ナザリック第十階層【
司書長を仰せつかっている
主人のお使いで来ているのだろうか?とも考えたが、あの女は一度目を通した書物の内容を完璧に記憶できる能力を有しており、本の貸し出しをした覚えは一度もない。ならばペットが自発的に訪れているのだろう。シモベの司書からどのような本があるかおっかなびっくりとした様子で聞き出している。
「あの!す、す、すみません!これらを翻訳してもらうことは出来ますでしょうか!?」
そんな事を考えていると例のペットが溢れんばかりの本を抱えて、司書長のもとにやってきた。
「はい、確認しますので少々お待ちください。」
内容は戦記・戦術の歴史を記したものから、五輪の書や葉隠といった戦う者の心構えを記したもの……。仮にも領域守護者のペットだ、これらはまだわかるが、「ランチェスターの法則」の数式モデル、果ては弾性体を用いた応用物理学の専門書など、この少年の頭では絶対理解が出来ないだろう書物が紛れていることが不可解だ。
しかしその疑問はひとつの書物を見て氷解する。【歴史的見地から考察する房中術】……。
司書長がこの本を手に取ると、ペットは顔を真っ赤に染め上げている。要するに小難しいタイトルの本はカモフラージュで、この書物が本来の目的だ。至高の御方々の遺したる書物をカモフラージュに使うなど不敬であると叱りたいところだが、何故かそんな気が起きない。自分を創造して下さった至高の御方の影響だろうか?
「……翻訳を希望ですね。十数分で終わりますのでお掛けになってお待ちください。」
どうせ目録から誰が何を借りたかなど、すぐにバレるというのに。更に言うならば、あの【精神の異形種】と称される
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クライムがラナー様と逢瀬を重ねるようになって久しい。本来従者である自分が護るべき主と逢瀬を行うなど不敬以外の何物でもないし、リ・エスティーゼ王国にいた時分では、想像はおろか妄想することさえ出来ない、絶対にありえない出来事と思っていた。
しかしあの戦争と言う名の大虐殺で血族を喪い、懇意にされていた蒼の薔薇のみなさまとも離れられ、この
だがクライムは女性経験どころか、ラナー様以外の女性と仕事以外で碌に話しをしたことさえない。なんならクライムほどの年齢の男子ならば一度は手に取るであろう〝その手の本〟さえ読んだ経験が無く、同年代の友人もいなかったので〝その手の話〟に花咲かせたこともない。
色々な意味で初心なためか、逢瀬の際は確実にラナー様が主導となって下さり、クライムはほぼ受け身となっている状態だ。従者として、男性の威厳がどうこうなど不敬なことは考えてはいないが、やはりラナー様に身悶えさせられ続けるのは如何なものだろう?と疑問を覚え、【ラナー様にもご満足いただくため】自ら勉強する決心を固めた。
しかし、クライムに
「えっと……。 【クラウゼ末端球】は数ある感受性神経のなかでも、特に敏感で反応しやすく、快感を得やすい神経であり、真皮の他にも粘膜、特に口腔内や舌禍に多く神経感覚器が備わっている。それ故キスは……」
階層と階層を繋ぐ仄暗い階段に座り、蝋燭の灯りを頼りに、翻訳された【房中術】の本に目を落としていた。図解を用いた説明が多くあり、戦闘におけるの急所と〝そっち〟の急所とは結構似ているのだな。なんてことを考えながらも、記されている内容があまりにも専門的すぎて、クライムは得た知識を実践で活かせる自信がなかった。
……クライムはラナー様が自分との逢瀬に何を求めていらっしゃるのかを考える。人恋しさを自分に求められておられるならば、自分が勝手な行動を取る事こそ不敬なのではないかという今更な考えも過る。いままでの逢瀬について記憶を蘇らせ……
(な、何事も勉強し精進することは大切な事!!)
