前回の倍くらい文があります。
どぞー
キングと共に練習する日々が四カ月ほど続いた。
……端的に言って、彼女が目指す一流とは、僕の想像を遥かに凌駕するレベルの頂上だった。
そもそも、事の発端は彼女の母親であるウマ娘の話になる。
母親は、ウマ娘に疎い人ですら知っているほどの有名人であり、正しく一流の存在だった。出るレースにライバルが居なければ一着を獲り、仮にライバルがいたとしても上位五名には必ずいる。着外だった事など数える程度しかない。そんな人物だ。
更に、一線を退いてからはウマ娘の勝負服をデザインする職に就きその頭角を現した。誰もが見ほれる見事なデザインは、今では勝負服のデザイナー界になくてはならない存在とまでなっている。
結果として。娘であるキングヘイローに付けられたのは[あの一流ウマ娘の娘]という渾名。
彼女はそれが我慢ならなかった。
だから彼女は自分の在り方に満足がいっていない。[あの]と付くのが堪え難い。
キングヘイローが目指す一流。それは偉大なる母を超え、同じ[あの]だとしてもその渾名が付けられるのは母親の方だと証明する事だ。
ならば必然的に母親の功績を超えなければならない。
それに最も近道なのはクラシック三冠と言われる[皐月賞][日本ダービー][菊花賞]への出走であり勝利。
最初の三年間で成果が出さなければ担当を下ろされてしまう僕が目指す当面の目標だ。
そんな彼女が最初に走るのはジュニアメイクデビューと呼ばれる、ウマ娘達が最も最初に走る公式戦。名前の通りのデビュー戦。
ここを走るのは当然まだ一度も公式レースで勝利した事がなければ出走した事もない娘だけで、条件は基本的に五分。
差があるとすれば、ウマ娘の素質もそうだが、間違いなくトレーナーの力量だろう。
如何に優れた能力を持つウマ娘でも、才能を十全に発揮できる土台を作れなければ宝の持ち腐れ。トレーナーがすべきはその土台をより強く、より高くしてあげる事だ。
と、言うよりも。
つまるところ、トレーナーである僕にできるのはそれだけだ。
実際に走ったり、トレーニングしたりするのはウマ娘であるキングだし、ターフに立って戦いの圧を感じるのも彼女だけ。
僕はそこに至るまでの彼女のコンディションを心身共に百パーセントにするのが仕事であり、絶対的な使命だ。
……使命なんだけど
「さ、トレーナー。今日のトレーニングを……」
「…あのさ、キング」
「……何かしら」
十分ほど前にトレーナー室に現れ、僕の集めて来た同期のライバル達の資料を見ていたキングは時間を知らせるように話しかけてくる。
確かに、もう数分もしないうちにトレーニングの時間だ。向かう先はどこであれ、そろそろ動き出したほうがスケジュールのズレなく行えるだろう。
しかし、今はその時間を少し繰り越さなければいけない。
「そのお腹、どうする」
「ギクッ」
僕の専らの悩みの種であるキングのコンディション・太り気味。
……いや、あえて言い切らせてもらうなら、デブっ腹だ。
「し、仕方ないでしょう!みんな私にお菓子を献上してくれるんだもの……」
今はまだ制服の彼女はそのぼってりとしたお腹を隠すように裾を伸ばすが、しかし丈が足りない。
本当なら隠されるべきツルテカ肌色の可愛らしい少女のお腹は僕のような汚れた大人の眼に触れてしまっている。
「……あのね、キング。確かに僕は『みんなに親しまれているんだな』って言ったよ。けどね、それは[無限に甘い物を食べていい]って気持ちの裏返しじゃあないんだ」
回りくどい言い方なのは分かってる。けれど、いくら一ヶ月半後にレースを控えているからと言って彼女は女の子だ。真正面からお腹のことを言えばどんなに体調を崩すか想像もできない。
「うっ……で、でも、貴方の考えるトレーニングは結構ハードだからすぐ……」
「それ先月も言ってるからね!?」
「うぅ……。精進、するわ」
そう。困った事にこの体型は先月から引き継がれているモノ。
当初僕も反応に困り、見て見ぬ振りをしていたのが良くなかったのかもしれない。
