明日の休日に、多くの者が浮かれる龍明の夜。夕日が落ちたばかりの新鮮な闇に解放感を覚えた人々は、今宵の宴に心を躍らせながら街道を歩き進めていく。そんな彼らの向かう居酒屋が混雑を起こしていく光景の中、近くのファミレスでもまた、家族連れが賑わう繁盛の様子がうかがえた。
新たに来店した、子供連れの二名様。二人が席に案内されていくと、その彼こと柏島歓喜は連れの少女にメニューを渡していきながら、しばらくとそのサマを観察していった。
……銀色のショートヘアーがひと際と目立つ、可憐な顔立ちの幼い少女。しかし、表情を一切と変えないその様子がまるで動くお人形のようにも感じられ、少女の表情からは思考や感情を読み取ることができそうにない、何だか透き通るような、ミステリアスな存在感をひしひしと感じ取る——
「……コンビニで急にチョコレートをねだられたと思ったら、他にもアイスやらジュースやらも流れで買わされて、これで終わりかと思ったら、店を出た俺の後をやけについてきて顔を覗き込んでくるもんだったから、どうすればいいのか分からなくなって、取り敢えずファミレスに連れてきてしまった……」
ぼそぼそと呟く彼。そんな彼に目もくれない少女は、一変とも動かさない眉で目を開きながら、メニューの文字列をじっと見つめ続けていく。
……周囲を見渡した少女。そこに映った、カップルの男女が二人でメニューを眺めるその光景。少女はこれをじっと見遣っていくと、メニューをテーブルに広げながらそうセリフを口にしていったのだ。
「こうすればいい?」
「え?」
「こうすればいい? ——言葉が違う? こう、やれば、いい?」
……??
首を傾げる柏島歓喜。だが、意図は何となく汲み取ったのか、彼はメニューに手を添えながら返していく。
「俺も見られるように気を遣ってくれたんだな。ありがとう」
「——うん」
……嬉しそう。変わらない表情だが、頷いた少女はどこか満足げに料理の写真を指差していく。
「これ」
「デミグラスソースのオムライスか。じゃあ俺も同じの頼もうかな。——すみませーん」
オーダーを済ませた柏島歓喜。そうして料理が出てくるまでの待ち時間を利用するように、彼は少女へと色々な質問を投げ掛けていった。
「きみ、コンビニで会った時は一人でいたみたいだけれど、親御さんとかと一緒に来たりはしていないの?」
「親御さん——は、無い」
「無い? ……親御さんはいなかったのかな。だとしたら、きみ、夜の外を一人で出歩いていたってこと?」
「うん」
「それは危ないな……。変な大人に絡まれなくて良かったと思うべきか。でも、俺が保護したところでなぁ……やっぱり、警察へ送り届けるべきだったか。いや、でも変に疑われたくもないから、スタッフの時の顔見知りがいる龍明超人協会に送り届けるべきか……」
やけに懐かれてしまった少女をどうするか考える柏島歓喜。彼の悩むサマを眺めて少女はじっとしていくと、次の時にも、彼の動作を真似するように首を傾げてみたり、似たような言葉をボソボソと呟いたりして彼の視線と合っていく。
上目遣い。変化の無い表情と目が合った柏島歓喜は、ちょっとずつ姿勢を正しながら次の問いを投げ掛けた。
「家の場所は分かるのかな? もしここから帰れる所にあるのなら、ご飯を食べた後にもちゃんと家に帰るんだよ。そうしないと、きみの親御さんが心配するから。……あぁ、買ったお菓子とかは俺が預かってるけど、それもきみにあげるから、今日はそれで大人しく帰るんだ。いいね?」
「家——ある。でも帰らない」
「どうして? 何かこう、帰りたくない事情とかあるのかな……?」
「事情。——楽しい、がしたい」
「楽しいがしたい……?」
真っ直ぐと向けてくる少女の視線。それを受けて彼は少し考えると、しょうがないといった若干のため息をつきながらその返事をしていった。
