ヒロインちゃんと本当に知り合うのは第四期ぐらいかな……?
「さて、玲ちゃん」
「は、はひっ……!」
冬。
デモ機やPVモニターの類からの熱の為に暖房をあまり効かせていないゲームショップ『ロックロール』の店内は、少しだけ肌寒い。
が、店の女主人とカウンター越しに相対して震えている少女は、どうやら寒さで震えているわけではないようだった。
「今日は2月7日。つまり来週は2月14日。2月! 14日よ! わかるわね?」
「はひいいっ……!!」
激励。
それは戦に赴く戦士への激励であり、少女の震えはそれを受けての武者震いであった。
「いい? あのクソゲー脳相手に奇跡的な確率をすり抜けてイベントデートに漕ぎ着け、ゲーム内とはいえクリスマスを過ごし、初詣を晴れ着で一緒に行った! となれば次の青春イベントは当然この2月14日! バレンタインデー! よ!!」
「ばれんたいんでー……っ!!」
「製菓業界の回し者大変結構。狙うのはもちろん、大きなハートにチョコと一緒に想いを固めた、本命手作りチョコ!!」
「ほんめいてづくりちょこっ……!!!」
ボルテージを上げ続ける女主人、岩巻に言われた単語を繰り返すだけの少女の表情は、最終戦争で核爆弾が降り注ぐ様子を見つめているような悲愴さが滲み出ている。
「玲ちゃん、チョコ作りの経験は?」
「な、何度か……」
「ああ、渡せなかったのね……」
「ひぐぅ……」
受付カウンターに顔を伏せて沈む少女、斎賀玲の片想いは長く、拗れていた。
何回もチョコを作る機会がありながら、渡すチャンスは今回が初めてであった。
「じゃあ作るところは問題なしとして、やっぱり渡すところね」
「渡す……わた、わた、わたす……!」
「……うーん。これはシチュに凝るというよりは、何とか無事に渡せるようにする感じねえ……」
作っては渡せなかった数々の記憶がフラッシュバックして慄く少女に、店長は溜息一つ。
「そうねえ。直接渡すのではない感じのを挙げてみましょうか。レッスン1。古典から学ぶ。下駄箱に投入」
「ぴぃ」
「まあラブレターぐらいならともかく、食べ物はちょっと不潔よね」
「レッスン2。郵便受けに投入」
「ひいぃ……」
「最近は専業主婦の仕事ってんでもないだろうけど、それでもご家族に見られる危険性は高いわねぇ」
「レッスン3。まずゲームで試してみる」
「げ、ゲームで……?」
「MMORPGに季節イベントは鉄板、でしょ?」
くいっと自分の後ろを親指で指した先には、『シャングリラ・フロンティア』の新しいポスターが張られていた。
§
「『サーティードスイーツグランプリ開幕! お菓子の材料のカカオを集めて復興に弾みをつけよう!』ねえ……」
一昔前のネットワークゲームでは、例えばクリスマス、バレンタイン、ジューンブライド、水着、正月等々……リアルの季節やイベントに連動したキャラクターの実装や催しを行うというのは一般的なものだった。
「バレンタインイベをこうやるか。徹底してると言えば徹底してんなあ」
『シャングリラ・フロンティア』は独自な世界観とその作り込み具合の、スゴさを通り越したキモさが全てと言っていいゲームだ。そういう『世界観を壊すようなリアル行事』が直接実装されるような事は今まで無かったらしいが、さすがに商業主義の波を全て跳ね返す事は困難であったのか、プレイヤー主導イベントの結果に便乗する形で一つの行事が世界観内に何とか取り入れられた、という事なのだろう。
かの『王国騒乱』イベントにおいて"ちょっとした事故"により、新王陣営の本陣であったサーティードの街は瓦礫の山と化したが、その後のプレイヤー生産ギルドの注力によって高位生産職の街として急速に復興しつつあると聞く。たぶんペンシルゴンと奴の徒党が色々手回ししたついでに諸々の利権はしっかり確保してるんだろうな……。
さて、チョコレートか。
従来のVRMMOとは五感の精度の格が五世代は違うシャンフロだが、味覚についてはしっかり制限がかかっている。このあたりは料理がメインテーマでない限りはだいたいのゲームでそうなっている。VR内で食事をしたと錯覚して現実でメシを食わなくなる奴が一定数出るからな。特殊な許可が必要らしい(蛇の林檎だの美食舌だの条件付きで制限を外しているということはシャンフロも許可も取っているわけで、そういうところもまあキモいわけだが
あと味覚は何気に製作側として難易度が高いらしく、料理関係のクソゲーはそこそこ数が多いのだが、リアルで料理の好みが変わるレベルのトラウマものもちょいちょいあるらしいからなかなか手を出しづらいんだよな。リアルでもドリアンだのくさやだのシュールな缶詰だのをシャレで食おうとして返り討ちにあうと、風味が似てる南国フルーツや魚全般がダメになるみたいな話はそこそこ聞くが、それと似たような事が起こるとか。『ヤミナベ・メーカー』はコンセプトがアレなだけで味の再現はしっかりしてたしな……。
「サンラクサン? 目が遠くなってますわ?」
「―――はっ!?」
おっと、クソゲニウムの補充はまた後で考えるとして。
最近シャンフロでも結構なクソ要素が快適な操作で摂取できるもんだから、なかなか枯渇しないんだよな……逆にシャンフロのクソさに他ゲーに逃げる方が多いような気がしていてクソゲーハンターとしてのアイデンティティが……うごごご!