どうせこれだけのトレーニングをするんだから、すぐに痩せるだろう、と、たかを括ったのもやっぱり悪手だったに違いない。
なにせその結果がこのお腹なんだ。今更遅いかもしれないが、食事量などに影響が出る前に対処するべきだろう。
同期のスペシャルウィークや先輩のオグリキャップなど、沢山食べるウマ娘を担当しているトレーナーの苦悩を知っている以上は。
「……行こうキング」
「と、トレーニングかしら?」
「保健室」
「げっ…それは、ちょっと……」
「いいから!行くよ!!」
「はぁい……」
体調不良に怪我。
ウマ娘にとってのバッドコンディションをまとめて診てくれるトレセン学園の施設・保健室。
ここに行けば肉体的な治療だけでなく現状から割り出した心理的治療もある程度までは行ってもらえる優れた場所だ。
今回彼女が診てもらうのは幸いにも体型のことのみ。
トレーナーとしての知識はある僕だけどダイエットの……特に女性の事ともなれば専門家に指示を仰ぐ他ない。
「言っておくけど、保健室で案内された事は全部やるからね」
「…分かってるわよ」
そしてその効果は絶大であり、殆どの場合半月で元のコンディションまで体型を戻せるのだ。
実績はスペシャルウィークで知っているので、キングも文句は言わないだろう。
「うぅ…結構辛いって話なのよね……保健室ダイエット」
「食事制限が嫌なら次から気をつけようね」
「はい……」
いつもはピンと張ってる両耳を垂れさせて返事をするキング。
その後、直ぐに保健室へと行き徹底した食事制限表を貰って萎れたキングと少し遅めのトレーニングを開始した。
ーーーー
時は過ぎ、ジュニアメイクデビュー当日。
「おーっほっほっほ!みなさい!!この完璧なコンディションを!!」
キングは見事、太り気味を解消して元の体調に戻り、その上で絶好調と言っていい調子になっていた。
「苦節一か月と半分……。隙あらば取り巻きーズがプレゼントしようとするお菓子を奪い取った甲斐があった……」
今僕らがいる場所はレース場の中にある出走するウマ娘用控室。
キングヘイローのトレーナーである僕も、ここで彼女がターフへと向かうまでの間一緒にいることが出来るので、レースが始まるギリギリまでここで彼女のサポートをするつもりだ。
「えぇ、貴方には苦労を掛けたわね……お陰で、キングの代わりにこんなお腹になってしまって……」
などとは思いつつ、今の僕に出来る事はもうほとんど何もない。
「次は、貴方のダイエットね。トレーナー……」
出来る事があるとすれば、そう。彼女がレースへと向かう時、激励の言葉を……
「トレーナー!!」
「……なんだい、キング」
試合前に感じる独特の緊張感の中、キングは急に僕を呼ぶ。
「今日のレースもいいけど、その身体、何とかするわよ!!!」
「……あぁ、そうだね」
要件はわかってる。
キングのダイエットに付き合い、彼女の元へと市販のお菓子を持ってくる取り巻きーズや、手作りのお菓子を持ってくる他のウマ娘達から庇い、腐らせてはいけないと食す事で得たこの身体。
ポンと張り詰めたこの憎き脂肪の塊を、僕は撫でるしかできない……。
「……はぁ、全く。レースが終わったら学園まで歩いて帰るわよ。付け焼き刃でも無いよりマシでしょ」
「で、でもキング。君は疲れてるんじゃ」
「バカね。いずれ三冠を獲るこの私が二千メートルもない距離を走った後に歩けない筈ないでしょ」
「とは言っても…」
今日彼女が走るのはマイルーー千六百メートル。
人間で考えてみればきちんと訓練してなければ不可能な距離だが、ウマ娘たちにしてみれば2番目に短い距離。恐らく適正の合わない娘でも走り切ることは可能だろう。
しかし、勝負という場で全力疾走を終えた後にここから駅まで歩いていくのはウマ娘とは言え厳しいだろう。
……なにせ、学園最寄りの駅まで一本で行ける電車の来る駅に行くには徒歩で一時間はかかるんだから。
