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「間に合ったか…。」
「えっ…信弘?」
「おう、助けに来たぞ。」
静香は突然のことに驚いていた。よく見てみると着ている巫女装束にはいくつもの切った痕があり、必死で逃げ続けていた事を物語っていた。普段ならこんな大蜘蛛なんて見たら気絶している筈なのに、気力を振り絞り街に行かないように頑張っていたのだろう。
「まったく、無茶するんじゃねえよ。」
グワァァァッァァァァァ!!
「ちっ。」
大蜘蛛が雄たけびをあげながら押してきた。蜘蛛でも雄叫びをあげるのか、と場違いな事を考えながらおれはそれを足を踏ん張りどうにか矛で防いでいた。
力を得て分かるがこの大蜘蛛、やはりただの妖では無い。正面で対峙しているだけで心が砕けそうな位の怖さがある。だが後ろには静香がおり、ここで負けるわけにはいかない。まずは静香を安全な所に移さなければ…。
「一旦退くぞ、静香。」
おれが矛で押し返そうと矛を押した。するとおれの背丈を優に超えている筈の妖を飛ばせてしまった。恐らく矛の力であろうが、今までの自分では考えられない力だった。
「凄いな…。」
驚きながらもおれは間髪いれず、妖の足めがけて矛を振った。妖の足が細いからなのか、それともこの矛の切れ味が凄いのかは分からないが難なく足を一本切り取っていた。
ギギャーー!!
「行くぞ!」
大蜘蛛がもがいている(様に見える)内におれは静香の手を取って走りだした。だが静香はおぼつかない足取りをしていて、今にも倒れそうだった。
「ちょっと、我慢しろよ。」
「えっ…」
おれは矛を一旦しまい静香の肩の下と膝の下を持ち上げて(横抱き)走った。
「お、重くない?」
「全然。お前、軽いんだな。」
そう答えると何故か静香は黙りこくった。
「おいどうした、どこか痛むのか?」
「ううん。ただ安心して、ね。」
「…そうか。」
しばらく走り続けていると川の音がしたので、その方向に進むと河原に出た。おれは静香を降ろして矛を出した。大蜘蛛はまだ追いつかないようだが一応念のためだ。
「怪我は大丈夫か?」
「うん、大丈夫。それより信弘、それって…」
静香が矛を指しながら聞いてきた。
「『八千之矛やちのほこ』、神威だ。」
神器『八千之矛』、それがこの矛の名前。数多ある『大国主大神』の名の一つを具現化したもの。
「神威、使えるようになったんだ…。」
「ああ、ついさっきな。それにしても無茶しやがって。」
「分かってる…。でも玉も居たし、街に連れていく訳にもいかないでしょ。」
「それでもだ。死んだらどうすんだよ。心配させやだって。」
「……」
「ん?」
「うぅ…」
静香がいきなり膝を抱いて泣いてしまった。よく見ると身体も震えていて怯えているように見える。
「お、おい、大丈夫か!?」
「ご、ごめん。さっき……までの事を、思い出したら……今になって……怖くなって…。」
……おそらく静香はおれが来るまでは無我夢中で、それこそ蜘蛛に対する恐怖すら忘れるぐらい必死だったんだろう。それが今、少しとはいえ安心したせいで逆に恐怖がやってきたんだろう。
おれは何て声を掛ければいいのか分からなかった。けれどおれは何かしないといけないと思い、静香の傍に行き…
「大丈夫だ。」
抱きしめていた。何故こうしたのか、おれは後になって考えてみても分からなかった。けどこの時はこうしないといけないと思った。
「え…。」
「おれが守る。何がなんでも守ってやるから大丈夫だ。だから……安心しろ。」
きっとあの静香の助けてほしいという願いが影響していたんだろう。もちろん無くても助けてはいた。ただ今の状態をほっとけなかった。何とか元気づけてやりたかった。
「……おれじゃ頼りないか?」
「…ううん。頼りにしています、王様。」