ごほん。んーで、一定期間、一部でのみされていた味覚制限の撤廃を一時的にサーティード全域に拡大して、プレイヤー料理のコンテストが行われるらしい、と。
イベントと言うと基本壮大な規模で危険が危機を呼んでくるシャンフロにおいては随分と牧歌的だな。
「スイーツグランプリ……にんじんスイーツもあるですわ?」
「まぁあるんじゃねえの。カカオメインとはいえ、カボチャやらにんじんやらの野菜ケーキって、栄養と味の両立として定番だし」
「やったですわ! サンラクサン! 急いでサーティードに向かうですわ!」
まあまあ待ちたまえよエムルくん。今我々はユニークがユニークを呼んで文字通り東奔西走したユニーク地獄から一時解放されて自由な冒険の真っ最中なのだよ。口うるさいサイナも定期メンテだとかでインベントリア経由ベヒーモスinドルオタラボにお籠り中だし、そんな初心者向けほのぼのお使いクエストなどに現を抜かしている暇は……お?
「レイさんからメッセか。なになに……『イベント一緒にやりませんか』とな」
自他ともに認めるシャンフロ廃人レイさんが生産職用のほのぼのイベで何を……?
何か有用なアイテムでも報酬にあるのだろうか。いや、ほのぼのイベと見せかけてシャンフロの事だ、何かキラーカカオがアタックオブしてくるみたいなサブ蒐集バトルなんかが熱いのか?
「ま、イベントはイベントだしたまにはいいか。『いいですよ。狩り場は全部の街にあるらしいですけどとりあえず本会場らしいサーティード現地集合でOK?』と……うおっ!? 爆速返信!?」
相変わらずレイ氏のレスポンスパネェな……。
「まぁヌルゲーだったらサクっとめぼしい報酬とって終わればいいし。思えばシャンフロ始めてからなんかクッソ生き急いできた気がするしな……たまにはこういうのもいいか」
「実際生き急ぎすぎですわ? たぶん開拓者さんの中で一番じゃないですわ?」
「ははは誰が人生臨界速だこやつめ」
「ひっへはいへふわああああ!?」
迂闊な本音を漏らしたエムルのもふもふのほっぺをグニグニともみほぐしながら、リアルの"玲さん"が超速でウィンドウを操作しているのを想像してしまって少し微笑ましい気分になった。
§
「やった……! やった……! 一緒にイベント……っ!」
お誘いの文面を一時間考え抜いた挙句に結局シンプル極まりないメッセージになった事を返信がある直前まで悔恨に苛まれていたが、返信が来た瞬間にそれらはすべて歓喜に上書きされた。
思わず身についた斎賀流護身術の型をブンブンしちゃったりなんかしちゃったりして。きゃー!(骨抜)
「……何してるの?」
「ぴゃあっ!?」
突然背後から声がして飛び上がった。
「る、ルストさん……」
「やっほ」
声に驚いて振り向くと、クラン仲間のちんまりとした褐色肌の少女が立っていた。
相方であるガタイの大きな男の子は、珍しく近くにはいないようだ。
「ん。モルドは少し用事済ませてから来るけど。それよりあんまり大通りのど真ん中でシャドーとかしない方が」
「そ、そんなことしてました? ごめんなさい……」
サイガ=0はのっぺらぼうの兜でもわかるような焦り汗のエフェクトを出しながら、すすす、と道の端に寄った。以前のアバターであったら完全に通行妨害であっただろう。
「んー……」
「えっと……どうかされましたか?」
「ねえ。そんなにサンラクのどこがいいの?」
「ミ゜ッ」
「どこから声だしてるのそれ……」
巨大なタワー建築の鉄骨に打ち込まれているような直系数センチはある巨大ボルトが圧力に耐えきれずにねじ切れる時の音を彷彿とさせるようなうめき声が、のっぺらぼうの兜の奥から漏れ出した。
「ななな、なんおことでせう……?」
「その反応で誤魔化せると思ってる?」
「ひぐぅ」
「ベヒーモスのアバター変更でわざわざ女キャラにしてるし、サンラクにだけ明らかに挙動不審だし。そもそもリアルでJGE一緒に行ってたんでしょ」
「あうあうぅ」
動作の癖で『
「人の趣味にどうこうは言わないけど。サイガ=0はなかなかリアルスペックも高そうなのに、そこまで入れ込むんだなぁと」
「え、えと……そういうルストさんは、モルドさんのどこが……?」