ラナー様の前で
「おや?ラナーのペットではありんせんか。」
「しししゃしゃしゃ!シャルティア様!!」
クライムは勢いよく飛び上がり燭台を大きな音を立ててひっくり返し、壁にぶつかりながら階段から数段転げ落ちた。横に積み上げていた翻訳されていた写本が盛大に舞う。シャルティア様はそのうちの一枚……よりにもよって房中術の書物の写本を手に取ってしげしげと眺めた。クライムは心臓を握られた様な恐怖感に近い羞恥心に襲われる。
しかし……
「何が書いてあるのかサッパリ解りんせん。ぬしもいい加減ナザリックの言葉を覚えなんし。」
……どうやらシャルティア様はリ・エスティーゼ王国の言語を読めないようだった。興味を失ったようで、手にした写本を投げ捨てている。安堵で思わずため息を吐く。
「とはいえ何を読んでいたのかは興味がありんすねぇ。さぁわらわの目をよーくみて。」
「ひぃ……。はい……。」
「<魅了の魔眼>」
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「あらお帰りなさい、クライム。」
「は、はい!ただいま戻りました!ラナー様!」
嫋やかな笑顔や慈悲に溢れた優しい声色とは裏腹に、ラナーの感情は怒髪天に達していた。
それもこれも【楽しい玩具で遊べた】といった様子のシャルティア様から
自分の為に【房中術の書物】を借り受ける。これはかわいいので許そう。しかし、愛しのクライムがシャルティア様に魔瞳で操られるなど、許せることではない。本来であればシャルティア様にぶつける怒りだが、ナザリックで自分如きが階層守護者に危害を加えられない以上、理不尽なことに殺意に近い怒りのすべては軽率な行動をとったクライムに向いていた。
一体どんな気持ちでこんな軽率な行動をとったのか? 操られている間はどのような気分だったのか? シャルティア様に自分の劣情を曝露した気持ちは?……等々、聞きたいことは枚挙に暇がない。
徹底的に尋問して、二度とこんな真似をしないよう〝躾〟をしないといけない。ラナーに拷問官のような能力はないが、幸いクライムはシャルティア様から〝とあるアイテム〟をお借りしている。……と言うより、ラナーがお願いして――本来望んだものは無かったが似た効果を発揮するものはあった――貸し出しを許可してもらった。
それは【汗や涙といった分泌液の排出を控えなければならない】場合に用いる、今一何時何処で何に使うか解らなかったというマジック・アイテム。
クライムはこのマジックアイテムを〝自分が逢瀬でラナーと対等に立てるアイテム〟と勘違いして身に着けている。……笑顔の裏でラナーはクスクスと嗤う。
(発狂と失神を防ぐマジックアイテムも併用しないといけないわね。ああ、夜まで待てないわ。早く仕事を片付けないと。褒美の休暇はまだ3日残っていたわね。申請が直前になるけれども、賜ることは叶うかしら?)
絶頂に達する寸前で生殺しを食らう行為は、欲望と忠誠心の葛藤に戸惑うクライムの【最大の弱点】の一つだ。
戯れでさえあれほど蕩け、甘く悲鳴をあげるのだ。マジックアイテムによって強制的に遮断されるなど、どれほどの苦しみだろう。
一晩なら忠誠心と理性でおさえこめるだろうが、それ以上続ければ、クライムはどれほど蕩けた瞳をして泣き喚き、どんな無様な瞳で自分に甘く懇願をするだろう。
そんなに房中術を学びたいなら、飼い主たる自分が見本を見せてあげよう。以前の褒美でとっておいた<興奮剤>と<精力剤>の準備もしなければ。
凛と立つクライムがこれから快楽と絶望に歪む姿を想像するだけでラナーの背中にゾクゾクと稲妻が走るような快感が襲う。同時に先ほどまで抱いていた怒りが再燃していく。
不条理な八つ当たりを受けたクライムだが、結果的に【ラナー様を非常に満足させる】という願いだけは叶えることができた。