今朝の雨が、湿気となって充満する龍明。
郊外ほどではない住宅街と、時計の針が正午を迎えようと秒数を刻む空間。
遠出として、見知らぬ地域に踏み出したそれら人物。一人の男が晴れた天気に手をかざしていくと、波打つ雲へとぼやくように喋り出した。
「それにしても、多大な被害をもたらすようなモンスターが、超人協会への忖度によって野放しにされているだなんて、ひどい話ですよね」
憂いの声音で遠くを眺める、柏島歓喜。その前を歩く葉山ユノは、凛々しく腕を組む様子を見せながら、眼差しは真っ直ぐと向けられたままだ。
柏島歓喜が続けていく。
「あれですね、タイチさんが言うには、そのモンスターはここ龍明とは“異なる地域の超人協会”で、一人の天才研究者が実験を兼ねて生み出したとされる“人工モンスター”とのことですが……なんというか、人がモンスターを作り出してしまうのもそうですし、そのモンスターが被害をもたらしたという事実を、元凶である超人協会が世間に隠すだなんて……」
空へと向けていた視線を、真正面へと戻していく彼。
「同じ人類としてと言いますか、ヒーロー組織への信頼としても言いますか。地域は違えど、同じ組織に勤めていた者として、複雑な気持ちになりますよ。——今回の事件の元凶である超人協会は、龍明超人協会よりも強い権限を持っている大きな組織みたいですし、そういった上からの圧力によって、龍明超人協会も口出しできずにいる状況というのが、こう、正義とは何なのかを考えさせられますね」
苦笑。呆れとも言えるだろうか。
やれやれといった調子の柏島歓喜。だが、すぐにも彼はやり辛そうに視線を捨てていくと、それを葉山ユノの背へと戻しながら、あることを訊ね掛けていったのだ……。
「……で、モンスターと言えばなんですけど——」
ちらっ。彼は横へと視線を投げ掛ける。
響く足音が、もう一つ。彼女を先頭に歩みを進める存在は、彼に続いてもう一人の”女”という構図を生み出していた。
「どうして、ここ最近とモンスターを連れ出して歩いてるんですか。確かにユノさん好みの女性の容貌をしておりますけど、調べたかぎりではこのモンスター、“アイナ”という名前で多くの男性を惨殺してきた、制裁の対象となる存在です。そんなモンスターを同行させるなんて危険極まりないのに、どうしてこんな——」
柏島歓喜のそれに対し、隣の女ことアイナが口を出す。
「彼女の温情が無ければ、今頃はあなたの温もりも浴びていたんだから。こうして生かされていることに感謝して」
「……人殺しのモンスターが、こうして人の言葉を巧みに操れる知能を持つことに、俺は恐怖しか感じられませんよ……」
ベージュ色の肌で人を装う女に、柏島歓喜は「うへぇ……」といった表情を見せていく。
と、葉山ユノが口を開いた。
「アイナが実害を及ぼすモンスターであることは、私も百の承知よ。それでも、私はこの子が気に入ったの。とてもそそってくる容貌に、私に挫けず何度も勝負を仕掛けてくる負けず嫌いな性格。抱き心地も柔らかくて興奮するし、締まりも良いから責め甲斐がある。——大丈夫よ、柏島くん。もし柏島くんや他の人に手を出したら、私への再挑戦ができなくなるって約束をしてあるから、少なくとも今は、この子は私以外に手を出そうとしないわ」
「バカにしないで。“ゆの”に敗けたつもりは一度だって無いし、いつか絶対にその分厚い筋肉を圧し潰して、ゆのの温かい血飛沫を堪能してみせるから」
「……そういうところが、私をより掻き立ててくるの。その熱烈なアプローチに、お仕事を放棄して今からでも抱きしめたいくらい興奮する」
恍惚。横目ながらも振り返る葉山ユノは、舌なめずりを行って女を挑発してみせた。
そこで、柏島歓喜がツッコミを入れていく。
「まぁ、ユノさんが世間の常識とは異なる世界を大切にしているとして……。——知能の他に、アイナというモンスターは、ユノさんの居場所をいつでも特定できる力を持っているということも、人類にとっては脅威と言いますか……」
彼のそれに対し、女は彼の肩に寄り掛かりながら説明した。
「“あいな”はね、“物体に温かいものを付ける”ことができるから」
「あ、温かいもの……?」
「そう。あの日、ゆのと過ごした夜、あいなは温かいものをゆのにくっ付けた。その温かいものはずっと残るから、それを目印に近付けば、簡単にゆのの居場所が分かっちゃう」
「……要は、ユノさんの身体にGPSを取り込まれたようなもんか……」
知らない単語に女がハテナマークを浮かべるものの、原理を理解した柏島歓喜は余計に憂いな表情を見せていく。
「モンスターが常に横を歩いていることの恐怖って、超人には分からないんだろうなぁ……」
「カッキーは本当、何処に行っても苦労体質だねぇ」