「…………揶揄いなら容赦なく反撃するけど、純度100%ピュアッピュアに聞かれるとさすがに恥ずいな」
というルストの表情は変わっていない。中の人は無表情素直クール(ロボ狂い)なのだ。
「と言ってもね。明確に付き合おうとか言ったわけじゃないし。昔からずっと一緒にいるだけで」
「おぉぉ……お、幼馴染み……っ! すごい……!」
「何がすごいのかはわからないけど、確かに家が隣同士でお互いの部屋の窓が目の前にあるとかいうのは、後でマンガとか読んでかなりベタなシチュエーションだったんだなと思った事はある」
「ふおおぉぉ……!」
恋バナ、と言っていいのだろう。
カフェの隅の席に陣取り、表情が全く動かないちんちくりんが惚気とも判別つきがたい表情と声色でコッテコテのラブコメのような状況説明をして、全身タイツ的な鎧で女性的なプロポーションは剥き出しとはいえ顔はのっぺらぼうのフルフェイスヘルムがそれを聞いてくねくねと悶えていても。
「それで? サンラクのどこがいいの?」
「へぇぅ」
それなりに自分を語った(なお内容は主にモルド側の面白行動などであり、自身の割合は2割ほどであったが、悶えるばかりのサイガ=0は気付かなかった)後、ルストは再び詰めた。
彼女は初志貫徹の女だった。話題を流されても聞きたい事は忘れないのだ。
「そそそ、それは……ですねぇ……」
「ふむふむ」
盛大にどもりながらもゆっくりと語りだす。
これがサンラクと正式に名前を知り合う前の恋愛力がナメクジより弱い状態だったならば、VR機器が体調異常を察して強制ログアウトになっていたであろう。
だがしかし、今までの積み重ねが功を奏したか、何とかギリギリで踏み止まった。岩巻に一度全て語らせられていたのも大きいだろう。でも明日は知恵熱が出そう。
「―――なるほどねぇ」
「お、お耳汚しを失礼しました……」
「別にそんな事もないけど。いいんじゃない、ピュアって感じで。半分ストーカーだと思うけど、サイガ=0は男当人に包丁向けるより周囲の女を威嚇するタイプでしょ」
「うぐぅっ」
男のアバターからリアルの自分そのままに戻した胸に舌鋒が刺さる。姉のようなメロンとまではいかないが化粧箱に入ったマンゴー程度には豊かで整っているそこを押さえてふにょんと潰れる様子を見つめるルストの視線が心なしか鋭くなった。
自分自身でも"ちょっと"自覚してはいたが、斎賀玲は自覚以上にだいぶ独占欲が強かった。NTR? 寝てから言え!
「バレイベ一緒に回って自然な流れでアイテムのチョコ渡して、勢いのままにリアルでも渡しちゃおう、か……」
「ふあぁい」
ゲーム店店主と立てた作戦は概ねそんなところであった。
「無理じゃない?」
「ひぃ」
「良くてゲーム内だけで終わるでしょそれ。二人で並んでダイブしてVRから出た瞬間に渡すぐらいしないと勢いつかないよ」
「……し、したんですか?」
「うん」
つよい。なんだこの強者は。つよすぎる……ッ!!
シャングリラ・フロンティアの中でもユニークオブユニークな武器と鎧と職業と称号を揃えたトッププレイヤーが、のっぺら兜の下で恐ろしい子を見るように白目を剥いた。
ちなみに、一般的に普及しているVRダイブシステムはヘッドギア型であり、装着して寝具などに横になる、というものである。
「自動的添い寝っ……!!!」
「妄想が先走るタイプかー」
「い、いえっ……!! 別にそんなことを考えていたわけではっ……!!」
嘘だ。考えていた。
そういう妄想だけは瞬時に出来てしまうのだ。主に姉達が煽るせいで。
「あれ、でもサンラクって確かチェア型の業務用使ってるらしいけど」
「あ、はい。それは見せてもらいました……すごいですね、あれ……」
筐体に大きくプリントされたアメコミやFPSゲームのキャラクターの由来を聞き、後で『顔隠し』関連の動画を見返して、なぜリアルタイムで見ていなかったのかと悔恨に打ち震えた記憶が蘇る。
なお、その頃から『ギャラクシアヒーローズ:カオス』のランクマッチに、弱キャラと侮った相手を謎の古武術で撫で斬りにしていく『ロックピッカー』が出没するようになったとか。
ちなみに同じタイプの購入は認められなかった。七桁はさすがにね?
