が滅入るでしょうしね」
アグネスタキオン「これで最後」
斎藤T「……あーん」
斎藤T「……ごちそうさまでした」ゴクン
アグネスタキオン「あ、ああ。おそまつさま……」ホッ
アグネスタキオン’「……よかった」ホッ
陽那「あ、タキオンさん、スターディオンさん。お風呂が沸いたみたいですので、お先にどうぞ」
陽那「片付けは私がやっておきますから」
アグネスタキオン「そうかい。じゃあ、使わせてもらうとするよ」
アグネスタキオン’「ああ――――――」ピタッ
アグネスタキオン’「ん? それは何だい? 紙オムツにウェットタオル? それに『おむつが臭わない袋』――――――?」
陽那「――――――『何』って、その、それはお客様には見せられないものですので」アセアセ
アグネスタキオン’「え」
アグネスタキオン「いや、答えになっていないぞ? はっきり言い給え」
陽那「ですから! これから兄上の身体を綺麗にする大事なお勤めがありますから、お風呂に行っててくださいぃいいいい!」カアアアア!
アグネスタキオン「うええええ!?」ドキッ
アグネスタキオン’「あ、ああ……うん……」ドクン!
陽那「さあさあ! 行った行った!」
斎藤T「……すまないな」
陽那「こ、これぐらいなんてことはないですから、兄上」ゴシゴシ
陽那「……わあ、立派ですねぇ、兄上」ゴクリ
斎藤T「……いや、しかし、今時 年頃の女の子がやるようなことではないだろうに」
陽那「いえ、昔の女の子は子だくさんの家で赤ん坊の面倒を見るのは当たり前だったんです!」ゴシゴシ
陽那「それに、光明皇后陛下も施薬院にて千人の垢を洗い落とすことを発願したんです!」
陽那「そして、最後の千人目に重症の癩病患者が現れ、皇后陛下に膿を口で吸い出すよう要望し、その通りになさったことで病人は正体を現して阿閦如来となって発願成就が果たされたのですから!」
陽那「下の世話ぐらいなんだって言うんですか! 今の時代はこんなにも便利なグッズがあるのに、できないだなんて甘ったれたことを言っていたら、先人たちに顔向けができないじゃないですか!」
陽那「ですから、その、苦しくなったら
斎藤T「……気持ちは嬉しいが、そこまでやったらヒノオマシの品性を疑われることになる」
斎藤T「……安心なさい。宇宙船開発に私は
陽那「でも、殿方はそういうことをしてもらったら喜ぶと――――――」
斎藤T「……言ったはずだ。子供のままの子供が子供を生む社会は歪だと」
斎藤T「……興味があるのは否定しないが、気持ちよくなれるのは一瞬だけで後悔ばかりが後を引くものだぞ」
陽那「わかりました……」
陽那「でも、オムツ交換は譲りませんからね」
斎藤T「……ウマ娘の腕力に物を言わせて そういうことをやるんだな」
陽那「だって、これまでの記憶をなくしてしまった
陽那「憶えておきたいんです。他の誰が忘れ去ったとしても唯一の肉親である私だけは……」
陽那「まさか、タキオンさんやターディオンさんにこういうことをやってもらうわけにもいかないじゃないですか……」
陽那「それこそ、若い年頃の娘さんとの責任を取ることになるのは、兄上にとって甚だ不本意なことですし」
陽那「観念してください。今の兄上の下の世話ができるのは唯一の肉親である私だけだと」
斎藤T「……本当にすまないな」
陽那「だから、謝らないでください! 兄上はこうして帰ってこれたじゃないですか! 今はちょっと身体が動かないだけで! 五体満足で!」
陽那「父上も母上も私のせいで遠くに逝ったのと比べれば――――――」グスン
斎藤T「……頼む」
陽那「はい!」
斎藤T「………………」
陽那「わあ……、これが兄上の…………」ドキドキ
陽那「でも、兄上だって私が赤ちゃんだった頃にオムツ交換をやってたんですから、私の――――――」
斎藤T「……言うな。はしたない」
陽那「だから、これでおあいこです」テヘッ
斎藤T「……本当に強くなったな、ヒノオマシは」
陽那「――――――毛も剃っておきましょうか?」
――――――
アグネスタキオン「………………」ドクンドクン
アグネスタキオン’「………………」ドクンドクン
アグネスタキオン「……お風呂、使わせてもらおうか」ドクンドクン
アグネスタキオン’「……ああ」ドクンドクン
・・・チャポン!