「じゃあ、少しだけ俺と散歩でもする? きみの期待に応えられるかは分からないけれど、きみのような子を夜に一人放り出せるほど、俺は冷酷になれなくて。……それで勘弁してくれる?」
「散歩。する」
ワクワク。変化しない表情からも、多少なりの感情がうかがえる少女の肩の動き。
そうして頼んだ料理がテーブルに出されたことで、少女は目を輝かせながらいただこうとした。だが、すぐにも周囲を眺めて何かを探していくと、目についた先ほどのカップルが手に持つスプーンをじっと捉えていき、少女もスプーンを手に取ってそれを頬張り出していく。
……少女の視線を追う柏島歓喜。それら一連の流れに彼も何か思考を巡らせていくと、場面は切り替わって、店を後にする二人の会話が展開された。
「ここから少し歩いたところに、見晴らしの良い公園があるんだ。そこで街の夜景を眺めながら、買ったアイスを二人で食べたりしようかって考えているんだけど、それでいい?」
「——うん」
彼の提案に、すぐ頷いていく少女。そうして二人は歩き出していくと、人の通りが少ない上り坂を進み始めていく。
街灯が、一定の間隔を空けながらぽつぽつと明かりを灯している。地面の坂も割と傾斜であり、自身から提案した柏島歓喜がゼーハーゼーハー息を切らして苦しそうにしていた。
彼の真横を歩く少女。彼との足並みを揃えるよう坂を上る少女は全くと表情を変えず、隣との温度差にその姿をじっと見据えて何かを考えていくと、少女は彼の手を取って、握りしめながらそうセリフを掛けていった。
「頑張って」
「ハァ、ハァ……!! ぁ、ありがとう……っ!! ——俺、ホント不甲斐無いなぁぁ……!!」
自分自身に呆れるよう空を仰ぎながら言葉を口にする彼。その間も汗は噴き出すようだくだくと流れ続けていき、隣の涼しい顔をした少女との差に可笑しな絵面が完成してしまっている。
と、上り坂のその道中で、少女は隣の彼を見遣りながら“それ”を訊ね掛けていったのだ——
「大変?」
「ゼェ、ハァ……あぁ、大変だよ……っ。むしろ、きみはどうしてそんなにへっちゃらなのかが、俺は気になるくらいだ……っ。やっぱり若さ……? それとも、俺の体力が少ないだけなのか——」
「任務も大変?」
————。
切らす息が途絶えていく、一瞬にして訪れた無音の静寂。直にも鳴り響く虫の声が耳に入り始めてくると、柏島歓喜は不思議そうな面持ちで少女へと振り向いていった。
「……任務?」
「そう」
「それって……何の話?」
「今の話」
会話が噛み合わない。彼は首を傾げて言葉の意味を考えていくと、少しして思い付いたようにそう返していく。
「それって、俺の今のお仕事の話かな。だとしたら、大変だよ。俺は今、探偵事務所の雑用係として雇ってもらっているんだけど、そこでけっこう色んなことをやらされていて、毎日がくたくただよ。だから、任務はとても大変で——」
「敬語」
彼へと投げつけた言葉。それを受けた彼は開いた口を閉じていくと、少女は続けてセリフを投げ掛けていく。
「いつも敬語つかってる」
「あー……確かにそうだ。意識してなかったな。きみと話す時は、自然と敬語にはならないというか。それだけ、こう、きみとは話しやすいというか、少し気楽な気持ちで話すことができている気がする。——というか、きみはどうして、俺がいつも敬語で話していることを知っているの?」
「時々見てたから」
……繋ぐ手の温もりが、どこか気持ち悪く感じてきた彼。
今すぐ手を離したい。そう願い出した彼の気持ちはある意味で届いたのだろうか。無意識と歩み進めていた足は平坦を踏み入り始めており、そうして目にした見晴らしの良い開けた遊具の公園に着いたことで、彼はそちらに意識を向けるべく指を差しながら少女に喋りかけていった。