「いや、もう相手の部屋まで遊びに行けてるならあと告るぐらいしかしかなくない?」
「それが出来ればっ……苦労はっ……!!」
「あ、うん。なんかゴメン」
これだけのやりとりでも彼女のアレさは十分読み取れた。
なまじ基礎スペックに恵まれている分考えすぎてしまうのか、本人の純情さ……というか初心さというか不器用さというかそのあたりと相まって拗れに拗れて三周回ってやっとまっすぐに戻ってきたように見えるけど実はものすごく小刻みにジグザグ迷走していて遠目にはまっすぐに見えているだけみたいな……。
「じゃあ、いっそ告んなくていいんじゃない?」
「ふぇ?」
「告白ってさ、それまでの積み重ねの確認でしょ。見ず知らずの相手に告白するのされるのってマンガとかじゃよく見るけど現実じゃ困るだけだし。まず一緒にいて楽しい相手って思えるのがサイガ=0にとってもサンラクにとってもいい事なんじゃないかな」
「――――――」
「まずは自分の感情……恋に恋するとかいうとポエミィだけど、そういうのに振り回されないようにするのが先決に思える」
「…………とても、参考になります」
恋の浪漫を重視する岩巻からは出てこない地に足の着いた意見に神妙に膝を折った。いや岩巻もとっとと告れと100回は言っているのだが。
「まあ自分から見れば十分告白していい関係性に見えるし、もう振り回される勢いに任せてもいい気はするけど」
「え、えええ……? ど、どっちがいいんでしょう……?」
「さあ? 正解なんてないでしょ。人間関係なんだし」
「はうううう……」
ドライ。ひたすらにドライである。
だがそれ故に恋に浮かれていた胸に刺さった。
「ん。モルドがログインした。行くね」
「はい。あ、ありがとうございました!」
「お礼はネフホロ2でいいよ。サンラク連れてきてね」
「い、一応予約しました……」
「ぐっど(無表情サムズアップ)」
ネフィリムホロウ2の発売日が正式に発表されて、ルストのテンションは常時高めを維持していた。相談に乗ってくれたような感じなのもそのおかげかもしれない。
「積み重ねの確認……一緒に楽しむ……正解なんてない……」
残っていたカフェオレをぐいっと飲み干してカフェを出て行くルストの背中をぼんやりと見送りながら、心に残った言葉を口の中で繰り返す。
「……とりあえず、イベントがんばろう」
胸の奥にある大事なものに手が届きそうで届かないもどかしさに、自分の分のアイスティーをずずずと飲み干した。『アイスティーである』という情報だけを抜き出したようなぼやけたその味が、なんだか妙に心に残った。
§
旧大陸の各街の近郊に出現した【甘言蜜語の採集林】とちょっと間に合わせ感ある臨時フィールドがイベントの狩り場だった。ファスティアからフィフティシアまで15の同名の狩り場があって混雑はそれなりだ。一つだけだったら【黒死の天霊】の草刈り場だったろうしな……。
ちなみに設定上は
「しかしまさか本当にキラーカカオがアタックしてくるとはな……」
でかいラグビーボールみたいな大ぶりの実が栗ぐらいある種をマシンガンよろしく乱射しながら大量に飛び掛かってくるのは普通に怖えよ。なんで
「【アクティブソナー】に反応がなかったからびっくりしましたわ……!」
「近付くまで普通の植物と区別がつかんトレントタイプか。もうちっと開けてればあのぐらいの弾幕は余裕だが、森の中じゃなぁ……レイさんいなきゃちょいと面倒だったな」
「お、お役に立てて何よりです」
ユニーク鎧すごいなーあこがれちゃうなー。乗ってる馬ちゃんも弾幕に晒されていたはずだが、その生体装甲には痛痒も感じてなさそうだ。
あ? なんだその目はやんのかゴラァ!
「争いは同じレベルの者同士でしか発生しませんわ……」
「シャラップエムル! んーでドロップは……カカオ豆はわかるけど、カカオパルプってなんだ?」
「あ、カカオパルプっていうのは実の果肉ですね。カカオ豆はカカオの実の種で……栽培地では普通にフルーツとして食べられているらしいですよ。日本でもジュースが飲めるところがあるとか」
「なるほど、コーヒーみたいなもんか。へー、果肉ねぇ」
一個取り出してみると、ねっとりとした白いペースト状のなにかだった。
「あ、意外とうまい」
なんつーか……ちょっと柔らかくて濃くなったライチ? 甘みも酸味もすっきりしていてなかなか美味だ。
この辺無駄に凝り散らすシャンフロの事だから、これもきちんと再現されたものなんだろうな……。
「本来はとうもろこしみたいにまとまってついてる種にまとわりついていて、種をしゃぶる感じで食べるらしいです」
「レイさん詳しいね」
「…………しょ、諸事情でちょっと」
カカオ栽培の子会社でもあるのか斎賀家。
種の方は……よく駅前でワゴン出してる天津甘栗ぐらいの大きさでクルミのように硬いアサガオの種、かな? こんなのが銃弾スピードで弾幕になったらそら痛いわ。小さい分コモナの実(STR特化のトッププレイヤーが棍棒に使って5回は殴れるレベルの硬い果実)より硬く感じるぞ。
「この種が発酵して乾燥して焙煎して粉砕して分離して色々混ぜたらやっとチョコレートになるってわけだ。それを100円で食える幸福。わー人類の叡智ー」
「そう聞くと普通の板チョコが妙にありがたく思えてきますね……」
ご存知の通りうちの一族はみな趣味狂いなわけだが、その中にスイーツ狂いが居る。