心的・肉体的に疲労したキングが更に一時間も歩くのはクールダウンだと言い訳しても流石に時間が長い。考えたくは無いけど事故が起こらないとも限らないし、許可を出すには不安材料が多すぎる。
なにより、僕の体型を気遣ってというのが特に問題だ。
「……だったら」
いろんなことを言いたいが今はレース前。妙な発言で彼女の集中力を切らしたくは無いのでただ黙っていた僕に、キングはポツリと呟く。
「そんなに心配ならその目に焼き付けておきなさい。私が誰で何を目指してるのか。今日のレースを見ればこのくらいの申し出、なんて事ないのがわかるはずよ」
それは、なんというかーー
「……なんてちょっとわがままかしらね。貴方は私のトレーナー。不慮の事故も想定して渋っているのだとしたらそれが正しいわ。ごめんなさい」
「キング…」
「いいのよ。どちらにしろ私は勝つから。歩いて帰るかはレースが終わってから決めてもいいしね」
「あ、まっ……!」
キングはそう言い残し、開始時刻残り数分となった時計をチラリと見ると部屋を出て行ってしまった。
「……なにやってんだ僕は」
あれは、キングのあの口振りは、僕に信頼されてないのが分かったから出てきたモノだ。
そして……。
「情けないトレーナーだ。僕はまだ、彼女を信頼し切れてない……ッ!」
それは事実だった。
ーーーー
全てを通してたった一時間で終わったキングヘイローのデビュー戦。
彼女は宣言通り、一着を獲ってセンターで踊った。
着差は二バ身。デビュー戦としては申し分のないバ身差で、彼女の素養の高さを改めて実感した。
その後に行われた、勝利を祝しファンに感謝を伝えるウイニングライブ。
そこでの彼女の振る舞いは間違いなく一流で。
[キングヘイロー]というウマ娘のトレーナーである事に誇りを感じた瞬間でもある。
だからこそ、あの一時間前の出来事がどうしても許せなかった。
「キング、おめでとう。流石だったよ」
「当然でしょ。だって私はキングヘイロー。全てのウマ娘の頂点なんだもの」
帰る道すがら、僕は彼女の事を褒める。
それを受けキングはやっぱり普段の様子と遜色ない返事をして、僕の方を見た。
「で、結局良かったの?歩きで帰って」
「うん。せっかくキングが僕を気遣ってくれたんだ。甘えない手はないからね」
「…ふーん」
訝し気に小首を傾げて見つめてくるキング。
それはそうだ。あれだけ酷い扱いをしておいて急に『甘える』だなんて、面の皮が厚いにもほどがある。
……だから、僕がする事は一つだった。
「ごめん、キング。僕は君の事を信用しきってなかった」
「………」
今まで僕が思っていた事を素直に話す。ただそれだけだ。
「君の言う一流に疑いがあるわけじゃない。僕自身、一流トレーナーを名乗る事に不安があるわけでもない。けど、僕は君の適性や脚質、それにトレーニング方法を、今のままでいいのかって思ってしまっていた。だからあの申し出を素直に喜べなかったんだ」
「…………」
「でも、違かった。君には間違いなく三冠を獲れる素質があるし、その末脚があるなら塊に呑まれやすい差しでも何の問題も無い。トレーニングだって、今日ちゃんと成果が出た。
だから、はっきり言う。あの思いは全部僕の弱気が招いた杞憂だった」
「……それで?」
「……うん。僕は君を信用している。どこで、どんなレースに出たって何の問題も無い。必ず勝つ。それに君はきっと丈夫だ。怪我なんて絶対しないし、させない。何があっても万全の状態でレースに臨ませてみせる」
感情の吐露をキングはただ静かに聞いてくれた。
きっと言いたいことだってあっただろう。
だって、自分を信用してくれてない相手の事を信用してくれる人なんて存在しない。キングにも言いたい事が幾つもあったって不思議じゃない。
けど、彼女は口にしなかった。
「そう。なら良かった。この私が信頼してあげてるんだもの、そのくらいは言って貰わないと困るわ」
彼女は微笑んで、僕の吐露を受け入れてくれた。
「……ありがとう、キング」
