ラナーは恭しく扉を閉め守護領域まで戻る道のりの廊下を、険しい顔で思考しながら歩き始めた。
たったさっきまで第九階層にある魔導王陛下の執務室へ直接の呼び出しを受けており、一体どんな失態を犯してしまっただろうとか恐懼し訪れていたのだが……。以前の避難訓練で自分がカルネ村の薬師に
この名前はリ・エスティーゼ王国王女の時から知っていたのか?他に知っている可能性がある者はいないか?という話だったが、【魔女】を意味するナザリック語の1つとして最近知識に入った事、咄嗟に思いついただけで深い意味は無かったと話すと、魔導王陛下は一気に興味を失ったようで、二度とこの偽名を使わないよう厳命された。
(魔導王陛下はわたしの騙った偽名にどのような意味を見出されたのかしら?一番考えられるのは、陛下が最も警戒されている事案の1つ〝ぷれいやー〟の存在……。しかし聞いたことのない名前だわ。マズいわね。一刻も早くこの失態を払拭しなくては。)
叱責されることは無かったが、その事実が逆に恐ろしい。失望され自分の価値を下げたかもしれないと考えたラナーは焦燥感に駆られながら、失点を取り返す方法を模索していた。
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(そこまで期待はしていなかったが、やはりハズレか……。)
アインズは
……魔女職のクラス持ちやNPCに【ソルシエール】なんて名前を付けるなど、妖精職にシルフやウィンディーネ、吸血鬼職にヴァンピールやカーミラと名付けるようなもの。
つまりは過去にユグドラシルのプレイヤーが遺した痕跡か、現存するプレイヤーからの存在発信か挑発か罠か……何かしらの信号である可能性が高い。
(偽名ひとつ使わせるにしても、こちらは警戒をしないといけないか。ナザリックが表に出た以上、過敏になる必要はないが、無駄に手の内を見せる愚かな真似はしたくない。)
ユグドラシルでのギルドVSギルドとは違う、五里霧中での権謀術数渦巻く存亡を賭けた情報戦。アインズは未経験であるが、シャルティアを洗脳した勢力や〝リク〟などの敵対組織が同じとは限らない。後手に回るのはもうご免被るが……
(俺にはぷにっと萌えさんのように大局的な戦略や戦術を駆使する頭脳はない。)
この考えに至れば自分の無能を呪いたくなるばかりだ。転移し未知に溢れていた最初こそ、アインズはナザリックのため自分で情報を収集し様々な試みを行う必要があった。だが魔導国という国まで建国し、ナザリックが表に出たあたりでアインズが本当の意味で出来ることはほぼ皆無となった。過去の仲間たちが如何に偉大だったか痛感する。
(そう考えるとヤルダバオトってどんな意味があるんだ?う~ん今更聞くのも……ん?)
「……どうしたアルベド?」
《 アインズ様、不肖の部下が御身へ直接お話ししたい儀があるとのことです。わたくしの独断で一蹴することも出来ないため、畏れ多くも不肖の部下の提案をお耳に入れたく 》
(早っ!?え、なに?もう何か思いついたの!?俺と話し終えて10分も経ってないぞ。)
アインズは
「ああ、聞かせてもらおうか。」
《 〝モモンが吸血鬼の情報を欲している〟というアインズ様の御計画から、魔導国はモモンに最低限のバックアップをする体裁をとりつつ、一定の距離を置くことで、モモンの裏切りを釣り餌とし、シャルティアを精神支配した勢力の情報収集を行う計画は御存じの通りと思いますが…… 》
アインズは早速〝知らないよ!?〟と大声を張り上げたくなる。無限にハンコを押し続けた意味不明な書類のどれかに混ざっていたのだろう。【見知らぬ書類にサインをしてはいけない】という先人たちの有り難い御言葉に真っ向から対立したツケであると考えれば、いよいよ自己嫌悪にさえ陥ってしまう。しかし……
「ああ。あの計画か。それで?」
もちろん知らないなど言えるはずもなく、了解済みの体で話を進めないといけない。
《 はい。その計画に付随し、〝吸血鬼に関連した呪いのアイテム〟が見つかり、魔導王陛下はモモンに下賜した。……という噂を流す作戦を提案しております。 》
いよいよアインズの頭では理解できない話となっていく。どのようなメリットがあるのかサッパリ解らないが、アルベドが自分に採択を仰いだ以上一考に値する案なのだろう。