よく化学実験と言われる菓子作りの中でもチョコレートはとびきり温度管理が重要らしい。最適温度から1℃2℃違うと固まらなかったり混ざらなかったりして、その最適温度が豆の品種や混ぜ物ごとに違ったりするらしいのだが……なので自宅に一定気温に保つ事ができる断熱室を作って、業務用フードウォーマーとビルの塗装でもすんのかってぐらいクソデカいヘラで豆から厳選して自作したカカオ粉を手作業でテンパリングするってぐらいの拘りようでなあ……。
断熱室だから無論閉め切られているわけで、鼻の奥がチョコで詰まりそうなぐらい甘ったるい香りが充満している中で恍惚とした表情を浮かべながら淀みなくヘラを動かしてる光景はなかなか圧巻だったぜ……そこまでするならショコラティエになれるんじゃないかと思ったが、あくまで趣味で自分の好みのものを作るからいいらしい。今は断熱室の設備を流用してその横に新たに自作した温室でカカオの樹から栽培を試しているとか……。
確か母方のはとこだったか。うーむ、虫の飼育環境の為に温室を拵えようとしていた母親との血の繋がりを感じる。
ガサガサと繁みから音がして、一秒でドロップをしまって武器を取る。
「おかわりのご到着だ!」
「前に出ます!」
取り出したるは信頼と実績の『
ダメージが一番でかいのはアラドヴァルなんだが、全体的な仕様として植物系モンスターに火属性ダメージは特効だがドロップ減るくさいんだよなあ。そら燃やしたら減るのは道理だが、無駄に細かいこった。ただ減るだけじゃなく『炭』とか『煤』みたいな別アイテムが落ちる場合もあるから油断できないんだが。ユーカリ的な樹も絶対ありそうだよなあ。
「おっ、こりゃレアドロか?」
そのまま襲い来るカカオの実をスローターしていると、種と果肉以外のものがポロリと落ちた。
「『カカオの苗木』……ルームアイテムですね。拠点で栽培できるんでしょうか」
「このキラーカカオが生えてこないだろうなそれ……」
実が浮いて種マシンガンまで撃ってきたらタワーディフェンスのドローンタレットだな。防衛用かよ。
……なんとなく、『スリリング・ファーム』にいた植物エネミーを思い出した。栽培植物に擬態して土の栄養を根こそぎかっさらい周囲の作物を枯らしていくという、ミミックとカッコウを合わせたような奴だった……発生に気付かず一晩経つと作物が全滅してる上に人間大まで育ったマンドラゴラみたいな根っこが動き出してプレイヤーまで栄養にしようと襲ってくるんだ。ゲームデータ的にもシチュエーション的にもホラー過ぎて初エンカ時にはかなりビビったのが強烈に印象に残っている。
敵としては大した脅威ではなく倒せてしまうところも、ゲームオーバーにもなれずに土づくりからやり直し確定という別種の面倒さを持つなかなかのクソエネミーだった。一応、倒して動かなくなった根っこは全ての栄養を蓄えているという設定で色々使えるんだが……うっかりチェックを忘れた時に限ってなぜかいるんだよなあアイツ。一定時間見てない作物に後判定で割りこんできて入れ替わるんじゃないかという説が濃厚だったが。
「そんなのいましたね……『カノニケ・ミミクリー』でしたっけ」
「え。レイさん『危牧』知ってんの?」
「あっ、は、はい……い、岩巻さんに勧められて……クリアは無理でしたけど……」
「マジかよなんてもん勧めてんだあの人」
いやバグゲーや胸糞ゲーではないけどさぁ……割と俺的クソゲーTOP3に入るキワモノだぞアレ……件のヤツは一定以上に畑拡張しないと出てこないはずだから、見るぐらいやれるだけでも思ったよりツワモノだなこの人。
「ごめんなさい岩巻さん……」
「ん?」
「い、いえ。特になにもないですっ!」
「そ、そう?」
「そ、それより次が来ましたよっ!」
「おっと」
なかなかの敵密度。クソデカいサソリだムカデだクモだを相手に一狩りもいいが、雑魚のハック&スラッシュもゲーマーの嗜みだよな! ギュイイイイン(ヴォーパル魂が減っていく音
§
「お、【再誕の涙珠】まであるじゃん。大盤振る舞いだな」
「ひゃいっ」
カカオを引き取ってくれるNPCの交換リストは結構豪華だ。
ウェザエモン戦で一生分ぐらいぶつけられた復活アイテム【再誕の涙珠】(小売価格400万マーニで道具屋に抽選で入荷する)を始め、金があれば無限に買えるというわけではない貴重なアイテムから記念品の類まで一通り揃っている。さすがわざわざ販促ポスターまで打つイベントだ。なかなかうまいじゃん。
「シャンフロのゲームバランスでこういうバラ撒きが来るとか、近いうちに全部使いきれって勢いの大規模レイドが控えてるとかそういう事は……一瞬警戒してしまったがあんまなさそうだな。バラ撒きすらせずゲリラでやるっていうか、そういう"イベントを操作して起こす"って事がなさそうだ。全部"世界任せ"っつーか……ご丁寧に専用フィールドまで用意してるこのバレイベが例外中の例外だよな」
「そそそ、そうですねっ」
GH:Cを触った時にも似たような事を思ったが、シャンフロシステムって本質的にはRPGじゃなくてシミュレーションなんだよな。
"【シャングリラ・フロンティアという作品】のワールドシミュレーションを作るにあたって戦闘部分にアクションRPG要素を使った"ってのがニュアンスとして近い。キャラものオープンワールドゲーをとことん突き詰めたらこうなるみたいな。
「ちょっ……こっ……」
「…………レイさん大丈夫?」
「へえぇぇいっ! 大丈夫! ですっ!」
……交換リストを開いたあたりからレイさんの挙動不審度がにわかにマシマシになっている。なんか初対面の頃を思い出すな。
