通勤ラッシュを迎えた、朝の龍明。探偵事務所前の道路が車で渋滞する光景と、そんな様子を他所にして朝食を完成させた柏島歓喜は、鍋に溢れんばかりと煮え滾る具沢山のミネストローネを小皿で味見していく。
「よし、こんなもんか。ユノさんはああ見えて大食いだし、正直これで足りるかどうかは分からないけど……少なくとも、味はたぶんユノさん好みのかなり濃いトマトスープになっただろうし。我ながら、九十点ってところかな」
ピンク色のエプロンが相変わらず似合う柏島歓喜。外から鳴り響くクラクションにも一切と気に留めないまま、彼は二人分の器にミネストローネを移してテーブルに乗せていく。
その間にも、テレビからは朝のニュース番組が流れていた。それへと向けた意識と視点が、液晶に映る一つの映像を捉えていく。
先日にも猛威を振るった、音の姿を象る透明モンスターとの戦闘。中継のカメラから切り抜かれたその映像には、龍明超人協会が誇る最上位ヒーローの美青年『タイチ』と、流浪の救世主としてその素性を隠した謎の英雄『
『それにしても、我々が想定し得ない奇跡のコラボを、彼らは見せつけてくれました! 姿も捉え切れない無敵のモンスターに立ち向かったのは、“
興奮冷めやらない。そんなサマで語る番組の出演者達を、柏島歓喜は眺め遣った。
……すぐにも、事務机に脚を乗せながら、ご機嫌よく鼻歌を奏でる葉山ユノへと視線を投げ掛けたものだが——
「ユノさん。ユノさーん。ご飯が完成しましたよー」
声を掛ける柏島歓喜。だが、彼の声は彼女に届かない。
赤と黒のヘッドフォンを装着している葉山ユノ。スマートフォンから好きな曲を聴きながら鼻歌でハモる彼女だが、その鼻歌はサラサラと透き通る心地良さを感じさせることから、耳にする周囲の人間は煩わしさどころか聞き惚れてしまうことだろう。
柏島歓喜の手を振るサインで気が付いた彼女。それを受けて、葉山ユノはヘッドフォンを外しながら立ち上がった。
「あら、とてもイイ匂い。煮込んだトマトの熟れたような香り。私、大好き」
「ユノさんって、トマトやリンゴが大好きですよね。赤色の果物や野菜、あと赤身のお肉やお刺身なんかも。……あぁどうぞ、こちらに用意してありますから」
テレビの音量を下げていく柏島歓喜。その脇で葉山ユノはいつもの席に着いて、ミネストローネに手を合わせていった。
柏島歓喜も彼女と向かい合うよう席に腰を掛けていくと、それにしてもやけに上機嫌な葉山ユノの様子にそれを訊ね掛けていく。
「随分と気分が良いみたいですが、そんなに、二日ほど前の夜に良いことがあったんですか?」
「えぇ、とてもイイことがあったわ。——思い出しただけでお腹がキュンキュンしてくるくらいの大豊作が、ね」
「豊作で、お腹がキュンキュン……? 夜食か何かですか? まぁ確かに、普段口にしている食べ物でも、夜分遅くに同じものを食べると、何だかやけに美味しく感じたりしますよね」
「えぇ、そうね。まったく、その通り。それも、夜遅くに食べる新鮮なディナーのフルコースは、どんなに身体に悪いと分かっていても病み付きになってしまうものよね。ウフフ……」
「?? 新鮮な食材であるのなら、あまり気になさらなくてもいいんじゃないでしょうか? ジャンクフードとかじゃないのなら、身体に悪そうなのは夜更かしくらいだと思いますし」
「貴方って本当に、真面目くんよね。ピュアとも言えるのかしら。フフ……」
??
