流浪の救世主『
朝刊の一面に相応しい文句を柏島歓喜は思い浮かべながら、龍明の防壁から覗き始めた朝日を正面から迎えていく。
共にして、後方からブーツの足音を鳴らしながら近付いてくる人影。彼はそれへと振り返っていくと、その先には、早朝の薄暗い明かりに照らされた普段着姿の“英雄”が、凛々しい佇まいで存在していた。
「誠意に溢れるご家族だったわ。聞き込みだけで終幕した事件に対して、真摯に向き合ってくれたからという理由で契約金を支払ってくれるだなんて」
「それだけ、ユノさんの探偵としての振る舞いが、皆さんにとって心強かったのかもしれませんね」
そう言いながら、彼は雑木林の方へと視線を投げ掛けていく。
……龍明超人協会から派遣されてきた、警察やヒーローといった騒動の関係者でごった返す光景。その周囲には、ホログラム状の立ち入り禁止テープが空間に張り出され、関係者以外の進入を禁ずる抑止力に集った野次馬の姿が見受けられる。
昨夜の出来事によって、注目を浴びた区域。街中に現れた災厄を討ち滅ぼした気まぐれな英雄は、龍明内に潜伏していた、その親玉となる凶悪なモンスターも討ち倒し、大都市に平和をもたらした。
ヒーローという存在は、この世界で生きる人類にとって最も頼れる存在であり、かつ、最も近しい存在でもある。
あわよくば
「さ、依頼を完了した今、長居は無用よ。——探偵たるもの、済んだ事件に用は無し。今の我々に求められていることは、一刻でも早い事務所への帰還のみ。そして、困り事を抱えた次なる女性を、一人でも多く助けにいきましょう」
「あ、はい。わかりました。——ですが、なんかこう、ちょっとモヤモヤしますね」
前を往く葉山ユノの背に、柏島歓喜は眉をひそめながら続けていく。
「事件を解決したのは間違いなくユノさんであるはずなのに、世間からするとこれはユノさんの手柄ではなく、
「それこそ無用な考えよ、柏島くん。私自身は別に、目立ちたくて人前に現れているわけではないし、ましてや、世界を救うために戦っているわけでもない。私はただ、困っている女性から請け負った依頼の解決に励むだけの、ごく一般的な私立の探偵にすぎないわ。その解決手段として私は、葉山ユノとしての姿と、
「……ユノさんは本当に、自分の世界を大切にしている方ですよね」
苦笑しながら、彼女の信条に納得を示す彼。それに対しても葉山ユノは「ふふっ」と軽い笑みを零していくと、そんな二人の下へと駆け付けてきた一人の女性が、こう呼び止めてきたのだ。
「葉山さん!! この度は、どうも、本当に、ありがとうございました!!」
振り返る二人。
そこでは、頭部に巻いた白い包帯が目立つ依頼主の女性が、息を切らしながら近付いてくる姿がうかがえた。
服からはみ出てちらついている、腹部の包帯。そこには赤黒い染みが広がっていて、痛々しい生傷が完全に治癒していないことを暗示する。
「ユノさん、あの方——って、ちょっと、依頼主さん! 超人協会の集中治療室に向かったハズじゃ……!!」
「ご心配をおかけしてごめんなさい! でも、どうしても葉山さんと柏島さんに個人でお礼をお伝えしたくて、人目を盗んで追い掛けてきちゃいました……っ!」
二人の下へと到着すると、息を切らして立ち止まる依頼主の女性。彼女を労わるように柏島歓喜が支えていくと、息を整える間もなく女性は葉山ユノへとそれを話し掛ける——
「ハァ、ハァ……! そのっ、妹の仇を討ってくださって、本当にありがとうございました……。犯人こそはバラバラに消し飛んでしまいましたが、普通に捕らえられるよりもきっと、そっちの方が妹も心残りはないと考えると思います……!」
「えぇ、今回の件は妹さん以外にも、少なからずの犠牲や被害をもたらす凄惨な事件になってしまったけれど、結果としてはなんとか終息に向かっているようで、ひとまずは区切りがついたと考えられるかもしれないわね。……ただ、ごめんなさい。多額の契約金を支払ってもらいながらも、私自身は貴女がたに吉報を届けることはできなかった——」
「そんなことはありません! だって——葉山さんが
え?
