月下の露天風呂。湯煙が白く空間へと立ち上り、周囲に植えられた深い緑の垂れる木々に絡まり枝分かれする。前方に広がる一面の湖は、落ちた夜を反射して深海の如く黒い水面を揺らしていき、そして天井に吊るされた月明りを複製してその黄色を描き出す。
カポーン。桶の音が風情を奏でる。その音を鳴らした柏島歓喜は露天風呂へと足を入れていくと、全身に染み渡る名湯の温もりに「あぁ~~」と抜けるような声を出していった。
浸かる身体。骨の芯まで届く心地良さ。彼は蕩けるように石へと寄り掛かって空を仰ぎ始め、上る煙を見送りながら隣の存在へと言葉を投げ掛ける……。
「極楽とはよく言ったものですね。それも、龍明という大都市にこれほどまでの風情ある環境をこしらえるだなんて、まず目の付け所が違いますよ。——今も防壁の向こうで溢れかえっているであろう、手つかずの大自然を忠実に再現とは、よく言ったものです。そして、これらの自然豊かな環境を本格的に整えてしまえる技術の進歩には、常日頃から驚かされてしまいます。……尤も、混浴という形式とは思いもしませんでしたけど」
のびーっと腕を伸ばしていく柏島歓喜。そして姿勢を直しながら前のめりになっていくと、隣に目をやって彼女の様子をうかがった。
彼の言葉に、無言で答える葉山ユノ。腰に布を巻く彼とは相反し、完全な全裸で堂々と湯に浸かる大胆なその彼女は、お湯にほっぽり出した長髪を浮かばせながら脚を組んで途方を眺めていく。
「まぁ、悪くないわね」
「それにしても、今回の案件もユノさんのご活躍によってみごと解決しましたね。山奥に現れた、山姥のような厳つい肉食モンスター。一目で寒気が走るほどの末恐ろしい外見と大きさではありましたけど、あれほどの凶悪なモンスターであろうとも、ユノさんにとっては朝飯前といったところでしょうか」
「そのおかげで、こちらの若女将さんともお近づきになれたものだから、私としても収穫のあるイイお仕事ができて満足よ」
「ユノさんはやっぱり、極楽な露天風呂よりも好みの女性を取りますか。——ある意味で、花より団子と言えそうですね」
花より団子。その言葉を口にした柏島歓喜は、ふと脳裏によぎった一つの記憶が瞬時にチラついていく。
——目の前の夜景に目もくれず、口にしたアイスの味に可憐ながらも目を光らせた、一人のいたいけな少女。銀色がよく似合うその存在を思い出した彼が、神妙な顔つきで隣の彼女へ向いていくと、訊ね掛けるようにそうセリフを投げ掛けたのだ。
「……あの、先日にもお話した少女のことなんですけど」
「えぇ、私の方で調査はしてみたわ」
「それで、どうでした……? あの子について、何か分かったりしましたか……?」
おそるおそる。そんな様子で訊ねる柏島歓喜。しかし葉山ユノは首を横に振りながら、そのような返答と共に彼へと視線を向けていく。
「簡潔に言ってしまえば、成果は皆無に等しいわね。私なりに目星をつけて調査してみたりしたけれど、その子に繋がる手がかりは全く見つからなかった。その末に辿り着いたオカルトサイトの掲示板でも、柏島くんの言う少女の特徴と一致する、摩訶不思議な女の子との出会いと思われる書き込みを何とか発見したものだけれども、私がコンタクトを取ったすぐにもその書き込みは削除されてしまって、けっきょく有力な情報を得られることはできなかった」
葉山ユノの現状報告に、柏島歓喜は「そうですか……」と短く呟いた。
「そんなに、その子のことが気になるの?」
「まぁ、そうですね。あの子が無事に家へ帰ることはできたのかとか、つい考えてしまいます」
「柏島くんらしいわね。私としても、一目でもいいからその子を拝んでみたいものだわ。——もしも接触することができたのなら、どのようにして自宅へ連れて帰ろうかしら……」
恍惚。とんでもないことを考え始めている彼女に「さすがにそれはマズいですって……」と低いツッコミを入れていく柏島歓喜。そうして露天風呂を満喫した二人は共に湯から上がっていき、ここが旅館ということもあってか二人は宿泊することを決めていった。
