私の正義を執行する——
女モンスターの亡骸を背に、無言を貫く紅は歩き出していく。
眼前では、音の体を成した姿無き波動のモンスターが、殺戮をもたらしている。それを食い止めるべく、自身の体温を刃へと変化させる能力を持ったヒーローの彼が奮闘するものの、物理を通さないモンスターの身体に苦戦を強いられていた。
「悪いな
今も刃と交わす、波動のような“半透明”の存在。彼が作り出した刃のすべてを透かす身体を伸縮させ、強気な突きの攻撃で彼と空中戦を繰り広げていく。
だが、彼はすでに退散の準備を整えていた。背中から生成した刃の連なりを太陽へと伸ばし、パキパキと立ち上るそれに引っ張られるように、彼の身体がどんどんと上へ向かい出す。
「俺は、急に“見えるようになったヤツ”とあんたさんを、此処に閉じ込める!! ——なに、安心しな。これから展開する刃の巨大ドームは、透明な材質で造り上げてみせるさ。こいつは強度を誇る鉄製の防壁でありながら、外から内部を覗くことができる特別性の刃物。そいつであんたさんと“ヤツ”だけの空間を作り出すから、
散らす刀身の破片。立ち上る勢いで身体を投げ出した彼は太陽を背にすると、逆光となった両腕を広げ、全身から大量の刃を噴出させていく。
瞬く間とパリパリ広がる、刃の波。それがドーム状を描くように地上を目指していくと、着地と同時に彼を中心とした、鋭利ながらも町一つを呑み込む巨大な閉鎖空間を作り出していった。
ドームの外からは、大気を混ぜるよう回されるヘリコプターのプロペラが迫る。数機と集ったそれらから女性リポーターと男性カメラマンが身を乗り出していくと、鬼気迫る表情で現場の様子を説明し始めた。
「我々が連絡を受け、駆け付けた際には、龍明へと侵入したモンスターによる大量殺戮がすでに終わりを告げておりました!! 見渡せば真っ赤に染まる町の中。高度を保つヘリコプターの中からでも、地上の悲鳴が聞こえて参ります。もはや、惨劇と呼ぶに相応しいモンスターの侵略。それも、発展した龍明の町並みのみが綺麗に残されている光景から、ここ数日と被害が報告されていた謎の虐殺事件と関係があることを予想できます! ——犯人の正体は、紛うことなき残虐無慈悲なモンスター! そして、その悪逆非道を平然と遂行するモンスターに今、超が付く名だたる二人の英雄がまさかのタッグを組んで立ち向かっているのです!!」
……優れた聴覚を持つ紅。その聴力を以てしても、外界の音は刃に弾かれ籠る音しか拾えない。
対象を前にして、足を止めていく。——向かい合う仇。透明を保つ機能を無効化されたことによって、温もりを感じさせる太陽のような橙色のモヤをまとった“それ”が、浮き彫りとなりながら紅と対峙した。
音という正体でありながら、モヤは微かながら、首の長い四足の竜を象っている。
人工モンスター。そううかがっていた話と情報を照らし合わせた紅は、その姿が、人類が認知する生物を模していることから確信した。
……沈黙が走る空間。音をシャットアウトされた無音の町並みに残され、“それら”は互いに睨み合う形でその場に留まり続けるばかり——
——と、音波が伝った町の表面。瞬間にも伸びるモヤと共にして、伸縮する音の身体で突きの攻撃が繰り出された。
目に見える。
首と上半身を逸らし、擦れ擦れで回避する紅。突きを掴もうと空を掴まされた右手は、そのまま駆け出して拳による殴りつけへと移行する。
速い。ヒーローの彼が背にいた状況よりも、あからさまに上昇した速度。音速とも呼べる紅の接近に“それ”は対応もままならないが、繰り出された拳の一突きは空を切らせる形で、攻撃を凌いでいく。