「んー、さすがに全部は無理だが、めぼしいものは取れるかなっと」
【再誕の涙珠】、【生命の神薬】、その他各種消耗品類に……おっ、よくあるプレゼント用のラッピングチョコに加えて、原料のココアパウダーやカカオバターまであんのか。蛇の林檎に持ってってなんか作ってもらえば
「さ、サンラクさんっ!!」
「お、おおっ?」
ピコン、と交換リストの上にウィンドウが立ち上がってきた。
「どどどどど、どうぞっっ!!!!」
【サイガ=0からチョコレートが贈られました】
全体的にサイバーで無機質なシャンフロのUIに似つかわしくない、なんかフリフリリボンに花などあしらわれた妙にファンシーなウィンドウだ……このラッピングチョコ、こんな専用ウィンドウが出てくるのか……。
「ど、どうも。じゃあお返しに」
「ひやぁぁああっ!!??」
交換リストからぱぱっと同じラッピングチョコを取ってプレゼントすると、のっぺらぼうの鎧が人の身長ぐらい飛び上がった。
「これが……逆チョコ……!!」
「いや先に貰ってるし……あえて言うなら友チョコ交換?」
ウィンドウのスクショを撮っているらしく指を構えるレイ氏を横目に、貰ったチョコの説明欄を見てみる。ご丁寧な事に、自分で取ったものは【材料アイテム】扱いで食う事は出来ず、贈られたものは【食料アイテム】に変化して食えるようになるようだ。
「サンラクさん……ら、楽郎くんは、チョコレートはお嫌いではないですか……?」
「チョコ? 普通に好きだよ。カフェインと糖分は頭の燃料だし」
件のスイーツ狂いさんの影響で少し辟易していた時期があるせいか買ってまでは食わないが、あれば普通に食う。
「そ、そうしたら、お抹茶などは……?」
「抹茶……? 三回回して飲むやつはさすがに慣れてないけど、抹茶アイスとかのお菓子系は嫌いじゃないかなぁ。お茶系のカフェインは数値は高くても即効キマるってよりはじわじわ効いてくる感じだし……」
「そうですか……!!」
父方の大叔母が茶席狂いで、子供の頃に飲まされて苦さに涙目になった記憶がある。それでも子供用はだいぶ甘くされていて、親に出されたのはかなり苦いものだったらしい、と親父がカワハギの肝についてる胆嚢を間違えて潰してしまった時みたいな顔で言っていた。
「ふむ。どれ」
「あっ、食べっ……!」
証明と言うには大げさだが、なんとなくさっきいただいたものを出して食ってみた。
「お、ちゃんと市販の板チョコより二段階上のちょっといいチョコぐらいの味がする。レイさんも食べてみたら? 贈り贈られしたやつじゃないと食えないみたいだよ」
「は、は、はいっ!! い、いただきますっっ!!」
レイさんもチョコレートを取り出し、のっぺらぼうの兜の口元だけが開いてぱくりと一口。
お、空腹度は30%回復した。なかなかの数値だ。
「あ、甘いですっ!!」
「ね。ほんと細かいとこ拘るゲームだわ」
「そうですねっ!! ば、バレンタインですからっっ!!!」
……そういやバレンタインか。いや今やってるのはバレンタインイベントなのだが、ゲーム内イベントは往々にして現実の時期とは外れるものだからあんまり意識がね……。
母さんに虫チョコは手加減してもらうように再度念押ししておかないと……去年の超リアルに質感を再現されたメクラチビゴミムシ型のチョコは瑠美が失神を通り越して暴走してリビングが半壊しかけたからな……。
実寸大は数ミリ程度の小さな虫で等身大だとチョコレートにしては小さすぎるからって寸法だけ手のひら大にするからっ……! 地獄への道は常に善意で舗装されている……!!
「そそ、それでは今日はこのぐらいで……ま、また明日! 学校でっ!」
「あーもうこんな時間か。はいはい、また明日ね、レイさん」
「またっ! 明日っ!! ですっ!!」
リターン系のアイテムでも使ったのか、しゅいんと足元に魔法陣が出来てそのまま消えて行った。
「妙に力を込めてログアウトしていったな……」
「鎧の人、今日は雑魚狩りしかしてなかったはずですのに、なんか謎にヴォーパル魂がギュインギュイン天元突破してましたわ……」
えっ何それ怖。
彼女はいったいどんな強敵と対峙しているのだろう……。
「おうサンラク、お前もここだったか」
「サバ……おいチョコレート送ってくんなよキモいな。返すけどさ」
「今どきは友チョコも逆チョコも何でもありだよね」
「お前もかヤシロバード……」
男からだとリボンフリフリじゃなくてサイバーなウィンドウのままだとか全然知りたくない情報だった……おい隅っこに薔薇の花を置くなよ! てことはさっきのリボンウィンドウにあった花は百合かよ! 悪ノリしすぎだろ!
「しかし彼女さんと一緒にゲームでバレイベとかリア充してんねえ」
「は? 彼女?」
「あれ? さっき一緒だったサイガ=0さんって彼女でしょ? JGEでスクラップ・ガンマン一緒にやってた武道とかやってそうな子だよね」
「ばっ……!?」
黒歴史エンドレスの非人道的拷問のトラウマがリフレインして言葉に詰まってしまった。
ちなみにあの動画まだ消えてないらしい。ぐぎぎ。一週間おきに通報してるってのに……!
「あ、もしかして隠してた? だったらゴメンね」
「いやちが」
「いやぁ、初々しいなぁ。あ、そういえば全然関係ないけど、このゲーム装備全部外してもインナーは脱げないけど、裏路地にある【愛】の付いた屋号の宿屋だと全裸になれるらしいよ。未成年フィルターはつくらしいけど」
こいつ、社長やってるくせにまだ思春期なのかっ!? クラスメイトどもと思考が一緒だぞ!?