「えぇ、もっと感謝なさい。だって私は貴方に三冠をプレゼントするキングヘイロー。いくらしてもし足りないわよ?」
立ち止まり、いつものように高笑いするキングヘイロー。
その姿に光が帯びて見えたのは、きっと沈みかけの夕陽を背負っていたからだけじゃない。
「よし、そうと決まれば次のレースだ!一冠目の模擬戦にもなるホープフルステークスの前に、あと二回くらいは経験を積んでおきたい」
「えぇ!良くってよ!二度でも三度でも、何度でも私は勝って見せるわ」
駅へと続く道を行きながら、僕らは今後のレースの指針を決めて行く。
前もって調べて置いた資料を基に、今後のトレーニングのスケジュールと照らし合わせて組み込まれたレースの数は二つ。
どちらも大舞台とは言えないが本命のレースと同じ長さのレースだ。本番を想定したレースと考えれば充分だろう。
そしてキングは、この二つのレースでも実力を遺憾無く発揮し、デビュー戦と合わせて三連勝を勝ち取った。
……そんな彼女が臨むのは年末の大一番。中距離ジュニア級最初のG1である、ホープフルステークスだ。
ーーーー
《さぁ始まりました!中距離のジュニア級最初のG1レースホープフルステークス!司会はーー》
キングヘイローとトレーナーが会場入りして早十分。
想定以上の客入りに際し、誘導員達が四苦八苦しながら観客を案内している。
その理由はとても簡単なモノだった。
「今日のレースやべーよな!何せ三強が出るんだろ!?」「あぁ!お前らは誰応援するよ」
「ねぇねぇ、今日もスペシャルウィークが勝つのかな?」「どうだろ。あんまり目立ったレースには出てないけど、セイウンスカイも強いしなぁ」「え~?やっぱりキングヘイローじゃない?だって、あの人の娘だし!」
観客席に着いた人たちが口々にするのは今期最強と名高い三人のウマ娘の名。
[スペシャルウィーク][セイウンスカイ]そして[キングヘイロー]。
二人の母に日本一を届けたいと言い、その言葉に違わぬ実力を持つ彼女と。
トリッキーなレース展開で見る者はおろか共に走った者まで魅了する彼女。
三連勝で今日に臨み、その血を証明し続けている彼女。
人々はこの三人を呼ぶ時[三強]と称しており、今年初、三人がぶつかる今日のレースを首を長くして待ち望んでいた。
想定を大きく超えた客入りの理由だ。
しかし、この評価に満足いってないウマ娘が一人いる。
「なんっでこの私が『血を証明してる』なんて言われてるのよーーッッ!!」
「ま、まぁまぁ、落ち着いてよキング」
「落ち着けるわけないでしょう!?」
三強の一人、キングヘイローだ。
「どーして二人は純粋な評価なのに私だけ余分なものが混じってるのよっ!説明して!!」
「え、えぇ……。無茶言わないでよ」
「何でよ!!このへっぽこ!!」
ウマ娘兼トレーナー用の控室にて声を荒げるキングヘイローとそれに戸惑うトレーナー。
デビューしてから既に半年が経過した二人は、以前とは見違えるほど逞しくなっている。
特にキングヘイローは脚の筋肉や身体の引き締まりは同じ年にデビューした娘達とは一線を画すと言っていい。スタミナも恐らくは二千五百メートル程度なら無理なく走れる程度には付いているだろう。
それだけの実力が付いているからこそ、彼女は世間の評価が殊更気に入らなかった。
「ふんっ!いいわ。今日のレースに勝って私の方があの人より優れてるって全員に認めさせてあげるわ!!勿論、本人にもね!!」
「そ、その息だキング!」
「当然よっっ!」
鼻息荒く言い放ち、ターフへと続く扉を開けるキングヘイロー。
ほんのり薄暗い道を振り返った彼女は後方から来るウマ娘がいない事を確認する。
ーー……ともかく。大トリでの登場は出来そうね。
深呼吸を一度してから再び歩き出した彼女が踏みしめるは緑のターフ。
何人もの……それこそ、数えるのさえ嫌になるほど多くのウマ娘達が喜びと悲しみの涙を流し、それが染み込んだ場所。
《最後に登場したのは彼女!三強と名高い三人のウマ娘最後の一人・キングヘイロー!!!》
