陽が落ちた龍明に点々と明かりが灯る、至って日常的な様子の住宅街。その一部分として明かりを灯す住居の中で、制服姿の少女は二階からリビングに降りてくるとテーブルの席についていく。
平均的な住まいの光景。晩ご飯の時間として三人が集うこの空間には、少女の他、厳つい顔をした中年の男女が並んで食事を行っている。
彼は細い目つきで少女の姿を見遣っていくと、口角を歪めながらそんなことを訊ね掛けた。
「なんでまだ、そんな格好をしているんだ」
床に響くような低い声。箸を止めて睨むよう見つめる彼に視線を向けられ、少女は一切と視線を合わせないまま適当に返していく。
「別にいいじゃん、アタシがどんな格好をしていても」
「学生服は普段着なんかではないんだぞ。余計なシワがつくから、今すぐ脱ぎなさい。それと、そんなだらしない着方をしていると学生服が可哀相だろ。せっかくの制服なんだから、もっときちんと着こなして——」
「わかったわかったわかったわかった」
「おい、真面目に聞いているのか菜子」
うんざり。嫌な顔をしながら何度も頷く少女。彼の言葉に「わかってるから」と返してだんまりを決め込み、その間にも降り注ぐ彼からの説教をシャットアウトしながら、箸を進める手と、ここ最近と巡る脳裏の記憶に意識を向けていく。
美人でカッコいい、女として憧れる要素しかない完璧な探偵お姉さん。と、その助手でイジり倒すのが面白い、タメ口があまりにも下手な万能お兄さん。
出会ったばかりの二人と過ごした日々。今でも鮮明に思い出せる、交わした言葉の数々。すごく久しぶりに感じることができた、生きている中で生じる『楽しい』の体験——
……あの二人に会いたい。今すぐにも……。
離れているだけで寂しくなってくる。恵まれない環境に身を置いてきた人間として感じてしまう、人の温もりを強く求めてしまう依存の傾向。
シャットアウトする空間の中で、少女は今にも泣き出してしまいそうな表情を無意識に浮かべていった。……尤も、周囲も恐怖で慄く歪の表情を見せていたものだが——
「モ、モンスターの襲来だって……っ!?」
彼の声で、少女の意識は現実に戻ってきた。
食事中のテーブルを揺らす彼。座っていた椅子や周囲のソファなんかを蹴飛ばす勢いで、妻であろう彼女を連れて二人で家の外へと飛び出していく。
……外から聞こえてくる、悲鳴とサイレンの音。少女もまた駆け足で自宅から外に出ていくと、その視線の先、龍明の夜空から地上に干渉する、一つのドス黒い青色の“それ”を遠目で確認した——
——鼓動するよう蠢く、液状の巨大な身体。飛行機と海洋生物のエイを混ぜたかのような形状で空を飛ぶその物体は、液状の翼をゆっくりと羽ばたかせながら、遊覧飛行といった調子で不気味に暗がりを泳いでいる。
だが、“それ”の体内には大量の人間の姿がうかがえた。それも、破損した人間の死体が九割方を占めるその光景。死体が液状の中を漂う衝撃的な光景に加えて、“それ”の下半分から地上へと伸びていく無数の触手が、逃げ往く新鮮な人間をひっ捕らえては己が体内へと取り込んでいく残酷な模様が、少女の視界で生々しく展開されていた。
無数の触手の先に送り出された、人間の死体。自身と同じ制服姿を身に纏い、触手からその半身を飛び出していくと、死してもなお“それ”に操られるようその両腕で生きている人間に絡みつき、そのまま触手の液体に引きずり込んで本体へと掻っ攫っていく。
宇宙からの侵略者。その言葉を彷彿とさせる光景。そして、優雅に泳ぐ“それ”が次第とこちらに向かってくる様子に、少女の周囲もまた大パニックを引き起こしながら逃げ惑うのだ。
「痛ッ、いたっ!」
立ち止まって眺めていた少女は、“それ”から必死に逃げようと疾走する周囲の人々に押し退けられた。それも、前方から雪崩のように押し寄せてくる人の波にどんどんとぶつかられ、少女は押し出されるようにしながら波に呑まれて体勢を崩していく。
直にも、触手が少女周辺の一帯へと伸び始めていった。——伸びる液状の先で両腕をかざしていく死体。身体の各部位が欠損したそれらが迫り始めると共に、悲鳴や絶叫、また、吞み込まれたことで連れ去られる人々や、それらを助けようとして必死に手を伸ばす人々など、阿鼻叫喚の混沌模様を描いていく地獄のような現場。
押し倒され、地面に突っ伏した少女。そこから次々となだれ込んでくる人々に容赦なく踏みにじられた少女は、土や泥だらけとなった汚れを全身に付着させながらも、何とかして立ち上がろうと、近くの存在へと手を伸ばして掴んでいく。
と、その服の裾を掴まれた人物は、少女の手を振り払うようにして力強いビンタを食らわせていったのだ。
「この、クソ——離せ菜子! 最後の最後まで私らの邪魔をするなッ!!」