「……あなたはうずくまってチョコレート食べながらなにやってるですわ?」
「これがバウムクーヘンにあたるかどうか哲学してるんだ」
「開拓者サンの言う事は難しいですわ……」
§
「よし……できた……!」
生チョコは溶かして固める際に生クリームを入れるだけなので意外と簡単と言われるが、それでも慣れない事は緊張するもの。
生クリームに余計な混ぜ物をしてうまく固まらなかったら……いやレシピ通りだし大丈夫……とそわそわすること1時間、冷蔵庫から取り出すと無事固まっていた。仕上げの抹茶パウダーを振りかけてまぶしたら、抹茶の生チョコレートの完成だ。
「うん……問題なし……!」
大きなハート型の本体とは別に味見用に分けておいた小さな欠片を口に放り込んで満足な味になっていることを確認すると、ほっと一息。
「渡せる……渡せる……大丈夫……私は渡せる……!」
震える手と震える声で慎重に丁寧にラッピングを施していく。大仰になり過ぎないように落ち着いた柄の包装で。
「そう……告白、じゃなくていいっ……! これは日頃の気持ち……! 感謝とかお礼とかそういう……っ! ぎりぎり友チョコ、と、言えなくもない、から、渡すのは簡単っ……のはず……っ!」
一見店売りと変わらない包装になったそれを鞄に忍ばせて、ぶつぶつと自分に言い聞かせながら、"通り慣れた"道を歩いていく。
ルストの言葉を自分なりに噛み砕いて咀嚼した結果、まず段階を踏む事に気付いたのだった。進歩なのか後退なのかは視点次第だろう。
「"シャンフロ"では渡せたんだからっ……! あ、リボンっ……!?」
"いつもの電信柱"に身を隠して一息。カタカタと震える手で包装紙をひたすら撫で回していると、包装のリボンが解けそうになってしまった。
「どしたの玲さん」
「ほきゃゃゃっっっ」
慌てて結び直しているところに、とても聞き覚えのある声が降ってきた。
「ららららららららくろうくん!!!」
「うおっすげえ踏み込み……」
思わず縮地で後ずさってしまった。ああっ、楽郎くんのお顔が一気に遠くっ……!
「すすすすすいません!!!」
「いやまあ体調悪いとかじゃなきゃそれで」
「ごごご、ご心配をおかけしまして……!」
どうやら足元をじっと見ていた私を心配して声をかけてくれたらしい。
な、なんて優しいっ……さすが楽郎くん……!!(盲目)
「わたっ……わたっ……わたぁ……!」
「わた?」
「お、遅れてしまいますね!! い、行きましょう!!!」
「お、おう……うわ、めっちゃ手と足が一緒に出てるけど手と肩が上下してすげえ滑らかに歩いてるように見える……」
うわあ~ん!! やっぱり渡せないよぉ~~!!!
§
「ナンバ歩き」
「……一般的にはそう呼ばれてるみたい、です。斎賀流では単に『歩法』って言うだけなんですけど……」
すたすたと前を行く玲さんの頭が全く上下していない事に気付き、いわゆる古武術の擦り足的な何かかと思って聞いてみたらビンゴだった。
「なるほど。肩の動きと連動させるのか」
「ぜ、全身の動きと力の流れを意識する……と習います。感覚的なものなんですけど」
「なんとなくわかる」
そんなわけで手慰みに習いながら通学路を不格好な右手右足左手左足で歩いていく。これでもVR内で格闘なんぞ万とこなしてきたんだ。現実もゲームも物理エンジンは共通ぅ!
「普通に歩く時の腰の捻りの力を肩から肘の可動域の捻りで代替してるわけか。なるほどなぁ」
「お、覚えがいいですね……さすが楽郎くんです……!」
「まぁあのVR剣道教室に通じるところもあったし」
「あぁ……いえ、さすがです。あの富嶽お爺様、本当に本物に勝るとも劣らない出来でしたものね……」
「リアルはVRより奇なり……動画見た時は本気でTASじゃねえのと思ったわ……」
あの龍宮院富嶽のTASじみた足さばきを思い出すとスルっと出来た気がする。やはり通じるところがあるのだろう。
「まあ真似っこが出来ただけで、この歩き方だから出来る何かを思いつけるような頭ではないわけだが」
「そうですね……例えば……踏み込みからの力を一歩歩きだす要領で腰から肩、腕に流して」
ひゅっ
ドズンッ
「ひぇ」
突然玲さんの体がブレたかと思うと、次の瞬間にはコマ送りにしたように街路樹に手を突き出していたかと思うと、重く鈍い音が響いてちょっと足元が揺れたような気さえした。
「こんな感じで流した力を打撃に乗せたりとかが基本で…………あっ」
うわぁ……掌底を中心になんか弾けたように樹皮が吹き飛んでる……。
「た、大変結構なお手前で……」
「お、お粗末さまでした……」
うーむ。玲さんのリアル戦闘力の高さはあの黒歴史で把握していたつもりだったが、マジですげえな……対人は技術かもしれないが、対物は純粋出力がいるだろ……。
しかしこう……なんかでかいボールがかなりの勢いで当たったみたいになってる街路樹くんは……。
「うん、目撃者はいない。ヨシ!」
「……なんだかその言いよう、天音さんに似てますね……」
えっマジ!? あんな外道と一緒にしないでくれるぅ!?