そう言うと静香はおれにもたれ掛ってきた。静香の体からは震えが無くなっていて、涙も止まっていた。どうやら少しは役に立てたらしい。
「………。」
……今さらになって恥かしくなってきた。こんなに近くで触れ合うなんて子どもの時以来じゃないだろうか。今、鏡をみたらおれの顔は真っ赤になっているに違いないだろう。けど今さらどかせないしと、そんなことを考えながらどうしようかと悩んでいると
「っつ!?」
いきなりあの大蜘蛛の禍々しさを感じた。おれは静香を離し辺りを見渡してみるが、まだ姿は見えない。
「どうしたの、信弘?」
「…妖が近付いている。」
「えっ!?」
「まだ姿は見えないが…もうすぐ来る。」
「じゃあ、逃げないと…。」
「いや、それはだめだ。」
「なんで!?」
「もう夕方だ。暗い山はただでさえ危険なのにその上妖が迫っているとなればどうなるか分からん。」
「で、でも…。」
「それに山から出ても町には行けないしな。」
「あ……。」
そう、もう逃げるという選択肢は無くなっていた。逃げ切れないだろうし、第一これ以上の放置したら更に被害が広がってしまう。ならば……戦うしかない。
「まあ、安心しろ。お前の頑張りは無駄にしない。」
「でも、信弘が…。」
静香が心配するのも分かる。おれも正直言って、怖い。
「おれは負けないさ。絶対にな。」
それでも静香を安心させようと精一杯の強がりを言った。
「……うん。」
「さてっと…。」
おれは矛を握り直し改めて周りを見渡した。ここは河原、そばには川が流れていて心地よい音を奏でている。周りは石だらけで隠れられそうな所は無い。これなら妖が来てもすぐ目にする事が出来る。ならば来る前にやることをやっておこう。
「静香、お前に頼みがある。」
「なに?」
おれは静香の方を向いた。正直これを頼みたくはない。これから先、静香にも苦労をかけてしまうからだ。しかし今は頼るしかない。
おれは意を決して頼んだ。
「おれの巫かんなぎになってくれ。」
巫は人と現人神の仲介を行う。神威は人々の信仰を受けることにより発揮する。しかし現人神は人であるので信仰を上手く受け取る事ができない。だから巫はその仲介をして現人神に信仰を伝える。信仰が無くなると現人神の力は弱くなっていってしまうので、巫は現人神と常に共にいることになる。しかしこの先、おれの巫は確実に大変だ。何せ王の巫女だからな。本来なら静香を巻き込みたくないが、あの妖を今のおれで倒せるとは思えない。だから静香に頼るしかなかった。
「分かったわ。」
そして静香ならきっと受けてくれると分かっていた。昔から本当に大変な時はいつも助けてくれていたから。
「すまない。…いや、ありがとう。助かる。」
「信弘はこれから国を守るんでしょ。なら私も少しぐらい手助けしないとね。」
「静香が手助けしてくれるなら怖い物なしだな。」
おれ達は二人顔を合わして笑っていた。二人なら何とかなる。そんな気がしていた。
「じゃあ、始めるか。」
「うん。」
おれ達は儀式を始めた。儀式と言っても別に踊ったりするわけではない。手を繋いで静香におれの分霊を送るのだ。
分霊とは神の分身。それを移すことにより少しだけ神に近付く事が出来き、分霊を通し信仰を現人神に伝える。それが巫の役目。
おれは手を静香に出した。静香がそれを両手で包みこんだ瞬間、周りの音が遠くなっていくように感じた。
(これが神域……)
神域、神の領域になっている。おれは改めて理解した。自分が現人神になったと言う事を。おれは自分の内側に意識を向けた。自分の中にある霊魂を見つけ、それの分霊を作る。元来この作業はあまりにも危険である。自分の魂の分身を作り相手に送るのだから。なので本来は十分な準備と監視の下で行う。しかし今はそのような余裕も、暇もない。
(ん?)