湯上りでホカホカな柏島歓喜。相部屋で葉山ユノと分かれた彼はひとり出歩いていき、土産を扱う物販コーナーに入り浸るように内部を物色していっては、目の前に詰まれた豊富な土産に頭を抱えて思考を巡らせる。
「こんなに種類を取り揃えられちゃっていると、どれを選ぼうか悩んじゃうな……。ユノさんはこのあと夜食を食べたがるだろうから、おつまみになりそうな菓子類を買って戻ろうかな。お土産としては、この、笹が中に入っている笹大福ってやつは、タイチさんきっと面白いと言って喜んでくれそうだし、ニワトリの形をしたこのお饅頭は多分、包みの表紙のもちっとした可愛さとか菜子ちゃん気に入ってくれそうだし……うむむむむ」
顎に手を当てて、全力で悩み続ける柏島歓喜。彼が唸りながらしばらくそこに佇んでいると、ふと横を通りかかった人の気配に、場所を譲ろうと彼が動き出した、その時だった——
「——これ」
差し出された、赤鬼のストラップ。携帯端末に付けられるそれを目にした彼は、目の前で何事もなく向き合ってきた“少女”の姿を見るなり、真ん丸な目玉を剥き出しにしながら言葉を失った……。
銀色のショートヘアー。胸元辺りまで伸びたもみあげに軽く巻いてある、黒色の紐のリボンがひらひらと揺れている。百五十五の背丈で彼を見上げるその少女は、可憐ないたいけさで柏島歓喜におねだりをしていくと、反応を示さない彼に対して再びとセリフを投げ掛けた。
「これ」
「え。あ……それが欲しいの? ——って、いやいやいやいや!」
どうしてここに? 驚きで言葉が喉に突っ掛かる。
「チョコ、ミント、ちゃん……。ちょっと長いか……。えっと、ミントちゃん……?」
「——チョコミント。アイス。ニックネーム……。……名前」
キラキラと光らせる瞳。一切と変わらない表情でも、どこか嬉しそうにしている様子はうかがえる。
「これ。ほしい。——買っ、て……?」
「……これが欲しいんだね。分かった、買ってあげるけど……」
摩訶不思議な存在感。この世の者ならざる神秘的なオーラを醸し出すそれ。
……柏島歓喜は、どこか恐れるようにしながら少女からストラップを受け取った。しかし、それをお会計する前にも、確認としてそう訊ね掛けてみる。
「どうして、ミントちゃんがここにいるのかな……?」
彼の問い掛けに対して、じっと見つめるような視線を送り続けるその少女。
顔の筋肉が、一ミリも動かない。ただ見つめてくる瞳が彼を捉え続けるその様子は、まるで人形のように生気らしきものを感じさせない。
直にして、少女は上目遣いでそう答えてきた。
「楽しいを、しにきた」
「楽しい、を……?」
「——うん」
こくこく。少女は何度も頷いていく。
「散歩」
「また、俺と散歩したいの? 俺と散歩したいから、ここに来たっていうことなのかな……?」
「——うん」
意図が伝わった。少女の目がわずかに見開き、どこか期待の眼差しである視線をぶつけるようにして彼をじっと見つめ続けていく。
……頭を掻く柏島歓喜。そんな様子に目もくれず少女は手を出していくと、彼の手を握るようにしてしっかりと掴みながら横に並び、ワクワクとした視線を送りながらうずうずしていくのだ。
「——いつも見る。楽しそうな人が二つ。ぎゅってして、並んでる」
「えっと……今みたいにかな?」
「うんうん」
「……つまり、ミントちゃんは誰かと手を繋いで歩きたいってことでいいのかな……?」
「手を繋ぐ。——手を繋ぐ。手を繋いで……歩きたい。いつも見てる。楽しそう」
ぴょんぴょん。早く行こうと言わんばかりの小さなジャンプを繰り返す少女。その姿を見た柏島歓喜は、どことない恐怖が未だ拭えぬ反面、こんな子を放ってなんかおけないという気持ちにも苛まれることで、この場は頷いてみせたのだ。
「分かった。それじゃあ、外を軽く散歩しよう。その前に、まずはこのストラップを買わないとね」