アグネスタキオン「…………ちょうどいい湯加減だね」
アグネスタキオン’「……訊いてもいいか、
アグネスタキオン「何だい、
アグネスタキオン’「――――――“家族”とはああいうものなのかい? ああいうこともできるから“家族”なのかい?」
アグネスタキオン「……さてね。私にはわからないね。きみの中の会長の記憶はどうなんだい?」
アグネスタキオン’「いや、さすがにオムツをしていた頃の記憶なんてないさ。それは
アグネスタキオン「そうだね。研究熱心な両親の代わりに使用人たちに育てられていたから、実の両親にオムツを取り替えてもらったという話は一度も聞いたことがない」
アグネスタキオン’「そう考えると、『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いた先にあるものについて、真剣に考えていかないとだね」
アグネスタキオン「そうだね。少なくとも、きみはそうだろうね、今からでも。きみには絶対に彼が必要だから」
アグネスタキオン’「……すまない。私のこの姿も記憶もどこまでいっても
アグネスタキオン「謝ることはないさ。全ては私が始めたことさ」
――――――だからこそ、私自身がこれまで“果て”を目指してきた人生を裏切るわけにはいかない。
●20XX年12月27日
――――――夜明け前の早朝
アグネスタキオン’「さて、そろそろ2人が帰ってくる頃かな?」
アグネスタキオン’「おはよう、トレーナーくん。よく眠れたかい?」
斎藤T「……ああ。ラジオでは怪しい情報はなかった」
斎藤T「……朝はお前が担当か?」
アグネスタキオン’「まあね。2人は朝の走り込みだから、私がこうして卵雑炊をきみに食べさせてやるわけさ」
アグネスタキオン’「ほら、口を開けたまえ」フーフー
斎藤T「……あーん」
アグネスタキオン’「ど、どうだい?」
斎藤T「……若干 塩味が薄い気がしたが、お粥ならこんなもんか」
アグネスタキオン’「そうかい。それはたぶん蒸発する分を計算に入れてなかったかもしれないねぇ」
アグネスタキオン’「それで、今日が27日で明日が28日なのだろう?」
アグネスタキオン’「1周目だと明日28日に多摩地域が怪奇現象に見舞われて奥多摩に入り込めなくなったのを逆手に取って船橋市のヒッポクラテアの軍団の討伐しに行った――――――」
アグネスタキオン’「その再現をするためには ここから立ち上がらないとだけど、今の段階でどこまで動く?」
斎藤T「……そうだな。少し肩を貸してもらえるか」ヨロヨロ・・・
アグネスタキオン’「お、普通に起き上がった」
斎藤T「……本調子とはいかないが、最低限のことはできそうだ」
アグネスタキオン’「ふぅン」ドン!
斎藤T「うおっ!?」ドサッ
斎藤T「お、おい――――――!?」 ――――――ベッドに押し倒される!
アグネスタキオン’「ウマ娘の存在自体がいまだ深遠なのは知ってのとおりだが、私のようなWUMAと同じようにヒトについても同じことが言えるとは思わないかね、きみ?」
斎藤T「は」
アグネスタキオン’「客観的に考えてヒトがウマ娘に敵う道理はない。けれども、きみはウマ娘以上の脅威に戦いを挑み続けて こうして生還することができた――――――」
アグネスタキオン’「そこに単純な能力の比較だけでは測ることができない“生命が持つ可能性”があるとは思わないか?」
斎藤T「……何を言っているんだ、さっきから?」
アグネスタキオン’「欲しくなった」 ――――――馬乗りになって狂気を宿した眼で舐めるように見下ろす。
斎藤T「……なに!?」
アグネスタキオン’「なあ、昨晩はきみとはこの襖を隔てていた。もちろん、きみの妹君や
アグネスタキオン’「そして、今のきみは全身が光り輝いた代償にまだ全身に力が入らない――――――」
アグネスタキオン’「まさに“生命が持つ可能性”について実験し放題じゃないか!」ククククッ
アグネスタキオン’「そう、たとえば“特異点”であるきみと私で――――――」
斎藤T「キスがしたくなったのか? わかった、すればいいだろう」ギュッ ――――――目にも留まらぬ速さで抱き寄せた!