分霊を作るなど初めてだ。しかしその初めての作業は滞りなく行われてしまった。まるで誰かがやってくれてたかのように……。
若干の疑問…どころか不安も残るが時間が無い。おれは疑念を振り払い静香を見る。
「良いか、静香。」
「うん、いつでも。」
静香も雰囲気が変わっていた。その姿は凛々しく、正しく神に仕える巫そのままだった。
目を瞑り分霊を送る。手を伝わり、静香に向かう。伝わるまではまるで永遠に、されど一瞬にさえ感じた。
「終わったよ。」
時が無くなったかの様な感覚がいつまでも続くかと思ったが、静香の声により、目を開け静香を見る。
「……調子はどうだ?」
「問題無いよ。むしろ傷が癒えた感じさえするわね。」
「そうか…。ふ~、失敗しなくて良かった。」
「ところでさ…」
「ん、どうした?」
静香は何か戸惑っているように見えた。
「その、信弘なの?」
静香の問いにおれは一瞬、何の事かと思ったが
「……ああ、そういうことか。」
その意味はすぐに分かった。
「違うかと聞かれればそうだし、同じと言えばそうなんだろうな。」
「…どういう意味?」
「初めて大神に会った時に教えてもらったんだが、今のおれはおれに生まれ変わった様なものらしい。」
「ん?」
静香は訳が分からなそうに唸ってた。まあ、分からなくて当然だな。
「現人神になるとは神になる事だからな。人じゃいけないらしいんだ。」
「人じゃいけない?」
「そう。まあ、詳しい事はおれも分からん。大神もそんなに詳しく話してくださらなかったしな。おれが知っているのはこの生まれ変わりをして現人神になるという事ぐらいだ。」
「初めて知った…」
「普通は知らないさ。」
「え~と、つまり…」
静香は少し考えを整理して
「信弘じゃ無くなったていう事?」
最初と同じ結論になったらしい。
「そうだと思う。」
「……敬語とか使った方がいい?」
……なん…だと
「いや、やめてくれ。頼むから。」
おれは一瞬の間も開けずに断った。これおれの口か、というぐらい素早かった。
「え、でも。」
「お前がおれに敬語を使うなんて……違和感ありすぎてなんかやだ…。」
「なんかやだって……。」
「それにな…。」
「…それに?」
「これから、おれと周りの人の関係はがらりと変わるだろうからな。多分、森山家の方々との関係も今まで通りとはいかないだろう。」
仕方のないこととはいえやはり辛い。ある意味、一人になるかもしれないのだから。
「………」
「だからせめて静香、お前ぐらいにはこれまで通りでいてほしくてな。」
「それは命令?」
「いや、おれ自身からの頼み。おれの我がままだ。」
おれは静香をそう言い切った。このずっといた幼馴染位には変わって欲しくないという願いを伝えるために。
「じゃあ、しょうがないわね。今まで通りでいてあげるわ。」
「そうか。……良かった。」
これで心配事は無くなった。あとは生き残るだけか。
妖の気配はもうすぐそこまで来ていた。物凄い轟音を撒き散らしているから嫌でも分かってしまう。ふと、静香の方を見るとまた身体が震えていた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫。神様がすぐそばにいるから。」
「そうか。じゃあ、期待に応えるとしますか。」
おれは妖が来るであろう方向に矛を向けた。妖は相変わらずの禍々しさをだしながら、こちらに突進してくる。
「静香、下がってろ!」
おれが静香にそう言った直後、森の木をなぎ倒しながら妖が突っ込んできた。
「くっ!」
おれはとっさに矛を横にし防いだが、勢いは殺しきれずそのまま後ろに飛ばされてしまった。
「ガァァァッァァァ!」
なんとか立ちあがったが、その直後更に妖が突進してきた。
「くっそ!」
おれは無理やり身体を動かし横の川の中に飛んだ。ふと静香が気になり確認してみると、多少離れた所で見守っていた。幸い妖は足を切られた恨みか、おれしか狙ってこないようだ。
「さて、次はこっちから行かしてもらおうか!」
おれは妖に向かって走り切りかかったが
「何…!?」
妖はあろうことか跳んで避けた。おれの背丈を優に超える跳躍で距離を取った。
「おいおい…。」
無論普通の蜘蛛は跳んで避けたりしない。例え妖といえど限度があると思うのだが…。
「危ない!」
おれが呆気に取られいると、静香の叫び声が聞こえてきた。何か嫌な予感がして横に転がった。その直後、後ろの方から轟音がなった。……ふと見るとそこにあった岩が砕けていた。何が起きたのか妖の方を見ると…糸が飛んできた。それもただの糸ではなく纏まって槍の様になっている。
「痛っ!」
何とか身体を捻ったがかわしきれず左腕を磨っていった。まだ問題無いがまともに当たっていたら後ろの岩みたいになっていたかもしれない。
「何なんだこいつ?」
普通の大蜘蛛なら絶対にあり得ないことばかりしてくる。跳躍はまだしも、糸を纏めて吐き出してくるなんて聞いたことも無い。この禍々しさといい、本当に祟り神じゃないだろうか。
「考えても仕方ないか。まずは一太刀浴びさせないとな。」
おれはできる限り体勢を低くして当たらないように走ったが、糸の塊が自分の横すれすれで通っていくたびに冷や冷やしてしまう。どうやらあの糸は連射は出来ず、射程は真正面みたいなのでおれは妖の側面に出る様に廻り込んだ。そして妖の近くまで行き、切りつけた。
ギヤヤッヤアアーーー!!