「ほ、ほら! 着いたよ! この公園の奥に、夜景を一望できるスポットがあるんだ!」
少女に気を遣いながら、走り出していく彼。そして彼の言う通り公園の奥へと進んでいくと、そこには落下防止の柵が立てられた、地形から突き出るよう出っ張った形の木製高台が二人を迎え入れてくる。
——上から眺める龍明の街。落ちた闇に灯る明かりが群れを成し、地上を行き交う人の波が煌めきに動きを与えてくれている。
柏島歓喜は、少女を連れて近くのベンチに腰を掛けていった。彼の隣に少女もちょこんと座っていくと、彼が鞄から手渡しで差し出したカップのアイスを受け取って、食べようと開けたフタの先の中身を目撃するなり、少女はそれをじっと見つめだす。
それは、チョコチップの欠片が食欲を掻き立ててくる、透き通るような水色のチョコミント味。自身が選んだそれを少女は見惚れるように眺めていると、それを横で見ていた柏島歓喜は、スプーンを渡しながらそのセリフを掛けていったのだ。
「夜景よりも、アイスの方が気になるかな?」
「——どっちも綺麗。でも、キラキラはいつも見てる」
「キラキラ……? 夜景の光のことかな」
「でも——チョコレートはいつもキラキラしない」
手に持ったアイスのカップに、少女は顔を近付けていく。
「——キラキラ。綺麗」
「…………」
とても不思議な子だ。話してみても、彼女の性格が全くもって不明瞭なままだ。
胸の内で呟いた彼のセリフ。同じ言葉を話しているハズなのに、どこか通じ合えないような、どこかが違って映る少女のその姿に彼は暫しと黙りこくっていく。
……そして直にも、彼は少女にそれを促していったのだ。
「アイスだから、早く食べないと溶けちゃうよ」
「——食べる」
「そうした方がいいよ。それとー……」
催促に乗りかかるように、勢いで切り出したその話——
「そう言えばさ、俺、きみの名前を聞いていなかったなって。名前を呼べないと、話をしている中で不便に思うところも出てくるから、良かったらでいいから、きみの名前を教えてもらってもいいかな?」
チョコミントのアイスを食べる少女。スプーンを口に含んだ状態で彼へと振り向いていくと、口のそれを取り払いながら表情も変えずにそう返答していった。
「名前——無い」
「え……?」
「分からない」
……参ったな。そんな雰囲気で頭を掻く彼。
「えっと……。名前が無いっていうのはー……その——じゃあ、きみは普段、どんな風に呼ばれているのかな……?」
「呼ばれる? ——呼ばれない」
一ミリたりとも変えない表情。もぐもぐと口を動かす少女の返答に、柏島歓喜は一瞬もの間を置いた。
「……それじゃあ、きみは普段から誰かと一緒にいるわけじゃないの……?」
「——うん」
……考える柏島歓喜。どうするべきなのだろうか。渦巻く思考に、彼はそう時間を掛けずに一つの問い掛けを投げ掛ける——
「……でも、だからってずっと、きみって呼ぶわけにはいかないしな……。あぁ、だったら、きみにニックネームを付けてもいいかな?」
「ニック……ネーム……?」
「そう、ニックネーム。名前とは少し違うんだけど、その人の個性というか、その人を親しみもって呼ぶ際に用いられる、一言でその人だって分かる名前のような言葉のこと。俺だったら、そうだな。俺の名前は柏島歓喜って言うんだけど、その歓喜って部分をもじって、カッキーって呼ばれていたりするんだよ」
「カッキー……?」
「そう。だから、俺もきみを呼ぶ時、その言葉で、きみのことを呼んでいるって分かるような名前を付けたいんだ」
……名前。
目を光らせる少女。そしてすぐにも少女は手に持つアイスに注目をし始めると、それを彼へと差し出していきながら、少女は自身のリクエストを彼に伝えていったのだった——
「チョコ。ミント。——“チョコミント”……!」