アグネスタキオン’「――――――っ!?」カアアアアアア!
アグネスタキオン’「え!? ま、まだ、身体に力が入らないんじゃ――――――」アワワ・・・
斎藤T「さっき押し倒されたら身体が元気になった。たぶん、身体が接触した瞬間にエネルギーの受け渡しがされたんだと思う」
アグネスタキオン’「えええええええええええええええええ!?」
斎藤T「あ、わかるぞ。こうやってお前を抱き締めているともっと元気になっていくのがわかる」ギュッ
斎藤T「動くな。もうしばらく。お前の言う“生命が持つ可能性”の実験だ」ナデナデ
アグネスタキオン’「は、は……」アワワ・・・
斎藤T「なるほどな。だいたいわかった」
アグネスタキオン’「な、何がだい!?」アワワ・・・
斎藤T「お前の中のヒッポリュテーとその中のシンボリルドルフの記憶がそうさせたんだろう?」
斎藤T「望んで得たわけでもない他人の記憶と感覚だが、それで
斎藤T「メアリーの部屋というわけじゃないが、因子継承で得てしまった耳年増の疼きは悶々とさせられるだろうな………………かくいう私も 一生 童貞だったが」ボソッ
アグネスタキオン’「うぅ……」カアアアアアア!
斎藤T「けど、男と女を満足させる方法は肉体的な繋がりばかりじゃないんだ」
斎藤T「それがつらいなら、超科学生命体らしく肉体の疼きを抑えられるように自己を変革してみせろ」
斎藤T「それが怪人:ウマ女からウマ娘に生まれ変わる際にウマ娘の皇祖皇霊たる三女神が課した苦役だ」
斎藤T「いいか、その愛欲の苦しみと向き合っている限りはお前はウマ娘でいられるわけだからな。生の実感は苦楽と共にある」
斎藤T「わかったな?」
アグネスタキオン’「う、うん……」ドクンドクン・・・
斎藤T「さて、卵雑炊だけじゃ物足りないが、まあ ここは美味しくいただくとするか」スッ
斎藤T「うん。たまにはこういう薄味のやつも悪くないな」ゴクン
斎藤T「はい、ごちそうさま。またお願いしたいな」コトッ
斎藤T「それじゃ、行くか」
アグネスタキオン’「あ、どこに行く気だい――――――」
斎藤T「お前も来るか?」
――――――始まりの場所へ。
斎藤T「8月半ばの深夜に
アグネスタキオン’「ここがきみにとっての始まりの場所かい?」
斎藤T「ああ。ここに絨毯ぐらいの大きさの隕石が落ちてきた衝撃で真夜中に叩き起こされて、それで私と妹がものさしを置いて証拠写真を撮った帰りに、怪人:ウマ女に初めて遭遇したわけだ」
斎藤T「“斎藤 展望”が7月に目覚めてから それから半年で何もかもが変わったな……」
斎藤T「まだ残党狩りが残っているし、WUMAの超科学の遺産を悪用されないように処分していく必要があるが、本格的な侵略は未然に阻止することができた」
斎藤T「あの時は夜明け前だったが、今は夜明けを迎えることができているな」
アグネスタキオン’「そうだね。新しい年を迎えることがようやくできるね」
アグネスタキオン’「そして、“斎藤 展望”と“超光速の粒子”の時代の幕開けにもなる」
斎藤T「――――――“
斎藤T「ハッ」
斎藤T「え」キョロキョロ・・・
アグネスタキオン’「どうしたんだい?」
斎藤T「この辺りに何か埋まっているみたいだ。“
アグネスタキオン’「え」
斎藤T「あの隕石はたまたまここに落ちて来たわけじゃない……?」
斎藤T「どこだ? どの辺だ? 近すぎて“
斎藤T「ここに来れば何かあるような気がしていたが、まさか宝探しになるとは……」
アグネスタキオン’「待ちたまえ。それが本当なら、発掘できた未来を視てこようじゃないか」
斎藤T「できるのか? 無理はするな」
アグネスタキオン’「なに、すぐに見つけているだろうから、そこまで負担にはならないはずさ」
アグネスタキオン’「それじゃ――――――」
アグネスタキオン’「………………」 ――――――未来視!