思わず目を丸くした葉山ユノ。
「私は——」
「柏島さんが駆け付けてくれた時の、雑木林で助けてくださったあの時。わたしは朦朧とした意識の中で、モンスターをあっという間に倒してしまう葉山さんの姿を目撃しました。それから、中継で流れていた
柏島歓喜の支えに甘えつつ、歩みを進めて葉山ユノに近付く女性。
「妹の仇を討つだけじゃなく、残ったわたしとわたしの親族、それと、龍明の危機を救ってくださった。——契約金だけでは支払い切れないほどの感謝の気持ちが、わたしをここまで駆り立てたのです!」
「いえ、私はただ……」
「なんてお礼をすればいいのかが分からなくて。でも、そんな感謝の気持ちとはまた別に、わたし……」
瞳に浮かぶ小さな雫と、赤面を隠すように俯きかける女性の様子。
「……流浪の救世主
葉山ユノの手をとる女性。それを受けて葉山ユノもまた女性を両腕で包み込むように支えていくと、柏島歓喜は音を立てない足取りで少し距離を取りつつ、見守るように眺めていく。
「……葉山さん。わたしのこの気持ち、一体どのようにお伝えすれば葉山さんに届きますか……?」
朝日がゆっくりと射し込む空間。
次第と明けてきた世界に照らされるよう、二人はもっと身を寄せた……。
「……その決断こそが、貴女に永遠の後悔をもたらすことになるけれども。——それでも同じセリフを口にすることは、できる?」
「はい、できます。わたしは葉山さんに感謝をしております。親族一同、葉山さんと
「いいわ。それじゃあ貴女の気持ちを、誠心誠意受け止めてあげる——」
——触れ合う唇。
優しく回した両手は、女性の後頭部と背中にあてがわれていく。
……早朝に甘く響かせた、温もりと気持ちが混じり合う音。
気分が高揚してくると、二人は熱が入ったように頬を火照らせて、一層と深く味わうような熱いキスを交わし始めるのだ。
——扱いに慣れたアプローチ。それが唇にも伝わり、女性は抱きしめられる。
もう、戻れない。“彼女”という存在を知ってしまったから。滾る熱情が
抱きしめられて、わずかに浮き上がった身体。地面から離れる足元の感覚が、“彼女”の荒々しさと共存する特別な温もりに拍車を掛けていく。
ゆっくりと、名残惜しく離れる唇。朝日でチラつく絡まった糸が二人を繋いでいく中で、葉山ユノは恍惚とした表情を見せながら、女性への抱擁を優しく解き始めた。
「今は、怪我の治療に専念しなさい。そして、環境と気持ちの整理がついた時にでもいいから、私に連絡を寄越して。——貴女が私を求めるのなら、私もまた、貴女に尽くしてみせる。次に会う時は、より親密な関係を築けるよう、様々な手配を進めてあげるから」
頭を撫で、ぎゅっと優しく抱きしめる。
それに対し、女性は「はい……」と答えながら目を閉ざしていくと、この一時を味わうべく彼女の胸元に収まり、しばらくもの安堵に心を休めていった——
「『貴女に、永遠の後悔をもたらす』。確かに、わたしには、永遠の後悔が付き纏い始めました。——葉山さん。貴女に会えない寂しさという、貴女の温もりを知ってしまったが故の後悔が……」
二人の背を見送る女性。胸に手を当て、今も鳴り響く鼓動にそのようなことを呟いていく。
——先を往く彼女の満足そうな背中を見て、助手である彼は先ほどまでのモヤモヤを感じさせない明るい表情でそれを口にしていった。
「色々とあったりして、契約金という謝礼も貰ったりしましたけど、最後の最後に受け取ったお礼の気持ちこそが、ユノさんにとっては一番の報酬だったのかもしれませんね」
「それ以上もの推測は、利益を生まないわ。非常に残念だけれども、今の発言で、柏島くんには推理のセンスが無いことが証明されてしまったようね」
「あはは。俺は飽くまで、葉山探偵事務所に勤めるしがない雑用係ですから。——だから、これでいいんです。俺としてもですね、ユノさんが少しだけでも報われたような気がして、今はスッキリした気持ちでいるんですから」
明るい調子でそう言う柏島歓喜に、葉山ユノは微笑を浮かべながらその歩を進めていくのだった。
「ァア、もったいない……もったいない……。我の尊き命が散りゆくなんぞ、実にもったいない、もったいない……。この、我にはもったいないほどの礼は必ずと返してみせるさ。だから、