しかし、
「なるほど。その話を詳しく聞いてみたい。あの女のほかに、アルベドとデミウルゴス……そして、当事者であるシャルティアにも一応来てもらおう。1時間後にわたしの執務室まで全員を集められるか?」
《 畏まりました。即座に手配致します。 》
いつもの手段が使える保険を準備し、アルベドとの
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一時間もしない内にアインズの執務室へ指名した全員が集まり、アインズへ跪いていた。
「魔導王陛下、この度はわたくしの愚案を拝聴していただくためお時間を下さったことに感謝を申し上げます。」
「構わん。さて、お前の考えたナザリックの利益となる話を聞かせてもらおうか?」
「はい。〝赤い靴〟に御座います。」
……アインズが最初に〝回りくどい言い回しや説明は好かない〟と言ってしまったためか、その説明はひどく端的で、一体何を意味したいのかわからない。〝説明は全て終わりました〟と頭を下げられても困る。しかしデミウルゴスやアルベドを見れば、難しい顔をして考え込んでいた。アインズの沈黙を怒りと捉えたのか、
「もちろん真実・空論・虚言・挑発の配分を誤れば、今までの陛下の御計画を台無しとする危うい賭けであることは……」
「黙りなさい!アインズ様の思索を邪魔するなど、万死に値すると知れ。……申し訳ございませんアインズ様、不肖の部下には後ほど教育を施しておきます。」
折角どんな考えか聞けそうだったのだが、アルベドが説明を途中で遮断させる。アインズは保険を掛けておいて良かったと心底思うと同時に、あわあわとしているシャルティアへ心の中で謝罪した。
「アルベド、それには及ばない。今は全ての無礼を許そう。何より当事者であるシャルティアが置いてけぼりではないか。」
「あ、アインズ様!まこと申し訳ないでありんす!わらわの事までお考えいただき……。」
「そういう事だ。わたしの認識と齟齬が無いかの確認も含め、優しく教えてやってくれ。」
「「 ではわたくしが…… 」」
アインズがいつもの手段を使おうとすると、デミウルゴスとアルベドが声を揃え、お互い火花を散らしている。しかし程なくして、二人で無言の会話でもしたのかデミウルゴスが話し始める。
「ではまずわたくしから……。1つ目は、【履けば死ぬまで踊り続ける】赤い靴の伝承ですが、この地では類似した話さえ確認されておりません。しかし〝呪いのアイテム〟という概念は存在し、この地における一般的な強大勢力であれば、【何故魔導王は解呪をせずモモンに危険なアイテムを下賜したのか?】という疑問を抱かせます。考えられることは〝モモンは魔導王に真の意味で忠誠を誓っていない、魔導王もモモンを心の底から信用していない。〟又は〝解呪しない条件はモモンの希望であり、モモンは条件次第で魔導国に見切りをつける可能性がある〟ということです。他国が危険を承知でモモンに離反を提案する誘い水として効果を発揮させる一手になるかと。」
「うむ。」
(赤い靴ってアレか!最終的に足を切り落として、その足が踊り続けたっていう御伽噺だ。)
「とはいえ、これだけでは愚かな敵対勢力を炙り出す効果しか御座いません。……2つ目の狙いこそ最も重要な点かと。それはプレイヤーの存在。本来であれば一考にも値しない噂話に反応した勢力についてです。【赤い靴】は無知蒙昧なる者が偉大な神を貶め、罰を受ける象徴。先ほどこの女も言いましたが、〝手の内で上手く踊れ〟と、アインズ様の深謀遠慮を以ってしても狡猾に姿を隠し続ける者達に対する挑発の要素が強く御座います。相手は〝未知を放置する〟か〝危険を承知で真相を確かめるか〟の二者択一を迫られます。前者であれば、1度でも未知を放置した焦燥感を相手に与え、後者であれば膠着した現状を打破する糸口になるかと。」
〝ここまで合っておりますでしょうか?〟とデミウルゴスが緊張した様子でアインズを伺う。何時もであればアインズとの答え合わせを至高なる仕事と喜ぶ節のあるデミウルゴスが……だ。
ユグドラシル時代、ナザリックは1500人の大侵攻により、第八階層まで攻め込まれた経験がある。必然的にデミウルゴスの守護領域たる第七階層も突破された訳で……プレイヤーの脅威というものを身に染みて実感しているのだろう。