「同じ超人だからって、からかわないでくださいよタイチさん。——タイチさん?」
三人は振り向く。
後ろから、柏島歓喜の肩に腕を掛けていく男。
——桃空太一。そう名乗ってから数日は経過していただろうか。
「タイチさん、いつから……」
「すこーし前から。どーだ、俺の隠密行動は。今も現役だろう」
「タイチさんの忍び足は、忍者よりも
してやったり。そんな表情でタイチは腕を離し、とても興味深げに突っ込んでくる。
「で、何だなんだ。そっちの女の子はモンスターか。やけに物騒なヤツとつるんでいるな、あんたさんら」
「あぁ、ユノさん。どうやらアイナとはお別れのようですね。タイチさんは龍明超人協会の最上位ヒーロー。その実力は、ユノさ——いや、かの
葉山ユノは、タイチを見遣る。
……ほう? 彼女の瞳の、その奥を見透かすかのように向けたタイチの視線。
じきにもタイチはモンスターを見遣っていくと、次にもニヤッと軽い笑みを浮かべたのだ。
「カッキーの買いかぶりは置いといて、生憎と俺は生粋の刹那主義なんだ。すぐ隣に殺人モンスターがいる? あぁ、結構。まぁ、始末しようと思えばいつでも戦闘できる程度には仕上げてきているが、俺はヒーローであると同時にしてな、
パチンッ。軽く指を鳴らしていくタイチ。
「今まで送ってきた過去の記憶や、そう遠くない内に迎えるだろう未来を想像するよりも、俺は、
「……あれですか。それってつまるところ、俺をからかってますよね? ——超人ってどうして、こんな変わった人達しかいないんだ……」
変人に囲まれる状況。もはや人外に挟まれている彼は、逃げるように天井の曇り空を眺めてそんなことを呟いた——
「あの、タイチさん。それで、どうしてタイチさんもここに?」
住宅街を歩く四人。雨上がりの水たまりを踏みつけながら、タイチは前を歩く葉山ユノの背中へと指を差す。
「俺としては、どうしてこの二人が“此処”に来ているのかが不思議でならなくてな。……いや、不思議じゃないか。だって、探偵さんなんだもんな」
「あの、話が見えないんですが……」
「また出たんだ。被害が」
タイチのそれに、葉山ユノは足を止めて振り返る。
「そうなのね。——それじゃあ、私の推測は間違っていないのかも」
「その察知能力、さすがはその道のプロだ。……そうなんだ。各地で起こる、忖度によって野放しとなったモンスターによる被害が、この付近で起きている。俺はそれの調査という名目で足を運んでみたら、偶然とあんたさんらを見つけた。——葉山さん。全くもって手がかりが見つからない今回の件だが、探偵のあんたさんはどう見ている?」
タイチの訊ね掛けに、葉山ユノはこう答える。
「ここ数日における被害状況の中で、それらの場所には共通して“建物とスピーカー”が見受けられた。そこで、被害の状況と現場周辺の動向における特徴や周期を調べ上げて、次の標的とされそうな現場を予測して割り出すことができたから、現場検証も兼ねて現地に赴いてみたところ、貴方と邂逅した。ってところかしら」
「鋭いな。いや、『面白い』ぞこれは」
興味深げ。顎に手を当てながら感心するタイチ。
「俺は、この付近にある被害の現場に向かう最中だった。でも、あんたさんは此処を、次の標的として睨んでいる。ってことなんだよな? ——じゃあもしかして、その犯人となるモンスターも、あんたさんは既に見当がついている……?」
「いいえ、全く」
キッパリと即答する葉山ユノ。
「見当はついていないし、何なら、犯人像も思い浮かばないわ。でも、それこそが、今回の犯人像なのかもしれないわね」
「?? どういうことなんだ?」
「思い浮かばない。見当がつかない。つまり、目の前に情報が無いこと、それこそが今回の犯人の姿なのかもしれない」
…………走る沈黙。考え込む様子のタイチは、少ししてうかがうような目を彼女へと向けた。
「……“見えない”、のか」
住宅街の一角を見遣るタイチ。
……建物が建ち並ぶ光景と、それに馴染むよう取り付けられた野外スピーカー。その口が不気味にも思えてきたタイチが息を呑み込んでいくと、その隣にいたアイナは、じっと、聞き耳を立てて“それ”を呟いた。
「…………“来る”」
……?
柏島歓喜は、女を見遣った。
と、次の瞬間、女は柏島歓喜へと抱き着いてきたのだ。
「うわっ——ユノさ、殺される」
「違う!! 今あなたに死なれると、噴き出す温かいのを浴びれなくなっちゃう!!」
女を引き剥がそうと、咄嗟に動いた葉山ユノとタイチ。
だが、直後にも叫び上げた女のセリフに、一同が戦慄を走らせることとなる——
「“来る”!! ここに!! 温かいのが噴き出るほどの”ヤバい”のが!!」
瞬間。
——伝う波動。甲高い耳鳴りが襲い来ると同時にして、住宅街は殺戮の舞台へと変貌した。