アグネスタキオン’「え、こんなものが……?」
斎藤T「?」
アグネスタキオン’「ちょっとまっててくれ。地中に埋まっているから、今から隆起させる」
アグネスタキオン’「ぬぅううううう!」グググ! ――――――突起の王冠に擬態した角が顕現する!
斎藤T「おお!」
ググググ・・・ボコッ! ――――――サイコキネシスで地面が盛り上がる!
アグネスタキオン’「……やったよ」フゥ
斎藤T「どれどれ、何か光沢が見えるな」パラパラ・・・
アグネスタキオン’「ふぅン? 隕石の落下地点にアタッシュケースなんて埋まっていたというのかい?」
斎藤T「そうか、そうじゃないかとは思ってはいたが、さすがにケイローンでも探しきれなかったわけか」
――――――これが三女神が私に“
アグネスタキオン’「おや、どういうことだい?」
斎藤T「これはケイローンの置き土産ということだ」
斎藤T「やはり、8月半ばの隕石が落ちた衝撃の瞬間に四次元空間に溶けて魂だけの存在になったケイローンはこの世界にやってきたんだ」
斎藤T「そして、肉体を失ってカブトムシになってしまったが、ケイローンが手土産に持ってこようとしていたものも無事にこの世界に運ばれていた」
斎藤T「ただ、このアタッシュケースも四次元空間に溶けてしまったものだとケイローン自身も思っていたわけだし、無事にこの世界に運ぶことができてもどこに転移したか把握できないから――――――」
斎藤T「……そうか。そういうことなのか」
アグネスタキオン’「どうしたんだい?」
斎藤T「帰ろう。家に連れ帰ってくれ。ここでの用事は全て済んだ」
斎藤T「明日には予定通りに船橋市のヒッポクラテアの軍団を支配下に置くぞ」
アグネスタキオン’「……わかったよ」
アグネスタキオン’「それじゃあ、玄関まで跳ぶよ」
――――――時間跳躍!
アグネスタキオン’「ほら、到着。けど、こんな一瞬だけれど疲れを感じるねぇ」フゥ
斎藤T「思った瞬間には到着しているから、本当に1秒もかからないな。ありがとう」
陽那「あ、兄上!? いったいどちらへ行っていたんですか!?」
アグネスタキオン「そうだぞ! 勝手に出歩かないでくれないか!? 何かあったんじゃないかって心配したんだぞ、本当に!」
斎藤T「ただいま。リハビリがてら少し散歩してた」
陽那「リハビリって――――――、昨日まで満足に歩けなかったはずなのに?」
陽那「ハッ」
陽那「いえ、普通に出歩けて、普通に喋ることができるようぐらいに回復したのなら、もう言うことはありません」
陽那「でも、その手にしたアタッシュケースは――――――? 見たところ、かなり土埃がついていて長いこと外に放置されていたもののように見えますけど?」
アグネスタキオン「ふぅン?」
アグネスタキオン「まさか、きみはどこかに埋まっていたアタッシュケースを探しに出かけていたんじゃないだろうね?」
アグネスタキオン「――――――“黄金の羅針盤”に導かれて」
陽那「あ、まさか、ここに初めてきた時の夜に降ってきた隕石が落ちた場所――――――?」
斎藤T「ああ。これはケイローンの置き土産だ。悪用させるわけにはいかない機密情報が満載のトップシークレットというやつだ」
――――――こうして彼は本当の意味で賢者ケイローンの叡智を受け継ぐ者となったのだ。
日進月歩、彼の進化はとどまるところを知らない。身体が動かなくても1日たりとも止まることを止めない。
その勢いは全宇宙の何者もついてくることはできない。まさに“
タキオンは常に光よりも速く移動するので、それが近づいてくるのを見ることは超光速に対応したカメラが開発されない限りは絶対にできない。