アインズはデミウルゴスの説明を漠然としか理解出来ていないが、ひとつだけ理解する。……この提案は決して穏健なものではなく、【劇薬】であると。
「ではデメリット、いえ正確な表現ではありませんね。全てがメリットとデメリットを混在させたものです。その説明はわたくしが……。【赤い靴】の話を知るプレイヤーが〝うわさ話〟を聞いた場合、〝モモン〟も〝ヤルダバオト〟も全てがアインズ様の手の内であった可能性・疑惑を強く植え付けることとなります。しかし所詮はうわさ話、確信に至ることは出来ません。先ほどデミウルゴスが話した【膠着した現状を打破する糸口】とは、言い方を変えると〝覗き見の好きな相手〟の蠢動を許すこととなります。」
「えっと、つまりアインズ様がモモンへ〝吸血鬼に纏わる呪いのアイテム〟【赤い靴】を渡したうわさを流すことで、良くも悪くも静かに見ていたプレイヤー同士のあれやこれやが変化する……ということでありんしょうか?」
シャルティアは目をぐるぐると回しながらデミウルゴスとアルベドの説明を自分なりにまとめる。二人は〝そんなことしか解らないのか〟と怪訝な視線を向けているが、アインズの認識もシャルティアと相違ない。だがいつものように〝二人の考えすぎ〟とも言い切れない。
アインズがこの地でユグドラシル時代やリアル世界でしか知りようのない知識を持つ相手を見つけた場合、その相手には最大限の警戒をするだろう。相手がどのような反応をするか解らない以上、アインズが出すべき答えは……。
「未知を天秤に掛けた博打は好かないな。とはいえ、一考に値する案だ。より精密にナザリックの知者たる3者……いや4者で深く話し合い、様々な可能性を考慮した上、改めて話を聞かせてもらおう。」
……先延ばししかない。ここで〝そう仰ると思い!〟なんて更に難しい話が出てこない事を祈る。だがその懸念は杞憂に終わり、4人は深々と臣下の礼をとった。
パンドラズ・アクターから計画の進捗状況をさりげなく聞き、他言無用の上、ある程度説明もしてもらおう。アインズは今回の一件で、今後増えるであろうプレイヤー関連の話をする場合〝いつもの手段〟は使えない可能性があることを心のメモ帳に深く刻んだ。
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〝 焦り過ぎた…… 〟
ラナーは自らの守護領域に戻り猛省していた。
(功を焦って破滅する愚者など、山ほど見てきたと言うのに……。)
本来であれば、一度アルベド様に話をした上で、十分に考察を行い魔導王陛下に自分の考えを持っていくつもりだった。だが、アルベド様に
少し慎重に考えていればあり得ぬ失態。今ラナーが守護領域に戻ってこられた事は、幸運と慈悲が味方したからに他ならない。魔導王陛下は自分の愚案などとうに見通していたはず。……でなければあの場にシャルティア様を呼んだ理由に説明が付かない。
陛下はどのような作戦でも情報の共有を重要視される。あの場でシャルティア様は自分の計画に要領を得ない解釈しかされていなかった。すなわち、計画に大きな穴があり、運に頼る要素が多いことを知らせる目的だったのだろう。
(やはり〝ぷれいやー〟の情報とはナザリックにおいても特別。しかし一蹴されなかったのは幸いだわ。それに〝4者で話し合う〟ようにご命令を下さった。)
ナザリックの三大知者と肩を並べ話し合うなど、少しでも無能な姿を見せてしまえば即座に〝用済み〟となる重責。同時に自分の存在価値を維持させる格好の場所。ナザリックに来てからラナーは綱渡りと大博打の連続だ。
しかし【命懸け】が当たり前の
(もし天命がわたしを見放したならば……。)
あの皇帝のように命乞いの準備などする気は起きない。そんな事をするくらいならば、心中を決意しクライムの瞳を眺めてこの世を去りたい。しかしそんなワガママは許されないだろう。目が覚めれば間違い無く想像することさえ
(クライム……自分の思い通りにいかない世界というものは面白いものね。)
クライムはリ・エスティーゼ王国の王城で他の兵士やメイドたち、王侯貴族からこのような扱いを常に受けていたのだろう。全ては自分の為に。ならば次は自分がクライムのために……
それも悪くないと、お姫様は静かに微笑んだ。