「おーっほっほっほ!その目にしかと焼き付けなさい!!」
大歓声の中を客席に手を振りながらキングヘイローはゲートへと向かう。
「相変わらず派手だねぇ。もっとゆるーく行こうよ」
「ふふ、よく言うわ。負けないわよ、スカイさん」
「ま、お手柔らかにねー」
「キングちゃん、私も負けませんよ!」
「万全の状態で出走出来て何よりだわスペシャルウィークさん。あのお腹じゃ、勝っても嬉しくなかったし」
「ひ、酷いですよキングちゃん!何か月前の話してるんですか!?」
「あら、そうだったかしら?ふふっ。ごめんなさい」
ゲートインする最後の時間、彼女は同じ三強として名を連ねる二人とレース前の談笑を楽しむ。
その顔には笑みがあり、優しさが浮かんでいる。
まるで学園に居る時のような、柔らかな表情だ。
……しかし。
「では皆さん、ゲートに入ってください」
係員の合図が聞こえた途端、彼女の顔からそれら全てが消えた。
今浮かべられているのは緊張と……闘志。
[絶対に勝つ]という、鋼の意志。
《それぞれのウマ娘達がゲートインを終了したようです》
刻々と迫る勝負の時。
勝負の美しさと残酷さを物語る白銀のゲートにてその一瞬を待つ十八名のウマ娘達。
固唾を飲む観客と、最もターフに近い場所で己が担当しているウマ娘の出走を待つトレーナー達。
そうして、意図せず訪れた刹那の静寂の中。
《今、スタートしました》
ゲートの幕は開いた。
一斉にゲートから飛び出した雄達。
同時多発的に踏み込まれ蹴り上げられるターフからは地震とまごう地響きが会場を席巻し続ける。
ーースタートは悪く無いわ。位置も……今はこんなところね。
作戦を差しにしてレースに臨んだキングヘイローはスタートに成功し、中団の外に行き過ぎない位置に陣取っている。
現状の位置は七~十番手。脚を溜めつつ先頭を狙うのなら充分な位置取りだ。
ーースカイさんは想定通り逃げ。スペシャルウィークさんは……あの感じだと先行かしら。
レース最前線にて現状独走をキープしているセイウンスカイの後方四番手に位置取るのはスペシャルウィーク。
二人はバ場を確認しながら進みつつ、後半の仕掛け所を探っているようだ。
ーー仕掛けるタイミングは……今のところ、トレーナーと相談したところで良さそうだけど……。
セイウンスカイが率いる形となっているレースは既に半ばまで到達しており、それぞれがその脚を爆発させるタイミングを伺う状況となっている。
……いや、中には既にスパートの準備に入っているウマ娘もいた。
それは最後方から追っている一人の娘だ。
恐らくは焦りに駆られたのだろう。幾らウマ娘とは言え残り八百メートル強を全速力で走り切れるはずはない。
彼女とてそれは理解しているだろう。しかし、逃げるセイウンスカイの二番手との距離は三バ身。これ以上距離が延びれば追いつけないと判断しての事だろう。
やがてキングヘイローはその娘に抜かれる。
時を同じくして、同様に焦りを見せていた近くのウマ娘の何人かもスパートをかけ始めた。
結果として、キングヘイローは十番手。
彼女より後方にいるウマ娘達はトレーニングに問題があったのか完走を目的とした走りに変わっている。
……つまり、事実上の最後方はキングヘイローとなっていた。
ーーそう、みんなもう行ってしまうの。
前方を見据えたままペースを保っているキングヘイローは次々と前を駆けていくウマ娘達の背を見つめる。
けれど、その脚に焦りは見えない。
その顔に不安は伺えない。
……何故なら。
ーー流石は私達ね。想定通りだわ。
ここまでのレース展開は想定済みだったからだ。
『今回一緒に走るセイウンスカイはあの手この手を使って後ろの娘達を焦らせに来る。大逃げに見せかけた走りもその一つだね』
『えぇ。だから私はそれに乗せられないよう自分のペースを保ちつつ、最後の一瞬に駆ける。……そういう事でしょう?』
『……あぁ。流石キングだ』
故に。
《さぁ最後の直線だ!中山の直線は短いぞっ!!誰が抜け出してくる!?》
ーーここよ!!!!
