青雲、限りなく灰色へ 作:うるち米
「骨折です。治りはしますが、再び走れるかどうか……」
トレーナーにだけは、聞かれたくなかった。故に私は、一人で病院へと訪れる。
足に違和感はあった。昨日のレース、ゴール直前の事だった。
『最後の直線に差し掛かる! セイウンスカイ! 他の追随を許しません!』
その日も私は逃げのレースを見せつけ、最終コーナーを過ぎた辺りで2着とは5バ身程の差をつけていた。
当然、勝利を収めた。あの後に差し切れるウマ娘など、そう存在しない。追込に定評のあるゴールドシップも、その時のレースには存在しなかった。
だがしかし、ゴールする直前の事だった。右足の着地に失敗したかのような感覚を覚える。一瞬、足首が曲がる感覚を覚え、気づけば足の側面で着地していた。
一瞬の事でさすがの私もすぐに軌道修正できなかった。ゴールした刹那、私はその拍子に勢いよく転んでしまった。
『大丈夫!?』
「あはは、疲れただけだよ……」
レースが終わり、ゆっくりと立ち上がる私に、トレーナーは心配そうな表情で駆けよって来る。いや、薄々察してはくれていたのだろう。
だがやはり、逃げウマの着地ミスはかなり痛かった。転んだその後も、中々立ち上がる事が出来なかった。
(……骨折だ)
すぐに悟った。じゃなければ、こんな痛む事なんてないだろうから。それと同時に、逃げウマ娘の骨折というものは結構痛い。治っても、再びあの速さを出せるかどうかなんてものは、希望薄に過ぎなかったからだ。
「……そ、そっかー、やっぱそうだよねー」
「セイウンスカイさん……」
表面上ではいつもの私だ、青空の様に晴れ晴れとした笑顔と能天気さ、だけど内心の私は、限りなく灰色に染まる怪しげな曇り空だった。
次第に霧が現れ、中へと駆け走れば、もう二度と帰ってこられない程にまで濃くなっていく。この後私は、どうするのが正解だろうか? トレーナーに打ち明ける? でも、折角ここまで来たのに、がっかりさせたくない。
重賞で買って、有マ記念に出走して、見事に逃げ切る。これが、トレーナーと誓った約束だった。だがどうだ? この状況で、私がその約束を果たす事が出来るのだろうか?
灰色の私が、青色に染める事なんて出来るのだろうか? 悔しいけれど、答えなんて出てこなかった。
「リハビリ、しますよ」
***
一通り会話が終わり、診察室から出る。
「スカイッ!」
「ット、トレーナー?」
出てきた私を出迎えてくれたのは、私のトレーナーだった。その時の表情は、とても悲しげなものだった。お願い、その表情を見せないで、私まで悲しくなる。
状況を察したのか、はたまた扉越しから話を盗み聞きしていたのか、彼女はそのまま小さく涙をこぼしながら、私をぎゅっと抱きしめてくれた。不思議だ、こんな事、今までなかったのに。
「……大丈夫だよ、絶対に……」
私はトレーナーの胸の中で、小さく泣き声をあげた。スズカと違って、私は中~長距離、中でも長距離が得意なウマ娘であり、かつ骨折したレースも長距離、芝3000m。
ただの怪我じゃすまされない。ましてや体力が切れ切れだった時の骨折なら尚更だった。その次、未来、私が同じような走りが出来なくなることは目に見えていた。
私の視界が、その先が、どんどん灰色に染まっていく。セイウンスカイなんて名前が、眩しすぎる程に。未来が私を祝福してくれない。
――そしてそれは、悲しくも現実となってしまった。
リハビリ明け。
10月 京都大賞典 GⅡ
中距離 芝2400m
6着
12月 ステイヤーズS GⅡ
長距離 芝3600m
9着
絶望だった。
何もかもが、上手くいかない日々のレース。何時しか観客は、私を見てはくれなくなっていた。それもそのはずだ、結果を残せていないのだから。
全力で走ろうにも、心の不安からなのか、視界が狭く、縁が灰色の様に淀んでいる。周囲の状況かまるで理解が出来ない。こんなの、こんなの私じゃない。
周囲のクラスメイトも『大丈夫だよ』『次は勝てる』って、不安になる私へ次々と言葉を投げかけてくるが、そのどれもが私を不安にさせる要素の一つでしかなかった。
ああ、煩い。どこか、どこか遠く静かな所で過ごしたい。何時しか私は、自身をそんな状況にさせるレースの事が……そもそも、走るということ自体が嫌いになっていった。
そしてついに、私は行動に出た。
「……引退するよ」
「スカイ……」
誰が見ても早すぎる終わりだった。それでも私は、後悔なんてしていない。皆が私を見て『速い終わりだ』なんて言っても、別に気にしない。
嫌なレースに出て、勝てなくて、惨めな気持ちをするぐらいなら、いっその事周囲から罵倒されてでもやめた方がマシだった。誰が見てもそう考えるだろう。
トレーナーは、その言葉を聞いて泣きつつも頷いてくれた。きっと私のこの心境にも薄々気が付いていたのだろう。まったく、どこまでも察しが良いトレーナーだ。
その後は引退の手続きも済ませ、簡素に引退ライブも済ませた。僅かな私の応援者は『まだいける』『頑張れ』だの言い、クラスメイトから、特にスペちゃんからは『もっと切磋琢磨したいです』だの言ってきたが、そのどれもが鬱陶しくて仕方がなかった。
これ以上私に、青空を見せないでほしい。私には、曇り空がお似合いだ。青空なんてものは、勝者にのみ見る事が許される景色だ。
ああ、スズカさんなら、こういうときどうしただろうか。私にはわからない。
***
時が経ち、数か月後。
『間もなく、灰音島に着陸します』
乗客の少ない飛行機に揺られながら、私はある島を目指していた。
島民が200人程しかいないという、自然豊かでのどかな島、典型的な田舎とも呼べるような島である。今日の今日まで色々な場所を探してみたが、最終的にこの島へと落ち着いた。
ようやく見つけたのだ、一人でのほほんと過ごせるような場所を。
(どんな所かなぁ)
上空から脱したタイミングで、私は小さく窓を開ける。眩い青の海が広がり、そこには幾多の緑が広がっているこじんまりとした島。
家もあり、畑もある。学校もあるから、子供とかいるんだろうね。あ、池もある、釣りとかできるかなあ。そんな想いを馳せながら、私はうっすらと笑みをこぼした。
その時、ふと後ろの席から声をかけられる。
「おんや珍しい、島に何かようけ?」
「うわっ……えっと、しばらく島で暮らすことにした者で……?」
「あらそうやったと。島は良か所よ。わたしも島民やけん、どうぞよろしく」
「ど、どうも……?」
これが噂に聞く方言という奴なのか? 初めての事で、ちょっと驚いたが、しっかりと聞けば何となく意味は理解できる。
「あら、おねーさんもしかしてウマ娘と?」
「え、あ、まあ、そうだけど……」
「珍しか客人やね~。島民も喜ぶけん、挨拶したってや」
「も、勿論だよ……ははは」
これが、私と島民の、ファーストコンタクトだった。
方言ムッズ