矛が妖の身体を切り裂き、妖が叫び声をあげた。どうやら効いているみたいだ。おれは更に切りつけようとしたが
「うおっ!」
妖がいきなり突っ込んできた。矛を盾にするが防ぎきれるはずもなく、倒れこんでしまった。妖はそのままおれに覆いかぶさってきた。
「やっば!」
このままではやばい。しかし身体を動かそうにも妖に押さえつけられていて動けそうに無かった。
「………」
…………
妖と目が合う。妖の眼は普通の蜘蛛同様8個あったがそのどれもが不気味に赤く輝いており、思わず目を逸らしたくなる、そんな眼だった。
「くっ!」
妖が顎を開きおれの顔位はあろう牙を出してきた。どうやらこのまま食べるつもりらしい。そんなのはごめんなのだが、矛を持っている手は押さえつけられていて防ぎようがない。何とかしようともがいていると、
…………
妖の注意が別の所を向いていた。何事かと見ると……
「静香!」
離れていたはずの静香が妖に立ち向かってた。手に石を持っているからきっと投げていたんだろう。
「ばか、逃げろ!」
「………」
静香は妖に睨まれた恐怖からかおれの声も届かず、完全に固まっていた。その間にも妖は静香の方に向かっていく。もしあの糸の塊を吐かれたら終わりだ。
「くそっ!」
おれはそれを止めようと立ち上がるが間に合いそうに無い。
(どうすればいい、どうしたら助けられる!)
(集めるのだ)
「えっ?」
どこからともなく声が聞こえてきた。それも聞いた事のある声が…
(その『八千之矛』は数多の武だ。ならば集めよ、武を)
おれは迷うことなくその言葉に従った。武力を矛に集める。ほんの少し、そうしただけで矛の力が凄まじいと事になっているのが分かる。
「まにってくれ!!」
おれは矛を振りかぶった。妖は刻一刻と静香に近付いており、今向かっても追いつきそうにない。ならばどうするか。簡単だ、投げればいい。
「これでも、くらいやがれ!」
おれは力の全てを使い、妖に向かって矛を投げた。
ギィアアアアアアアアアアア!!!
矛は妖の身体を貫き、穴を開けていた。
「…やったか?」
妖の身体は崩れ落ち、動かなくなった。おれが急いで静香の方を見ると…無事だった。おれは安堵し、そのまま倒れた。
---???
「あ~あ、やられちゃった。」
一人の現人神と妖の戦いを少し離れていた木の上で一人の少女、ミワが見ていた。
「まあ、これぐらいで死なれても困るけどね。」
ミワは嬉しかった。まだまだ楽しめると分かったから。
「さ~て、次はどうしようかな。」
まるで次の遊びを決めるかのような口調で次の事を考えていた。
そう、ミワにとっては遊びだった。楽しませてほしかったのだ。
「じゃあね、王様。まだ、死なないでね。」
そういってミワはまるで夕陽の赤い光に溶け込むように姿を消した。