彼女は、予定通りにその脚を爆発させた。
《キングだ!キングヘイローが後方から一気に抜け出してきた!!》
見事なごぼう抜きを見せキングヘイローはぐんぐんと差を縮めていく。
先にスパートをかけていた娘達は既にスタミナを使い切りヘロヘロの状態。
今彼女が標的に捉えるべきは、ただ二人。
ーーやっぱり来たね、キング。
ーー……負けません!絶対に!!!
共に名を連ねているセイウンスカイとスペシャルウィークのみ。
《やっぱりか!?やっぱり来たぞ!この三人だ!!先頭を往くセイウンスカイ!その一バ身ほど後ろで追うスペシャルウィーク!!さらにさらに!彼女のほんの少し後方で鎌首をもたげているのは!!》
「えぇ!私よ!!!」
《驚異的!驚異的な末脚だ!あれほどの差があったにもかかわらず、キングヘイローは現在三番手!スペシャルウィークの後方直ぐにぴったりと位置取っている!》
溜めに溜めた脚を開放してまくって上がって来たキングヘイロー。
今やレースは、会場に来ていた殆どの人間が望んでいた三強対決と変わった。
ーー負けない、負けないわ!!
車のタイヤの回転もかくやと言わんばかりに駆けるキングヘイロー。
しかしその前を行っているスペシャルウィークはここで仕掛けてきた。
「私……だってぇぇ!!!」
隙間など無くピタリとくっついていたように見えた二人の距離が僅か、僅かずつ離れていく。
無論、それをキングヘイローが許すはずもない。
「あああああああ!!」
会場の歓声にも埋もれない雄たけびを上げ更に加速するキングヘイロー。
開いていた差は微かにだが着実に、狭まりつつある。
それを。しかし、それを。
ーー……もうちょっと余裕持ちたかったんだけど、流石に無理かな。
「なっ」
「えっ!?」
一番手にいて、今や2/3バ身ほどまで差を縮められていたセイウンスカイは、速度を上げた。
「僕だって、負けるのは嫌だからね!」
逃げを選ぶウマ娘の大半は、最初に大きく差を広げておき、後半はその貯金を使いつつゴールを目指すのが殆どだ。
それは言ってしまえば、序盤にスタミナをかなり使ってしまうという事。
だからこそ後半は先に得た余裕を使いながらゴールを目指す。
……のだが、彼女は。セイウンスカイは。
《残り百メートル!だれが抜け出すんだ!?》
ここでスパートをかけて来た。
《凄い、凄いぞセイウンスカイ!縮まっていたかに思えた距離が僅かずつだが確実に広がっているぞ!このまま逃げ切ってしまうのか!!》
「じょ、冗談言わないで頂戴!!勝つのは私よ!この私!キングヘイローよ!!」
尚も猛り、脚を動かすキングヘイロー。
しかし、その咆哮も虚しく。
《ゴォォォォル!!一着はセイウンスカイ!最強と名高い二人相手に見事逃げ切ってしまいました!次いで二着はスペシャルウィークです!》
レースは、終わりを迎えた。
ーーーー
レースが終了して、ウイニングライブの後。
僕は、初めてセンター以外で踊るキングを見た。
「……ただいま。トレーナー」
「お疲れ様、キング。凄い走りだったよ。鳥肌が立つくらい」
「そ。なら良かったわ」
「……じゃあ、あんまり遅くなる前に行こうか」
「そうね」
デビューした日以来、最寄りの駅まで歩いて行くのが通例になった僕らは関係者の人に挨拶もそこそこに会場を後にする。
外はすっかり日が暮れ、街灯が無ければ歩けないほどだ。僕とキングはいつもより少し身体を寄せて歩いていく。
「……あぁそうだ。次のレースの話なんだけどさ」
今日のレースは終わった。
どれだけ嘆いても、三着だった事実は変わらない。