§
「む~……」
あっという間に入門三年目ほどの習熟度になっている楽郎くんの歩法と並びながら、その横顔を見つめる。
眉間に皴は寄っているが、うん、楽しそう。
「お。今なんか肩が跳ねたような」
「はい。肩まで力を流せた証拠です。本当にコツを掴むのがお上手ですね」
「へへ。お世辞でも嬉しいね」
と楽郎くんは屈託なく笑った。
ああ、笑顔。
笑顔だ。
そう、私は、この笑顔を好きになったのだ。
別に、それまでに人生に笑顔がないとか、そういうわけではなかった。
家は裕福であったし、両親や祖父母、姉二人も―――多少特徴的ではあるが―――愛を注いでくれた。
身体能力や頭脳も、足りないと感じた事はなかった。
家の流派の修業も、学校の勉強も、十分以上にこなし、楽しんでもいた。
不満はなかった。
では、充実していたかというと……自信がない。
『ふふふふふ……遂に、遂に手に入れたぞサバイバル・ガンマン……!』
だって、それはすごく、楽しそうだったのだ。
私はあんなに楽しそうに笑った事があっただろうか、なんて、それまで考えもしなかった思いが湧き出てくるくらいに楽しそうで。
のっぺりと灰色に霞がかった世界の中で、そこだけ鮮やかに色がついているような―――いや、違う。
そこだけ鮮やかに色がついていたから、それまで世界が灰色だった事に気付いたのだ。
ああ、そうだ。きっとそれまでの私は、じっと動かない成長途中の卵か蛹かなにかであって……彼の笑顔を見た時に、私―――斎賀玲は"産まれた"のだ。
だから―――
「楽郎くん」
「ん?」
「これ、どうぞ」
自然に、さきほど超高速で鞄にしまい込んだ包みを出す事が出来た。
「いつもありがとうの、気持ちです。ハッピーバレンタイン、です。楽郎くん」
「お、おう…………」
今は、それで。
まだまだ未熟な私には、それだけで精一杯という事だけはわかるから。
§
「…………」
「えっ、と、な、なにか……?」
校門をくぐるなりいきなり奢侈な包みを差し出されて、人の虚を突くイアイフィスト流の使い手たる自分が不覚にも虚を突かれてしまった。
「い、いや、うん。ありがとう……玲さん」
やべえ一瞬で注目を集め始めたぞこれは早く処理してしまわないとヤバい!
『ラブ・クロック』の攻略中でもした事がないような反応速度でそれを受け取って鞄に突っ込んだ。
が。
「あっ……」
「あー……」
迂闊にも受け取る前に周囲を見回してしまった事に気付いたのか、玲さんもぐるりと首を回し……今ここがどこか今なにをしたか、把握してしまったらしい。
我が学園の高嶺の花、斎賀玲が、一緒に登校してきた冴えない男子生徒に満面の笑顔でバレンタインチョコレートを渡した。
多くの生徒の目にそれらが目撃された事に。
「おっ……」
「お?」
「おそまつさまですううう~~~~!!!!」
ドン! と残像を残す勢いで初手トップスピードで走り去っていった。
「…………」
「…………」
数瞬、その場の全員の時が止まる。
「…………(何食わぬ顔をして歩き出す)」
「…………(全員の視線が自分に集まる)」
ダッ!!
「逃げたぞ!! 追えっっ!!!」
「俺は無実だぁぁぁぁ!!!」
何が何だかわからんが絶対に逃げ切らなきゃいけない気がするッッッ!!!
§
「朝の登校中衆人環視の中で渡せたぁ!? 玲ちゃんどうしちゃったの!? 新型ウィルス感染症!?」
「さ、最初は隠してしまったんですが……一緒に登校しているうちに、な、なんだか楽郎くんへの感謝の気持ちが溢れて……自然に、といいますか……」
「ああっ……! ついに情緒一年生が大人の階段をまた一歩……! アイツの尻叩いた甲斐があったわ! 今夜はポール・ジローよ!!」
「あ、あいつ……?」
その夜のロックロールから灯りは消えなかったという……。
§
さて、何とか逃げ切った後、全ての休み時間に繰り広げられた苛烈な尋問をなんとかタイムアウトに持ち込み、夕食後に出てきた母のトコジラミ型チョコ(縮尺10倍)の洗礼を乗り越え、冷蔵庫の中からそっと包みを取り出して自室に戻る。
包みを開けると、どっかの高級店のものかと見紛うぐらいの、しかし手作りの温かみがしっかり残っている抹茶の生チョコが現れた。
ほろ苦く、柔らかに口の中で解けるその味は―――
『しかし彼女さんと一緒にゲームでバレイベとかリア充してんねえ』
『さっき一緒だったサイガ=0さんって彼女でしょ? JGEでスクラップ・ガンマン一緒にやってた武道とかやってそうな子だよね』
「―――くっそ、ヤシロバードめ……恨むぜ」
なぜかアホの世迷い事が頭に浮かんでしまう……そんな、優しい味だった。