同じ屋根の下で住んでいた彼。
傍に妻らしき人物を連れながら、共に逃げようとする最中に介入してきた少女へと彼はセリフを続けていく。
「居候の分際で、よくもなめたような真似ができたなッ!! この、食費から学費までのあらゆる費用で私らの財産を食いつぶす害獣もどきがッ!! いいか!? お前を引き取ったのは、お前のご家族と縁があったからだ!! だが、今日でそれも終いだ!! お前は今から、モンスターに襲われる不運な事故で死ぬんだからなッ!!」
起き上がろうとする少女。だが、そんな少女の腹を彼は思い切り蹴り上げていくと、少女は「ギャッ」と声を上げながら足で薙ぎ払われ、勢いよく地面を転げ回る。
そして、逃げ惑う人々の障害物として少女は地面に倒れ込み、道行く人々に容赦なく踏まれては蹴られてを繰り返した。——背中に打ち付ける靴の先。長髪を踏みにじる泥まみれのそれ。腰や脚を蹴飛ばして少女の身体を転がしていき、仰向けになった姿勢で腹や顔を踏みつけられ、悲鳴にもならない音を喉から鳴らしていく。
……直にも、周囲の悲鳴が大きくなってきた。
全身から血を流す少女。痛む全身でよろよろとなりながら立ち上がっていくものの、フラつく足元が少女の体勢を奪いにかかり、石壁に寄り掛からないとまともに立つことも許されない。
そうして顔を上げた視線の先。逃げ遅れた人々が触手に連れ去られる光景も、すでに間近となって眺めることができた。
……少女へと向かって勢いよく伸びてくる触手。ターゲットにされていることを認識した少女は決死の思いでスカートに手をかけていき、そこに仕込んであるナイフで応戦するべくショーツに挟んだそれを取り出そうとする。
だが、あるはずの感覚が、そこに無かった。
地面に転がるナイフ。ケースのみがショーツに挟まる光景に、先の人波に揉まれてナイフが飛び出してしまったことを悟る少女。
後頭部を石壁にぶつけ、脱力していくその様子。
死ぬことは怖くない。死んだところで、“あっち”で待つ大切な人と会うことができるから。
昼間にも口にしたセリフ。偽りの混じらない真実の言葉。だが、一方として、これまでに感じたことのない恐怖を自身が抱いていたこともまた、少女は何となく自覚していたものだ。
……生きることの楽しさを、体験してしまったから。
口や頭部から血を流す少女。そこから項垂れて視線を下げていくと、全てを受け入れるかのように体勢を崩して座り込んでいき、自身もまた“それ”の一部になって死んでいくことに納得しながら目を閉ざそうとした——
——衝撃波。前方から、束となって一気に降りかかる大気の波動。
身に覚えがある。昼間と全く同じのそれに、少女は思わずと目を見開いた。
右脚を地面に打ち付け、その一本で直立する黒ずくめの姿。その長い脚が人類の秘宝とも比喩できる美しさを放っていくと、揺らす白髪のポニーテールを荒ぶらせながら、その場で火花を散らす横回転で踏みつけた触手を無理やり捻じ切っていく。
そのまま小さくジャンプして触手の先の死体を踏みつけていくと、それを靴先に引っ掛け、滞空したままの豪快な一蹴りで他所へと蹴り飛ばしてしまう。
着地し、それと同時に踏み出した刹那のステップ。そこから間髪容れないサマーソルトキックを繰り出していくと、その軌道に存在していた液状の触手は真っ二つに裂け、それは根本である本体にも届くなり、衝撃波が走った“それ”は逃げるように飛行の軌道を変えていった。
夜の龍明に迸る、華麗なる漆黒が織り成す縦回転の軌跡。未だ浮いていた“彼女”が鮮やかに着地をしていくと、すぐにも少女へと駆け寄ってきた一つの存在へと言葉を掛けていくのだ。
「柏島くん、菜子ちゃんをお願い」
「えぇ! 分かっています! ——それにしても、今日の別れ際にユノさんがこっそり提案した護衛の継続がまさか、このような形で活きるなんて思いませんでした!! 本当に、菜子ちゃんの見張りを続けて良かったですね!!」
「いいから、早く連れていきなさい」
傷付いた少女をおぶっていく彼。そして凛々しく佇む彼女から離れるように彼は駆け出していくのだが、おぶられた少女は力を振り絞りながら、投げ掛けるようにそのセリフを上げていく。
「ユノさんは……!? ユノさんは、どうするの……っ!?」
無意識と流していた、少女の涙。様々な感情が混ざり合った証拠と共に声を上げると、彼女はその言葉を背中で受け止めながら、顔だけで振り返るようにしてそう返答した。
「私はこれから、
跳躍。
夜の龍明に溶け込むよう飛び立った彼女の姿。一瞬にして姿を消した彼女の行方に少女は遠くを見つめ、心配でも不安でもない、一種の安堵さえも抱きながら姿無き彼女の背を見送った——