ならもっと前向きに捉えなければいけない。
彼女は、僕の担当するキングヘイローは初のG1で、あの強敵二人を相手取って三着になったんだ。僕らの立てた作戦も役に立っていたみたいだし、今のスタンスで、更に上を目指せば一冠目も夢じゃない。
「これ、一応渡しておくね。皐月賞の前に一つ出ておきたいなって言ってたでしょ?これがその資料なんだ。今朝渡せばよかったんだけど、レース前に余計な負担掛けたくなくて」
「トレーナー」
資料を手渡そうとすると、キングは普段より強く、僕を呼ぶ。
「……そんなの、流石に読めないわよ。後でまた持ってきて」
「え…?」
初めて見せたキングの拒む姿に、一瞬頭の中が白くなる。
「どうし…」
「それ、見て見なさいよ」
言い寄ろうとしたら彼女は……目を逸らし気味に、僕が持ったままの資料を示す。
「……なんだ、これ」
運よく街灯の下で立ち止まれた僕は手元に視線を落として絶句した。
資料を持っている位置が、赤く滲んでいて。
「……ごめんなさい、トレーナー。私はもう、絶対に負けないから。二度と、貴方の手をそんな風にはさせないから」
彼女の言葉でふと気が付く。
僕の右手の平が血で滲んでいた事実に。
ーーああ、そうか。きっと、ウイニングライブの時だ。
そうなった理由は簡単に想像できた。
悔しかったんだ。
センターで踊るキングを観れなかった事が、悔しくて悔しくてたまらなかったんだ。
「……キング」
「なに、トレーナー」
手にしていた資料を手提げ鞄の中にしまい入れ、彼女の名を呼ぶ。
「二度と、僕は君を泣かせたりしない」
「え?」
僕の言葉にキングは不思議そうに首を傾げながら目元に触れる。
「う、嘘。なんで、こんな……」
そこで初めて知ったんだろう。自分が涙を流していた事実を。
「今ここに誓うよ」
気が付いて溢れてきてしまった涙を拭うキングの手を取り、僕は、僕の今後を改めて彼女の前で誓う。
「絶対に君を、あの二人に……ううん。今回は出なかったけど、エルコンドルパサーやグラスワンダーにさえ負けない、一流で、最強のウマ娘にしてみせる。今以上の、一流にきっと」
「……トレーナー?」
「僕の、トレーナー生命を賭けた誓いだ」
初めて知った敗北の味。
けれど、これで覚悟は決まった。
僕は命を賭してでもこの一流のウマ娘を勝たせてみせる。
彼女は『三冠をプレゼントする』と言ったけど、それは違う。
三冠をプレゼントするのは僕だ。トレーナーである僕が、三冠を取れるだけの地盤を彼女にあげるんだ。
そうでもしてあげなければ、今日の彼女の涙に報いる事は出来ない。
「……えぇ、分かった」
知らず知らずのうちに堅く握っていた彼女の手。それが、逆に握り返される。
「なら、私も誓うわ。
決してもう負けない。誰よりも誰よりも、勝利だけを目指して突き進む。貴方と、私の為に。
これが私の誓いよ」
「……キング」
「えぇ、えぇ。だってそれがこの私」
時間の割に人通りの少ない歩道。
向かう駅までは後十五分は掛かる。
その中で、キングはその名を口にした。
「キングヘイローなんだから!」
僕が誇りにする、ウマ娘の名を。
後少しで年が明ける。
新年を迎えればいよいよ三冠を目標にしたトレーニングが本格始動する。
絶対に負けたくない戦いが、始まるんだ。
to be next story.
3話で終わらせると言ったな。あれは嘘だ。
って事で、4話目までやる事になりました。それまでお付き合いいただけると幸いです。
それではまた次回。
さよーならー