そこから、大気を殴りつける高速の殴打が繰り出された。
大気が目に見える形で凹んでいく、柔らかいクッションを殴りつけるかのような白い窪み。透明な空間が歪な形を象り始めると、明らかにその部分だけ歪んで見える目の錯覚と共にして、紅は〆の一発を“それ”へと突き出していく。
だが、“それ”は全身から強力な波動を放出した。
常人であれば、爪すらも残すことを許されない震動。これを以てして大量の生物を破壊し尽くした攻撃で、紅は足を着きながら後方へと吹き飛ばされて地面を滑っていく。
だが、すぐにも接近を試みる紅。そして空を切るばかりの豪快な空振りを何度も何度も繰り返すことで、捉え切れない透明の身体を、凝りもせず何度も何度も殴打し続けるのだ。
どんなに唯一無二の剛腕を有していようと、その物理攻撃を透かしてしまう無敵の身体。紅の攻撃に混じって突きの反撃を繰り出していく“ヤツ”の攻撃を、紅は間近に避けながらひたすらと拳を浴びせ続けていく。
あまりにもゴリ押しすぎる。ドームの天井から見守るヒーローの彼が息を呑むと、次にも紅の大振りな殴りを見計らった“ヤツ”の、破壊の震動を乗せた渦巻く突きが紅へと放たれた——
——ここだ。
握りしめる右拳。瞬間的に、上半身を捻じっていく。
引き絞られた右腕。大気の抵抗をまといながら、遅く、重く、抉るように突き出された、流れ星の如き破滅の一手——
ぶち抜かれる、破壊の震動。渦巻く突きを真正面からぶち破った紅の一撃は、その振動すらも無に帰す破格の攻撃で、眼前の温もり帯びたモヤを跡形も無く吹き飛ばしてしまった。
世界が、二重にも、三重にも、四重にも重なる歪んだ空間。拳の一撃は空間ごと殴り飛ばし、振り抜かれると同時にして、歪んだそれが一瞬ながらと引き伸ばされる錯覚を見せていく。
重なった空間は、複数もの円柱型となって瞬間的に同じ世界を映し出した。
——それが伸び往く先。振り抜かれた拳の一撃が発出される形で、白くも透明にも見える形容し難い衝撃波が、一点に向かって、鋭く、空間に迸った。
パリィンッ!!!!
強度を誇る刃のドームに、穴が空く。
くり貫かれた、荒々しいそれ。その衝撃が遅れて周囲の刃に伝い出すと、次の瞬間にも、ドームを象る刃の防壁は、ほぼ同時のタイミングで一気に粉砕した。
背を向ける紅。——その上空から降り注ぐ、太陽光を反射する散り散りな欠片の雨。
なびく真紅のコートに、遮断されていた外界の光が、破片のキラキラと共に射し込む煌びやかな空間。
粉砕と共に上空を落ちるよう身を投げ出した彼は、そんな地上の紅を目にして黒色の瞳を光らせていた。
「物理で殴れないんなら、空間ごと殴りつけて、音という概念さえも吹き飛ばしてみせるってところか? ——何だなんだ、そりゃ。こりゃとんでもない脳筋お化けが現れたもんだな」
『面白い』。ニヤっと不敵な笑みを見せた彼は、今も視界の中央で静かに佇む紅に大いなる期待感を寄せていく。
紅は、降り注ぐ刃の破片を呆然と眺めていた。……いや、“彼女”は、この破片の先にある大空を見据えていたのかもしれない。
自分を追いかけるために与えてくれた温もりは、たった今、この手で概念さえも吹き飛ばしてしまった。だが、それとは異なる温もりが、今も、“彼女”の胸と記憶に残り続けている。
もう、触れることも叶わない柔肌。それを噛みしめるようガントレットを握り締めていくと、その手を胸の前まで持ち上げて心臓の高さに合わせていき、そして、遥か彼方の大空に向かって、“彼女”は、自分なりの愛と正義を込めた敬礼を行いながら暫しと佇んだ————