たとえば、仮にタキオンで構成された超光速物体が近くを通過した後、観察者はその超光速物体の2つの像を見ることができ、それらは反対方向に現れて去っていく――――――。
つまり、文字通りに光よりも速く駆け抜けていくため、タキオンが通過するまで観測者には何も見えず――――――、
もちろん、物体に反射した光が観測者に届かないとものが見えないという基本原理には反さないが、
通過してからようやくタキオンが到着する様子とタキオンが出発する様子を同時に見ることになるはずなのだ。
そう、計算上ではタキオンは虚数の質量を持つ粒子とされ、虚数は2乗するとマイナス1になるわけなので、観測者は同時に2つの像を矛盾なく目撃することになるとされるのだ。
もっとも、このモデルは非常に単純化したものであり、私たちがものを見続けることができるためには当然ながらものを見る時間に比例するだけの光を受け続ける必要があるように、
超光速物体の始まりと終わりの相反する像を見続けるためには、その時間に比例するだけのタキオンを受け続ける必要があるので非現実的な話とも言える。
裏返すと、私たちの世界は常に“光”で満たされているとも言え、その光さえも失われた世界で満たされるのが“音”になるのは深海のクジラや暗闇のコウモリの生態を見れば明らかである。
しかし、もしもタキオンを無限に受け続けることができたのなら、超光速物体が動き始めた最初の時点から現在に至るまでの像を見続けることができることになる――――――。
そう、この二重像効果の理論によって、『光を超えることで時空を超えることができる』という理屈が生まれたわけである。
それと同じように、彼は一日たりとも休んでいない。休んでいるようで動き続けている。それも常に想像を遥かに超える勢いで。
――――――それこそまさしく超光速物体が通り過ぎた後の残像のようだった。
私はそのことを特に『有馬記念』からの年末最後の1週間で身に沁みるほど感じることになった。
彼からすれば2周目の年末1週間であるにしても、呆気にとられて完全に置いてきぼりを喰らった気分を私はこの1週間で何度も彼に味わわされたのだ。
まだミホノブルボンの『東京大賞典』、トウカイテイオーの『有馬記念』、クリスマスイブ、トレセン学園の終業式と会長の引退式があって、全身が光り輝いた代償に療養を余儀なくされた彼の実家にお邪魔したのが昨日なのだ。
それが昨日まで満足に身体を動かすこともできなかったのに、夜明けになったら彼は平然と外を出歩いており、まるで計画通りだと言わんばかりに翌日には船橋市をWUMAの残党の脅威から解放すると言うのだから――――――。
それぐらい、彼は速かった。もちろん、ウマ娘の脚にヒトが勝つという意味なんかじゃなく。
気づいたら どんどんどんどん私の知らない領域へと駆け上がっていく彼の存在が今ではとてつもなく遠くに感じてしまっているのだ。
同じ感想を彼の最愛の妹も抱いたはずだ。そして、誰よりも一番身近な存在のはずの
それはあまりにも鮮烈なまでに孤高であり、そのことに対する言いようのない焦燥感が私の中に芽生えたのを今でもはっきりと思い出せる。
けれど、それはウマ娘の闘争本能を燃え上がらせるような競争心を煽るものではなく、『有馬記念』の終わりにひっそりと見送った“皇帝”の背中と同じもの――――――。
――――――そうか、“斎藤 展望”という王者を知る者もまた王者というわけなのか。
ようやく合点がいった。これは会長が欲しがるわけだ。私に嫉妬するわけだ。
そのことを理解できたのなら、私もまた期待の裏返しに応えて 待ちに待ったこの時を“超光速の粒子”となって駆け抜けることにしよう。
それが“超光速の粒子”を冠した異世界の英雄の魂をこの身に宿したウマ娘:アグネスタキオンの宣誓だ。