なんか、話が噛み合っていない? 不思議に思う柏島歓喜は、恍惚な表情を見せる葉山ユノに首を傾げていった。
と、気が抜けた瞬間を突くように鳴らされた、探偵事務所のインターホン——
——ピンポーン。
立ち上がる柏島歓喜。だが、そんな彼を静止するように、葉山ユノもまた立ち上がる。
「私が出るわ。柏島くんは朝食を済ませておきなさい」
「え? いえ、俺が出ますよ」
「いいえ。貴方には今の内に、腹を満たしてもらいたいもの」
指を差す葉山ユノ。その先に置かれた柏島歓喜のミネストローネと、無意識に見比べるよう視界に映った、対面の席に置かれた空っぽの器……。
も、もう食べたんですか……。
内心で訊ね掛ける柏島歓喜。そんな彼を差し置くように玄関へと向かった葉山ユノは、開けた扉の先で待っていた三名ほどの存在を出迎える。
高校の制服姿で訪れた、チャラい雰囲気を醸し出す不良女子生徒達。皆がどこかもじもじとした落ち着かないサマで視線を逸らしながらも、対応する葉山ユノへとセリフを口にしていく。
「お、おねえさん。あ、朝早くにごめんなさい……。その、おねえさんに言われた通りの情報を集められるだけ集められたから、その、今ある分の報告だけしちゃおっかって、みんなで話し合って……」
「それでわざわざ、ここまで来てくれたの? ありがとう、可愛い子猫ちゃん達」
喋った女子生徒の顎に手を掛ける葉山ユノ。そして顎をクイッと上げていくと、恍惚な頬の赤みと中性的な王子の表情で、ゆっくりと顔を近付けていく。
モーニング・キス。手で前髪を掻き分け、額に跳ねた彼女の唇。鳴らした音が少女らの鼓動を速めていく中で、葉山ユノは玄関でそれらの情報を記憶していった。
「よく、ここまで調べ上げてくれたわね。下手したら危険な目に遭いかねないハイリスクな私のお願いと期待に、貴女達は勇敢にも応えてくれた。そして見事、任務を成し遂げてみせたの。——ありがとう。本当に、ありがとう。このお礼はいずれ、どこかで埋め合わせしないとね」
そう言うと、葉山ユノは一人の女子生徒の頭を愛撫し、もう一人の女子生徒には抱擁を交わしていく。そして残る一人の手を取って、その甲に口づけをしていくと、三人の照れ顔を眺めながら柔らかく微笑んでみせた。
「貴女達の好きなシチュエーション、今でも鮮明と覚えているわよ。……そうね。じゃあ今回の埋め合わせとして、都合の良い日にでも、より親密な親睦を深めるためのプライベートな時間を設けましょうか。——それも、一人ずつ。より、お互いの気持ちと身体を埋め合わせることができる、二人きりで過ごす濃密なプライベートな時間を、ね……?」
唇にあてがった人差し指。ナイショのジェスチャーに不良の女子生徒達は顔を真っ赤にしていくと、別れの挨拶を告げるなり逃げるように探偵事務所を去っていった。
鼻歌を奏でながら事務所に戻る葉山ユノ。そこで、朝食と支度を済ませた柏島歓喜が訊ね掛けていく。
「いつでも出られますよ、ユノさん。……それで、先ほどの子達は一体?」
「あら、準備がいいのね。だいぶ探偵の助手らしくなってきたじゃない。それでこそ柏島くんってカンジ」
「は、はぁ……」
上機嫌な彼女に柏島歓喜は言葉を詰まらせるが、すぐにも彼女の口から答えが返ってくる。
「彼女達に、今受けてる依頼の調査をしてもらったの」
「今受けてる調査、って……最近とこの辺で増えてきている、大量の高校生が不審死している事件のことですか?」
「そう。元は、龍明西高等学校に通う娘さんを持つ依頼主さんから、例の事件の犠牲となったその娘さんの仇を討ちたいというご依頼を受けて、犯人を探し当てる行方調査の名目で色々と調べていたものだけれども、この事件の真相を探るには、より身近な存在に頼ることが解明の近道だと踏んだワケ」
「それで、先ほどの子達に調査を任せていた、と」
「具体的には、彼女達に学校内で聞き取りを行ってもらった。何の偶然かは分からないけれど、事件の犠牲となっている学生達と同じ学校に通う生徒なものだったから、なおさら好都合だったわ。私や柏島くんが学校に侵入して聞き取りするワケにはいかないし、じゃあ登下校で道行く生徒に事情聴取をしようものなら、警察でもヒーローでもない私達は、この事件で神経質になっている学校関係者やヒーロー関係者に目をつけられて、怪しまれることとなる」
準備は万端。そんな決め顔で葉山ユノは佇むと、次にも腕を組んで、それを言い放っていった。
「今回、彼女達の協力あって、この事件の犯人であろう存在と接触した“証言者”とアポを取ることができたわ。——事件の関係で、今日は午前で学校が終わるみたい。そのタイミングを見計らって、私達は証言者と合流する予定になってる。……今すぐにも、現地へ赴くわよ。ついでに周囲の警戒や巡回も兼ねた張り込みもするから、時間に余裕を持って行動していきましょう」